パナソニックのグローバル戦略において、重要な市場となるのが中国だ。
今回の社名変更、ブランド統一を前に、パナソニックは、ひと足早く海外でのブランド統一に乗り出し、中国でも同様の施策が打たれた。
それまで、中国国内には、「松下(ソンシャーと発音)」のほか、「パナソニック」、「ナショナル」、「NAiS」、「國際牌」という5つのブランドがあった。ブランドが林立し、会社名とブランドが結びつきにくい環境にあったといえる。
これを、パナソニックのブランドに統一。さらに、広告戦略や店頭展示も、すべてパナソニックによる訴求へと一本化したのだ。
「中国国内には、社名には漢字を使用するという制限があり、現在も社名は『松下』となっているが、対外的な活動ではパナソニックを前面に出し、ブランドをひとつに統一した。認知度を高めるという点でも大きな成果をあげ、売上高も着実に拡大している」と、パナソニックの大月均常務取締役は語る。
もともと、パナソニックと中国の結びつきは深い。
1978年、中国の最高実力者であった鄧小平氏が来日し、ブラウン管テレビを生産していた松下電器の茨木工場を訪問。そこで、創業者である松下幸之助氏と会談した鄧小平氏が、中国の製造業発展のための協力を提案した。これに対して、幸之助氏が「お手伝いしましょう」と応え、中国での合弁事業の模索を開始。79年、80年には、幸之助氏が2回に渡り訪中し、鄧小平氏と再び会談。
85年には、当時の山下俊彦社長が中国各地を視察後、北京市に合弁会社設立を決断し、87年に、ブラウン管の生産拠点である北京・松下彩色顕像管有限公司(BMCC=Beijing・Matsushita Color CRT)を中国・北京に設立した。同拠点は、2007年9月に設立20周年を迎え、当初、北京市と結んだ20年間の契約を満了したが、新たに10年間の延長契約を結び、年間900万台規模のブラウン管生産を行なっている。
また、中国・大連に94年に設立した中国華録・松下電子信息有限公司(CHMAVC)は、国家財務部をはじめとする中国華録集団有限公司と、松下電器が50%ずつを出資して設立した会社であり、いわば、中国政府との合弁事業会社。現在、DVDレコーダーの生産を行なっている。
2008年5月に来日した胡錦濤国家主席も、大阪府門真市の同社本社を訪問し、中村邦夫会長、松下正幸副会長、大坪文雄社長らが出迎え、同社の最新技術について、説明を受けている。
こうした長年に渡る政府との関係を経て、現在、中国におけるパナソニックの関係会社は81社、従業員数は10万人にのぼるという。
それだけに、中国政府や中国の経済界には、松下電器、あるいは松下幸之助氏の名前は広く浸透している。その点では、社名変更、ブランド統一のインパクトは、日本に近い状況があったといえよう。
それでも、全世界におけるグローバルブランド戦略を推進する上で、中国においても、松下電器の露出は社名だけにし、プロモーションはすべてパナソニックとしたのだ。
次ページ「成果を上げる中国生活研究センター(中国生活研究中心)」に続く
この連載の記事
-
最終回
ビジネス
パナソニック――大坪社長が語る“今”とこれから -
第21回
ビジネス
GP3最終年度に突入。パナソニックが挑む試練 -
第20回
ビジネス
パナソニックを支える技術「UniPhier(ユニフィエ)」 -
第19回
ビジネス
パナソニックが技術で魅せる「総合力」 -
第18回
ビジネス
パナソニックの3つのエコアイディア戦略とは -
第17回
ビジネス
パナソニックが中期経営計画に環境経営を盛り込む理由 -
第16回
ビジネス
パナソニックが抱えるグローバル戦略の課題とは -
第15回
ビジネス
北米市場で構造改革の成果が試されるパナソニック -
第14回
ビジネス
欧州市場から世界を狙うパナソニックの白物家電事業 -
第12回
ビジネス
EM-WINで新興国市場を攻略するパナソニック - この連載の一覧へ