ワーク・ライフ・バランスが声高に叫ばれる現在、一方では仕事そのものを面白がり「遊ぶように働く」人たちも現れています。タピオカブームをけん引する「春水堂(チュンスイタン)」を日本で展開するオアシスティーラウンジ社長の木川瑞季さんは、35歳のとき、コンサルタント業10年のキャリアを捨てて飲食業に身を投じました。「これからは本当に好きなことをやろう」という思いで始めて7年。新たに見つけたミッションとは?
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「タピオカ屋になるって、本気?」
―― 木川さんは35歳で、台湾の春水堂を日本で展開するために起業した「オアシスティーラウンジ」にマネジャーとして入社しています。コンサルタント業から畑違いの飲食業に飛び込んだのは、思い切った決断でしたね。
木川瑞季さん(以下、敬称略) 周りからは随分驚かれました。「そんなことやって、この先どうするの?」「タピオカ屋になるって、本気?」などと言われて。正直、給与もコンサルタント時代の新卒水準まで下がりました。
でも、それ以上に、「春水堂ブランドの世界観を日本に伝えて、『お茶カフェ』の文化を創りたい」という情熱が勝っていたのです。お金の面では、貯金を切り崩せばなんとかなるだろう、と。今思うと、年齢を重ねたからこそできたチャレンジだったかもしれません。
―― 若いころだったら、挑戦する勇気はなかった?
木川 30代前半までは、まだキャリアの成長段階で、自分に何ができるのかを客観視できていませんでしたし、周りの評価を気にしすぎていました。でも35歳になり、それまで10年間コンサルタントとしてキャリアを積んできたので、自分に何ができるのかも分かっていました。
ですから、もしチャレンジが失敗しても再起できる自信はありました。「10年もコンサルとして頑張ってきたのだから、これからは本当に好きなことをやろう」と踏み出せたんですね。