概要
地球の双子星とも呼ばれる金星ですが、その大気や気候は地球とは全く異なっています。これまで金星大気の温度構造はごく限られた場所でしか測定されておらず、そのために金星大気で起こっている様々な現象や雲の構造を理解するのが難しい状況でした。安藤紘基(京都産業大学)率いる研究チームは、金星探査機「あかつき」を用い、世界で初めて金星の高度40kmから高度85kmにおける気温の高度分布を全球的に取得することに成功しました。その結果、高緯度ほど大気が不安定な領域が広がっており、地球の大気構造と真逆の傾向であることが明らかになりました。大気が不安定だと、垂直方向に発達した雲が発生します。金星では極域で最も分厚いことが知られていますが、その原因は高緯度領域での大気の不安定性が原因かもしれません。
本研究では金星の大気の全球的なデータを均一に取得しています。今後、金星の大気で起こる現象を理解するための数値モデルを構築するときや、数値モデルにより観測結果を解釈するときにも、本研究チームにより得られたデータは良いリファレンスとして大いに利用されると期待されます。
本研究成果は、2020年2月26日発行の、Scientific Reports に掲載されました。
本文
金星は地球の双子星と呼ばれるほど、その質量や大きさが地球と同じくらいの惑星です。しかし、金星と地球の大気や気候は全く異なっています。金星大気の成分は主に二酸化炭素です。そのため金星では温暖化が進んでおり、金星地表の気温は約460℃、気圧は90気圧にも達します。金星の雲の主成分は濃硫酸で、金星全体は濃硫酸の雲に覆われています。さらに、金星では、自転スピードの60倍もの速さで大気が回転しています。これはスーパーローテーションと呼ばれる現象で、なぜこのような大気の高速運動が起こっているのかは判っていません。太陽系の中で、地球と隣り合った公転軌道をもち、惑星そのものの質量や大きさが同程度であるにもかかわらず、地球と金星では気候や大気の状態がなぜこれほど違うのか、このことを明らかにするためには、金星の大気を調べ、理解することが必要です。また、他の惑星の大気やそこで起こる現象と地球を比較することで、地球の大気をより深く理解することにもつながります。
金星探査機「あかつき」は金星大気のデータを集め、金星大気で起こる様々な現象を理解することを目的に打ち上げられた、いわば金星の気象衛星です。
図1のように異なる観測波長で金星を観察すると、金星大気の様々な高度の情報を得ることができます。撮像観測装置(カメラ)による観測は、特定の高度(主に雲頂辺り)における大気の水平構造を明らかにするのが得意です。撮像観測によって、金星大気の大規模な弓状模様や極域のS字構造など、特定の高度で見た雲の構造が見つかっています。しかし、水平方向の情報だけでは大気を理解することはできません。地球の場合もそうであるように、大気が高さ方向にどのような構造になっているかを知ることは、金星の大気の変化を明らかにするために重要な情報です。また、地球では地形が大気の変化や雲の発生に影響していることも知られています。金星でも地形によって大気が影響を受けているのかを明らかにするためには、雲の下の大気も調べる必要があります。
特に大気の温度分布は雲の発生や雲の変化を知るために重要な情報をもたらしてくれます。そのため、惑星大気や気象現象を理解するために不可欠なデータです。しかし、金星には分厚い雲があるため、観測波長を変えたとしても撮像観測で雲の中や下を観測することが困難です。これまでにもプローブや着陸機を用いた観測によって気温の高度分布が測定されています。ただし、これまでのデータは、ある特定の地点における観測であり、観測数も少なく、緯度60度より高緯度のデータはありませんでした。金星大気を理解するためには、全球的な気温分布が必要でした。
安藤紘基(京都産業大学)率いる研究チームは、電波掩蔽観測データを用いて金星大気の高度方向気温分布を調べました。
電波掩蔽観測とは、地上から見て探査機が惑星の背後に隠れるとき、または背後から現れるときに探査機から電波を発し、地上のアンテナ(受信機)で電波を受けたときの周波数変化から、惑星大気の気温を測定する手法です。探査機から送信された電波は、探査機の軌道運動と通過した大気の屈折によって周波数が変化します。探査機の軌道運動は電波掩蔽観測とは独立なデータがあります。一方、大気の屈折率は大気の温度によって変化するため、電波の周波数変化によって大気の温度が推測できるのです。さらに、探査機は軌道上を動いているので、違う時刻に探査機から送信された電波は金星大気の違う場所を通過して地球に届きます。すなわち、違う場所(具体的には高度)の大気の温度を見積もることができるのです。
研究チームは、Venus Expressと「あかつき」の電波掩蔽観測データを利用して、雲層の下となる高度40kmから高度85kmにおける気温の高度分布を全球的に取得することに成功しました。
図3aは、本研究で得られた気温の緯度ー高度分布です。高度60kmより低い領域では温度は緯度とともに単調に下がっていることがわかります。逆に、高度60kmより上空では温度は緯度とともに上昇しています。また、緯度65度付近に局所的に冷たい領域が存在していることがわかります。過去のデータがある場所について、本研究で得られたデータは過去の観測結果と整合していることが確認できました。
図3bは観測結果から見積もった大気安定度です。大気安定度が低いと上昇気流や下降気流が発生し、積雲や積乱雲のように垂直方向に発達した雲が生じます。大気安定度は気流の動きやどのような雲が発達するかを知るために重要な指標なのです。さて、大気安定度を調べた結果、緯度70度よりも低緯度では、高度50−55kmでは大気安定度が低く、高度55kmより上空では高安定、逆に、高度50kmより下では弱安定です。このような特徴は、1961年と1984年に行われたVenera探査機や1978年から1992年まで観測を行ったPioneer Venusで実施された観測結果と一致しました。本研究で観測した領域では、金星大気は長年にわたって構造を維持していることを示しています。
一方、緯度70度よりも高緯度では、大気安定度の低い領域が高度40kmまで広がっていることがわかります。つまり、金星の高緯度上空では、大気の不安定な領域が低緯度よりも広く存在しているのです。このことは本研究によって初めて明らかになりました。地球では大気安定度の低い領域は赤道上空が最も広く、高緯度に行くに従い大気安定度の低い領域は狭くなります。つまり金星と地球は大気安定度という観点から見ると、真逆の傾向を持っています。極域で大気安定度が低い領域が広がっているということは、そこで強い上下方向の大気の運動が発生していることを示唆しています。このような大気の垂直方向の運動は、下層から水蒸気や硫酸蒸気などの雲の材料となる物質を速やかに上空に運び、分厚い雲の生成や維持につながっている可能性があります。実際、金星の雲は極域で最も分厚いことが観測的に示されています。
本研究で得られた気温や大気安定度の分布は、新しい金星標準大気(VIRA, Venus International Reference Atmosphere)の構築に重要なデータを提供します。従来のVIRAは、プローブや着陸機による、わずか数回の直接観測データに基づいて作られました。本研究では全球的に均一なデータを取得しているため、より信頼性が高く、不定性が低いデータです。金星の大気で起こる現象を理解するための数値モデルを構築するときや、数値モデルにより観測結果を解釈するときにも、本研究成果は良いリファレンスとして大いに利用されると期待されます。
論文情報
- タイトル: Thermal structure of the Venusian atmosphere from the sub-cloud region to the mesosphere as observed by radio occultation
- 著者: 安藤 紘基,高木 征弘,佐川 英夫(京都産業大学) 今村 剛(東京大学) 杉本 憲彦(慶應義塾大学) 松田 佳久(東京学芸大学) Silvia Tellmann,Martin Pätzold(ケルン大学) Bernd Häusler(ミュンヘン連邦軍大学) Raj Kumar Choudhary, Maria Antonita(インド宇宙研究機関)
- 掲載誌: 英国科学誌 Scientific Reports オンライン版
- 発行年月: 2020年2月26日
- DOI: 10.1038/s41598-020-59278-8