2014年に放送されたテレビアニメ『Gのレコンギスタ』。『ガンダム』シリーズの生みの親である富野由悠季が総監督をつとめる新作テレビアニメということで大いに話題を集めた。そんな話題作が、時を経て劇場版として帰ってくることとなった。
全5部作として制作されることが発表された本劇場版シリーズは2019年に『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」を皮切りに『Gのレコンギスタ II』「ベルリ 撃進」、『Gのレコンギスタ III』「宇宙からの遺産」を劇場公開。その締めくくりとなるのがこの夏公開される2作品だ。
この2作連続公開に先駆け、この度アニメ!アニメ!では総監督・富野由悠季に対するインタビューをおこなった。果たして富野由悠季総監督はどんな想いで今回の映画を制作しようと思ったのか、そして本作を見た人たちに感じてほしいことはなんなのか。話は富野監督が考える幸せのあり方にまで至る。ファン必読のインタビュー、是非とも読んでもらいたい。
[取材・文:一野大悟 撮影:鈴木心]
テレビ放送を見て、劇場版としてもう一度まとめなおしたいと思った
――2022年に劇場版『Gのレコンギスタ』が最終章まで公開されることとなりました。今回の劇場版シリーズを制作しようと思ったきっかけから伺えればと思います。
完成品として世に送り出した作品でも、見返せば修正点に気付かされる。作品を作る人にとってこれは当然のことなんですね。テレビで放送されたアニメ『Gのレコンギスタ』を見た時も同じように描き直したい部分が出てきた。それを描き直して劇場版としてまとめなおすことはできないだろうかと思ったんです。
――そうして制作されることとなった劇場版、5部作ということに驚かされました。
これまでにもテレビアニメとして放送したものを映画にするということは何度もやってきました。だから経験的に、劇場版を作ったら5部作になるということはわかっていたんです。問題は、サンライズがこの本数での制作を許してくれるかどうか、ということでしたね。
――テレビアニメ『Gのレコンギスタ』をまとめなおすにはそれだけの本数が必要だった、ということですね。
戦記物じゃないので飛ばしても物語が成立する戦闘が一つもないんです。なので圧縮するにも限界がある。やはり映画として5本になるのは必須でした。
――こうして5部作で制作された本劇場作もついに完結します。
劇場版『Gのレコンギスタ』制作から足掛け8年。僕の中では2019年から年に1本ずつ公開して5年で完結といったイメージをしていたんです。でも、なかなかそうはいかなかった。特にコロナの影響は大きかったですね。アニメーターや背景マンといった方々に仕事をお願いすることができない時期もありましたから。
――やはりコロナの影響で予定通りにいかない部分もあったんですね。
ありましたね。アニメ制作というものは一つが遅れると他も連鎖的に遅れてくる。結果的に完結が今年になってしまった感じです。それでも、これ以上遅れることなく全5作を今年公開できたのはバンダイナムコフィルムワークスの組織的なバックアップがあったからで、それには感謝しています。
白でなければいけない宇宙建造物に色をつけた理由
――著書『アニメを作ることを舐めてはいけない―「G-レコ」で考えた事―』では描き直したい部分のお話も書かれていました。その中にはキャピタル・タワーのナットに色や模様をつけるというお話もありましたね。
ナットに色や模様をつけたのは手段でしかないんです。大切だったのはナット一つ一つで別の景色を作ること。例えば、地球上で場所が変わると景色が変わるじゃないですか。その景色を見て、人は場所が変わったことを認識できるわけです。
――確かにそうですね。
でも、宇宙を舞台にすると外はずっと星空。そこに同じ色のナットが描かれると場所による違いが現れない、ずっと同じ場所で物語が展開しているように見えてしまうんです。それにテレビ放送を見て気づいて、景色を作るためにナットに色や模様を書き足さなければいけないと思ったんです。ただ、宇宙に建造されている人工物の色が白ではないのは本来おかしいことなんです。
――おかしいこと、ですか?
色がつくということは光を吸収するということになります。その吸収した光はやがて熱になってしまう。結果白くないものは冷却のためにコストがかかってしまうんです。だから本来宇宙に設置する建造物に色をつけたりしないんです。ただこれはあくまで現代の科学技術の話。
――『Gのレコンギスタ』の世界ではさらに科学技術が発展しているということですね。
そうなんです。あの世界では光を吸収しても冷却システムに対して影響を及ぼさない塗料も開発されているはずで、そういった裏設定も作った上で今回ナットには色付けをしています。
――劇場版制作にあたって技術設定も再考したということですね。その他にも追加となったシーンも多くありました。
追加シーンに関しては実際に見てくださいとしか言えないです、ネタバレになってしまうから。ただ一つだけ言えるとしたら、『Gのレコンギスタ』という作品を愛して、既に見てくれた人でも楽しめる劇場版になっているということですね。なので最後の最後まで見届けて欲しいのです。新展開があります。
――最後の最後にお楽しみのシーンが待っているということですね。
『Gのレコンギスタ』という作品を見て、一見アイーダとベルリの物語に見えていた物語が、実はノレドとベルリの物語だったと気付かされた人もいると思うんです。ならば、映画を締めくくるにあたってテレビ版のままでは終われないので、劇場で確認してください。
地球で生きることを考える、そのきっかけになってほしい
――テレビアニメ『Gのレコンギスタ』放送前に、子供たちに見て欲しいというお話もしていました。
子供たちというよりは、これからの未来を担う人たち。10年後、20年後に政治家や経済人になるような人に見て欲しいと思って作っているんです。この作品を見て、これから先、地球で生きていくということを考える一つのきっかけにして欲しいんですよ。
――未来を見据えるための材料がこの作品に詰まっているということですね。
今回の作品で描いているのは一度人類が滅亡しかけて、そこからさらに1700年ほどが経過した世界です。そこでは石油や石炭といった地下燃料はもう手に入らない。ならば私たちはどこからエネルギーを手に入れればいいのか、未来を担う子供たちにはそういうところに想像を巡らせて欲しいんです。
――新時代のエネルギーとしてフォトン・バッテリーが登場した、ということですね。
『Gのレコンギスタ』で、地下燃料を使い果たした先で我々が使えるエネルギーとして想定したのが太陽光。それを使用可能なエネルギーに変換して作ったのが、フォトン・バッテリーなんです。それはきっと月よりも遠い場所で作られるでしょう。そうしたらフォトン・バッテリーを運ぶための宇宙エレベーターも必要になるはずで、なぜ運搬手段が宇宙船ではいけないか、というのはわかりますか?
――すみません想像がつかないです……。
ロケットというのは要するに燃料を爆発させることで前に進む。そんなものが運搬のために頻繁に行き来したら、燃料の廃棄物がどんどん地球に蓄積してしまいます。そんなことになったら地球は人が生きられない星になってしまうんです。そんなものが運搬技術として成り立っている世界はありえないんですよ。
――なるほど、言われて初めて想像ができました。
宇宙と頻繁に物資の行き来があると考えると、宇宙のエレベーターの存在は必須になります。これからの地球の将来を担う人にはそれぐらいのことは想像して欲しいんです。そのためのヒントを『Gのレコンギスタ』には詰め込んだつもりです。
宇宙進出というロマンが見えなくしてしまっている課題
――宇宙で人が暮らす、それを考えると宇宙エレベーターの建造は必須だということですね。
そうですね。とは言え、宇宙エレベーターが建造される日が来るとは僕は思っていません。
――そうなんですか? 僕は近い未来に実現できるものだと思っていました……。
人が月にたった数人が行くだけで、あれだけ苦労したんです。そんな我々が近い将来に宇宙エレベーターを建造できるとは思えないんですよ。そこには技術的に可能かどうかとはまた別の問題も出てくると思うんです。それでも実現可能な気がしてしまうのは、宇宙進出にロマンを感じてしまうからだと考えてます。
――ロマン、ですか?
宇宙進出と聞くと我々はそこにロマンを感じ、超えなければいけない課題を見落としてしまいますね。例えば、月より遠くに行くということを考えた時に、移動にかかる時間を想像したことがありますか?
――すごく長い日数だろう、ということは何となく想像できますが……。
その間景色が変わらない、ただただ星空だけを見て過ごさなければいけないんです。それに精神的に人が耐えられるのか、そういった問題を宇宙進出のロマンが目隠しをしていますね。そこまで考えると宇宙エレベーター建造は難しいのがわかるでしょう?
――そうですね、ただ作れば運用できるというものではない。
加えて、その行き着いた先で生活しようと思ったら、さらに想定しないといけないものが増えますよ。人が最低限生きていくために必要なものはなんだと思いますか?
――水と食糧でしょうか?
そう、それを確保するためには行き着いた先で農業や漁業を確立しなければいけません。そこまでできて初めて宇宙進出は実現するわけで、これだけの課題を考えると決して近い将来に実現できるものではないんです。
気候や風土を感じられる場所で“当たり前のように生きていく”こと、それこそが幸せ
――富野監督の作品では度々、いかに食糧を確保するかという描写があります。人が生きていくための最低限の部分である以上、きちんと描くべきだという想いがあったのでしょうか?
つまり富野作品における食べることは“食料の確保”、エネルギー補給にばかり主眼が置かれている、そう感じるということですか?
――決してそういう意味ではなかったのですが……。
いや、でもそれも間違ってはないんですよ。自分でも本当にせせこましい描き方をするな、とは思っていますから。僕が食事について描くと、いかにしてエネルギー補給をするかということばかり。でも、本来食事はただただ楽しくて幸せなものなんです。だからそういう描き方をしてもいいのに、とは思います。これは僕がこの年齢になったから言えることなんですけどね(笑)。
――時を経て食べることの大切さを感じるようになった、ということですね。
そう、本来の人間の幸せは食べることをはじめとした“当たり前に生きていく”ことの中にあるはずですから。
――“当たり前のように生きていく”、ですか?
寒さ暑さにそれなりに耐えられる環境で、何かに怯えることなく、3度の食事が一生心配なく食べられる、そういう状態を僕は“当たり前のように生きていく”と言っているんです。人本来の幸せはその中にあるはずなんですよ。その幸せを多くの人が享受できるようにするために僕らは未来を作っていかなければいけないと思うんです。
――なるほど。
少し前まではワールドワイドに仕事をする人が勝ち組だという価値観が流行っていました。でも、彼らは食料危機に地球が陥った時に、誰かの“当たり前のように生きていく”を守ることができなかった。それが本来の勝ち組の在り方だったのだろうか? 僕はそこに疑問を感じたんです。
――それは私自身も感じるところはあります。富野監督が考える幸せに生きていくための方法論があれば伺いたいです。
幸せの価値基準は人によってしまうので、一般論的に言うことはできません。でも一つだけ、どんな人にも共通した幸せがあるとしたら、それは風土、気候を肌に感じて生きていけることだと思うんです。だから風土や気候を感じられる土地で長く、それこそ親子三代生活している人は幸せを感じながら生きられている人たちなんだ、そう思っています。
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