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大杉栄

大杉栄・日本脱出記  第一章 大杉栄の「日本脱出」と外務省史料、「東京日日新聞」記者との会見

第一章 大杉栄の「日本脱出」と外務省史料、「東京日日新聞」記者との会見
                                          2009年3月

  
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アルス刊『日本脱出記』  表紙

リンク 大杉栄

                
 

 大杉栄の一九二二、三年の二度目の日本脱出はメーデーでの演説からフランス官憲に拘引、国外追放で幕となった。そして神戸上陸から二ヶ月余りで虐殺され、今後のアナキズム運動をめぐる論議が東京で始まらんとした最中に大杉の意図はついえた。大杉はフランス滞在中、ベルリンに行き「ベルクマン、エマ、ヴォーリン」と語り合うことを願っていたがかなうことはなかった。

 この最期の活動となってしまった「日本脱出」、大杉の日本不在は日本の内務省、官憲を慌てさせたのは当然であったが、今回新たに外務省の外交史料中から大杉をめぐる日本政府の対応の経緯が明らかになった。
 またこれまで関連した文献で言及がないが、「東京日日新聞」記者がパリで大杉と合流をしメーデー当日に会見をしている。(鎌田慧氏が『大杉栄自由への疾走』で同記事には触れているがなぜか会見部分には言及をしていない)。

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その際に原稿を入手したと推測するが大杉のパリでの滞在記が(近藤憲二編集による同年十月刊行の『日本脱出記』では「パリの便所」として同文を収載)いち早く六月二十二日から四日続けて「佛京に納まって」と題され掲載されたことを新たに発見した。

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 記者本人がメーデーの直後に日本に原稿を携えて戻ったのか、または知人に原稿を託したのであろうか。外務省の史料、松田代理大使から内田大臣宛の報告に「右演説の要旨は当地滞在中の東京日日新聞記者井澤某に依りて密に本邦に報道せらるることに仝記者と大杉との間に打合済なる趣なり」と記されている。(大澤正道氏から井澤記者は松尾那之助と交友があったことを教示された)。


 たまたま他の件で特派されパリ滞在中に大杉の動向を知ったということなのか不明であるが、東京日日新聞記者と大杉、労働運動社とは深い交流があることは確かである。

 五月四日付「東京日日新聞」の報道を紹介する。
見出しは「支那人に化けた大杉栄氏パリで捕はる、メーデーの群衆を前に演説中を警視庁へ」二日発パリ特電。

「目下パリに滞在中の大杉栄氏はメーデーの労働組合本部において記者と会見して『僕は上海からバリーに来て
既に一ヶ月になる四月ベルリンに開催の国際無政府主義大会に出席の目的で来たが延期となった大会終了次第帰国する』と語りかくて氏はメーデー大会に参加しサン・デニス街で支那人董の名で群衆を前に演説中を官憲に知られ二日午後五時サン・ミシエルの広場で逮捕された氏はネクタイもむすばずチヨツキも付ず霜降りの古洋服を着たまま六名の刑事に警戒され大杉と名乗って警視庁に引致され折り柄出あったわれ等(特派員)に『とうたうやられたよ覚悟をしていた』とするどい目を光らして苦笑した。」



 外務省の動向は
一、上海から北京、奉天を経由して蒙古、あるいは極東ロシアからモスクワ入りの「情報」に振り回された時期。二、フランス滞在が確認され、入独、入露を阻止する意図が図られようとする時期。
三、メーデーでの逮捕者が大杉栄と確認されてからフランス政府による国外追放と日本への船便の代金を立替え便宜を図る時期。

 以上の三つに分けられる。時として日本の新聞報道に、またそれぞれ現地の情報通による大杉栄の「偽」動向に振り回されているお粗末な情報収集能力が露呈している。たまたま現地コミュニストと接触した日本人活動家が当該地に居たのであろうか。

 大杉栄の中国内滞在、移動説に振回された要因は大杉本人と山鹿泰治、中国の同志たちが図った情報かく乱が成功した結果であろう。山鹿は回想で触れていないが、和田久太郎の証言が伝聞ではあるが江口渙の回想に記されている。(『続・わが文学半世記』青木書店刊、一九六八年)。
 同書の「那須温泉の冬」の項(一〇八、九頁)から関連記述をそのまま引用する。

「松の内がすぎた頃から東京の新聞のどれもが、大杉栄のゆくえ不明についていっせいに書きはじめた。上海に渡ったのだ、ともいう。北京に姿をあらわしたともいう。また、満洲にいったとも報じている。そして彼の目的はいずれ労農ロシアに潜入することにあるのだ、と、どの新聞も書いている。
 私はそのことについて和田久太郎にただして見た。はじめは笑うだけで、なかなか話そうとはしなかった。だが三日後の夜だったが、さもさも、この世の重大事件を、とくべつに打ちあけて聞かすのだ、というような顔つきをして、ついにほんとうのところを聞かせた。
 大杉はこの年末にすでに日本を脱出することに成功していた。来るべき三月にベルリンで開かれる無政府主義者の世界大会に日本代表として参加するためである。

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法廷の和田久太郎
 (註・コロメルに大杉の名前を告げたのは小松清)

 まず上海に渡ってから、中国の無政府主義者の協力をえて、中国人になりすまし、うまく旅券を手に入れる。その旅券で船にのり、ひとまずフランスにゆき、フランスからさらに国境を突破してドイツに潜入する予定だ、というのである。そして大杉がハルビンや北京に姿をあらわしたとか、蒙古の砂漠を横断中である、とか、と、いう報道は中国の同志たちが、日本の官憲の追及の眼を混乱させるために、あちらの新聞社をとおして、ニセの電報を送ってよこさすためだと、和田は説明した。」

 大杉自身も『日本脱出記』(アルス刊、二三年十月、四五頁から四六頁)で触れている。
「上海に幾日いたか、又其の間何にをしていたか、と云ふことに就いては今はまだ何んにも云へない。ただそこにいる間に、ベルリンの大会が日延べになつた事が分つたので、ゆっくりと目的を果たす事が出来た。そして、その間に、日本では、僕が信州の何とか温泉へ行つたとか、ハルピンからロシアへ行ったとか、香港からヨオロッパへ渡つたとか、いや何処とかで補まつたとか、と云うふようないろんな新聞のうはさを見た。上海の支那人の新聞にも、さうしたうはさを伝へたほかに、ロシアから毎月幾らかの宣伝費を貰つている、と云ふやうな事までも伝へた。」

 
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『日本脱出記』中扉

 外務省外交史料
 一部を紹介する。(引用の順番は発信の日付を基準にする。発信者ごとに書式は異なる。手書きが主であり、少ないがタイピングされた本文もある。件名は内容が同趣旨でも統一はされていない場合もある。随時本文を引用した翻刻文は仮名を平仮名になおした。判読不明文字は■、以下略は「…」とした。)
大正十二年一月九日 内務省警保局長 外務省通商局長殿 機密受 第四号
《特別要視察人に関する件、警視庁編入甲号特別要視察人 大杉栄》
「右の者大正十一年十二月下旬上海経由北京に入り更に入露せむとする形跡有り本人の北京其の他の滞在地に於ける行動御内偵方…」
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大正十二年一月十二日 受信人 北京小幡公使 哈尓賓 山内総領事、在上海 松浦総領事 発信人名 内田大臣
《大杉栄の行動内査に関する件》
「大杉栄十二月下旬上海経由北京に入り更に入露せむとする形跡ある趣を以て同人の北京其他の滞在地に於ける行動内査方内務省より依頼有之候に付ては貴地に於ける同人行動御内偵の上御報告相成度此段申進候也」

大正十二年一月二十五日 山ノ内総領事発 第二六号 《片山潜と大杉栄との会合》 本文の主旨は知人某の電報を根拠にしている。

大正十二年一月二十六日 機密第二二号 在吉林 総領事 堺■■■ 外務大臣伯爵内田康哉殿
《大杉栄の赤化宣伝計画に関する件》

大正十二年一月三十日 機密第七七号 在支那 特命全権公使 小幡酉吉 外務大臣伯爵内田康哉殿
《大杉栄の行動内査に関する件》
「首題の件に関し一月十二日附往電欧機密合第八号を以て御来示の趣承本件に就ては一月十二日在哈爾賓山内総領事よりも内務省警保局……大杉は最近知多に入込む目的を以て北京に向ひたる由に付動静内報ありたしとの旨来電の次第も有之精精探査したるも当地に入込める形跡なきのみならす或筋より得たる情報に拠るに大杉は…欧州経由莫斯科に向ひたるか…近着の満洲日日新聞所載一月二十五日発東京電報として同人は現に阿部倉温泉に閑遊中との記事も有之本人最近の動静に関する確報に接せさるも兎に角其の後とも今日迄大杉か北京に入込める事実を発見し得さる次第に有之候右回報旁申進候也」

大正十二年一月卅一日 機密第二四号 在上海総領事 船津辰一郎 外務大臣伯爵 内田康哉殿
《大杉栄の行動に関する件》
「本月十二日附…当地を経て北京奉天を通過し目下入露の途上に在りと謂へる警視庁編入甲号特別要視察人大杉栄の当地滞在中の行動其の他に就き内査候…」「記 上海に於ける支那人共産党員等の間に往復を重ねつつありて現に彼と会見したりと云ふ者の言に依れは「陳独秀(上海共産党首領)一派の者と接近して入露の計画を為したる趣にて彼は曾て上海に平民大学創設の計画あるや同人等より同大学教授に招聘せんとて其の交渉を受けたることあり旁上海一般の状況視察の為渡来せりとの風評専らなりしか実は陳独秀を首領とせる共産党の招待に依りたるものにて当地に於て無政府主義者及エスペランチストを集めて……労農露国と提携力説一部の支那人無政府主義者は今や大杉は共産主義に転換変節したる者にて其の行為唾棄すへきものとなし大に憤慨し居れりと謂ふ更に大杉は……平民女学校に於て職員生徒に対し《社会主義と女権問題》と題する講演を為し同日商務印書館編集員胡愈之を訪問し其の紹介によりて論文を同館発行の雑誌に発表することを約し若干の原稿料を収受せし形跡ありしか翌二十九日北京に向け出発せり大杉の当地を出発するや之と相踵いて一月一日田口運蔵来■し翌二日急遽北京に赴きたるを以て彼等の間には何等かの密約ありしものの如く察せられ次て…就て内偵せしに大杉の行動を知り居る様推測せられるたるも具体的事実に関しては言を左右にして語らさりき…」

大正十二年一月卅一日午前十一時 受信人 在奉天赤塚総領事宛 発信人名 内田大臣
《大杉栄の行動内査に関する件》
「往電欧一機密合第八号に関し大杉栄は客年十二月下旬上海に赴き■■北京に滞在したる上貴地経由西伯利に赴きたる形跡ある趣を以て同人の行動内査方内務省より依頼ありたるに付…」

大正十二年二月四日 一七一〇 暗 山内総領事 哈尓賓発 后三、〇〇 内田外務大臣宛 第三九号 
《貴電合第二二号に関し(大杉栄行動内偵方の件)》
「大久保内務次官の内話に依れば大杉栄は昨二日莫斯科より当地に潜入したる片山潜と出会したる上労農代表「ポゴージン」を訪問したる模様ありとのことなり、目下所在探査中。(長春経由二月四日前十一時四十五分)」

大正十二年二月九日 受信内務省後藤警保局長 発信松平欧米局長
《大杉栄の行動内査方に関する件》

大正十二年二月十日 受信内務省後藤警保局長 発信松平欧米局長
《大杉栄の行動内査方に関する件》

大正十二年二月十七日 電受第二六九七号 暗
山内総領事 哈爾賓発 本省着 大正十二年二月十七日 後十、〇〇 内田外務大臣 第五一号
《別紙》
「大杉栄は本年五月二十日莫斯科に開催せらるる第三回共産党国際会議に出席の目的を以て本月十七日頃北京を出発する筈にて同人北行の際は当地「ドルコム」に立寄る筈なりと右聞知の侭在京公使、天津、奉天、長春へ電報せり」

大正十二年二月二十日 二八一六 暗 赤塚総領事 内田外務大臣 第三五号
《貴電第一一号に関し(大杉栄の行動内偵方)》
「十九日夜十一時京奉鉄道にて来奉「ステーション、ホテル」に投宿二十日朝六時急行列車にて北行したる支那服外套を着したる者大杉栄の疑あり尚ほ同人は当地出発に際し四平街行の切符を買求めたりとのことなるに付同人の行動に付結果長春の報告する様四平街警察署の電報せり」

大正十二年二月二十日 在満州里 領事代理 田中文一郎 外務大臣伯爵内田健康哉殿
《大杉栄入露に関する件》
「知多より帰来せる邦人の言に依れば大杉栄は蒙古経由知多に着し同地の共産学校に於て佛語を以て主義に関する講演を為し聴衆に感動を与へたる趣にして其後同人の莫斯科に向け出発したりと云ふ」

大正十二年二月二十一日 警保乙第九八号 内務省警保局長 参謀次長殿 外務省欧米局長殿
《特別要視察人に関する件 大杉栄》
「一月末 蒙古「ウエルフネウジンスク」より知多に赴き一週間滞在」

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『二人の革命家』収載 広告


日本脱出記 2に続く

参考
2011年6月時点で古書サイト「日本の古本屋」ではアルス版が初版も含め13の古書店の所蔵がデータ上で確認できる。

他にはアルス版全集、そのリブリント版で世界文庫版、現代思潮社版が検索でアップされる。
岩波文庫版の『自叙伝・日本脱出記』も検索でアップ。

新刊としてはリンク・土曜社版(ペーパーバック)『日本脱出記』がこの春に刊行されたばかりである。
 <註 刊行書の当該サイトのURLに漢字が含まれるので直接のリンクがはれません。同社のトップサイトあるいはブログからアクセスしてください)
 
大杉栄・日本脱出記  第一章 大杉栄の「日本脱出」と外務省史料、「東京日日新聞」記者との会見_d0011406_5345169.jpg

表紙カバーのスキャン画像



by tosukina | 2011-06-12 22:06

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