笑顔をありがとう | フーテンの横チン

笑顔をありがとう


2015・6・30~愛媛・宇和島市~
 曇り空でも、はっきりと分かる光り輝く太陽。まるで、笑顔がトレードマークだった故人を表しているかのような空だった。高校の同級生の告別式参列のため、故郷に戻った。28日、訃報が届いた。時間が過ぎても、信じられない心境だったが、祭壇に飾られた彼女の遺影を見た時、やっぱり現実なんだと分かった。会場内のあちこちから漏れる、多くの参列者のすすり泣き。遺影の笑顔がたまらなくすてきだったから、悲しさが増幅した。
 2014年11月、2人目の男の子を産んだ後の検査で胃ガンが分かったという。手術後は子育てをしつつ、抗がん剤との闘い。「絶対に負けない」と覚悟を決めて、闘病生活を送っていた。SNSなどでやりとりをしていたから、頑張っているんだなと思っていたが、いつからか更新が滞るようになった。大変なのかなと気になっていたところでの悲しい知らせ…。最後の1週間はかなり苦しんだそうだが、最期は安らかに眠ったという。それだけが救いだった。
 目を閉じて振り返っても、笑顔の彼女しか思い浮かばない。高校時代は頻繁に話すほうではなかったが、いつも笑顔がすてきだったなと思っていた。大阪での社会人時代にいっしょに食事をしたこともあった。しばらく、会えない時期があったけど、ブログなどで交流を重ね、2014年1月の同窓会で再会。そこには昔と変わらない笑顔の彼女がいた。いくら年月を重ねても、同級生と出会えば18歳の高校時代にタイムスリップできる。たくさんの話をした楽しい時間は、いまでもはっきりと甦る。
 「横山君が撮った写真って、とてもうまくて、きれいなんよ」。彼女は自分のことのように、ほかの同級生に話してくれた。スキューバダイビングという共通の趣味があり、自分が撮った水中写真を見ては、ほめてくれていた。そのことが本当にうれしくて、うれしくて…。写真を撮っていくうえで、とても励みになっていた。「今度、子どもとの写真を撮ってほしいなあ」「いつか、いっしょにダイビングができたらいいね」。そんな話をしていたけど、2つともかなわなかった。無念の思いだけが募る。
 最後のお別れ。彼女のもとに献花した。苦しみから解放された彼女は、とても安らかで、やわらかな顔で眠っていた。彼女の主人は、中学校からの同級生でもある。「最後にお顔を見られてよかった…」。そう告げると「いつも、写真のこととかブログの話をしていたよ」と教えてくれた。もう話すことができないのかと思うと、とてもつらい。でも、笑顔の彼女は心の中にいるから、いつでも会える。最後まで100%で生き続けた彼女に手を合わせて言った。たくさんの笑顔をありがとう!