流言蜚語(りゅうげんひご:無責任なうわさ、デマ。蜚が常用漢字でないため、飛語とも)
日経の社説から です。
惨事は八世紀のイスラム教イマーム(導師)を悼むシーア派市民の巡礼の列の中で起きた。現場となった橋で自爆テロリストがいるとの流言飛語が飛び交い、大混乱、逃げまどう人たちが圧死したり、川に飛び込み水死したという。
意味としては、デマですが、四字熟語を使うことでことの重大性を表現出来ています。それ以上に、意味の微妙なテイストがあるのでしょうか。実例で見てみましょう。
清水幾太郎は、一九三七年に発表された『流言蜚語』のなかで、流言蜚語を「潜在的公衆」による「潜在的輿論」と定滋する。 と、そのものずばりの定義が一つありました。公衆に対する影響があって、始めて流言蜚語ということになります。
もっとも、
demagogue: a political leader who tries to win support by using arguments based on emotional rather than reason
ということなので、民衆からの指示を得ることを目的としなければ、デマとはいえないことにはなります。しかし、これは元来の意味であり、現在は小さな嘘もデマと呼んでしまっています。
震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。 うわさが社会を動かした、最も有名な例です。
何でそんなことを思うかというと、災害の時に、政府や州の指導や命令に、流言蜚語や、誘導や犯罪や重なる中で、どう従っていいのか、 というのが、今回のKatrinaで置き去りになった人たちを救出する際の大きな課題です。デマによって、無謀な行動に出ている人たちが続出していることは、用意に想像できます。
というわけで、実際に群集に影響を及ぼすようなデマは、流言蜚語と書き表すと、その影響力の大きさを暗示できる、と考えてよさそうです。
ちなみに、新聞社説では、もっと頻繁に四字熟語が使われていると思っていたのですが、いざこのブログをはじめてみると、滅多にお目にかからないことが分かりました。メディアがスピード重視となり、四字熟語は時代に合わなくなっているのかもしれません。