オバマの“クォーターバック”

エマニュエル大使のルーツはウクライナの港湾都市オデーサにある。そこから、祖父が1905年にパレスチナに移民した。薬剤師だった。父親のベンジャミンは、小児科医でイスラエルからアメリカに移民した。アメリカのユダヤ人の一部は、イスラエルからの移民である。そもそも他の国からイスラエルに移民して、それからアメリカに移民する者、イスラエルで生まれてアメリカに移民する者、そしてアメリカからイスラエルに移民してアメリカに戻る者など、その内訳は様々だが。現在アメリカには総数で20万人ほどのイスラエル系ユダヤ人が生活している。

 

父親のベンジャミンは、国家が成立した1948年までは、イルグンというユダヤ人の地下軍事組織の一員だった。イルグンはパレスチナを統治していたイギリスが使用していたエルサレムのキング・デービッド・ホテルの爆破や当時はエルサレムの郊外だったパレスチナ人のディール・ヤシーン村での虐殺で知られている。こうした虐殺のニュースでパレスチナ人にパニックが広がった。70万人以上のパレスチナ人が故郷を追われた悲劇の一因となった悲劇だった。イギリス当局は、イルグンをテロ組織として呼んでいた。この組織のリーダーのメナへム・ベギンが1977年に右派政党のリクードを率いて政権を奪取した。現在のリクードの党首は、ベンジャミン・ネタニヤフ首相だ。なお父親は直接にテロに手を染めた経験はないと語っている。

 

さてラーム・エマニュエルは、1959年にシカゴで生まれている。ミドルネームはイスラエルである。イリノイ州のノース・ウェスタン大学を卒業している。大学時代にボランティアで選挙運動の手伝いを始めて政治の世界に足を踏み入れた。なお1991年の湾岸戦争の際にはイスラエル軍に入隊している。

 

シカゴ市長、下院議員、クリントン大統領の上級顧問などを歴任している。その際に1993年のオスロ合意のホワイトハウスでの調印式を裏で演出した一人だった。

 

エマニュエルの経歴のハイライトは、バラク・オバマ大統領の一期目の首席補佐官のポストだろう。首席補佐官は大統領に影のように付き従う。大統領が直面する全ての仕事は、首席補佐官の仕事となる。その中でも一番重要な任務は、大統領のスケジュールの管理だ。誰が大統領に会えるかを決める。どのくらいの時間を大統領と過ごせるかを決める。それゆえ、おそらく大統領自身に次いで強い権力を持つ人物だろう。オバマ自身の言葉を借りるとアメリカン・フットボールで作戦の中枢を担うクォーター・バックだ。

 

勝利を予感していたのだろう。オバマは実は大統領選挙の一か月前にエマニュエルに首席補佐官への就任を打診している。しかし、このポストは長時間の激職である。ある意味、大統領以上に忙しい。家族と過ごす時間が無くなってしまう。それもあって当初はエマニュエルはオバマの誘いを断った。その際の「ノー」の意味の英語は日本語に翻訳をはばかられるような表現だった。エマニュエルは、言葉づかいの上品さで知られている人物ではない。

 

“ラーンボー”

時には相手の気分を害するのもいとわない積極的な政治姿勢でエマニュエルは知られている。時には朝起きて、自分が嫌になると、本人が語るほどだ。その政治手法のせいか、「ラーンボー」というニックネームが付けられているほどだ。もちろんファースト・ネームの「ラーム」と映画『ランボー』を合わせた言葉だ。

 

拒絶にもめげずに、オバマはエマニュエルを口説き続けた。殺し文句は「この国家の危機を横から見ているのか?」だった。事実、ブッシュ政権末期の2007年のリーマン・ショックでアメリカの金融システムは崩壊の危機に瀕していた。何としても、その救済に政府資金を投入する法案を通過させる必要があったのだ。エマニュエルの政治的な腕力が不可欠だった。その答えがイエスに変ると、オバマの周辺は政権の発足前から、この法案の通過に尽力した。

 

当時は議会の多数派が民主党だったので、エマニュエルは民主党の議員の説得に腕を振るった。これで共和党のブッシュ大統領の時期に、何とか暫定的な法案が成立した。

 

一方でエマニュエルの任命をオバマ周辺が一様に歓迎したわけではない。なぜならばエマニュエルはクリントン政権の寵児でありヒラリー支持者だったからだ。他方で逆に、この補佐官を歓迎したのは、イスラエルだった。イスラエルでは安堵を持って迎えられた。それまでのブッシュの親イスラエル政策からオバマが決別するのではないかとの懸念があったからだ。 

 

ところで日本政府は、駐日アメリカ大使としてホワイトハウスに電話ができるような人物を望んでいたとされる。そしてエマニュエルが大使として派遣された。ホワイトハウスに直結した人物だ。かつてホワイトハウスを取り仕切っていたのだから。エマニュエルはアメリカ政界の究極のインサイダーだ。

 

来日以来、エマニュエルは「大活躍」を始めた。日本での同性愛者の扱いに不満を述べて、内政干渉だとの批判を招いた。またSNS上に新幹線や鉄道を利用する写真を投稿して話題を呼んだ。大変な鉄道マニアとして知られるようになった。

 

今回は長崎での式典での不参加で話題を集めた。国務省の記者会見で、この件について質問を受けたスポークス・パーソンが、確認していないと返答した。その対応から推測すると、長崎の式典への不参加は、ワシントンの国務省からの指令というよりは東京のアメリカ大使館の現地先行での決断ではないか。エマニュエル大使の政治力を想像させる。

 

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