ジャングル スマイル @ 成人式 を見てきました!!
ジャンスマはミリオンヒットを持っているわけでもなく、5年の活動の後半は休止状態だったので、今となっては知らない人も多いかもしれない。でも、おれにとって彼らは、90年代の音楽戦友だ。
彼らのデビューは96年の11月、おれの4ヶ月前のデビューだ。
しかもデビューの2年前くらいに、とある大手の音楽コンテストで知り合っているので(ハイエイタスの細美くんともそこで会ってる)、ボーカルのイクノフ(高木いくの)が18くらい、おれもまだサラリーマンだった頃からの付き合いになる。
地味すぎて誰にも気づかれなかったスガシカオのデビューとは違い、彼らはおれの憧れだったビクター/スピードスターレーベルから華々しくデビューした。
おれはレコードメーカー20社くらいからメジャーデビューを拒否られて、ようやく弱小メーカーが決まりかけていたところだったから、ジャンスマが羨ましくてしょうがなかった。悔しくて、腹立たしくて、彼らの音楽に否定的な意見をいつも吐き捨ててた。
が、そんなおれは実はいつも隠れてジャンスマを聴いていた。
イクノフの歌詞と歌の素晴らしさもあるが、吉田くんのピュアでエヴァーグリーンなメロディと、それと相反した底意地の悪いアレンジの同居が、たまらなくスリリングだった。
イクノフには、自分のやっていたラジオ番組にも何度も来てもらって、たのしい音楽の話をした。お互いてっぺんを目指していたいい時代だった。
2000年に入る頃、彼らの音楽は、というよりボーカルのイクノフが病におかされ、ジャンスマの音楽性は太陽から絶望へと変わっていった。
『あすなろ』という絶望のアルバム(最高傑作です)が発表されて、国際フォーラムでのツアーファイナルを見たっきり、パタリと活動が途絶え、翌年の5月のシングル『抱きしめたい』を最後に活動は休止となった。
その後、イクノフは生きるか死ぬかの絶望をさまよい、吉田くんは別の音楽の道へと進んだ。もう一生、ジャンスマの音楽は生で聴けないものだと、なんとなく言い渡された感じだった。
今日のライブでは、その絶望のアルバム『あすなろ』からの選曲が多かった。もう、どの曲も全部歌えるし克明に当時を思い出せるくらい、おれにとって思い出深い曲ばかりだった。
あの頃自分を取り巻いていた空気、スランプに陥って曲が書けなくなったスタジオの匂い、スタッフの仲間割れでいつも気まずい食事、スタジオのトイレの蛍光灯、ライブハウスの苛立たしい楽屋の空気・・・あの頃のおれの思い出が、彼らの曲に鮮明に刻み込まれていた。
とりわけ『抱きしめたい』は、涙が溢れ止まらなかった。
あの時のジャンスマ、そして何もしてあげられなかった自分を思い出すと、あまりにも辛すぎて途中で下を向いてしまった。直視ができなかった。
そしてライブの終盤、『あすなろ』の最後に収録されていた『希望』が歌われた。
イクノフは歌う前に「あの頃、絶望のアルバムの中に希望という名前の曲を入れました。今の気持ちで、歌います。」と、歌いはじめた。
他の曲はいざ知らず、まさか『希望』が聞けるとは思ってもいなかった。素晴らしいパフォーマンスでした。
イクノフはこの五月、母親になった。
子供の未来を引き受けるまでに、人として成長したんだね。おれは、びっくりしたよ。だって、あの絶望の淵から、そんなとこまで歩いてこれたんだ・・・イクノフはすごいよ、そして音楽を信じる力って、本当にすごい。そう思った。
今日のイクノフは、いつものソロライブの時とは全く違う、ものすごいオーラを放って歌っていた。おそらくジャンスマ現役時代のどのステージよりも、素晴らしく心に響く歌がうたえていたと思う。
あの最後の国際フォーラムの歌をすべて包み込みような、そんな深くて強い歌だった。
20年、人は変わる。どこをどう経由して、どこにたどり着くかは誰にもわからないけれど、何かを1つ信じていれば、音楽をひたすら信じていれば、こんなに素晴らしいところにたどり着けるんだってことを見せつけられた。
おれは明日からまた、真摯に地味に、ひたむきに頑張ろうと思えました。
ありがとう、ジャンスマ。
ありがとう、20年。