どうして反対派は問題をすり替えたがるのか? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 「沖縄の主要二紙はよってたかって『沖縄は被害者だ』『米軍の基地があるからだ』とか小さな強姦事件を重大事件のように騒ぎ立てています。」

 木曜日の私のブログの一文です。

 この「小さな強姦事件」と書いたことから、ブログが炎上しました。

 強姦事件には小さいも大きいもないその被害者や家族の心情を思えば「小さい強姦事件」と書くことはセカンドレイプと同じだと書かれました。

 あるブログでは、私のRKBに出演した時の番組がわざわざ貼ってありました。ありがとうございます。おかげで再生回数が増えたみたいです。

 でも、なぜ彼らはこのことと私のブログの主題をすり替えるのでしょう?

 木曜日の時点であの米兵による強姦事件の概要はほとんどわかっておらず、マスコミも「米兵による強姦事件が起こった」としか書いてありません。

 昨日、仲井真知事がワシントンに沖縄県主催のシンポジウムに参加するため到着し、オスプレイ問題や先日起きた事件を話し合うとコメントしていました。

 このタイミングを私は問題視したのですが、そこには触れず「米兵による強姦事件」だけをメインに攻撃されました。

 あまりにも罵詈雑言のひどさに途中からコメントを承認制にしましたが、すると「一方的な意見だけを掲載して不公平だ、情報操作だ」と匿名のハンドルネームの抗議が多数きました。

 そこで、本文できちんとした日本語で礼を弁えた議論であれば、反対意見でも掲載しますよと何度もいっているのに、前と同じようなコメントがひどい言葉で続きました。

 「なんだ?こいつらアホじゃないのか?こんな汚い言葉でこんな幼稚な内容を書いてきても承認しないのに」と思っていると、あるきちんとした文章を書いてくる方から、「本文の内容を書き換えただろう」というコメントがあり、びっくりしました。

 「そんなことないですよ」と抗議するとその人は「字体を目立つ飾り文字にしてあったのを普通に変えたと思った」といわれ、なるほどと思いました。

 このブログを前から読んでいただいている方ならすぐにわかるのですが、私は字体や大きさを変えるようなブログは今まで書いておりません。そんなめんどくさいことが嫌いなだけですが・・・。

 それでちょっと調べてみると、アンチ井上のブログで「小さな強姦」という文字が大きく色を変えて強調してあるのです。そのほかにも文字だけを大きくして文章を読まずして私が被害者女性を貶めているような印象付けをしているのです。

 それを見た人たちが怒って書いてきたのだということがわかりました。

 ここのブログの文章だけを読んだ方は、私が国防に関する公の事件と強姦という私の事の事件を対比させていると読めると思うのですが、その煽りの文章を見るとさも私が強姦を容認しているようにしか見えません。

 ちゃんと文章を書いてこられた方々には説明もしますし、私は強姦が卑劣な犯罪であるということにもまったく異議を唱えていないことがわかりますが、あれを先に見ると私は色魔としか見られないでしょう。

 そもそも「個」と「公」はどちらが優先するのでしょう?

 戦後の教育では「個」の命が最優先として教えられてきました。先の悲惨な戦争を体験すればそれも当たり前のように受け入れられたのもよくわかります。

 沖縄は悲惨な地上戦が繰り広げられました。本土でも明らかに国際法違反のB29による無差別爆撃や二度も違う種類の核兵器で人体実験した原爆投下などを経験しています。

 沖縄の人たちは自分の親戚や身近な人がたくさん死んだ戦争といわれますが、本土でもそれは同じことですよ。私の母の兄弟は二人戦死しています。86歳の母が今でもお兄さんとの思い出を昨日のことのように語ってくれます。そのおじさんは勉強ができ絵や文章がうまかったとか、出征する前に話したことなど話してくれました。

 そのうちの一人は沖縄で亡くなっています。さらに別のおじさんはシベリアに抑留されています。

 身近な例では、福岡大空襲でビルの地下で大勢の人が蒸し焼きになった場所があります。もちろんきれいなビルにたてかわっていますが、私はそこに行くと今でも背中がぞごぞごします(背筋が寒くなるという意味です)。

 甘木という福岡市から離れた場所では、B29が空襲した帰りに残った爆弾を捨てた真下が子供達が身を寄せ合って避難した場所でした。そういう悲惨なことが本土でもたくさんあっています。

 もちろん、原爆の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものがあります。

 そういった経験が身近で知っていればいるほど、沖縄戦のむごさも理解できますが、同時に本土でも酷かったのだよと思うのです。

 あの頃は日本が一丸となってアメリカと戦っていました。それは沖縄だけでなく、日本が満身創痍になるまで続いたと思っています。

 昭和天皇のご英断で戦争が終結しました。大日本帝国憲法下でも天皇陛下は命令ができません。でも、このときは非常の措置をとられ、悲惨な戦争をやめるように命じられたのです。これが沖縄の一般の人にどのように伝わっているかはわかりませんが、ちょっと大東亜戦史を読めばすぐにわかります。

 もっと早くやめればよかっただのと無責任な意見もありますが、あの時に戦争をやめるなど誰も発言できないような雰囲気だったのです。それを226事件で九死に一生を得た鈴木貫太郎首相が自分の命をなげうって終戦工作に入るのです。

 沖縄を救うためにたくさんの日本人が死んで行きました。沖縄の人も巻き添えになってたくさん亡くなりましたが、その方々の多くは自分達の土地を守る、国を守るという使命感を胸に亡くなられた方も大勢おられると思っています。

 特攻隊の隊員になれるのは日本人の精神構造を持たなければなれません。飛行機に乗って散った英霊は私達が足元にも及ばないくらい優秀な人たちでした。頭脳的にも体力的にも優秀でなければ飛行機の搭乗員にはなりませんでした。
 
 その人たちが、命令を受けると数日で命が亡くなるのです。飛行機や人間魚雷に乗ったら生きて帰ることはできないのです。でも、そこに笑って抜けるような澄み切った表情で出撃していかれたとそれを見送ったたくさんの方から直接お聞きしました。

 これにとやかく言う人はそんなことができますか?ただ命令されたからといって、はいそうですかと乗れる人はいないでしょう。

 人間魚雷回天は搭乗員が乗り込むと内側からは開けられません。絶対に死ぬしかないのです。その非人道的な狭い空間に入れますか?普通の人間なら絶対に無理でしょう。

 私も不可能です。それをなぜ彼らはできたのかを考えてみてください。自分が死ぬことにより他を活かすということの尊さを自分の中で何度も自問自答しながら考えられたことだと思いますが、最後は決心され堂々と出撃されていったのです。

 沖縄という同胞を救うために「公」という概念をお持ちになられたと考えています。

 このことを知っている私は日本は決して沖縄を見捨てたことはないと言い切れます。民間人でも当時の沖縄県知事も死ぬことを覚悟して沖縄に赴任され、見事使命を果たしながら亡くなります。

 その方々は「公」のために命を捧げられました。だから「英霊」と呼ぶのです。

 その方々は「公」を優先されました。この時期に起こった事件です。

 事件は痛ましいことですが、これが政治問題になった時点でここでは「個」の問題ですから切り離して考えています。それをつっこんでこられても何も議論が進まないと思いませんか?

 ここでは日本の安全保障についての観点からの議論をお願いします。