最近は、以前と比べるとニコ生で放送する機会が増えた。特に理由はない。…というか、単に楽しいからニコ生でやっているに過ぎないのだと思う。
どういうワケか、毎日のようにクルーズがやってくるのも楽しみなのかもしれない。のんびり放送できるUSTやステカムも楽しいのだけど、ダラダラと話をして終わりになる時もあるのが欠点。ニコ生の欠点といえば、以前にもこのブログに書いたけど「アクティブユーザー」がリアルタイムでわからないということだろうか。
ニコ生での放送が楽しいとはいえ、相変わらず考えは変わらない。「何のために歌っているのか?」と問われれば「人に聴いてもらうため」。この考えはやっぱり変わらない。かまってちゃんで結構。ただ歌いたいだけなら、一人で部屋で練習したり録音して自分で聴いていればいいんだからねw
そんな感じなので、コメントがホントに無い放送だとテンションも下がる。以前は何がなんでも30分ある一枠を最後までやらないと…って気持ちでやっていたから、すごいプレッシャーだった。結局それが辛くて何度かコミュを潰してしまった。
趣味だから、
だから、あまりテンションが上がらない時は放送途中でも終わるようにしている。
ボクは、何かをしながらみる時以外は、できるだけニコ生ではコメントをするようにしている。…というのも、コメントがあると主のテンションが上がって、見ている方も楽しくなるのを知っているからだ。ROM専さんなんて人もいるみたいだけど、それもひとつの楽しみ方。
何よりも、コメントで放送を盛り上げて楽しめる感覚は、実際にライブをお客さんたちが盛り上げるのに似ているので好きなんだと思う。だから好きな放送はドンドン見るし、ガンガンコメントもする。
昨日、クルーズに言われた「楽しそうだな~」
そう。楽しいんだよ。
とはいえ、反省点もいろいろ。最近、演奏や歌で単純なミスが目立つ。以前は出来ていたことが出来苦なくなってる気がしている。トークから曲に入った後、まだトークの内容を引きずったまま歌っている事が増えてしまった。…というのも、面白いコメントが入った後などは、思い出し笑いをしてしまったりする事が多い。
それも、リスナーさんが増えたからコメントも増えて…って事なんだろうけど。まぁ、あんまり堅苦しく考えずにいこう。自分勝手に楽しむってのは、双方向での放送だから、ある意味不可能。ボクが楽しいから、リスナーさんも楽しい、リスナーさんが楽しいから、ボクも楽しいってのが、やっぱり理想なんだよ。
ニコ生では30分一枠をひとつのステージと考えて放送するスタンスは、たぶんずっと変わらない。USTやステカムでの放送は場末の酒場でダラダラ歌うおっさんでもかまわないけどね。
最近、184がついたリスナーさんに言われた
「こんな放送をしたいです」
何も考えてないようで、放送の流れはいつも考えてる。放送をはじめたのは、そんなに前ではないけど、30分1ステージとして見てもらう事を考えている。だから、もし「こんな放送をしたい」って思う放送を見つけたら、その主が持っているテンポとか、パターンを研究するのがいいと思う。ボクがお手本にしているのは、フォークシンガーのライブ音源や映像。高田渡さんや、なぎら健壱さんなど、トークのうまいアーティストさんがお手本だ。
何気ない日常を話しながら、落語のようにストーンと話を落として、お客さんを軽く笑わした後、何事もないように歌に入る。あくまでも落語的な落とし方なので、ほんのりと面白いっていうのか、話す方も、聞く方も少しだけ「おりこうさん」でないと面白くない。そんなライブがしたい。
だから、変な話、もう歌やギターは(技術的な意味でね)それほど、うまくならなくてもいいんだよ。正直もう限界も感じてるし、あとは衰えていくだけってのもわかってるから。
ボクが若い頃に先輩ミュージシャン達が40代で「そろそろ限界感じてるんだよね」とか「最近、以前より腕が落ちた気がする」なんて事を話していたのを思い出したりする今日この頃。そう、ボクも年齢だけは、当時の先輩達に近づいてきた。そんな先輩たちはさらに歳を重ねてテクニックを越えた「味」とか「深み」というものを手に入れ今でも音楽を続けている。
趣味でやっている人たちも、ステージに上がったら常に真剣勝負だ。決して、間違えたり、うまくいかなくても言い訳はしない。きっと、ありのままの自分を受け入れているんだろう。
「間違える事も、表現のひとつだ」
そんな言葉をもらった事もある。確かにそれは言えている。その時、その瞬間に出た音。それが自分の仲で、もしくは他人が聴いて間違いだったとしても、それはそう言う表現だと考えるのも悪くない。クラシック音楽のコンクールではないのだから、そのあたりは自由であってもいいはずなんだ。
…てな事で、gdgdって言葉をタイトルにつけて逃げる事だけはしたくないし、ニコ生でgdgdはしたくない。gdgdを全否定はしないし、そういうスタイルがあるのもわかる。でも、gdgdしてるかどうかは見ているリスナーさんが感じる事で、放送している人間がうまく出来ない事を言い訳に軽々しく使うべき事ではないようにも思う。だって見てもらってるんだからキッチリやりたいよ。流れで、ずっとしゃべっている事があったとしてもね。
そんなgdgd系の人が放送中に「うまくなりたいです」なんて言っていると思わず笑ってしまう。gdgdしているからうまくならないんだよってw
趣味とはいえ「芸事」なんだ。力を抜きつつ真剣勝負しないと、いつまでたっても「うまく」ならない。練習は時間の長さでなくて集中力だ。これはボクの師匠もだし、多くのミュージシャンが言っている事だから、おそらく間違いはない。
グダってるのがわかってるなら、自分の芸風を見つけてそれで勝負してみればいいのに。最近はニコ生の生主がリアルでライブするのも流行ってるし、ライブに呼ばれた時に、そんなんでトークとか出来るのかな?自分がもらった時間をきちんと使いこなせるのかな?ってのは思ったりもする。
ステージで話すテンポや内容は、選曲や演奏と同じくらい大切な事なんだよ。たぶんね。30分ワンステージに見立てて、いつか来るかもしれないライブのための練習をするってのもいいと思うんだけど。
だからこそ、顔出して、マイクの位置を決めて、マイクとの位置関係や距離っていうか、使っているマイクの音の拾い方、トークとの音量バランス。そんな事をタイムシフトで確認して気づけば機材を調整している。…というか、しょっちゅうしている。
アコースティック音楽の場合、マイキングも演奏同様に大切な技術だからだ。もちろん知識も経験も必要になる。ギターも歌も、どの位置から、どの角度で音を拾うかというのは、実は重要なポイント。あまりにも適当に考えている人が多い。専属でPAがついて随時調整してもらえるようなプロなら話は別だけど、リハーサルで設定してもらったら終わりみたいなライブなら、自分でマイクとの距離なんかを変えて音量を調節したりしないといけないからね。
これは、ブルーグラスをやってた時に学んだ事だ。ラインで音を取る事が基本ないので、マイクの使い方はホントに勉強になった。
若い人に聞ききたいのは、多くの人が言っている「うまくなりたい」の本当の意味だ。単に歌やギターがうまい人になりたいのか、それともライブがうまい人になりたいのかによって、やり方が全然変わってくる。趣味として楽しむためにうまくなりたいってのもいいと思う。だって、うまくなると楽しいから。ただ、セッションがしたいって話だと自分勝手な練習だけしていても、うまくはならないよ。
長く音楽やってると、自分の限界もみえてるから、どうやって見せるかを考えるようになる。何事もそうだけど、出来る範囲で何が出来るかを考えて、「うまそう」に見せる事もひとつの「うまい」だからね。
ボクみたいな下手っぴが言うと言い訳になるけど、うまいだけで面白くない人にだけはなりたくない。だって、お客さんに楽しんでもらう事を楽しみににして、自分が楽しくなる。これがボクが音楽をやっている最大の理由だからだ。
単に技術だけの向上を目指すなら、正直早い時期にあきらめてしまった方がいいかもしれない。楽器の演奏っていうのは、スポーツと同じで基礎体力的なものとか、努力でどうにもならない部分もたくさんあるから。それに気付けない人は、みんな挫折してしまう。
「練習する時は、世界で一番下手だと思って、ステージでは世界で一番上手だと思って」
これも、いろんな先輩方が言っていた事だ。
でも、練習放送の場合は…w
いつも、練習放送ではなくて、月に1回とか「本番」の放送を持つのもいいかもしれないね。トークも含めて、真剣にやってみる。きっと、それはそれで楽しいよ。たまにはグダってしまうのも仕方ないけどね。いつまで、その言葉に逃げていていいのかな?って思うんだよなぁ。
…って事で、後半は話の流れが変わってしまったけど、ボクごときの話を真剣に受け止める必要はござらんよ。なによりも、実際にgdgdしている人って、ほとんどいないんだけどさw
「gdgd」そんな言葉で逃げずに、みんな楽しみましょうぞ。だって、gdgdってタイトルにつけて、実際聴いたら、むっちゃ真剣な人とか、頑張ってる人がホントに多いんだもの。
断っておくけど、特定の個人に宛てた文章じゃないよ。あくまでも、ボクの個人的な考えであって、自分はそうしたくないってだけの話。ボクが自分自身の音楽を楽しむ為の手段というか考え方。だから、先に書いたように否定もしないし、ダメだとは言わない。まぁ、どうしても否定的には、なってるけどw
何にせよ、楽しめているなら、それでいいさ!
最後に師匠のことば。
「演奏なんて間違ってもかまわない。大切なのは、演奏中に音楽を止めない事だ。」
ようするに、歌を間違ってもギターは演奏を続けないといけないし、ギターを間違っても歌い続けないといけない。曲を途中でストップしてしまう事が一番よくないって話。一人での弾き語りならそれもあるあもしれないけど、セッションやバンドでは絶対に通用しない。
これは、ライブ。放送はもちろん。何かしら人と関わっている以上、人生にも言える事なのかもね。
どういうワケか、毎日のようにクルーズがやってくるのも楽しみなのかもしれない。のんびり放送できるUSTやステカムも楽しいのだけど、ダラダラと話をして終わりになる時もあるのが欠点。ニコ生の欠点といえば、以前にもこのブログに書いたけど「アクティブユーザー」がリアルタイムでわからないということだろうか。
ニコ生での放送が楽しいとはいえ、相変わらず考えは変わらない。「何のために歌っているのか?」と問われれば「人に聴いてもらうため」。この考えはやっぱり変わらない。かまってちゃんで結構。ただ歌いたいだけなら、一人で部屋で練習したり録音して自分で聴いていればいいんだからねw
そんな感じなので、コメントがホントに無い放送だとテンションも下がる。以前は何がなんでも30分ある一枠を最後までやらないと…って気持ちでやっていたから、すごいプレッシャーだった。結局それが辛くて何度かコミュを潰してしまった。
趣味だから、
だから、あまりテンションが上がらない時は放送途中でも終わるようにしている。
ボクは、何かをしながらみる時以外は、できるだけニコ生ではコメントをするようにしている。…というのも、コメントがあると主のテンションが上がって、見ている方も楽しくなるのを知っているからだ。ROM専さんなんて人もいるみたいだけど、それもひとつの楽しみ方。
何よりも、コメントで放送を盛り上げて楽しめる感覚は、実際にライブをお客さんたちが盛り上げるのに似ているので好きなんだと思う。だから好きな放送はドンドン見るし、ガンガンコメントもする。
昨日、クルーズに言われた「楽しそうだな~」
そう。楽しいんだよ。
とはいえ、反省点もいろいろ。最近、演奏や歌で単純なミスが目立つ。以前は出来ていたことが出来苦なくなってる気がしている。トークから曲に入った後、まだトークの内容を引きずったまま歌っている事が増えてしまった。…というのも、面白いコメントが入った後などは、思い出し笑いをしてしまったりする事が多い。
それも、リスナーさんが増えたからコメントも増えて…って事なんだろうけど。まぁ、あんまり堅苦しく考えずにいこう。自分勝手に楽しむってのは、双方向での放送だから、ある意味不可能。ボクが楽しいから、リスナーさんも楽しい、リスナーさんが楽しいから、ボクも楽しいってのが、やっぱり理想なんだよ。
ニコ生では30分一枠をひとつのステージと考えて放送するスタンスは、たぶんずっと変わらない。USTやステカムでの放送は場末の酒場でダラダラ歌うおっさんでもかまわないけどね。
最近、184がついたリスナーさんに言われた
「こんな放送をしたいです」
何も考えてないようで、放送の流れはいつも考えてる。放送をはじめたのは、そんなに前ではないけど、30分1ステージとして見てもらう事を考えている。だから、もし「こんな放送をしたい」って思う放送を見つけたら、その主が持っているテンポとか、パターンを研究するのがいいと思う。ボクがお手本にしているのは、フォークシンガーのライブ音源や映像。高田渡さんや、なぎら健壱さんなど、トークのうまいアーティストさんがお手本だ。
何気ない日常を話しながら、落語のようにストーンと話を落として、お客さんを軽く笑わした後、何事もないように歌に入る。あくまでも落語的な落とし方なので、ほんのりと面白いっていうのか、話す方も、聞く方も少しだけ「おりこうさん」でないと面白くない。そんなライブがしたい。
だから、変な話、もう歌やギターは(技術的な意味でね)それほど、うまくならなくてもいいんだよ。正直もう限界も感じてるし、あとは衰えていくだけってのもわかってるから。
ボクが若い頃に先輩ミュージシャン達が40代で「そろそろ限界感じてるんだよね」とか「最近、以前より腕が落ちた気がする」なんて事を話していたのを思い出したりする今日この頃。そう、ボクも年齢だけは、当時の先輩達に近づいてきた。そんな先輩たちはさらに歳を重ねてテクニックを越えた「味」とか「深み」というものを手に入れ今でも音楽を続けている。
趣味でやっている人たちも、ステージに上がったら常に真剣勝負だ。決して、間違えたり、うまくいかなくても言い訳はしない。きっと、ありのままの自分を受け入れているんだろう。
「間違える事も、表現のひとつだ」
そんな言葉をもらった事もある。確かにそれは言えている。その時、その瞬間に出た音。それが自分の仲で、もしくは他人が聴いて間違いだったとしても、それはそう言う表現だと考えるのも悪くない。クラシック音楽のコンクールではないのだから、そのあたりは自由であってもいいはずなんだ。
…てな事で、gdgdって言葉をタイトルにつけて逃げる事だけはしたくないし、ニコ生でgdgdはしたくない。gdgdを全否定はしないし、そういうスタイルがあるのもわかる。でも、gdgdしてるかどうかは見ているリスナーさんが感じる事で、放送している人間がうまく出来ない事を言い訳に軽々しく使うべき事ではないようにも思う。だって見てもらってるんだからキッチリやりたいよ。流れで、ずっとしゃべっている事があったとしてもね。
そんなgdgd系の人が放送中に「うまくなりたいです」なんて言っていると思わず笑ってしまう。gdgdしているからうまくならないんだよってw
趣味とはいえ「芸事」なんだ。力を抜きつつ真剣勝負しないと、いつまでたっても「うまく」ならない。練習は時間の長さでなくて集中力だ。これはボクの師匠もだし、多くのミュージシャンが言っている事だから、おそらく間違いはない。
グダってるのがわかってるなら、自分の芸風を見つけてそれで勝負してみればいいのに。最近はニコ生の生主がリアルでライブするのも流行ってるし、ライブに呼ばれた時に、そんなんでトークとか出来るのかな?自分がもらった時間をきちんと使いこなせるのかな?ってのは思ったりもする。
ステージで話すテンポや内容は、選曲や演奏と同じくらい大切な事なんだよ。たぶんね。30分ワンステージに見立てて、いつか来るかもしれないライブのための練習をするってのもいいと思うんだけど。
だからこそ、顔出して、マイクの位置を決めて、マイクとの位置関係や距離っていうか、使っているマイクの音の拾い方、トークとの音量バランス。そんな事をタイムシフトで確認して気づけば機材を調整している。…というか、しょっちゅうしている。
アコースティック音楽の場合、マイキングも演奏同様に大切な技術だからだ。もちろん知識も経験も必要になる。ギターも歌も、どの位置から、どの角度で音を拾うかというのは、実は重要なポイント。あまりにも適当に考えている人が多い。専属でPAがついて随時調整してもらえるようなプロなら話は別だけど、リハーサルで設定してもらったら終わりみたいなライブなら、自分でマイクとの距離なんかを変えて音量を調節したりしないといけないからね。
これは、ブルーグラスをやってた時に学んだ事だ。ラインで音を取る事が基本ないので、マイクの使い方はホントに勉強になった。
若い人に聞ききたいのは、多くの人が言っている「うまくなりたい」の本当の意味だ。単に歌やギターがうまい人になりたいのか、それともライブがうまい人になりたいのかによって、やり方が全然変わってくる。趣味として楽しむためにうまくなりたいってのもいいと思う。だって、うまくなると楽しいから。ただ、セッションがしたいって話だと自分勝手な練習だけしていても、うまくはならないよ。
長く音楽やってると、自分の限界もみえてるから、どうやって見せるかを考えるようになる。何事もそうだけど、出来る範囲で何が出来るかを考えて、「うまそう」に見せる事もひとつの「うまい」だからね。
ボクみたいな下手っぴが言うと言い訳になるけど、うまいだけで面白くない人にだけはなりたくない。だって、お客さんに楽しんでもらう事を楽しみににして、自分が楽しくなる。これがボクが音楽をやっている最大の理由だからだ。
単に技術だけの向上を目指すなら、正直早い時期にあきらめてしまった方がいいかもしれない。楽器の演奏っていうのは、スポーツと同じで基礎体力的なものとか、努力でどうにもならない部分もたくさんあるから。それに気付けない人は、みんな挫折してしまう。
「練習する時は、世界で一番下手だと思って、ステージでは世界で一番上手だと思って」
これも、いろんな先輩方が言っていた事だ。
でも、練習放送の場合は…w
いつも、練習放送ではなくて、月に1回とか「本番」の放送を持つのもいいかもしれないね。トークも含めて、真剣にやってみる。きっと、それはそれで楽しいよ。たまにはグダってしまうのも仕方ないけどね。いつまで、その言葉に逃げていていいのかな?って思うんだよなぁ。
…って事で、後半は話の流れが変わってしまったけど、ボクごときの話を真剣に受け止める必要はござらんよ。なによりも、実際にgdgdしている人って、ほとんどいないんだけどさw
「gdgd」そんな言葉で逃げずに、みんな楽しみましょうぞ。だって、gdgdってタイトルにつけて、実際聴いたら、むっちゃ真剣な人とか、頑張ってる人がホントに多いんだもの。
断っておくけど、特定の個人に宛てた文章じゃないよ。あくまでも、ボクの個人的な考えであって、自分はそうしたくないってだけの話。ボクが自分自身の音楽を楽しむ為の手段というか考え方。だから、先に書いたように否定もしないし、ダメだとは言わない。まぁ、どうしても否定的には、なってるけどw
何にせよ、楽しめているなら、それでいいさ!
最後に師匠のことば。
「演奏なんて間違ってもかまわない。大切なのは、演奏中に音楽を止めない事だ。」
ようするに、歌を間違ってもギターは演奏を続けないといけないし、ギターを間違っても歌い続けないといけない。曲を途中でストップしてしまう事が一番よくないって話。一人での弾き語りならそれもあるあもしれないけど、セッションやバンドでは絶対に通用しない。
これは、ライブ。放送はもちろん。何かしら人と関わっている以上、人生にも言える事なのかもね。