19日の 『ETV特集』 は、
見狼記 ~神獣ニホンオオカミ~
でした(ナレーターは平泉成さん)。
ニホンオオカミは、かつて本州、四国、九州に生息していましたが、1905年(明治
38年)、奈良県東吉野村にて捕獲された個体を最後に絶滅。
剥製は何体か現存するも、詳細は分かっていません。
体長は1m程で、オオカミとしては小さい部類に入ります。
イヌと外見から区別する事は難しく、その特徴は頭骨に有ります。
↓ Wikipedia より(以下2点) 国立科学博物館の剥製
埼玉県秩父地方
八木博さんは、15年前にニホンオオカミと思われる動物を撮影し、それ以来
ニホンオオカミを追っています。
関東の秘境とも云われる奥秩父では、今も目撃者が現れます。
三峯(みつみね)神社
・・・主祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉册尊(イザナミノミコト)
シカやイノシシの食害から農作物を守るオオカミを眷属・神使とし、「お犬
様」として信仰するようになりました。
更に、オオカミを描いた御眷属の札は、草食動物だけでなく盗難・火難除け
にも御利益が有るとして配られています。
釜山(かまやま)神社
・・・建立に日本武尊が関わっているものの、主祭神は「木火土金水」の霊神。
神使として、やはりオオカミが「お犬様」「大口真神」と呼ばれ祀られており、
御眷属の札も配られます。
月に1度、1升の飯を捧げる「お炊き上げ」が行われます。
宮司が山の上にある奥の院までおひつを持って行き、秘密の谷間で祝詞を
上げます。 取り替えるおひつは空になっているのだとか。
大規模な火事、地震、洪水、そして流行り病(例えば、コレラを千年もぐら、あめ
りか狐などと呼んで恐れた)が起こると、御眷属の札を求める人が拡がったと
云います。
山の神の化身として、オオカミ信仰が強かった秩父地方では、今も尚 オオカミ講
が点在しています。
オオカミ講・・・持ち回りで、一家の主が人目のつかない深夜に「お炊き上げ」を
行います。
「もう止めてもと思うが、止めた後が怖い」、「祠の前で願い事を
しようとしても言葉が浮かばない」と言います。
ある地区では、オオカミの祟りを鎮める為、碑を建てました。 そこ
には、薄っすらと「大口真神」の文字が。
八木さんは、オオカミの牙を持つというお婆さんを訪ねました。
「貴重な物だ」という八木さんに、言葉を濁すお婆さん。 どうやら、「人
には見せてはいけない物」のようです。
旧家では、ニホンオオカミの頭骨が丁重にくるまれ、箱に入って
保管されています。 箱には、オオカミの「息穴」という3つの穴が穿た
れています。
相当に古い物ばかりで、中には安政2年(1855年)の箱書きが・・・
これらの頭骨信仰は、三峯神社を中心に修験者の活動範囲と
重なります。
人間の手で滅ぼしたものを、人間の手で復活させようとした人がいます。
もどり狼・・・和歌山県の村上和潔(かずきよ)さんは、熊野の山中で、ニホン
オオカミとイヌの交雑種である狼犬の血が濃くなるように交配して、
ニホンオオカミを蘇らせようとしました。
そして、短い耳、首のたてがみなど、ある程度の特徴を持ったものを
「もどり狼」と呼んだのです。
しかし、それは狼犬の域を超えませんでした。
これは、という個体は病気がちで、半年後に死にました。
村上さんは、志半ばで亡くなり、もどり狼達は次々と猟師達に引き
取られていきました。
もどり狼最後の1頭「トラ」は、未だ生きています。
昔の人は、山川木石に神を見ていましたが、現代では自然に対する畏れは
無くなりました。
釜山神社の宮司は、言います。
「人間、自然に怒られた時は生きていけねぇってことだから」
ニホンオオカミ絶滅の原因は、狂犬病やジステンパーなどの輸入、人為的
駆除、生息域の開発など複合的なものと考えられています。
また、江戸後期から明治初期に掛けて流行した頭骨信仰もまた、需要に応え
る為にニホンオオカミを捕殺した原因となっています。
各神社の御眷属の札は、今も人気で、狛犬の代わりにオオカミが鎮座している
のも、狛犬マニアには汎く知られています (;^ω^)
↓ 西郊民族談話会 より(以下3点)
↓ 宝登山神社
番組では、福島の神社と原発事故を絡めたクダリが有ったのですが、些か
強引な感が有り、割愛しました。
もどり狼は、個人でやるには頭数と時間の規模が小さ過ぎた、ということなんで
しょうか・・・
因みに、もどり狼ならぬ狼犬も、処分はされずに面倒は見られたとのこと。
最も興味深かったのは、民間信仰であるオオカミ講の話でした。
修験者は、「飯綱又は飯縄(いづな)」(しばしば「管狐(くだぎつね)」と同一視
されます)を使役します。
いわゆる「霊能者」が言う狐憑きとは異なり、本来 憑き物とは憑かれるモノ
であり、使役するモノでした(ラッキー=ツイてる=憑いてるという事です)。
山岳信仰ですからオオカミを神聖視するのは当然、使役というよりは、霊験を
借りるといった方が近いのかもしれません。
オオカミの頭骨を以って、魔除け、守護神、狐憑きを追い払う、としたのも
この流れでしょう(感染呪術?)。
数々の頭骨が紹介されましたが、中に高知県の物が有りました。
地域的に、外道箱、いざなぎ流の式神としても使われたのかもしれません。
(残念ながら、削除されるので画像は紹介出来ませんが・・・(;^ω^) )
そして、オオカミと云えば 『鍛冶ヶ嬶(かじがはは;かじがかか)』
ある身重の女が奈半利(現・安芸郡奈半利町)へ向かうために峠を歩いていた。
夜になる頃に陣痛が起き、運悪く狼が襲って来たが、そこへ通りかかった飛脚
に助けられ、木の上へ逃げることができた。
狼たちは木の上へは爪が届かないので、梯子状に肩車を組んで木の上へ
襲いかかろうとし、飛脚は脇差で必死に応戦した。
その内に狼たちは「佐喜浜の鍛冶嬶を呼べ」と言い出した。
しばらくすると、白毛に覆われた一際大きい狼が鍋をかぶった姿で現れ、飛脚
に襲い掛かった。
飛脚は渾身の力で脇差しを振り下ろすと、鍋が割れると共に人の叫びのような
声が響き、狼たちは一斉に姿を消した。
夜が明けて峠に人通りが出始めたので、飛脚は女を通行人に任せ、自分は
血痕を辿って佐喜浜の鍛冶屋へ辿り着いた。
お宅に嬶はいないかと尋ねると、頭に傷を負って寝込んでいるということだった。
飛脚は屋内に入り込み、中で寝ていた嬶を斬り倒した。
嬶の姿をしていたのはあの白毛の狼であり、床下には多くの人骨、そして本物
の嬶の骨も転がっていたという。
佐喜浜には現在でも鍛冶が嬶の供養塔が残っている。
また佐喜浜を訪れた郷土史家・寺石正路によると、明治時代には鍛冶が嬶の
墓石もあったとされ、鍛冶屋の子孫といわれる人々には必ず逆毛が生えていた
という。 (以上Wikipediaより)
柳田国男風に云えば、この頃既に神格から妖怪へ零落していたのかもしれま
せんが、オオカミが恐ろしい獣であったことを考えれば、その一面を反映した
のかもしれません。
日本の農耕にとってオオカミは神の使い、西洋の酪農にとってオオカミは悪、
だったりする訳ですから、勝手なものです。
↓ 竹原春泉・画 『絵本百物語』(1841) 「鍛冶ヶ嬶」
ここでは、「狼に食い殺された女の霊が狼に憑いて人を襲う話」とされて
います。
参考記事:「東山動物園のシンリンオオカミの赤ちゃん、一般公開へ」
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