学問とは、いい学校に入ったり、いい会社に入ったりするためのものでしょうか?
とんでもない間違いです。
学問とは、社会の問題を解決するために、人類が命をかけて積み重ねた記録です。
教育とは、失敗の避けかたや、責任の避けかたを、教えるためのものでしょうか?
とんでもない間違いです。
教育とは、死に至らない失敗を経験させて、失敗の乗り越え方を教えるためのものです。
学校とは、理不尽のあきらめ方を教えるための場所でしょうか?
とんでもない間違いです。
学校とは、理不尽の解決の仕方を教えるための場所です。
大人が昭和の処世術なんか教えるから、
経験を避ける、自信を持てない、問題を解決できない人が沢山つくられてしまいました。
でも大丈夫。
今日も社会に生まれ出てくる子ども達は、あきらめ方を知らないで産まれてきます。
そんな子ども達に、あきらめ方を教えなければいいだけです。
夢と希望を奪わなければいいだけです。
たったそれだけで、その子達が、20年後に世界を救う力になります。
植松電機に修学旅行の子達が戻ってきました。
みんな輝いています。これからすごいことをする人達です。
でも、そんな子達の、輝きを奪おうとしている人達がいます。
「いまより輝こうとする子ども達の光を奪い去ることはゆるさん!」
僕の心の中の、北斗の拳のシュウが慟哭します。
大人の役目は、
子ども達の夢と希望を奪わないで、あきらめ方を教えないことです。