アルスマールのフラワーオークションに触発されたその日以来、ずっとチューリップを買い続けている。この頃は部屋にチューリップがないと落ち着かない。20本3ユーロだというのだから安すぎる。さすがお花の世界最安値の国。やはりチューリップは黄色だと思う。
だんだんエスカレートしてきたようだ。スーパーで山積みになっていた蘭は7ユーロだった。この値段ならそのうち部屋まるごと蘭の花の温室にしてやろうかと思っている。すぐにくたばるチューリップと違って蘭は長持ちするから楽だ。
最近、ベジタリアンになりつつある。しかし、別になりたくてなっているわけではない。鶏肉牛肉豚肉ことごとくまずいのに耐えられず肉を食べるのをやめてしまった。なぜだ?オランダは肉食文化なのに、外食文化が発達しておらず自炊文化なのに、近所にひとつしかないオランダきっての高級スーパーで買ってきているのに、なぜこんなにまずいんだ?(特に牛肉の味はひどく食えたものではない。)答えは簡単だ。要するに生鮮食料品の扱いに対する意識が低く、鮮度を保つ技術を持ち合わせていないからだ。ここでは特に鮮度は重視されない、とりあえず食えりゃあいいというシステムで回っている。(それでもロンドンの食材のまずさに比べればずっとましだが。)
ここにきてから、生魚を食うなんて信じられない、と言う欧米人に対して、「それは日本が生鮮食料品を扱う世界最先端の技術を持ち合わせているから可能なのであって、一度日本に来て寿司を食べればその考えは変わるはずだ。私だって、ヨーロッパなんかでは恐ろしくて生魚なんか食えない。」といちいち各個説明している。
たまった課題に少し手を付けた後、ビバリーヒルズの隣人が上等なワイン片手に訪ねてきた。深夜まで「クオリティ・オブ・ライフ」について語った。この隣人、とても興味深いことを言っていた。「教育と教養は別物だ。教育(=勉強)は誰でも簡単にすぐに身につくものだが、教養はそうはいかない。そして人間の世間での活躍度は教育ではなく教養によるところが大きい。」 教養はある程度、経済的、精神的な安定というベースがありなおかつ、本人の強い意欲がないとなかなか一朝一夕に得られるものではない。この点は、教養という概念があり生活を楽しむ文化のある豊かな日本に生を受けて本当に良かったと思う。我々は成長する過程で、ただ勉強さえできればよかったという時代を経て、やがて教養を含めた人間力がないと世間では認められないことを知っていく。
クオリティ・オフ・ライフ、確かに東京にいるときは花を飾ったり自転車で出かけたり自炊をしたりはしなかったのでこの点ではクオリティは向上したのかもしれない、しかし少なくとも東京にいるときは、ご飯はまずくなかったし、トレンドに遅れることはなかったし田舎での不自由さに発狂することもなかった。何かを得れば何かが犠牲になる。
とにかく、授業だ課題だといって学校と部屋にスタックしていたのでは私のクオリティ・オブ・ライフは向上しないどころか危機に瀕する。勉強だけなら日本でもできる。やはり春の到来とともに外に目を向けねばならない。
今日はまた晴れたので、ウガンダのジャンと中国のネエサンと春を堪能しに走ってきた。晴れの日にジムに行くのはもったいない。