昨日、被災地を回って(中川秀直) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

昨日、被災地を回って(中川秀直)

昨日、被災地に入った。

元岩手県議会議員の小野寺有一君に状況説明をしてもらいながら、岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市鵜住居地区、両石地区、釜石市中心街、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市を見て聞いて歩いた。

津波被害にあった全滅のこの地域は、東京大空襲の後のような、破壊されつくした戦地そのものであった。

同じ被災地とはいえ、津波被害があった地域とそうではない地域は、紙一重で、例えていえば天国と地獄であった。


釜石市鵜住居地区の3階立てのがっちりした消防署は、地域の避難センターであり、地震発生直後に100人ほどの人が集まったようだが、3階をはるかに超える津波によりそこで多くの人が亡くなったそうだ。

その場所には花がたむけられていた。亡くなった方々の遺品とみられるぬいぐるみや、靴などが並べられていた。

その場で私も線香を供えさせていただいたが、胸がつまり涙が流れた。

陸前高田市の中心部は、つい先週まで通行止めで入れなかったようだが、辺り一面、市街全体が津波被害にあったようで、市役所、野球場、ショッピングセンターすべてが破壊されていた。


異臭が鼻をついた。

その場所は、陸上にも関わらず多くのカモメが空を飛んでいた。

陸前高田市は内陸7キロも山奥に入った場所にも津波が押し寄せたが、この地域に住んでいた方々は、まさかこの場所まで津波がくるなどとは考えもしなかっただろう。それほど山々に囲まれた場所だった。

陸前高田市他、至る所でいまだご遺体の捜索作業が行われていた。

日曜日、喪服の人々もあちこちらで見られ、葬儀が行われている様子も目にしたが、何もかも流されて故人の遺影もない葬儀もあると聞いた。


小野寺君や被災者のみなさんからいろんな苦しみの話をきいた。

岩手県の緊急災害合同本部は、津波被害地から車で二時間半もかかる盛岡市にあるので迅速で的確な行動がとれていないこと。

被災企業が雇用調整助成金の申請を出そうとしても、大量の資料を作成しないとダメだとか、数時間も離れた場所に行って申請をしないとダメだとか、当面は意味のない研修を受けないと許可できないだとか・・・。

避難所で、いつまでも救援物資やボランティアの炊き出しばかりに頼ってはいけないと思い、避難してる人達が自立しようとお金を出しあって炊き出しをしたり、ボランティアの人々が自己分を支払おうとすると、保健所がきて「調理やお金のやりとりが発生するならば、そうした許可をとらないとやってはいけませんよ。」と言われたとか・・・。私はこうした話を聞いて、こういう有事にもかかわらず、現場感覚のない対応に憤りを感じた。


避難所はいろんなところに気を使うのでと、避難所を出て親戚の家や友人知人の家に寄せてもらうそうだが、やはりそこでも結局気を使うことに疲れ避難所に戻る方もいるらしい。

同行してくれた小野寺君自身も自宅を津波で失い、現在、親戚10人で一緒に実家で生活しているそうだが、日々の疲れから、些細なことでいざこざが起こりがちだと話してくれた。

 震災から二ヶ月半、被災者の我慢と疲労も、限界にきている感じだ。

さらに、被害者は勿論大人だけじゃないと感じる話を聞いた。

津波から逃げるため、ある小・中学校の生徒全員は地震直後から2キロ先まで全力で走り、全力疾走と恐怖から、多くの子どもたちが嗚咽しながら、吐いていたという話。


また、津波で母親を失った小学生の女の子の話だが、その子は母親が津波で亡くなったことが分かってからは母親の話に触れようとすらせず、一切母親の話をしなくなったという話。

いままでおねしょをほとんどしたことがなかった子供が地震以来頻繁にするようになったという話。

救援物資で子供用のオモチャがもらえるというので子供と一緒に行ってみたら、5歳の息子は、家とともに全てを流された2・3歳の時に遊んでいたような幼い子ども向けの思い出のオモチャを選んでいた、という切ない話など、沢山伺った。

子どもたちは、M.9.0という巨大地震が起きた後、その恐怖覚めやらぬ前に大津波が押し寄せ、家や人を飲み込んでいく景色を見た。遺体も見たであろう。

 それから避難所に暮らしている。未来の子どもたちに二度とこのような惨劇を味わせぬためにこれからどう復興していけばいいのだろうか。


まず、地域ごとに被害の実情が異なるので、その地域に合った復興を、それぞれの地域がそれぞれのやり方で、国のやり方に縛られないよう復興計画を立てるべきだと思う。

とにかく一刻も早く、仕事を失った人達のための雇用を確保する必要がある。そのためには、産業を早急に復活させる必要がある。

そして、今回の津波で浸水した地域に新たに住居や建物を作るよりは、津波の届かなかった農地や平地を市街地にして、そこに新たな集落を作るべきではないか。

そうすれば、今回破壊されてしまった湾口防波堤や防潮堤よりも更に大きな防波堤を造る必要はなくなるのではないか。

道路整備が進んでいた一部の地域では、地震後、被害を免れた道路を利用して移動することが出来た人が多かったことや、道路そのものが防波堤の役割を果たした例を耳にすると、破壊されてしまった鉄道の復旧とともに、新たな道路整備をした上で定期バスを運行させることも検討してはどうだろうか。


さらに、沿岸部の公共施設は高台にあるべきという観点から、一度関連施設の立地を見直す必要があるだろう。加えて、避難経路、避難場所なども総点検する必要があるに違いない。

くり返すが、避難住民のみなさんたちの我慢強さなどが世界で賞賛されているが、そのみなさんの我慢強さも、そして溜まった疲れもすでに限界に達している。

ポツポツ建設が進んでいる仮設住宅も何カ所かあったが、お盆ごろには完成させるというのではなくもっと早く完成させるべきだ。

そして、大型ブルを使った自衛隊の皆さんの大変な努力を各地で目にしたが、一刻も早くガレキを撤去するべきだ。


今回の地震で被害に会われた方々に対しては、かけるべき適切な言葉が見当たらない。形式的な言葉ではとても言い表せない。ましてや「頑張って」という言葉など・・・。十二分に頑張っているからだ。

今は、政治家として、百の言葉より一つの実行、とにかく少しでも、一つでも被災された方々のためになることを着実に実行していくことだと考えている。


(5月23日記 中川秀直)
 


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