京都の神社の氏子の分布
上の図は京都市発行の『京都の歴史」に出ている図です。京都は古い町ですから、古く
から、各地域で氏子の地域が決まっていたようです。
北野・上・下御霊神社の氏子団は平安時代に成立したようですが、今宮・八坂・伏見稲荷・藤森・松尾神社の氏子地域は、遷都以前の豪族の支配地域を反映しており、その痕跡が現代まで引き継がれていることは驚きです。
後者の豪族たちはみな渡来系の者で、早く入植した八坂族は牛頭天王を祀り、その神に
鉾を立てて、華やかな祇園祭りとして、今も中京の氏子団が続けています。
一番遅く、恐らく6世紀後半、大和から京の深草を経て移って来た泰氏は、当初の進出拠点は京都駅の南、東寺近くで、国道1号線沿いの伏見稲荷御旅所が始めの本拠地でした。
その泰氏が稲荷信仰を広め、神を稲荷山に祀りあげたため、以前からこの地を本拠としていた渡来系の藤森氏の神社を南に追いやり、その跡に伏見稲荷大社を造ったのです。
その証拠が上図に見うように、藤森神社の氏子地域は伏見稲荷大社の社前まて達しています。このため今でも、藤森神社の祭礼に神輿を担ぐ氏子は、稲荷大社の社前まで担いできて、「土地返しや」と囃し立てるといわれています。
伏見稲荷大社に詣る人は、そういう謂れを知っておくのも参考になります。
神社の神地の乗っ取りは、稲荷大社に止まらず、加茂族の大宮乗っ取り、泰氏の蚕の宮もそうです。初めは奈良の春日大社です。いつか説明します。