ハウスメーカー売り上げ番付の東の正横綱は積水ハウスでしたが、
西の正大関、関脇が積水化学工業と旭化成です。
実はこの両力士は同部屋なんです、みなチッソ出身なんですね。
そういった意味で現在のハウスメーカー角界はチッソ部屋が隆盛を極めています。
チッソ部屋とは、
野口遵(のぐち したがう)親方によって明治41年に創立された、日本窒素肥料株式会社が母体です。
この日本窒素は昭和初期にかけて日窒コンツェルンと呼ばれるまでの巨大財閥に成長しました。
その日本窒素延岡工場が後の旭化成となります。
そして、戦後この財閥が積水化学工業と新日本窒素肥料株式会社に分裂しました。
積水化学工業から分社独立して出来たのが積水ハウスなのです。
この積水という命名は
「勝者の戦は、積水を
千仞(せんじん)の谿(たに)に決するがごときは、形なり」という孫子の一文から取ったそうです。
その意味は
「勝利のためには、溜め置いた水を谷底に向け一気に流すような仕掛けが必要だ」ということですね。
その名のとおり、積水ハウスは戦後復興の住宅需要の中で、チッソの得意な化学製品で、住宅を量産化することができないか、というチャレンジ精神からうまれたプレファブ住宅産業です。
現在、ハウスメーカー市場で横綱を務める積水ハウスですが、積水化学工業からは連結対象としては外れています。しかし、積水化学工業(積水ハイム)は積水ハウスの筆頭株主でもあるため、まあ兄弟力士ですね。
ちょうど若貴兄弟時代の二子山部屋、藤島部屋みたいなもんでしょうか、
おにいちゃんの積水ハイムが大関ですが、弟の横綱積水ハウスへの部材供給は兄貴のハイムがおこなっており、いわゆる注射みたいなもんです。
そして、へーベルハウスというブランドで気を吐く旭化成もこのチッソ部屋で、これはちょうど貴闘力とか安芸島といったところでチッソ部屋の隆盛に貢献しています。
積水ハウスは生産システムや部材供給だけでなく、積水ハウス専門の施工会社を各地に設立していました。
これらはみな積和建設(積水の和の意味)グループとして現在も積和不動産など積水ハウスの業界シェアを維持するのに全社一丸となってがんばっていますね。
まさに、勝利のために一気に押し流す、上手まわしを取ったら一気に寄り切る横綱相撲です。
中入り後のさまは
「土俵入りは、横綱積水ハウス、太刀持ち積水ハイム、露払いは旭化成です。」
とNHKアナウンサーになったつもりで日本のハウスメーカー上位陣事情を見つめていただきたいと思います。