2011ミラノ~サンレモ
ミラノのスタート地点、1分間の黙祷は自分にとって一生忘れられない時間だった。
この日を夢見たのはいつの事だっただろう。
19歳の時イタリアはベルガモのアマチュアチームで、本場イタリアの自転車文化に触れ、プロのレースを見た時には身震いした。
U23の1年目だったが、エリートチームだった自分はシーズン中のほとんどのレースを完走出来なかった。
1度だけプロと混合のレースに出た時は、30kmでレースをリタイアした。
「なんてレベルの高い世界だ!」
いつか自分もあそこで走りたい!絶対に走って見せる!心に誓った。
2011年、イタリアの「ファルネーゼヴィーニ」と契約をした時には、14年の歳月がたっていた。
そしてあの時誓ったレース以上の、ワールドカップ「ミラノ~サンレモ」という夢の舞台に出場するチャンスをつかんだ。
レース前、過去に例を見ない程の震災が日本を襲い、胸が引き裂かれる思いでトレーニングを続け、レース当日を迎えた。
日本の状況は、妻と子供が不安と眠れない日々に心底疲れている事を聞いていたし、被災地の人達の辛さは想像以上だと・・・
そんな中で自分にできる事は?
ティレーノアドレアティコで走るフミの姿を見て、自分も走る事を続けなければ!どんな形でも良いから、それを伝えなければ。
そして3月19日を迎えた。
朝9時のミラノは曇り空、スタート地点では多くの観客に「vai giappone!!(行け日本!)」の声をかけてもらった。
スタート地点では1分間の黙祷をした。
涙が溢れてきた、涙を抑える気持ちにはなれなかった。
今日は震災にあった全ての人達、津波によって家族、友人、愛する人々を失った人達がこれから先、復興という長い道のりの未来に向けて、希望、夢、生きる力を持てる為に自分の夢と共に走る事を誓った。
今回は「cyclists pray for」の頑張れ東日本!のステッカーを腕に貼って走った。
自転車を愛する皆様、ご協力いただけたら幸いです。
前日のミーティングでは、エースは2人!
(ガットとビスコンティ)自分以外はエースのサポート、自分は逃げに乗る事。
2年前は100km近くアタック合戦が続き、去年はスタート後すぐに逃げが決まった。
そして今年は・・・
10時、298kmのレースが始まった。
アタック合戦が始まりなかなか決まらない中、10km地点、3人が15秒程先行する。
逃げには逃げ屋(イグナチェフ)が乗っている。
得意のスプリントで集団からアタックし、前に追いつくと全開走行!
後ろの集団から追撃が出来るも、なんとか差をつけて4人の逃げが決まった。
逃げ始めは55km/hをキープしていたが、1分40秒の差が出来るとペースを落とし逃げ続ける。
最大12分程の差をつけた。
ミラノ~サンレモは4人の逃げだろうが8人の逃げだろうが、残り50kmくらいには集団に捕まるのが毎年の流れ。
幸也に残り96km地点の7kmの上りがキツイ!と聞いていた。
その上りの前でチームカーから先頭交代をやめるように無線が入り、上りに備えるように!と。
上り始めから10%以上の上りが続き、5kmはついていたがたまらず切れてしまう。
上り始めで後ろとは2分40秒。
上りの途中で捕まったら、ひとたまりもない。
スプリントに持ち込みたくない選手がアタックするからだ。
頂上で後ろから来た追走集団に入るが、ここにジルベールが。
他のチームもジルベールとは行きたくないので、すぐに後ろの集団に捕まる。
集団はリクイガスが引いている。下りでのリスク回避と思い、自分も20番手で下り始める。
この下りは車1台分の細い道な上に、雨で転ぶ選手が続出。
これによって集団が割れてしまい、ビスコンティとガットが後ろに遅れてしまった。
前には自分と去年までガルゼッリのアシストをしていたファイッリの2人だけ。
集団はBMCとカチューシャが50km/h以上で引き続ける。
監督のシントが無線で前に追いつくように怒鳴っている。
ゴールまで残りは90km以上、カベンディッシュも入ってないのでHTCも引いてるのでは?
流石に200km以上逃げてきて、後ろに戻って引き続ける力は残っていない。
ファイッリの可能性を高める為に走ることが今は優先だと感じた。
しかし、チプレッサまで10kmを切って後ろは50秒と聞き、後ろに下がって引く事を決めた。
後ろの集団ではエースのガットが先頭を引いている。
2番手にビスコンティ、もう後が無い状況であることはすぐにわかった。
下りと細い通りの街の通過を全開で引き、流石にもう引く力が残っていない。
後ろに下がるもなんとか集団に入り込み、もう一度引かなくては。
そう、今日は可能性がある限り諦めないと決めたんだ。
日本の人達にどんな厳しい状況でも、諦めない事が未来を切り開く事を伝えなければ!
5番手までなんとか上がって行くも、足に力が入らない。
後ろにビスコンティをつけて切れる訳にはいかない・・・。
でも切れてしまった・・・。
こうなると、ほとんどの選手は海沿いをゴールに向けて近道するわけで、それが当たり前だが、今日は諦めないと決めたのでどんなに遅れてもコースを走り切る事を決めた。
チプレッサの頂上近くで後ろから来た何人かと一緒にゴールを目指した。
次にくる時は、勝負してやる!そんな気持でポッジオを上った。
夢の終わりは、スタートから7時間後にサンレモの街で幕を下ろした。
チームバスではチームメイトが今日の働きを高く評価してくれた。
日本の放送が始まった時には逃げが終わった後だと聞いて、少々残念だった。
しかし、自分が今日という日を日本の人達の将来の為に 自分の夢を乗せて走れた事で十分だった。
こうゆう気持で走る事に意義があり、世界中の1人でも多くの人がそういった気持になる事が、大きな輪を作り大きな力になると信じている。
最後に、多くのメッセージを送っていただいたファンの皆さん。
自分に走る勇気をくれた全ての人達に感謝の気持ちでイッパイです。
まだまだ強くなります!
そして、多くの人々に夢を感じられる走りをこれからも続けて行きたいと思います。
夢は一生、現実は一瞬。
しかし、その一瞬の為に一生という長い年月をかけて命がけで取り組むからこそ、
その一瞬が何ものにも変え難い価値を生み出すのだ。
長いシーズンも始まったばかり!
さぁ、出発だ!
ミラノのスタート地点、1分間の黙祷は自分にとって一生忘れられない時間だった。
この日を夢見たのはいつの事だっただろう。
19歳の時イタリアはベルガモのアマチュアチームで、本場イタリアの自転車文化に触れ、プロのレースを見た時には身震いした。
U23の1年目だったが、エリートチームだった自分はシーズン中のほとんどのレースを完走出来なかった。
1度だけプロと混合のレースに出た時は、30kmでレースをリタイアした。
「なんてレベルの高い世界だ!」
いつか自分もあそこで走りたい!絶対に走って見せる!心に誓った。
2011年、イタリアの「ファルネーゼヴィーニ」と契約をした時には、14年の歳月がたっていた。
そしてあの時誓ったレース以上の、ワールドカップ「ミラノ~サンレモ」という夢の舞台に出場するチャンスをつかんだ。
レース前、過去に例を見ない程の震災が日本を襲い、胸が引き裂かれる思いでトレーニングを続け、レース当日を迎えた。
日本の状況は、妻と子供が不安と眠れない日々に心底疲れている事を聞いていたし、被災地の人達の辛さは想像以上だと・・・
そんな中で自分にできる事は?
ティレーノアドレアティコで走るフミの姿を見て、自分も走る事を続けなければ!どんな形でも良いから、それを伝えなければ。
そして3月19日を迎えた。
朝9時のミラノは曇り空、スタート地点では多くの観客に「vai giappone!!(行け日本!)」の声をかけてもらった。
スタート地点では1分間の黙祷をした。
涙が溢れてきた、涙を抑える気持ちにはなれなかった。
今日は震災にあった全ての人達、津波によって家族、友人、愛する人々を失った人達がこれから先、復興という長い道のりの未来に向けて、希望、夢、生きる力を持てる為に自分の夢と共に走る事を誓った。
今回は「cyclists pray for」の頑張れ東日本!のステッカーを腕に貼って走った。
自転車を愛する皆様、ご協力いただけたら幸いです。
前日のミーティングでは、エースは2人!
(ガットとビスコンティ)自分以外はエースのサポート、自分は逃げに乗る事。
2年前は100km近くアタック合戦が続き、去年はスタート後すぐに逃げが決まった。
そして今年は・・・
10時、298kmのレースが始まった。
アタック合戦が始まりなかなか決まらない中、10km地点、3人が15秒程先行する。
逃げには逃げ屋(イグナチェフ)が乗っている。
得意のスプリントで集団からアタックし、前に追いつくと全開走行!
後ろの集団から追撃が出来るも、なんとか差をつけて4人の逃げが決まった。
逃げ始めは55km/hをキープしていたが、1分40秒の差が出来るとペースを落とし逃げ続ける。
最大12分程の差をつけた。
ミラノ~サンレモは4人の逃げだろうが8人の逃げだろうが、残り50kmくらいには集団に捕まるのが毎年の流れ。
幸也に残り96km地点の7kmの上りがキツイ!と聞いていた。
その上りの前でチームカーから先頭交代をやめるように無線が入り、上りに備えるように!と。
上り始めから10%以上の上りが続き、5kmはついていたがたまらず切れてしまう。
上り始めで後ろとは2分40秒。
上りの途中で捕まったら、ひとたまりもない。
スプリントに持ち込みたくない選手がアタックするからだ。
頂上で後ろから来た追走集団に入るが、ここにジルベールが。
他のチームもジルベールとは行きたくないので、すぐに後ろの集団に捕まる。
集団はリクイガスが引いている。下りでのリスク回避と思い、自分も20番手で下り始める。
この下りは車1台分の細い道な上に、雨で転ぶ選手が続出。
これによって集団が割れてしまい、ビスコンティとガットが後ろに遅れてしまった。
前には自分と去年までガルゼッリのアシストをしていたファイッリの2人だけ。
集団はBMCとカチューシャが50km/h以上で引き続ける。
監督のシントが無線で前に追いつくように怒鳴っている。
ゴールまで残りは90km以上、カベンディッシュも入ってないのでHTCも引いてるのでは?
流石に200km以上逃げてきて、後ろに戻って引き続ける力は残っていない。
ファイッリの可能性を高める為に走ることが今は優先だと感じた。
しかし、チプレッサまで10kmを切って後ろは50秒と聞き、後ろに下がって引く事を決めた。
後ろの集団ではエースのガットが先頭を引いている。
2番手にビスコンティ、もう後が無い状況であることはすぐにわかった。
下りと細い通りの街の通過を全開で引き、流石にもう引く力が残っていない。
後ろに下がるもなんとか集団に入り込み、もう一度引かなくては。
そう、今日は可能性がある限り諦めないと決めたんだ。
日本の人達にどんな厳しい状況でも、諦めない事が未来を切り開く事を伝えなければ!
5番手までなんとか上がって行くも、足に力が入らない。
後ろにビスコンティをつけて切れる訳にはいかない・・・。
でも切れてしまった・・・。
こうなると、ほとんどの選手は海沿いをゴールに向けて近道するわけで、それが当たり前だが、今日は諦めないと決めたのでどんなに遅れてもコースを走り切る事を決めた。
チプレッサの頂上近くで後ろから来た何人かと一緒にゴールを目指した。
次にくる時は、勝負してやる!そんな気持でポッジオを上った。
夢の終わりは、スタートから7時間後にサンレモの街で幕を下ろした。
チームバスではチームメイトが今日の働きを高く評価してくれた。
日本の放送が始まった時には逃げが終わった後だと聞いて、少々残念だった。
しかし、自分が今日という日を日本の人達の将来の為に 自分の夢を乗せて走れた事で十分だった。
こうゆう気持で走る事に意義があり、世界中の1人でも多くの人がそういった気持になる事が、大きな輪を作り大きな力になると信じている。
最後に、多くのメッセージを送っていただいたファンの皆さん。
自分に走る勇気をくれた全ての人達に感謝の気持ちでイッパイです。
まだまだ強くなります!
そして、多くの人々に夢を感じられる走りをこれからも続けて行きたいと思います。
夢は一生、現実は一瞬。
しかし、その一瞬の為に一生という長い年月をかけて命がけで取り組むからこそ、
その一瞬が何ものにも変え難い価値を生み出すのだ。
長いシーズンも始まったばかり!
さぁ、出発だ!