5月9日に私の資料要求直後に、招待者名簿等をシュレッダーにかけたというのは、嘘っぱちだという強い思いをもっています。それは、内閣府の地下室のシュレッダーをみ、その際の説明をきいたからです。

 

 内閣府の各課は、各課ではシュレッダーすべき文書がたまれば(多くはダンボール十数前後)、内閣府の地下1階でシュレッダーをかけています。これは各課のルーティンワークとしておこなっています。5月9日のシュレッダーした量はダンボール十数箱のことです。それほどの量になったのは、桜を見る会の当日に各門で招待者のチェックにつかった招待者名簿のうつし(かなりの数)という説明でした。

 

 昨日、5月9日13時20分から14時45分の間に、12袋分のシュレッダー作業を内閣府の人事課がおこなったという使用簿が提出されました。ダンボール十数箱の合致します。

 

 この日、何をシュレッダーにかけたでしょうか。説明のとおり、「桜を見る会」当日の受付作業でチェックに使った招待者名簿の写しもシュレッダーしたのでしょう。しかし、この日に、翌年の作業に必要な、推薦依頼の文書や、毎年の招待区分の区分けを示す文書をシュレダーにかけたとは思えません。そんなことしたら、翌年の作業はできません。さらに、招待者名簿の原本もシュレッダーにかけてないでしょう。名簿の原本がなければ、同じ人が続けてこないかなど、チェックもできませんし、どれぐらいの方がどの推薦できたかというのは翌年の作業として必要です。

 

 もうすこし説明しましょう。内閣府はヒアリングの場で「例年この時期にシュレッダーしている」と説明をしてきました。しかし、行政文書である招待者名簿の原本、推薦依頼の文書、60の区分けなど、2018年4月1日までは、1年保存文書でした。つまり、これらの行政文書は、「例年」はシュレッダーしていないのです。おそらく昨年もしてないでしょう。そして、今年もしてないでしょう。「例年」といって、シュレッダーにかけていたのは、桜を見る会の各門でつかう招待者名簿のうつしだったわけです。

 

 しかし、政府は、行政文書である招待者名簿の原本なども「破棄」したことにしたいわけです。なぜなら、功績功労がある人を呼ぶというルールを無視して、安倍首相や官邸、与党幹部が、後援会員サービスに使い、総理夫人のお友達を大量にお誘いし、反社会勢力やジャパンライフの山口会長(当時)を招待していたことを隠し、責任を逃れるためには、それらを示す資料が残っていてはならないからです。残っていれば、提出を求められ、政治責任、場合によっては進退問題に発展するからです。

 

 ジャパンライフの山口会長の招待区分「60」は総理・官邸の枠ではないか、政府からでてきた2015年、2016年の資料に明示していることすら、「資料を破棄したからわからない」というおよそ、とおらない、常軌を逸した説明を繰り返しています。このことからも、彼らは「資料を破棄したからわからない」という答弁ラインを死守することが絶対課題となっています。

 

 この答弁ラインは5月21日の衆院財務金融委員会で、参加者が増えたのはどの枠が増えたのかという私の質問に対して、政府が設定したものです。「破棄したからわからない」「今年のものもすでに破棄した」。

 

 今国会で、「桜を見る会」の問題が赤旗日曜版報道をもとにした田村智子議員の質問で再燃するなか、政府は、いつ破棄をしたのか、説明をせざるをえない状況になりました。

 

 本当は破棄をしていないのに、破棄をしたことをどう説明するか。彼らなりの「破棄したストーリー」をつくることになったのでしょう。桜を見る会当日の4月13日から、5月21日の答弁の間で、内閣府人事課がシュレッダーを利用した日は、5月9日でした。この日は、内閣府人事課がルーティンワークとして、課にたまったシュレッダーすべき文書を処理する日でした。その中には、桜を見る会の当日の参加者のチェックに使った招待者名簿等もあったのでしょう。よし、この日に、保存すべき招待者名簿元本や推薦依頼文書、招待区分「60」など記した文書、いっさいがっさい、シュレッダーしてしまったことにしよう。そうすれば、「破棄したから、わかりません」という答弁がなりたつ。そして、野党から証拠をだせといわれたら、使用簿、予約表もあるのでこの日のシュレッダーという説明はなりたつ。(さらには、使用簿や予約表を小出しにしていけば、時間をかせげ、臨時国会は時間切れになりのりきれる)

 

 これがことの真相だと思います。

 

 ところが、この「破棄したストーリー」には、政府にとって厄介な点が一点だけありました。それは、私、宮本徹が5月13日の決算行政監視委員会の質問にむけて、資料要求の後にシュレダーをかけたという時間の流れになってしまうという点です。これでは、証拠隠滅という批判を受けかねない。だから破棄した日がいつかという問いに5月9日という日をだすまでかなり抵抗し、使用時間についてもわからないという説明を繰り返したあげく、やっと使用簿が昨日でるにいたりました。

 

 しかし、作り話というのには、無理が必ずでてきます。「60」の招待区分が「破棄したからわからない」とう説明はその典型です。資料要求は総務課がうけたけど、総務課の資料でこたえられると判断して、シュレッダーする人事課に伝えなかったと言いますが、実際は、上に書いたように、その直後「破棄したからわからない」という国会答弁をしているのですから、この説明もなりたちません。だいたい、人事課と総務課は向かいなのですから、すぐに声をかけられる位置にいるという点でも、不可思議です。

 

 どこに作り話があるかというと、5月9日にシュレッダーにかけるはずがないものをシュレッダーにかけて廃棄しているという点です。

 

 宮本徹の資料要求の日に行政文書である招待者名簿原本と関連資料一式を破棄したという話が、あまりにも漫画的で、大型シュレッダーが混んでいたという説明があまりにも不思議だったので、私も、メディアも、証拠隠滅ではないかと、そのおかしさな言い分の検証のために、力を傾けてきたわけですが、私自身は、シュレッダー室での説明をうけ、考える中で、5月9日に行政文書をシュレッダーにかけ、すべて破棄をしたという点につくり話があるとの結論にいたりました。

 

 だいたい、電子媒体は、物理的にすべてのサーバをこわさないかぎり、消去できないはずです。

 

 招待者名簿等はサーバ上もふくめ、残っている、「60」がなにかを示す資料も残っている、この立場で、追及していきます。

 

 以上は宮本の仮説です。

 もちろん、5月9日の資料要求をうけて、あわててその日のシュレッダーの作業に、保存すべき行政文書ものせたという説もなりたつでしょう。いろんな説もなりたつでしょう。

 

 しかし、議員の資料要求に対する証拠隠滅と批判されるのを覚悟で、5月9日にシュレッダーをしたと説明せざるをえないという苦しい道をなぜ内閣府が選ばざるをえなかったのか、そこには、総理推薦・官邸推薦・政治家推薦の隠蔽のためだというのが、いまの内閣府の姿勢から浮かび上がってくることなのではないでしょうか。

 

 (なお、この考察にいたったのは内閣府の説明の変遷です。この間、11月15日の段階で内閣府はシュレッダーにかけた文書の説明が宮本徹事務所にありました。招待者名簿、推薦依頼文書など厚さ10センチ程度のファイルで、ダンポールという量ではないという説明をしていました。ところが、シュレッダー室での説明ではダンボール十数箱という説明でした。ここでやっと例年のシュレッダーのルーティンワークの中身がわかったわけです。

 例年のルーティンワークにかこつけて、この日にすべて捨てたというストーリをつくりあげた。)