この6月、2つの事件が続いた。三重県桑名市で生活保護を廃止された53歳男性が餓死状態の遺体で発見され、同じ時期、福岡県北九州市で生活保護の相談に訪れていた39歳男性が孤独死していたのが発見された。生活困窮世帯の餓死・孤独死の事件は毎年報道されている。特に、国の生活保護行政のモデルとされたといわれる北九州市では、07年7月、生活保護を打ち切られ、「おにぎり食べたい」「働けないのに働けと言われた」「法律は飾りか」と書き残して亡くなった52歳の男性のミイラ化した遺体が発見されたのをはじめ、05年から3年連続で4件の餓死・自殺事件が生活保護との関係で報道されている。
これは、『週刊エコノミスト』(09年6月30日号)に掲載された、猪股正弁護士・首都圏生活保護支援法律家ネットワーク代表の「これ以上餓死者を出してはならない - 生活保護制度の立て直しを」の中の一節です。
この中で猪股弁護士は、「生活保護制度は、国が施す“恩恵”ではなく、すべての人が人間らしい生活を営む権利を有するという生存権(憲法25条)に基づく制度」であり、誰もが生活保護を申請でき、要件さえ満たせば受給できるのが本来のあり方だと指摘しています。ところが、実際には、生活に困窮した人が、福祉事務所の窓口に行っても、担当者が様々な理由を付けて窓口から追い返す「窓口規制」「水際作戦」が行われ、「申請」として扱わないという明らかに違法な運用が全国に広がっているのです。猪股弁護士は次のように指摘しています。
「誤った運用を背景に、生活に困窮しているにもかかわらず、膨大な数の人が生活保護の利用からはじき出されている。制度を利用し得る人のうち、現に制度を利用できている人が占める割合を捕捉率という。この捕捉率は、ヨーロッパでは高い水準にあるが、日本では、そもそも行政は調査さえ行っていない。研究者の推計によれば、日本の捕捉率はわずかに16%から20%でしかない(慶應義塾大学経済学部・駒村康平教授の推計『週刊社会保障』02年11月4日号24ページ、専修大学経済学部・唐鎌直義教授の推計『ポリティーク』05年9月号70ページ、同志社大学経済学部・橘木俊詔教授の推計『日本の貧困研究』124ページ)。生活保護の利用者は、現在、派遣切り等の雇用情勢も影響して約165万人(09年3月)にまで増加しているが、600万~900万人もの人が生活保護からはじかれて、「最低限度の生活」を下回る状態に置かれている」
生活保護の母子加算廃止は
女性の貧困、子どもへの貧困連鎖を深刻化する
そして、生活保護の問題をめぐって、今年4月から全廃された母子加算を復活させる法案を野党4党が共同提案し、6月26日、参院本会議で野党の賛成により可決されました。
母子加算というのは、ひとり親の世帯が、子育てするには追加的な費用が必要なため、18歳までの子どもがいる母子・父子家庭などの生活保護費に上乗せして支給されていました。加算額は地域ごとに異なり、東京23区で子ども1人なら月額約2万3,000円(2004年)でした。構造改革による連年の社会保障費2,200億円削減で、2005年度から段階的に廃止され、16~18歳の子どもがいる世帯は2007年度、15歳以下の子どもがいる世帯は2009年度に全廃されました。削減総額は204億6,000万円。廃止取り消しを求め、京都、広島、青森、北海道で12人が裁判を起こしています。
母子加算を廃止すべきとした政府の根拠は、2004年に厚生労働省の「生活保護制度のあり方に関する専門委員会」が「母子加算を加えた生活保護額は、一般の母子世帯の消費水準より高く、加算は妥当ではない」と提言したことにあります。この提言にもとづいて、翌2005年から段階的に削減してきたのです。
ところが、廃止の根拠となった厚労省の専門委の提言は、じつはいい加減なものであったことが、次のようにマスコミでも報道されています。
「専門委の委員長を務めた岩田正美・日本女子大教授は、一般母子世帯で子供1人の場合のサンプル数が32世帯など、サンプル数が少ないことなどから「廃止とまでは報告書に書けなかった」と言う。厚労省は最近、「(保護基準と一般母子世帯の消費支出額の差が)統計的に有意か確認できない」と議員の質問に回答した。専門委員だった布川日佐史・静岡大教授も「間違った根拠と手続き」で廃止されたとして「復活し、検討を再開すべきだ」と主張している」(『毎日新聞』2009年6月23日付)
「だが、この根拠は極めて怪しい、と言わざるを得ない。比較した一般母子家庭の数は、子ども1人の場合、わずかに32世帯。サンプル数が公になったため、厚労省は「統計的に有意なものかは確認できない」ことを認めた。それだけではない。当時の専門委員会のメンバーが「廃止とは言っていない。報告書をつまみ食いされた」と発言しているのである。廃止が妥当な判断だったのか、疑問である」(『沖縄タイムス』2009年6月29日付社説)
政府は、母子加算を廃止する変わりに就労支援を実施しているとしていますが、これについても各マスコミが批判しています。
「代わりに就労世帯などに最高月1万円を支給する「ひとり親世帯就労促進費」を創設したが、減額前の母子加算より低く、親が病気などで働けない約4万世帯は対象外だ」(『毎日新聞』2009年年6月23日付)
「生活保護を受ける母子世帯は10万世帯(子どもは約18万人)を超える。だが、生活保護受給者等就労支援の利用者は昨年4~12月で約2千人と少ない上、就労率は約6割。自立支援プログラム(収入が増えた既就労者も含む)は約3割だ。もともと母子世帯の就労率は約8割あり、「さらに働け」という対策には疑問の声もある。生活の安定を求めて看護師など高度な職業訓練を受けようにも、働きながらの訓練受講は難しい」「その上、障害・傷病や育児・介護などで働けなくなって生活保護を受ける世帯が約4万世帯あり、就労支援そのものが役立たない。支援団体関係者からは「絵に描いたもち」との批判も出る」(『東京新聞』2009年6月23日付)
金額面から見ても、母子加算全廃で約204億円が削られた一方、代わってできた「高等学校等就学費」(59億円)や「就労促進費」(40億円)、2009年度補正予算で盛り込まれた「子どもの学習支援の給付」(42億円)をあわせても削られた204億円には遠く及ばないのです。
母子家庭の実態も次のように報道されています。
派遣切りで、1日1食 服は3年買っていない(『毎日新聞』2009年6月26日付)
女性が小学5年と中学3年の2人の娘を連れ、着の身着のまま家を出たのは6年前。夫の暴力が原因だった。造園業者を営む親類の家を間借りし、日給7,000円で働いたが、仕事は不定期で月収は1万~6万円ほど。2年後に別の造園業者に転職し、月収は16万円程度に増えたが、入社8カ月で腰を痛め、退社した。生活保護や児童扶養手当の存在は知っていたが、「自分の手で生計を立てたい」との思いから利用はしなかった。
2人の娘を進学させる余裕はなく、2人とも中学卒業とともにアルバイトを始めた。自身は2年ほど前から、県内の自動車部品工場などで派遣社員として勤務したが、世界的な不況の波が押し寄せた昨年11月、派遣切りに遭った。
当初は生活保護申請が受け付けられず、今年4月の受給開始まで、1日1食の生活が続いた。ようやく受給が始まったが、就職活動をするよう市役所から催促の電話がかかる。「今までの人生で心も体もボロボロになった。これ以上働く意欲がわくと思いますか」
今年1月に娘の一人が嫁いだが、もう一人の娘は就職できていない。保護費14万円で2人分の生活をまかなう。食品の買い出しは3週間に1度だけ。冷蔵庫には3週間前に買ったキャベツの芯があった。「野菜の葉の一枚たりとも無駄にできない。生活にも心にも余裕のないひとり親は私だけではないはずです」(毎日新聞の記事はここまで)
母子家庭は約123万世帯あり、平均年収は171万円(上図)。そのうち44%が臨時・パートで、平均年収は113万円と月収10万円にも届きません。
もともと女性の賃金は正規雇用で男性の69%、非正規で男性の48.5%にしかすぎず(上図)、年収300万円以下は66%にのぼっています。加えて、母子家庭の困難は、離婚後の再就職が非正規の仕事しかないことにもあります。
上図のように正規雇用者の男女間給与格差は、男性の給与の67%と、OECD諸国の中でワースト2位です。
▼ひとり親世帯の就労率
(OECD2005年調査)
そして、ひとり親世帯の就労率は8割を超え、OECD諸国の中でもトップです。(上図) 母子家庭では母親が非正規労働を強いられるケースが多いので、生活するためには、ダブルワーク、トリプルワークをせざるをえないというのが実際のところです。ですから、こうした実態も知らず、「働かないで甘えている」とか、「もっと働け」などという非難は、まったくのまとはずれなのです。
「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」が、2007年に母子世帯へ行った「子育てをするうえでの気がかりや心配事」に関する調査(回答者数254人)について、阿部彩さんが『子どもの貧困』(岩波新書)の中で、次のように紹介しています。
「その回答の中には、貧困であることから派生する諸問題、長時間労働による育児時間の欠如や教育費の不足に加えて、母子世帯であるからこそ直面する子育ての困難さがあることをうかがわせるものが散見された。たとえば、「母子家庭への周囲の偏見」を子育てをするうえでの心配事として挙げた回答者は29%も存在する。母子世帯の方々の話を伺うと、「母子世帯の子のくせに大学進学なんて身分不相応だ」などというような言葉を近所の人から受けたなどというエピソードをよく聞く、このような言葉が、母子世帯の子どもたちに、新たな傷と負い目を負わせていくのである」
「離婚であれ、死別であれ、その出来事自体が子どもにとっては大きなストレスであると想像されるがそれとともに、最終的にそこに至るまでにも、両親のけんかや暴力、親の病気、周囲との葛藤など、子どもに心理的負担を与えると考えられる状況があったであろう。これらの心理的なストレスを緩和するためにも、母子世帯の子どもは、本来それだけ、ほかの子どもよりもさらに手厚いケアが必要なのである。しかしながら、母子世帯の母親は、子どものケアのニーズをたった一人で背負う身体的・精神的余裕がない場合が多い」(阿部彩さんの『子どもの貧困』(岩波新書)の引用はここまで)
▼ひとり親世帯の子どもの貧困率
(OECD2005年調査)
そして、ひとり親世帯の子どもの貧困率は、トルコに次ぐワースト2位に、日本はなっているのです。(上図)
▼母親になるのにベストな国ランキング(2009年)
(ベストテン)
1位 スウェーデン
2位 ノルウェー
3位 オーストラリア
4位 アイスランド
5位 デンマーク
6位 ニュージーランド
7位 フィンランド
8位 アイルランド
9位 ドイツ
10位 オランダ
(34位 日本)
民間の国際援助団体NGO「セーブ・ザ・チルドレン」は、毎年母の日に、「母親になるのにベストな国ランキング」を発表しています。今年は10回目の発表となり、対象国は過去最多の158カ国における母親と子どもの状態を分析しています。
その結果、日本は34位となり、昨年の31位から3つ順位を落とし、過去最低のランキングで、2006年以降毎年順位を下げています。(06年12位、07年29位、08年31位)
158カ国における母親と子どもの状態は、男女間の給与所得の比率、産休・育休制度、女性の正規教育期間、女性の国政レベルでの参加率、子どもの就学率などを指標にしています。
日本は男女間の給与所得の比率や女性の国政レベルでの参加率などが低いため、ランキングを下げているのです。
「日本の女性労働者は昔から貧困だった」、そして、いま広がっている貧困は、「男性労働者が女性化させられ、両性とも困窮化し、にっちもさっちもいかなくなっているのだ」とも表現されますが、女性の貧困を放置したままでは、日本社会の「貧困スパイラル」を止めることはできませんし、もっとも困難な状況にある母子家庭の貧困は、「子どもへの貧困連鎖」の問題でもあり、生活保護の母子加算は早急に復活させなければなりません。
(byノックオン)