【パソコン歴史浪漫】7 ●PC-9801VXとは何だったのか?
【パソコン歴史浪漫】7 ●PC-9801VXとは何だったのか?
PC-9801VM2の優位は絶大であり、次期PC-9801は出る前からヒットが約束されていた。そして、実際にヒットした。
実のところ、PC-9801VM2はPC-9801M2のマイナーチェンジ過ぎず、M2もF2の、F2も初代のマイナーチェンジに過ぎない。
対応ソフトを揃えるべく奔走したNECの努力もあったが、それはNECから見たパソコン史観。【パソコン狂時代】でも書いたが、様々な要因が重なって運良く業界標準になったというのが真相だと思う。
初代→E/F/M時代→VM時代と、2度の機能強化でPC-9801時代前半のアーキテクチャは完成された。しかし、4096色中16色(VMは標準8色オプションで16色)という中途半端なアナログRGBの価値は小さい。デジタルRGBのE/F/Mでスペックが固定されていたとしても、大した違いは無かった。では、なぜ、U/VMで中途半端なアナログRGBを追加したのだろうか?
個人的見解だが、U/VM時代までは「マイナーチェンジ=機能強化」が常識で、CPUの高速化だけではユーザーが納得しなかった。僅かな機能改良でも喜ばれた時代。速度より面白さに価値があった。今のPCユーザーにはピンと来ない感覚だろう。
かつてPC-8801mkIIが初代PC-8801とほぼ同スペックで出たのは、既に旗艦モデルではなくなっていたからだと思う。
VXはCPUの高速化だけ(80286のプロテクトモード等の機能は取り敢えず考えない)で出るわけだが、この時代になってようやく互換性が最優先になったと言える。
U/VMを出す時点では、NECは次期モデルでさらにグラフィックを強化する予定だったと推測する。いや、私の単なる願望かもしれない。
PC-8801mkII→mkIISRではGRAMを増やさず、8色→512色中8色という微妙なアナログRGBになった。しかし、PC-9801M→VMでは、GRAM3プレーン→4プレーンとし、4096色中16色になった。なぜ、1プレーン追加したのだろう?
640×400ドット・4096色中16色・2画面は、GRAM容量的には640×400ドット・256色・1画面に等しい。6プレーンで64色より8プレーンで256色の方が良いのは当たり前だが、8プレーンという数字はキリが良い。
もはや妄想の領域だが、1ドット=1バイトで描画する8プレーン同時書き込みのカスタムLSIが搭載され、これまでのGDC(μPD7220)より高速グラフィックを実現するというプランがあったのでは?
それはともかく、NECはグラフィックぐらい次に改良すればいいのでU/VMはそこそこのスペックで止めたという推理は、そんなに外れてはいないだろう。
NECはPC-8801の時点から互換性を最も重視したメーカーだったが、PC-9801U2では互換性を中途半端にする等、一貫性を欠いていた。しかし、U2での批判が互換性の重要性を再認識させた。NECにとってもユーザーにとってもだ。
VXで互換性のためにV30を搭載したのも、過剰な配慮といえた。VM発売時に、NECはソフトハウスに対して「V30固有の機能は使わないように」頼んでいたという。事実、V30でしか動かないソフトはほとんど無かった、だから、個別にソフトの書き換えを依頼するか、V30ボードをオプション提供すれば十分だったはずだ。
この後、PC-9801がMS-DOSでしか使われなくなっても、延々BASIC ROMを搭載し続けるNECである。VMでPC-9801が業界標準になったこのタイミングで、グラフィック等の機能に手を加えて互換性を損なうのは賢明ではなかった。
VXには、PC-9801シリーズの完全互換のアピール以外に、大きな転換点という意味もあった。
PC-9801シリーズ全体を高価な80286マシンへ移行させないというNECの判断が、後のPC-9801シリーズの方向性を変えた。PC-9801VM2のスペックで安価なホビー用PC-9801U系を展開したのである。
こうすると、VMユーザーは何年にも渡って市販ソフトの恩恵を受けられる。新しいソフトほど重くなる悪習はもう始まっていたが、旧機種で最新ソフトが使えるのは画期的だった。
この時代までの「互換性」は、旧機種用のソフト・ハードが新機種で使える「上位互換性」であり、その逆は保証されなかった。「企業は2年毎、個人は3年毎」と言われた当時のパソコン買い替えサイクルゆえに許容されたことだろう。
PC-9801VM2から1年3ヶ月。VXの登場は待ちに待ったものだった。
私が知ったのは、パソコン誌の発売より早く、読売新聞の広告であった。恐らく、発表直後に広告を打ってきたのだろう。
私は、広告に熱狂した。そして、定価から想定される実売価格を計算した。当時最新型の周辺機器とソフトも、購入可能な範囲で実売価格を計算した。
しかし、そんな熱狂も長くは続かなかった。その時ははっきりした理由が分からなかったが、なぜだか違和感を感じたのである。
次回へ続く。
関連ページ 『超高層ビルとパソコンの歴史』