新関以北の美濃町線は、以南の2005年(平成17年)の廃止に先立ち、
1999年(平成11年)に廃止された。
利用客が少なかったうえに長良川鉄道が並行していたためで、
美濃町線の廃止駅の付近に長良川鉄道の駅を新しく設置して、
長良川鉄道が代替輸送機関となった。
さらに、新関駅から長良川鉄道の関駅まで600mほどの連絡線を整備し、
関駅に美濃町線の電車が乗り入れるようになった。
新関駅跡から美濃駅跡までは6.3km。
1時間半で歩ける距離で、しかもほぼ真っすぐに北上する線形。
関市街に休憩に寄らず新関駅跡を通過し、美濃駅跡へ向かった。
さらに、その先には踏切も残っていた。
白金駅跡南の踏切跡よりも残存状態は良い。
この踏切付近から、美濃町線はカーブして90°向きを変える。
美濃町線は元々開通時から、
新関駅の東で向きを変えて県道281号線の道筋に入っていたが、
新関-美濃間廃止時に、県道を横断して、
長良川鉄道の関駅に進入するように線路が付け替えられた。
下の写真は美濃町線跡が県道281号線に合流するところ。
関駅に進入するようになってから、
写真の「交通安全」の旗の辺りで県道を横断し、
長良川鉄道に沿うように変えられた。
かつては歩道部分に美濃町線の線路があり、
新関-美濃間の運行当時は、県道の道幅は歩道も含めて狭かった。
写真に写る「西木戸」バス停の向かいに、長良川鉄道の関駅がある。
美濃町線電車は、1999年から2005年までの6年間、
関駅の長良川鉄道ホーム横に乗り入れた。
関駅前以北は、県道281号線の西側路肩が廃線跡。
新関から次の下有知(しもうち)駅までは、
美濃町線の駅間では最長の2.2km。
しばらく北上して下有知駅跡に近づくと、舗装が無くなり、駅跡に着く。
駅のホームは無くなっているが、
駅跡の北には、稲荷神社が美濃町線運行当時から鎮座している。
下有知駅から再び県道沿いを進むが、
500mほど進むと用水路を越える。
美濃町線の鉄橋跡には、橋台となった部分が残っている。
用水路を越える部分はきついカーブでクランク状に曲がっていて、
廃線後の県道の橋は、
用水路を越えるとすぐに、
美濃町線は県道から離れ、田園の中に下りて単独軌道となっていた。
単独の軌道の線路敷は、
岐阜市内などでは名鉄所有のまま立ち入り禁止になっていたが、
ここは、遊歩道としてきれいに整備されていた。
前を歩いていた近所の年配女性に振り向かれてしまった。
その整備された遊歩道の途中に神光寺駅跡がある。
2面2線のホーム跡がきれいに残っている。
遊歩道として整備された旨の説明書きもあり、
ホームには駅名板のフレームも残っている。
遊歩道として面白いと思った。
美濃町線は、左右に側溝と側道を従えて延びていて、
遊歩道は神光寺駅跡から250mほどで終わり、
線路跡は、東海環状道の高架の拡幅工事に使用され、
一部潰されてしまっている。
東海環状道をくぐると、
美濃町線は県道を横切り、北北東方向に向かって延びる。
山裾の果樹園や畑の中を、並行道路無しに進んで行く。
廃線跡をたどるには、並行道路が無いのが大問題だが、
ちょうど、すぐ近くに分譲住宅団地の「関ノ上ハイツ」があり、
関ノ上ハイツの一番西側の道路を進んでみた。
丘の上に出来た関ノ上ハイツは、アップダウンが大きく、
団地入口からしばらく登って美濃町線跡を見ると、
この風景を眺めた場所には、関ノ上ハイツの案内地図もあった。
美濃町線の線路も地図にしっかり描かれていて、
関ノ上ハイツの西側に美濃町線が並行していたことが分かる。
持参したYahoo地図には廃線跡の記載が無く、
関ノ上ハイツから下りて、
川に架かる道路の橋に回るため300mほど遠回りしたが、
結果的にはその必要はなかった。
廃線跡を歩けた上に、
川に架かる鉄橋までも歩行者用に転用されていたのだ
事前にそのことを知っていれば、
関ノ上ハイツを下りてから無駄足を踏まずに済んだと思った。
鉄橋辺りから美濃市に入る。
美濃市域に入るや否や、
美濃町線跡は見事に遊歩道に生まれ変わっていた
地図に美濃町線跡の並行道路が載っていないことから、
どの道を歩こうか思案していたので、
すべて遊歩道になっているのは嬉しかった。
鉄橋から100mほどで松森駅跡に着く。
ホームはきれいに残り、線路の跡に枕木も残されている。
子供の遊び場としても嬉しい残され方だ。
面白いのは、駅ホームに玄関が向いている、隣の住宅。
「玄関開けたら、2分で電車」だったのだろう。
松森駅跡から県道を越えると、またも遊歩道がしばらく続く。
東海北陸道の直下辺りには、遊歩道の半分に池が設けられ、
錦鯉が泳いでいた。
遊歩道は松森駅跡~美濃駅跡のほぼ中間で終わるが、
(遊歩道に「ちんちん電車遊歩道」と名称が付いていたことを知った。)
美濃町線の線路跡はこの先、
2車線の市道の道路敷に転用されている。
市道には丘を一つ乗り越えるようにアップダウンがあるが、
美濃町線も美濃市駅の目前でかなりの勾配を乗り越えるのだと感じた。
美濃市街は、
周囲をいくつもの山に囲まれた小高い小盆地に形成されており、
市街全体も複雑に微妙に傾斜した地形になっている。
市道の道路敷の大部分が美濃町線の跡で、
美濃駅の電車留置線だった場所は公園になっている。
美濃駅跡に到着する。
現在、美濃駅の跡は保存施設として遺され、
この日も家族連れが何組か電車を見に来ていた。
美濃駅跡に到着して、
今回の美濃町線廃線跡をたどる徒歩旅は終了した。
無事、14時30分頃に美濃駅にたどり着けた。
新関-美濃間のラストコースが、廃線跡の転用の仕方が非常に良く、
この区間の6.3kmは、
ウォーキングの初心者向けコースとしてもお勧め出来ると思った。
美濃駅跡で電車を見て、このあとどうするか考えた。
出来れば温泉施設に行き、お湯に浸かって疲れを取りたい。
そしてその足で帰宅したい。
美濃から山県市まで直通する交通機関は、
岐阜県中濃総合庁舎前から出る岐阜バスの路線「高美線」がある。
そのバス路線の沿線に「武芸川温泉 ゆとりの湯」もある。
しかし、美濃駅跡から中濃総合庁舎前へは2kmも離れている。
中濃総合庁舎まで2km歩くことになるかなと思ったが、
美濃駅跡前のバス停時刻を見ると、
ちょうど、14時51分に中濃総合庁舎前行きの路線バスがあり、、
美濃駅跡で休憩して、バスで中濃総合庁舎前へ向かった。
そして、
中濃総合庁舎の隣のスーパー・オークワに立ち寄り、
遅めの昼食と買い物をして、
「高美線」のバスに乗って武芸川温泉ゆとりの湯へ向かった。
中濃総合庁舎前から山県市方面へ行く「高美線」は、
日中1時間半に1本程度のダイヤ。
「武芸川温泉」バス停で降り、温泉に浸かった後、
武芸川温泉ゆとりの湯まで乗った便の1つ後の便で、
今度は自宅に近いバス停まで乗って帰宅した。