原点回帰 | Backpacking wrestler ディック東郷の『東郷見聞録』

Backpacking wrestler ディック東郷の『東郷見聞録』

2011年8月1日に日本をスタート。オーストラリア、ヨーロッパ、中南米の順にプロレスをしながら世界を旅する。2012年9月9日に念願のボリビアで引退試合を行うことに成功。
2014年4月からベトナムのダナンに移住。新たな夢の実現へ向けて奔走中!

25年前、私にとって初海外がメキシコだった。そして、メキシコは単なる旅行先ではなくレスラーとしての修行の場所だった。初めて行った(住んだ)異国の地は私を大きく変えた。何もかもが新鮮で何もかもが衝撃的だった。言葉も分からないままメキシコに放られた私はルチャリブレを覚えるしか生きる道はなかった。練習嫌いだった私は嫌々ながらラガルテ道場に通い、必死にルチャリブレを勉強した。当時、UWAのプロモーターのカルロス・マイネスが急に試合を入れてくれるようになった。認められたようで嬉しかったのを覚えている。何とかメキシコで試合だけでご飯が食べられるようになった。

一年後、日本から帰国命令が出たので帰ったものの私はすっかりメキシコかぶれになっていた。同時に異国の文化に興味を持つようになり、もっといろんな国を知りたくなった。おかげで今ではすっかり立派な旅人(自由人)になってしまった。

それから幾度なく足を運んだメキシコだったがアレナメヒコで試合をする機会に恵まれなかった。

しかし、今回のメキシコ遠征ではそれが実現した。
アレナメヒコで初めて試合出来たこと、そこでソラールとシングルマッチで戦えたこと、さらに試合後におひねりが飛んだこと。最高の時間だった。


また今回の旅の裏テーマが『今のキューバを見る』だった。メキシコまで行ってキューバに寄らない理由がない。

ある日、ハバナの旧市街のバーでコカコーラを見てびっくりした。

アメリカと国交を結ぶようになってからアメリカ人の観光客が明らかに増えたし、アメリカからの航空便ももちろんある。今まではキューバ産のトゥコーラしか見たことがなかったが、今では私たちが飲んでいるコカコーラも店で普通に出てくるのだ。少しずつ変わっている。少しずつ格差が出ている。古いアメ車や旧ソ連製の車もいつかは見なくなる日が来るのだろうか。
ダイキリを飲みながらそんなことを考えた。

最終日、サプライズがあった。

あるシガーバーで敬愛するチェゲバラの息子に偶然出会うことが出来たのだ。私はガキのようにはしゃいでしまった。この時に一生の運を使い果たしたかもしれない。


メキシコに戻った私は昔、下宿させてもらったフェリスじいちゃんの家を訪ねた。道が新しくなったのもあり、迷いながらも何とかたどり着いた。なんら変わらないボロボロの家にじいちゃんは一人で住んでいた。釣り好きのじいちゃんに釣り道具をプレゼントしたらシワだらけの顔をさらにシワクチャにして喜んでくれた。今年で80歳になるがまだまだ元気だ。久しぶりに昔良く通ったタコス屋へ一緒に行って来た。話好きのじいちゃんはおかまいなしに2時間でも3時間でも話続ける。聞いてる方がヘトヘトになる。それにしても当時のことを良く覚えている。じいちゃんにはまだまだ元気でいて欲しい。


ちょうど同じ時期に新日本の田中君と小松君がメキシコに来ていたのでDOUKIやHANAOKAも呼んで一緒に練習をする日もあった。こういう敷居を取っ払って練習出来るのは海外だからだろう。

試合のない日は午前中ジムに行って、屋上で日光浴してカジノにも通った。

メキシコはやっぱりメキシコでどう転んでもメキシコでしかなかった。街でくしゃみをすればどこからともなくサルーと返ってくる。メトロに乗れば障害者の物売りがCDを売りに来る。通りには売婦が立っていて道行く男に声をかけている。公園のベンチにはシンナーを吸うオカマがいた。一歩裏路地へ入れば小便のすえた臭いが漂ってくる。建設現場では1日100ペソ(600円)に満たない賃金でほこりにまみれて働いている。メキシコも一見変わったように見える。しかし、ディープな部分は25年前に初めてメキシコに行った時となんら変わっていなかった。