去年の今頃だったと思うけど、朝日新聞のインタビューでワレサ(元)議長が久々に登場して※1かなり好意的に「トランプは面白い」みたいなことを言っていて驚いた。

 

 そのときふと思ったのは「そういやジジェクはトランプについて何と言ってるのかな」ということだった。しかしネットで調べるまでもなく彼が言うであろうことはなんとなく想像がついた。たぶん「左翼が恐れているのはトランプが真のカタストロフではないことだ」「うす甘いリベラル左翼への挑発としてあえてトランプを支持する」「トランプをテコにして左翼陣営は自らを鍛え直すべきだ」とかなんとか言うだろう、と。

 

 で、この『絶望する勇気』を読んだらほぼそのままのことが書いてあった。

 

 ちょっと考え込んでしまったのは自分はなぜジジェクの本を読まなくなっていたかということだ。九・一一テロ以降なにか事が起こるたびにジジェクの発言を逐一チェックしてたのに。

 

 ジジェクにハマりすぎて彼が何を言うか読まずともわかってしまうようになったからか。あるいは良く言われるように用例の使い回しが多くて飽きてしまったからか。ていうかジジェクの集大成と唄われた『パララックス・ヴュー』があまりにも分厚くて値段がお高かかったからか(プロレタリアートの懐事情考えろ)。

 

 たぶんそうではない(高くて買えなかったのは本当だけど)。ジジェクを読まなくなったのは世界が既にジジェク化してしまったからだ。いまアメリカや日本で起こっている国家理念崩壊の危機はジジェクが初期の作品の中で語った東欧諸国の崩壊過程そのままだ。朝起きてグーグルニュースを見るだけでジジェク的世界が繰り広げられている。

 

 そういえば今自分で「世界がジジェク化してしまった」と書いて気づいたけど、自分にとって「世界」とは日本とアメリカのことだったんだな、と。『否定的なもののもとへの滞留』などでジジェクが分析してみせたヨーロッパにおけるナショナリズムや排外主義、品のないポピュリズム政治の台頭はあくまでヨーロッパ的事象であって、要するに彼岸の火事だった。しかし今やアメリカや日本にもその波が押し寄せてきた(自己愛的ナショナリズムのグローバル化)。そして『ポストモダンの共産主義』でジジェクがいつになく口汚く罵っていたベルルスコーニのアップデート版みたいなトランプがアメリカ大統領になった。しかも母国の国境に壁を作ろうとしているトランプが北朝鮮の壁を越えてきた金正恩と握手をしたりする。また、アベ総統閣下が自国内においては強行採決を連打して議会制民主主義の形骸化を粛々と進める一方で北朝鮮の民主化にフェティッシュに魅入られているというパラドクスもジジェクの本の中で読んだような事例だ。要するにジジェクが好んで用例に使いそうな出来事がジジェクを経ずに毎日のようにニュースサイトに届けられるようになったのだ※2。ジジェクならこれを「カフェイン抜きのコーヒー」「ジジェク抜きのジジェク」と言うだろう。

 

※1 頭蓋骨の中に脳味噌の代わりにおがくずが詰まっている右翼のクリシェとは違い自分が新聞を読み始めた頃の朝日新聞の公認ご当地ヒーローはスターリンでも毛沢東でもなくソヴィエト型社会主義体制に異議を唱えたワレサ議長や鉄のカーテンを開けたゴルバチョフだった。

 

※2 これなんかも面白がりそう。

ロマンチックなマルクス登場、中国アニメが狙うは共産主義の新世代(CNN)

https://www.cnn.co.jp/showbiz/35131845.html