CAPIN(キャピン)公式活動報告

CAPIN(キャピン)公式活動報告

認定NPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク CAPIN」
公式ブログ




・犬の天が3月1日土曜日
午前2時27分に亡くなりました。
突然でした。年齢推定14歳です。
火葬は3月4日火曜日18時に自宅の庭で火葬車でしてもらう予定です。

ここからは天の思い出 いちごの今です。
非常に長いのでお時間がもしある時にでも。長文の内容を短縮しますと、鶴田さん、キャピンの皆様ありがとう。
これからもどうぞよろしくお願いします。という内容です。
最後のところに写真を添付してあります。
          MK様

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天の思い出 いちごの今

2016年1月31日日曜日の午後に東京港区麻布十番のパティオで天と出会いました。

キャピンのブースには、サニーちゃんと呼ばれていた女の子、サブちゃんと言われていた目の色が片方青い男の子と一緒に天がいました。

色んなブースを見ていて、キャピンのブースに来た私に
鶴田さんが声をかけてくださいました。

私が麻布南部坂教会の牧師館に住んでいて、敷地内には幼稚園があり、沢山の園児が遊んでいること。
そういう特殊な環境にあるので、お迎えするこは、子ども達にも驚かない、穏やかな子が向いているのではないかと思うのですがとご相談しました。

私としては、車もないので、病院に連れて行くのも抱えて行かないといけないかもしれないし、小さめの方がよいのだろうかと、なんとなく思っていました。

すぐに鶴田さんは、天を連れてきて、条件にピッタリだとおっしゃって、すすめてくださいました。
大きいかも!と一瞬思いましたが、以前飼っていた犬によく似ていて、犬といえば、こんな感じという子でした。小さめの犬をという思いは一瞬で消えていました。
即お見合いの散歩、そのままトライアルに。

その日は、我が家には何も犬をお迎えできる物を用意していなかった。まさか即日ワンコが家に来るとは思っていなかったからです。


さらには車も持っておりません。自転車で麻布十番パティオに小学1年の息子を乗せて行ったと思います。その息子も今は高校生です。
そのような状況でしたので、鶴田さんは、譲渡会が終わったあと、スタッフの方々と一緒に天を教会まで連れて来てくださいました。
クレートもご飯も、全て必要な物を貸してくださいました。

後からキャピンさんのブログを読んだら、その日は茨城のキャピンもお引越しで、とてもとても忙しい日だったみたいです。そのような中、天を運んでくださってありがとうございました。

玄関を上がった場所に、どんと(笑)鶴田さんがクレートを置きました。(クレートの中に天がいます)
室内で犬を飼うように教えてくださいました。
犬を室内で(しかも天は中型の中でも大きめの犬)飼うのは、初めての経験でした。
とても新鮮で、嬉しかったことを思い出します。
一緒に撮った天の写真を見ると、かなりひきつった表情をしています。緊張していたのでしょうね。

天は当時、フィラリア の治療で、名前は忘れましたが薬を飲んでいました。来て1か月たたないうちに、その薬で虫が死にそうになり、一気に心臓に集中する状態に陥りました。(急性フィラリア 症)ベナケバシンドローム

心臓が苦しくて血尿がたくさん出ました。病院に連れて行きましたが、東京は、フィラリア の犬があまりいないそうで、手術の出来る獣医が、殆どいないとのこと。

唯一、手術できるお医者さんを紹介されて、ペットタクシーで連れていきました。

その獣医さんがレントゲン写真のような動画を見せながら説明をされました。心臓の中でうごめくフィラリア が沢山いました。取れないほど奥の方だったかな・・。これは手術は無理なので、薬で治す方がよいが、薬が効くか天の体力が持つかの勝負になってくると言われ、元の獣医さんのところで治療をすることになりました。
鶴田さんも、病院のことで色々お世話してくださいました。心強かったです。


その後、飲み薬の治療が始まりましたが、血尿がひどく、天は、深刻な貧血になり、ものすごく良さそうな缶詰も吐いてしまう、経口栄養ドリンクも飲めません。
自力で立てませんでした。

獣医さんからは、食べられないし体力が持たないので、今日が山です。たぶん助からない、今晩死ぬと思うから、たくさん可愛がってあげてと言われたのを覚えています。
その帰り道、息子が使っていたバギーに乗せて、主人と落ち込み、泣きそうになりながら帰りました。
家のすぐ側まで来た時に、バギーから降りた天は、おしっこをしました。

ああ、また血が出て、天の貧血が進んでしまうと思いながら、天の股から出てくるオシッコを私はしゃがんだまま、頭を股に近づけて凝視していました。

出てくるオシッコは、真っ赤です。夕日がオシッコに差し込みました。明るくてよく色が見えました。真っ赤だったのに、後の方から黄色が混じってくることに気がつきました。赤と黄色の2色が同時に出ています。
この光景は忘れられません。

もしかしたら血尿が治りかけているのではないかと思いました。もし、天が食事さえ取れて、体力を維持できたら、これに勝てるのではないかと思いました。
でも食べられないものばかりでした。
ただ、天は、食べる気持ちの強い子でした。(それが天の命のみなもとで、最期までそうでした)
冷蔵庫を開けるたびに、目が人の動きを追っているのです。
何かないかなと思っているんだと気がつきました。
食べられるものはないかと、ネットで検索し続けて、ある方のブログを見つけました。そこには、ペットの犬が、亡くなる時まで、食べられたのはササミだったと書いてありました。
とっさに、冷蔵庫に入れてあった、鶴田さんが天を連れて来てくださった時にご飯と一緒に持ってきてくださった、おやつの、ささみの細切りを思い出しました。
取り出して、天にあげてみたら、嬉しそうに首をあげて食べました。
もっとちょうだいと食べました。
吐きませんでした。 

ささみのおやつが無くなり、隣にある、ほとんど普段は使えない高級スーパーに閉店前に走って行って、生のささみを買って、茹でて割いて与えました。すごく喜んで食べました。本当に嬉しかったです。
家族で飛び上がって喜びました。
死ぬと言われたその夜を、超えることが出来ました。

その日から毎日、隣のスーパーに、ささみを買いに行きました。
血尿は少しずつ、赤が薄くなり、濃いオレンジに、そして黄色になりました。
奇跡だと思いました。

一命を取り留めた天は、このあと死んだフィラリア が肺につまり、酷い咳を続けるようになりました。
一日中咳をし、咳き込み過ぎて吐くのです。

天の後ろを、トイレットペーパーを持って歩く日が始まりました。病院で抗生剤をもらって飲んでいました。レントゲンで死んだフィラリア が肺に溜まっているのを見ました。

聞いていてつらい咳でしたが、
ある日突然、ものすごい咳こみで何か、かたまりを吐きました。
白い糸のようなものです。吐き出したあと咳がピタっと止まりました。
ソーメンのようなものです。

こんなもの食べていないし、食べ物なら消化されてズタズタになっていてもおかしくないのに、形が保たれていました。

もしかしてフィラリア を出したのだろうかと思い、病院へ電話しました。フィラリア を吐きだすなんて、聞いたことないから、そんなことはないと思うが、吐いたものをもって連れて来てくださいとのこと。
先生が吐いたものを、ピンセットで伸ばしていくと、長い長い白いものが、数本あらわになりました。フィラリア だと先生も驚いていました。

肺を破って気管支から出たのだろうとのこと。
ネットで検索したら、(たまにあるみたいです)
たまたま咳のために抗生剤を飲んでいたので、何も処置しなくても大丈夫だろうとのこと。
本来なら、痛い手術を心臓部にしないと取り出せないものが、吐いて口から出た。

私はクリスチャンです。血尿から始まった一連の出来事から天の父なる神様の奇跡を見ているようでした。
たまたま(ten、10番、10番目に保護された)という名前をキャピンからもらい、天と名付けてもらった。その名前を呼ぶたびに、天を見るたびに、鮮やかな神の御業(みわざ)を思い出します。

その後フィラリア は完治、陰転しました。


あれから10年近く、天は走ることはしませんでした。犬らしい活発な動きをしませんでした。はじめから、おじいちゃんみたいでした。たぶん心臓に負担をかけたくなかったのかもしれません。
穏やかに、優しく、幼稚園児、近くの子どもたちや、他の動物に接してくれました。


後にキャピンから来た、いちご(15番目に保護)も、来た日から受け入れて、自分のクレートも譲ってしまいました。

トライアルが怖くて、天のクレートにいちごが飛び込んだのです。天はその日からクレートの横で寝ていました。ごくごくたまに一緒に入っていたりすることも。
いちごは、天に頼りきりでした。信頼しきっていました。

天は、頑固な一面もありました。
同じ食事が続くと、じっと目を見て違うものを。と要求します。ボイコット、食べないのです。
いちごは、そんなことは一度もありません。
食と同様、散歩にもこだわりがありました。

元気だったときは、行きたい方向に、ぐんぐん連れて行き、1時はゆうに越す、長い長い散歩をしました。時々立ち止まって動かず、風の匂いを嗅ぎ、エンコをして行きたい方向をゆずりません。引っ張っても動かないのですからちょっと飼い主には、厳しい散歩の時もありました。

けれども、人に出会うと、会う人会う人に可愛いがられ、撫で撫でされ、もっと撫でてと要求し、なんて可愛いいの!と更に撫でられ、綺麗な瞳!(グレーがかった薄い青い瞳のオッドアイ)と褒められました。

天は人の心をほぐすのでしょうか。実家に連れて行ったときのことです。
近所のおじさんは、昔からシャイなのでしょう、なかなか挨拶もしない、むっつりした人です。天の横を通る時、私は見てしまいました。おじさんが、天にわかるように下の方で手を振っているのです。えっと‼️思いました。何ごともなかったようにおじさんは通り過ぎていきました。
皆に愛された犬生でした。

いちごも天も、常総で犬の群れの中で育ったのでしょうか。犬に必要なコミュニケーションが完璧だと思いました。一度も喧嘩などのトラブルはなく、どの犬の対しても特に天は人に対してもフレンドリーで、両犬とも優しく接してくれるので、散歩で心配したことが全くありません。ありがたいことでした。

家でも、天の撫でての要求は、今となっては、嬉しいほどありました。もっともっと撫でてと、ぐいぐい押して来て手が痛くなるほど。最後には足を使って撫でないと身がもたないほどでした。

天は、飼い主の足を踏んでくる子でした。これはわざとですね、とわかるほど踏んできました。
人の足の上に天の爪がぐいっと入って、家族全員時々、痛い!と思わず言ってしまうほど。
色んなコミュニケーションの種類を持っていたし、増やしていきました。


ここ1か月ほど、認知症かなと思える症状が出はじめました。
今思えば、もしかしたら脳梗塞みたいなものだったのかもしれません。
病院では、天の年齢では認知症は早いとのこと。
でも、徘徊したり、頭を部屋の隅っこにつけて動かなかったり、名前を呼んでも、瞬膜が出た虚な目であなた誰?みたいな顔をしたり、食事、飲水をしなくなったりする日がありました。

検査結果は特に問題なく、命に関わる臓器には問題はないとのこと。少し白血球が多いので、どこか炎症があるかもしれないが、とのことでした。
その時は下痢をして治療した後でした。まだ軟便が続いていたころかと思います。

夫が転勤のため、引越しの準備がありました。
家具を捨てるために出る大きな音や、ダンボールの匂いも充満したと思います。
いちごは、若さもあるし、クレートにいつも入っていたためか、平気でしたが、天にはストレスがかかってしまったのかもしれません。
病院で、引越しのストレスが原因かもしれないと言われました。

注射をしてもらい帰宅しました。


強いストレスをかけたとしたら申し訳ないと思っています。

引越し後は、今までより、快適な空間で過ごせていたと思います。日向ぼっこも毎日出来て、温かい部屋で、静かに気持ちよさそうに窓辺のお日様の元で寝ていました。
散歩も草の上を歩ける場所が増えてゆっくりと過ごせました。症状も行きつ戻りつでしたが、改善してきて、名前を呼んだら来るし、ご飯も完食するし、早くちょうだいと鳴くことも出来て、散歩では小走りも出来るようになり、ずっと軟便だったのが快便になり本当によかったと思っていました

おやすみと元気に眠りについた翌日、(亡くなる日の朝ですが、)おはようと声をかけたら、表情がうつろで、片方の目は瞬膜が出ていました。病院に連れて行ったときの状態ににていました。
また戻ってしまったかと思いました。
その日の朝は大好きな鶏スープも興味を示さず飲まなかったのですが、朝夕の散歩をし、夕方には、鶏スープもお肉もおかわり出来るようになったので、また良くなる期待が持てました。
ふらふらしていて歩いていないと倒れそうになっていました。

虚な目や表情から、もしかしたら、脳の機能の問題かも知れないと思い、紹介された病院に翌日診てもらおうと思って準備をしていました。

最近は、このような症状が出た時は、暗くて静かなクレートの中で休めるようにしていました。
天も自らクレートに入るようになっていました
(いちごは、天にクレートを譲ってねというと、戸惑いながら出て来て、クレートの横で眠るようになりました)
天の状態が良くなってくると、いちごはクレートに入り天が外に寝ていたりしました。巨大なクレートなので、2匹で寝させる時もありました。


亡くなる日もそのようにクレートで休ませようとしていました。くるくると中で動いていましたが、丸くなって寝ていたのを確認したと思っていました。

けれども夜の8時ごろ突然、苦しみ始め、息が上がっています。
クレートから出したら七転八倒するように暴れるような動きが止まりません。身体を抱きかかえました。ハアハアと息をして、足をバタバタさせて、抱くのが難しいほどでした。
その発作のような状態は10分ほどでした。
その後、おさまり、首が伸びて大きなイビキをかくよなうな感じで眠ったのかな思いました。気を失ったのだとおもいます。

そのまま、目覚めることなく、チェーンストーク呼吸になり、夜中2時過ぎに家族に見守られて静かに召されました。

最後の日まで散歩をし、大好きな鶏スープを飲み、鶏肉も食べたので、あの発作さえ無ければ
また少しずつ良くなると期待していました。

死を受け止めてはいるものの、悲しみは思った以上です。

あの発作は、心臓発作だったのだろうかと今は思っています。

今時点では、出来ることは、全てしたと思っているのですが。天の存在は、自分が思っていた以上に、とても大きかったです。
天を失ったときに、はじめて気づきました。

天は、私の先生のような存在でした。色々なことを天を通して教えてもらいました。
そういうわけで、私は天先生と呼んでいました。

いつもの穏やかな日常が、突然終わることを、天を通して教えてもらいました。
昨日まで、私たちに甘えてくれて、愛してくれていたのに、突然認知症のようになって、私たちのことがわからなくなってしまった時、そこに生きているのに、忘れられた悲しみは、どれほど辛いのかを身をもって知りました。

同じように、まだ生きてくれると思っていたのに、突然終わることも。
今という時がどんなに大切かを教えてくれました。


毎日、一日中一緒に10年近く家の中で過ごしましたから、何を見ても天の姿が重なります。

過去に、もし、天がいつか召されるとしたら、残された、いちごは、どうなるだろうかと思っていました。
いちごは、貨車のように、天が動けばいちごも動く。天に頼り切っているいちごはどうなるかと心配していました。

引越し先では、いちごが弱っている天のかわりになっていたようです。
散歩も、びびりやさんのいちごのはずが、尻尾を立てて、前に出て積極的に新しい道を探検しようとしていました。天と一緒に行動しながらも。天に、ちょっかいや、遊びを仕掛けながらも。

亡くなるその日も、いちごは、天にちょっかいを出していました。
そんなわけで、まだ天は大丈夫なのではないかと思っていました。

いちごは、天が逝ってしまって、一人になって、天の亡き骸の匂いを何度も嗅いでいました。天が動かないので、私が呼んだらついて来るようになりました。

天は昔から家の階段の上り下りが苦手で、自らはしないので、いちごもクレートにこもりがちでした。
本当は自由自在に階段の上り下りが出来るのです。
天亡き後は、人の後をついて1階2階を行き来するようになっています。
いちごの寝顔は天とそっくりなので、そこに天が生きているようです。
天の使っていたハーネスをいちごがつけて、1匹の散歩ではありますが、天を連れて歩いているつもりです。
いちごは、他犬にも今まで同様に積極的です。
いちごは、もう8歳なのに、気持ちは若いままです。
今までは天が撫でてと積極的でしたので、貨車のいちごは、遠慮がちに後ろに控えていました。

ですから、まだ甘え方も実践していないのでわからないのではないかと思います。

天は、呼んだらもちろんのこと、積極的に寄ってきてくれる癒し犬でしたが、いちごは違います。犬には積極的な明るい面白い子ですが。
これからは、いちごの個性を大切に、今まで以上に大切にしていきたいと思っています。

4日に天の火葬をする予定です。家の庭で、火葬車が来てくれて火葬する予定です。

天の代わりは見つかりませんし、これからも、それはないのだろうと思います。(今までも犬や猫や鳥を飼って、たくさん見送ってきたのにも関わらず、死は毎回辛いですね)

とにかく、あまり泣くと、(ペットを亡くすと泣き過ぎて)急性中耳炎になり痛いのです。泣きすぎに気をつけてと言われるほどです。
泣くのはやめようと努めていても、どんどん涙が出て来ます。
困ったものです。
これではいちごも戸惑いますし、天も困るとわかっているのに。

鶴田さん、キャピンの皆様、天といちごの出会いを、くださってありがとうございます。
これからも、何らかの関わりをずっとキャピンさんと持っていたいと思っています。

天を通して、キャピンさんと関わりを持て、保護活動の実態をしりました。これからは、天が喜ぶ何かが出来たらと思っています。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。
長々と申し訳ありませんでした。













天ちゃん、忘れたことはないよ。10年前にお届けした夜。


常総野犬を、まさか東京のどまんなか、麻布の教会に暮らすご一家に託せるなんて。


神のご加護かと思いました。

お名前も、天ちゃん。


これからも、M牧師ご一家の皆様、お父様お母様の胸のうちに、ムギュと抱きしめられている天ちゃんだね。



10番目の常総野犬だった天ちゃん。


麻布十番ロンリーペットさんの里親譲渡会に参加させていただき、ご縁をもらったのでした。主宰の星野様に感謝します。2011年以来ずっと里親探しをサポートくださるロンリーペットさんです。



常総市は2015年10月に殺処分ゼロを達成。


この常総野犬保護活動から、常総市民を中心にしたJOSOWANZEROが誕生し、常総市には、市が運営する全国初の野犬保護シェルターが建設されました。

建物建設、土地地代、光熱費、ゴミ処理は行政が負担しています。


こおりさん、安藤さん、コペンファミリー様、皆様で常総市の犬猫たちを守ってくださっています。

朝晩のお世話、お疲れ様でございます。


常総は希望ですチュー



雪柳





















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by鶴田真子美(おかめ)