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「昭和40年男」がエロ雑誌扱いされている、のに嬉しいのはなぜ?

発売から1週間が過ぎた「昭和40年男」6月号ですが、多少ばらつきがありながらもおおむね順調な売れ行きのようで、携わった一人として密かに喜んでいる次第です。

そんな中で、本屋に立ち寄るたびに「昭和40年男」の並び位置、減り具合を思わずチェックしてしまっているのですが、きょうはちょっと虚を突かれた置かれ方を目にしました。

場所は神田神保町の書泉グランデ。ご存じ、日本一の書店街で三省堂と並ぶ大型書店です。まずこの店で目に入ったのは、1階の男性総合誌の売り場に平積みにされていた「昭和40年男」。かなり分かりやすい位置に、そこそこ減ったと思われるあんばいで置かれておりました。ありがたいことではありますが、ここまではまあ、普通によくある状態。

で、そのあとマンガやサブカル系書籍が置かれている地下1階へ。なんそのフロアの、エロ雑誌売り場の一角に「昭和40年男」があったのです。しかも最前列に。一瞬、誰かが一度買おうとしてやめてそこにおいていったのかとも思いましたが、近づいてみると5冊ほどまとめておいてあり、これは間違いなく店の人の意図による陳列と考えられます。つまりこの店のこのフロアの責任者が、「この雑誌はここにあるべき」と判断したわけですね。おお、ついに「昭和40年男」も18禁か、石原規制適応か。まあ昭和40年生まれ限定と唱っていますから、あながち間違いではないのですが(実際には誰でも買えますからね)。

なんで?とお思いの方は、まだ買ってませんね。そう、この店の人の判断は間違ってないのです。この6月号の中には4ページにわたって「昭和40年男のエロ」について語るページが掲載されているのです。もちろん、書いたのは私。

え?おまえがエロの話なんか書けるのか?って?いや自分でもこんなはずじゃなかったんです、当初は。ところが「エロ未満エッチ以上」的な視点のページを作ろうと編集会議で話しているうちに、何となくの成り行きで私が書くハメになったのでした。その着想は、「アンヌ隊員はエロい」という話から。

ウルトラセブンのヒロイン・アンヌ隊員をエロいと見るか、これは微妙な問題です。彼女は劇中で特に脱いだりしません。でも、オッパイはでかいし、ちょっと甘ったれた感じのハスキーボイスで「ダ~ン」と男を呼ぶ声はセクシーであるのは確か。彼女が宇宙人に襲われるシーンなどは幼少の私たちでさえも心穏やかならざる思いで見たはずなのです。これはもう十分「エロ」の範疇に入ると言っていいのではないか。

こんな話から始まって、思春期一歩手前の頃の我々のエロ環境について、駄文を書き連ねたのがエロのページだったわけです。書き上げた直後、これでいいのか?という思いはよぎりました。でも、エロの感覚なんて100人100エロ。読者の100分の1が理解してくれさえすればいい、そう開き直ることにしたのです。

ところが、ふたを開けて見たところ「このページ最高でした」という意外な反応を何人かから頂いたのです。嬉しいことではありますが、自分としては半信半疑。そんな中で出くわしたのが書泉グランデのエロ本売り場だったのです。プロの目が「これはエロい」と判断してくれた、執筆者冥利ですな。

そんなわけで、現在発売中の「昭和40年男」、買ったけどまだそこは読んでないという方、是非目をお通しになって感想をお寄せくださいませ。そしてまだ買ってないという方、浅草ROX4階のリブロには山積みになっていますので、是非手にとって読んでみてくださいな。
タンデムスタイル増刊 昭和40年男 Vol.7 2011年 06月号 [雑誌]/著者不明

¥680
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昭和40年男 最新号発売中 買ってね

私のメインの仕事であります、雑誌「昭和40年男」の最新6月号が、このほど発売されました。なんと今号から、めでたく季刊から隔月刊へと昇格いたしました。これも熱い読者諸氏のおかげと感謝しているところです。発売サイクルが短縮されたことで、多忙、は問題ないまでもネタの供給に一層励まねばと改めて気を引き締めている次第です。

で、最新号ですが、隔月化スタートということで、改めてこの雑誌のメインターゲットである昭和40年生まれの男を改めて解析しておこうと考えまして、「Who are we?」つまり我々とは何ものぞ、と題して、7つの側面から解き明かしていこうという特集を組みました。

その7つの側面とは「テレビっ子」「マンガ」「ヒーロー」「プラモデル」「オカルト」「プロ野球」そして「エロ」。40年男以外の世代(特に下)の人々には「なぜ?」の7つと思われるでしょうが、同世代を知っている人なら「はは~ん」と共感してもらえると確信しています。

我々は情報のほとんどをいまに鎮座する四角いブラウン管から享受し、床屋で順番を待ちながら少年ジャンプや少年チャンピオンを読みふけり、仮面ライダーやルパン三世にあこがれ、戦車やスーパーカーのプラモを組み立て、ユリゲラーの超能力や木曜スペシャルのUFO番組をまともに信じ、空き地で野球をしたりたまには本物の野球場へ出かけてみたり、そして夜10時のテレビで一瞬のオッパイ映像に興奮してすごしてきた。これがまさに昭和40年前後に生まれた我々ならではの生活習慣だった。それを誌面に反映したのが今回の特集というわけです。

まあ、正直、ちょっとネタを出し過ぎた感なきにしもあらずで、次号からどうしようという戸惑いも多少あるのですが、それくらい濃い内容を詰め込んだつもりです。ですから世代ドンぴしゃの方々はもちろんですが、昭和40年~50年代のカルチャーに興味がある方なら必読の一冊と断じてはばかりません。

そしてもう一つの特集は、「昭和52年を振り返る」。これまで本誌では、「夢あふれたオレたちの時代」と題して、我々が歩んできた年代のある特定の1年を深く見つめ直すシリーズを続けてきておりまして、今回は小学6年生だった昭和52年、1977年を取り上げております。

昭和52年といえば、マンガ「サーキットの狼」に端を発したスーパーカーブームが我々少年たちを席巻し、一方女子たちはピンク・レディーにあこがれて学校の教室で歌やふり真似を競い合っていました。「宇宙戦艦ヤマト」のブームは映画化という形で頂点に達し、テレビマンガが“アニメーション”へと出世した年とも言えます。そんな記憶に鮮明なブームの数々をたどっています。

そしてこの年、忘れてはならないのがキャンディーズの解散宣言です。7月17日、テレビカメラが回る日比谷野外音楽堂のステージで、彼女たちが突然発した「普通の女の子に戻りたい」という発言は本当に衝撃でした。これにまつわる周辺の反応から翌53年4月のファイナルカーニバルにかけての伝説の経緯を、今回改めた書かせて頂きました。そして、ご存じの通り、私はこの原稿執筆の真っ只中でしたが、スーちゃん、田中好子さんの訃報が飛び込んできました。今回の本誌を読まれた方の中には、「スーちゃんの訃報に便乗した特集じゃないか?」思われる方もあるかも知れませんが、決してそうではなく先にこの企画があって、進行中にたまたま悲報に接してしまった事実を敢えて記しておきます。一方でこのような折に、私も好きでたまらなかったキャンディーズのお話を書かせて頂けたことに、感謝したいと思っております。

さらに、今回の号では子供の頃のあこがれだった「ウルトラセブン」のモロボシ・ダンこと、俳優の森次晃嗣さんへのインタビューも書かせて頂きました。いま68歳という森次さんですが、格好良さは当時のまま。震災が起きたとき「おれが変身できたなら今すぐ飛んでいって津波を止めてやりたかった」とおっしゃって頂いた言葉に、涙が出てきました。

これらのほかにも、プラモデルやオカルトのページも読み応え充分。決して読者の期待を裏切りら内容だと確信しています。一部品切れの書店もあるようですが、もしご希望であればこのブログの表紙のサムネイルをポチッと押して、アマゾンから購入して頂ければと思います(タイトルがストレートだけに店頭で手にするのは恥ずかしいという声もあるようですからね。ネット購入なら安心です)。

パニック映画はぜんぜん不謹慎じゃないんだからね!

大震災からあっという間に1週間が経ちました。あっという間、というよりも「え?あれって経った1週間前のことだったの?」という感覚の方も多いでしょう。この間に起きた出来事は、様々な意味で我々戦後生まれの日本人にとって初体験の連続でした。いや、です。まだ非常事態は続いていますし、まだこの先想像もしなかったことが起こる可能性が高いというべきでしょう。

そんな中にあって、私のような創造の世界を相手に仕事をするものにとって、やっかいな問題が顕在化しつつあります。それは「リアルすぎる表現に対する抑制感」とでも言うべきものです。

例えば、「ウルトラマン」など特撮番組やパニック映画で頻繁に登場する“度を超した”大津波や天変地異のシーン。家屋の数倍はある大津波が、怪獣の上陸や遊星の接近とともに襲ってくるというあれです。ちょうど震災の翌日、録りだめていたビデオの中から「ウルトラマンエース」のある回を見ていたら、まさにそういうシーンが出てきました。もし私が直接の被災者だったら、どんな反応になったか、想像したくもありません。

でも、そういうシーンは作った当時、「さすがにこれほどの津波はあり得ないだろう」という認識の元にコンテなどを描いたのだろうと、私は想像します。小松左京の傑作「日本沈没」にしても、恐怖感をうまく演出していたとはいえ「さすがに日本が沈みわけはない」という現実の安心感があるから、娯楽として味わえたのだと思います。

ところが1週間前、あり得ないレベル以上のことが本当に起きてしまった。まるで神様が円谷特撮をぱくったかのように。

実は大地震から2日後、通常放送を再開したローカルテレビ局で放映されたアニメ「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからね」で、エロ狂いの童貞どもが大波にさらわれるというシーンがありました。それに気付いた版権サイドはその直後、他の局で予定されていた放送とネットへの動画配信を差し止めこの回は事実上お蔵入り扱いになったそうです(後日DVDに収録されるかは不明)。

そのアニメの描写そのもには確かにダイレクトで、間が悪いという感は否めません。しかし、それが被災者の気持ちを逆なでするつもりで作った画でないことは明らかです。何しろアニメを制作したのは地震の前なわけですから。ですから、すぐに放映するのは流す側も見る側も決していい気持ちにはならないでしょう(初回分を放送した局はどう思っていたかは気になりますが)が、いつまでも放送しちゃダメ、というのは決して好ましい判断とは言えないのだと私は思います。これを指摘しだしたら、パニック映画なんか金輪際作れません。


折しも地震が発生した3月11日に発売となった「昭和40年男」最新号では、私が聞き手となった特撮界の第一人者・樋口真嗣監督のインタビューを掲載しているのですが、彼は堂々と“破壊”が好きであることを語ってくれました。数年前、樋口監督の初監督作品「ローレライ」のコンテを担当した樋口氏の同志・庵野秀明さんが潜水艦による魚雷攻撃のコンテを描いたときの話をしていて「(コンテを描くときは)この爆発の向こう側で確実に何人か死んでいることを意識して描いている」と言うことをいっておりました。樋口監督もその庵野氏の信念を信頼して、画を作っていたことでしょう。つまり、彼らはただ闇雲に画の中で人を殺したり文明を破壊しているのではない。二次元世界であれ創作の世界であれ、画の中に人物たちの魂を据えてそれに対して精魂込めて、阿鼻叫喚の画を描いている。つまり、“破壊”の画作りに彼らは命をかけているのです。一見おふざけに見えるアニメの大波のシーンだって、描いてる当人たちは、真面目な気持ちで「見ている人たちに大笑いしてもらいたい」と考えているはずなのです。

そんな作り手の気持ちを察すれば、“不謹慎”の3文字とこれらの作品とは無縁であることが理解できるはずです。

だから、今後特撮映画を見るときにも、津波のシーンがでてきたからといって「これまずいんじゃね?」という風には決して思わないで頂きたい。作品全体を引き立てるため誠心誠意に描いた絵であることを少しでも思い起こして欲しい。ましてや、当の作り手たちだって、今回の大津波の映像は脳裏に焼き付けているはずなんです。それを覚えているからこそ今後描かれるであろう津波の映像には、深い意味があると認識して頂きたい。

いま、作品を見る側に求められるのは、そんな映像に対する柔軟な理解なのです。

タンデムスタイル増刊 昭和40年男 Vol.6 2011年 04月号 [雑誌]/著者不明

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ローレライ [DVD]/役所広司,妻夫木聡,柳葉敏郎

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お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! 5(数量限定生産版) [Blu-ray]/豊永利行,喜多村英梨,井上麻里奈

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今すべきは、より多くの情報に触れること

久しぶりのブログ更新です。

大震災に伴う原発事故をめぐり、不安と情報とデマが交錯しています。テレビ局やネットの情報も、発信側自体が混乱を来している状況が浮き彫りになっています。電力会社の会見場で怒号を浴びせる記者たちの心理も、その当たりの不安に起因しているのだと思われます。実際、この変事に平常心を保つことが私も含めて厳しくなっています。

それでも何とか気持ちを安定させるために、最も有効な手段は「より多くの情報に接してじっくり見据えること」だと、私は考えます。

まず、「1つの情報だけで信じ切る」ことを捨ててください。それがたとえ政府発表であれ、海外メディアの論調であれ、大学教授の見解であれ、NHKのアナウンサーの声であってもです。もちろん私のツィートも含めてです。

でもこれらが「すべてウソをついている」というのではありません。それぞれの立場の人間が、身を削って集めてきた情報や知識であり、発信者自身は今苦しんでいる人々を一刻でも早く救うべく務めているはずです。問題になっているチェーンメールを流す人間にもあるいはそうした一縷の善意があるかも知れません。

そうした発信情報を、被災地の外にいる私たちは複数接することができる状況にあります。テレビもあればネットもある。同じネットでもTwitterのタイムラインには様々な立場からの発信を並べてみることができる。新聞でも複数紙並べれば、それぞれ論調やニュアンスが違う。同じ政府のコメントでも大臣によって微妙に言い回しは違う。それは同じ内閣以前に違う人間だからです。

つまり何が言いたいかというと、とにかく複数の情報を手に入れること。それらを並べれば、何が正確な情報なのか、何が安心させてくれる情報なのかがかなりの精度で見てくるのです。もちろんそれは多数決で決められるものではなく、各個の情報がいかに理路整然と、しっかりした裏付けの上で語られるかが決め手となるのですが、そういう情報の内部構造も複数の情報に接することによって、自ずと見えてきます。

もちろん、精度を上げるには一定の経験も求められますが、それはそれほどハードルの高いものではありません。スーパーのチラシを2枚眺めてどちらで買うかを決める程度の感覚で大丈夫です。

震災があってもなくても、情報発信の形態は大きな変動期にあります。マスの情報が信頼を失い、ソーシャルの情報に評価が移りつつある。でも、ソーシャルの情報はまさに玉石混淆。そんな情報があふれる時代だからこそ、より多くの情報に触れて、自らの「目」の精度を養うこと。この危機的状況だからからこそ、お互いに身につけていきましょう。

海賊戦隊ゴーカイジャーへの期待

海賊戦隊ゴーカイジャーへの期待
スーパー戦隊シリーズ最新作「海賊戦隊ゴーカイジャー」がきょう2月13日からスタートした。今作は35作目というキリのいい数字を記念して、1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」から先週で終わった「天装戦隊ゴセイジャー」までの34戦隊すべてを本編で登場させるという、文字通り豪快な設定が話題となっている。

その前ふりの通り、番組冒頭は34戦隊の戦士という戦士総勢180数人、それぞれの初期レギュラーメンバーのみならず、ゴセイナイトやジャッカー電撃隊のビッグワンなど追加戦士も全部加わって、敵の大軍団との壮大なバトルで幕を開けた。数年前の「仮面ライダーディケイド」でも似通った設定の始まりはあったが、平均5人ずついるスーパー戦隊の大集合はライダーのそれとは一ケタ違うボリューム感。なんでも、日本中のアトラクションイベントに出ているスーツアクターに声をかけて集まってもらったのだとか。というのも、各戦隊には決まった独特な名乗りのポーズがあり、アルバイトを安易にかき集めて頭数を合わせるというわけにはいかないわけだ。

ただ、そんな夢のようなシーンが流れたのはわずか2分弱。何とも贅沢というかもったいないというか。まあ、5月にこのシチュエーションのままの映画も予定しているそうで、そのついでに撮ったと考えれば合点もいく(どちらがついでかは深く追求しない)。

その、“レジェンド大戦”と銘打たれた壮大バトルから数年がたち、ふたたび敵の大帝国が地球に狙いを定めてやってくる。そこへ通りかかったのが深紅の宇宙海賊船。「宇宙最大のお宝」があるといううわさを聞きつけてやってきた海賊船の彼らこそ、海賊戦隊ゴーカイジャーだった!というのが物語の導入部だ。

ゴーカイジャーの5人には、圧巻の裏技がある。戦隊戦士の人形をかたどった「レンジャーキー」を使うと、過去のスーパー戦隊の姿に早変わりし、各戦隊の必殺技を繰り出すことが出来るのだ。今回はいきなり、昔懐かしいゴレンジャーに早変わりし、アメリカンフットボールを彷彿とさせる必殺技・ゴレンジャーハリケーンを繰り出してくれた。さらに侍戦隊シンケンジャー、魔法戦隊マジレンジャーへと次々に早変わり。これには主要視聴者である子供のみならず、各戦隊に必ずや思い入れのあるお父さん、お母さんの心をも鷲づかみしたはずだ。

ただ、ゴーカイイエローが女性であるためキレンジャーの胸が膨らんでいたり、ブルーが男なのでマジブルーも野郎だったりと、文字通り“海賊版”臭が漂っていたりもする。何となくこのあたりに、この先の物語のヒントがありそうだ。ついでに言うと、来週の予告では5人全員が過去のレッドに変身していたシーンが写っていた。


このように、世代を超えた共感、その合間に挟む“遊び”を立て続けに繰り出せるのも、35作・36年(ゴレンジャーのみ放送期間が1年半)の歴史の蓄積ゆえだ。その意味で、ゴーカイジャーはずっと歴史を見つめてきた私のような世代の人間にはたまらないご褒美と言える。

ただ、その設定故にいささか引っかかる点もある。この、究極のオールスター企画を1年間もやってしまうのは、はたしていいものなのかと。禁断の果実ではないのかと。とりわけ、今戦隊シリーズを見だした子供たちにとって。

われわれが子供の頃夢中になっていたウルトラシリーズ、なかんずく「ウルトラマンエース」以降、ウルトラ兄弟が勢揃いする回は盆と正月が一緒に来たようなスペシャルイベントだった。「仮面ライダー」でも、1号、2号のダブルライダーがそろい踏みの回はクリスマス並みのインパクトがあった。でもそれは、たまにあるからこそ貴重なのでありスペシャルだったのではないだろうか。

聞いた話では、ダブルライダーのヒットに味を占めた東映の制作者が「次は5人のライダーでいこう」と思い立ったのが「秘密戦隊ゴレンジャー」の誕生に繋がったという。だが、変身ヒーローが2人であれ5人であれ、それが毎週続くならそこに希少性は存在しない。その意味で、もう少し出し惜しみをしてもいいのではないかとも思う。

また、何年か前に登場したヒーローの再生産が繰り返されるとなる番組となると、いまの主役たちの物語そのものは子供たちの記憶の中に残るのか、という危惧もある。将来、「おれが子供の頃最初に見たヒーローは」と始めた言葉のあとに「昔のヒーローたちに囲まれていたよ」というのだけでは寂しくはないか。

「2011年の戦隊はこうだった」と語れる部分がきちんと残るのか。それはとりもなおさず、これからの物語の構成にかかっているだろう。幸い、第1話を見る限り、メンバー5人はどれも近年になくクセのある雰囲気を漂わせている。なにより、「地球を守る義理はない」というアウトローの極みは絶妙だ。

お祭りに水を差す言い方をするつもりはない。言いたいのは、せっかく幅広い視聴層を集めそうなお祭りコンテンツだからこそ、そので踊る“いま生まれた”主人公たちの活躍が最もゴーカイに輝いて欲しいということだ。それがあることで、さらに36番目の戦隊、70番目の戦隊への道が開けていくと、私は信じている。

電子書籍2年は来るのか

「○○元年」という言い回しは不思議だ。

なぜなら、「○○2年」という言葉をつゆぞ聞いたことがないからだ。

「平成元年」「昭和元年」のように、改元とは古来、為政者の意図的行為によって行われてきた。その理由は、明治以降では天皇の代替わりに限ることが法で定められているが、そのまた昔は飢饉や天災が続いたときの気分転換(もうちょっと厳かなレベルだが)や、何か吉事があったときに改まったこともある。また、革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)という干支の回りで必ず改元するといった習わしもあった。

いずれにせよ、為政者の能動的判断によって「○○元年」が設定されたことがこうした歴史から分かる。

しかるに、昨年、2010年は「電子書籍元年」という言葉が方々で踊っていた。海の向こうでAmazon Kindleが大当たりし、日本でもiPadの発売に触発されて、シャープのガラパゴス、ソニーのリーダーなど、いくつかの汎用機、専用機が世に出てきた。で、これらをして仕掛け人たちは「いよいよ電子書籍の時代が来た」と宣言した。

だが、歴史が物語るように「○○元年」という設定は極めて意図的に行われている。電子書籍においてもそうと考えるのが妥当だろう。だが同時に、「意図的」という言葉の裏を読むと「無理矢理」という言葉が浮かんで来るというもの。つまり、「○○」な時代をもたらさんがための「○○」の仕掛け人が「無理矢理」元年を設定していると言えるのである。

では、「○○元年」はなぜ、「2年目」を迎えないことがほとんどなのか。

この世には無数の流行が時代を通り過ぎてきた。その中には一過性の流行に終わらず、われわれの生活の中になじみ、慣例化していったものも少なくない。いや、むしろそうした流行の慣例化の積み重ねが、現代のわれわれの生活習慣といっても良い。しかしそれらをいちいち「元年」と称したりしなかった。それは、誰かが仕組んだものもあったかも知れないが、ほとんどの人はその仕掛けに気づくことなく、ほぼ自然な形で生活の中に取り込んでいったからだと考えるべきだろう。

それでは、この2011年、「電子書籍2年」は無事やってくるのだろうか。そのカギを握るのは電子書籍を売る側の“呼吸”にかかっているといえるだろう。

とりあえず昨年は、ハードにせよコンテンツにせよ、電子書籍に関わる様々な形がわれわれの目の前に登場してきた。これは確かに元年とも言えるだろうし、自然な流行を呼び起こす前提ともなり得るだろう。その上で今度は、欲しい本がどこに行けば買えるのか、コンビニへ週刊誌を買いに行く感覚で欲しい雑誌が手に入るのか、出版する側は端末の分け隔てなくコンテンツを供給できるのか、などなど「元年」以前の紙の読書慣行からすんなり電子の読書慣行へ移れる流れを整備する段階へ入る必要がある。おそらくこうした流れが目に見えて始まり、あまねくユーザーに受け入れられた時点で、晴れて「電子書籍2年」は大団円を迎え3年目へ移行することができるのだろう。

あるいは、「書籍」という言葉を指すとき、わざわざ「電子の」「紙の」と分ける死期気が消えたとき、「電子書籍時代」は生活習慣へと昇華されていくのであろう。


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【昭和41年男のラテ欄(3)】第二次怪獣ブームがやってきた

 私が本格的にテレビ番組にとりつかれるようになったのは、やはり幼稚園に上がった昭和46年~47年頃だ。ある意味、この昭和40年代後半こそが、日本のテレビ界が最も熱かった時期と言えるかもしれない。見る側も送り手側も熱かった。そして何より日本の世の中全体が熱かった。その中心で暖炉のように赤々と燃えていたのがテレビだったのだと思う。

 その暖炉の炎をさらに引火したのが、第二次怪獣ブームと変身ヒーローブームだ。先鞭となったのは「宇宙猿人ゴリ」という特撮番組。当時5歳だった私には、この番組の第1回を見た記憶が鮮明に残っている。ある惑星から追放された猿人姿の狂気の科学者が部下一人を連れて地球侵略を企むというストーリーで、これに立ち向かうのが正義のヒーロー・スペクトルマン。いきなり侵略者側が主題となっている番組との遭遇は、ほかに例を見ないインパクトだ。40年たっても記憶から消えないのも道理だ。さすがにこれではバツが悪かったのか、それともスポンサーからの横やりか、のちに番組タイトルはヒーローを前面に打ち出した「スペクトルマン」へと改題されてしまったのだが。(のちに再放送では終始「スペクトルマン」のタイトルで通していた。)

 「宇宙猿人ゴリ」が際立っていた点はもう一つ、登場する怪獣のモチーフがどれも公害に起因していたことだ。

 昭和40年代半ばともなると、行け行けどんどんだった戦後の高度経済成長が一段落する一方で、その過程で置き去りになってた問題が一気に浮かび上がってきていた。その筆頭が公害問題だった。昭和30年代に水俣病の存在が明るみに出て以来、日本各地の工業地帯を中心に発生する様々な奇病の実態が連日のように報道されていた。私が住んでいた埼玉県浦和市は工業地帯ではないが、車から出る排気ガスなどが原因による光化学スモッグは問題となっていた。ひどいときになると外で遊んでいたりすると目がヒリヒリしてくるのだ。役所の広報が飛ばしたセスナ機が「光化学スモッグ警報が発令されました」と知らせて飛び回る光景は、夏場の風物詩だった。

 そんな、小さい子供でさえも身近になっていた公害問題を怪獣へと具現化した「宇宙猿人ゴリ」の狙いは、社会的意味においても恐怖感の観点からも見事と言えた。まず出てきた怪獣はへドロン。その名の通りヘドロの怪獣だ。私はこの怪獣のおかげで「ヘドロ」という単語を知った。ほかにもドブネズミをモチーフにしたネズバートン人間とゴミが融合してしまったダストマンなど、とにかく「宇宙猿人ゴリ」に出てくる怪獣は汚い連中ばかりだったという印象だ。その汚さが、公害に対する嫌悪感を私たち子供にダイレクトに伝える役目を立派に果たしていたといえるだろう。

 そんな狙いが見事にあたって「宇宙猿人ゴリ」もとい「スペクトルマン」は人気番組となり、しばらくテレビ界から遠ざかっていた怪獣たちの眠りを覚ますことになる。それが「帰ってきたウルトラマン」の開始だった。

 「帰マン」は「宇宙猿人ゴリ」のような公害問題を意識した描写は特になかったと記憶しているが、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」よりも身近で現実に則した演出が取り込まれていた点が、同時期の作品として共通している。まず、ウルトラマンに変身する郷秀樹のプライベートが前面に描かれていたこと。それ以前の科学特捜隊もウルトラ警備隊も、隊員のオフというものはないに等しかった。これに対して郷秀樹の場合、元々はレーサー志望で、防衛隊であるMATに入隊してからも元の職場だった坂田モータースの面々とも親しく、一人娘・坂田アキとは周囲公認の恋人同士だった。これは昭和40年代初頭のSFブームが下火になったあとで、ホームドラマや青春ドラマがもてはやされるようになった新たな時代に、「ウルトラ」を溶け込ませるために仕組んだ試みの結果といえよう。

 ただ、そんなドラマ性の違いを子供だった私が、当時知るよしもなかった。でも、避難命令が生々しく出される様子が出てくるなど、怪獣が東京を襲う恐怖感はよりリアルに描かれており、それ以前の怪獣ものとは違う質感を幼心に覚えたのは確かだった。

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【昭和41年男のラテ欄(2)】再放送で知っている、セブンとサンダーバード

 いまの民放キー局ではすっかり消え失せてしまったが、かつては再放送枠というのが各テレビ局にはあった。古い年代の作品なのに今なお語り継がれているものの多くは、この再放送枠によって育てられたといっても過言ではない。「宇宙戦艦ヤマト」や「ルパン三世」などはその典型だ。昭和41年生まれの私個人の印象では、この最初期のケースは「ウルトラセブン」、「サンダーバード」そして「仮面の忍者赤影」だ。

 反面、これより古いものとなると大半がモノクロ作品のため、昭和46年頃を境に再放送の機会ががくんと減る。このため昭和30年代の「月光仮面」や「忍者部隊月光」といったヒーローものや昭和40年に本放送された「オバケのQ太郎」などはほとんど見たことがない。なので、これらの作品の善し悪しを語る機会さえ失っているのはきわめて残念だ。

 それはそれとして、まだ私たちが物心が付く前に本放送された「セブン」「サンダーバード」「赤影」。いずれもカラー作品であるだけでなく、ストーリー、演出、インパクト、音楽、どれをとっても群を抜いていたのが手伝って再三再四放送され、私たちの世代の脳裏にいやが上にも刷り込まれていった。

 中でも「ウルトラセブン」は、今なお新作が生まれているウルトラシリーズ45年の中でもナンバーワンの人気作だ。その理由の一つは、古さを感じさせない世界観にある。「怪獣退治の専門家」が「ウルトラマン」なら、「宇宙人・侵略者対策の専門家」と呼ぶべき「ウルトラセブン」はSF描写が全シリーズ中最も強調されている。その分シリアス感が増し、引き締まったストーリーが形成されていった。米ソ冷戦やベトナム戦争など当時の現実を映したメッセージ性のこもった回も散見され、金城哲夫が脚本を手がけた「ノンマルトの使者」などはその頂点と言えた。その半面、本放送での視聴率は「マン」と比較するとかなり下がったようだが。それでも後年、「マン」よりも「セブン」の方が再放送の頻度が多かったのは、内容の濃さに対する高評価の現れといえるだろう。

 これは当時「セブン」の監督だったある方から最近聞いた話だが、当時のウルトラシリーズのスタッフたちは、番組がのちのち語り継がれても色あせないよう、様々な工夫を凝らせていたそうだ。劇中の年代は敢えて明確に語らない、貨幣価値なども多く描写しないなどなど。昨今は作品の重箱の隅を突いて、年代の整合性について議論する風潮がマニア・オタクの間にあるが、それらの行為自体作り手側の意に反しているとも言えるのだ。むしろ作品の鮮度を当初から念頭に置いていた制作者たちの先見の明に敬意を表するべきなのであろう(もちろんあれこれ妄想するのは自由だし、そういうことを語る余地を与えるほど質の高い作品だとも言える)。

 一方、「サンダーバード」というと、話の内容と並行して、プラモデルなどおもちゃをやたらと買った思い出がよみがえる。とりわけサンダーバード2号、4号、ジェットモグラタンクは何機手に入れたことか。私事でいうと、4歳上の兄と、10歳ほど離れた従兄弟の影響もあり、親類内で競って1号から5号、ペネロープ専用のロールスロイス、さらには国際救助隊の秘密基地の島まで、あらゆるモデルを買いそろえたものだ。

 リアルで本放送を見ていなくても知っているテレビ番組の知識は、このような兄弟やいとこなど身近な身内の存在も大きく影響しているといえるだろう。いまの20代以下の若い世代では生まれるちょっと前のものごとを全く知らないというケースに出くわしてびっくりするのだが、少子化の影響でそうした生まれるちょっと前のことを教えてくれる存在がいなくなってしまっているからなのだろうか。
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【昭和41年男のラテ欄(1)】ぼやけた記憶の中のアポロ

突然ですが、本日より新たなエッセイシリーズを始めます。題して「昭和41年男のラテ欄」。あわよくば商用展開ができればと目論んでおります。ご意見ご感想などありましたらよろしくお願いします。


 わたしたちがいつからテレビを見ていたかと聞かれても、そうはっきり言えるものではない。それは昨日の夜何時から眠りについたかを問われるのと同じくらい難しくあいまいだ。

 そんな中で、私のかすかな記憶が残っている一つが、昭和44年(1969年)のアポロ11号の月面着陸だ。昭和41年生まれの私はこの時点で3歳になるちょっと前。一般的に残っている幼児期の記憶の限界というと、だいたいこんなものだろう。

アームストロング宇宙飛行士が乗った月着陸船が月面に降り立ったのは日本時間7月21日早朝6時頃(もちろん後年調べた記録だが)。父親に無理矢理起こされて、ぼんやりした瞳の中にぼんやりした月面の映像が映しだれた感覚をかろうじて覚えている。気がする。

 このように、その瞬間こそ覚えてこそいるものの、残念ながらアポロが月まで行き着く経緯や、冷戦を背景にした米ソ間の宇宙開発競争などは当然のことながら知るよしもない。当然、その映像がどれほどすごいものなのかも、親にたたき起こされた理由もわかるはずもなかった。

 ただ言えるのは、親にたたき起こされたという些細な記憶が残ったおかげで、人類の意だな歴史とリンクすることが出来た、自分の中の歴史に刻まれたことに、今となってはかろうじて喜びを覚えるのである。

 当然だが、アポロの業績のすごさを私が知ったのは、それからずっとあとのこと。小学4年生の頃だっただろうか。アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が放映され、映画「スター・ウォーズ」が話題になり(アメリカでの公開から2年も待たなければならず、“話題”ばかりが先行していた)、ちょっとしたSFブームが起こった最中のことだ。

 フィクションの宇宙ものの映像作品が特撮、アニメを含め次々と作られる中で、実際の人類はまだ月にいくくらいがやっと。無人探査機バイキングやボイジャーが火星や土星に到達したニュースもあったが、現実とフィクションとのとてつもないギャップに滑稽さすら感じたものだ。

 だが、曲がりなりにも人類がほかの天体に行けるようになった時代に生まれた自分、宇宙を現実視する目を持つことができた自分、そしてそれをもたらしてくれたテレビの時代。それらを思い越せるだけでも、戦後を引きずっていた昭和30年代までとは違う空気の元で生きてきた世代であると言えるのではないだろうか。

 だいたいそれ以前の宇宙と言えば、「ウルトラマン」などによくあった「ヒュー、ポッ、ポッ、ポッ」という独特な音がする世界と、半分まじめに信じていたのだから。


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特撮の魂が詰まっています 「昭和40年男」第5号発売




12月11日(土)に「昭和40年男」第5号がめでたく発売されました。まだ手にしてない方も目にしてない方も、お昼休みや会社の帰りにでも本屋に立ち寄ってめくってやってくださいませ。

で、私も前号に続いて特撮関連を中心に計17ページほど書かせて頂いたのですが、中でも読んでいただきたいのが「ウルトラマン45周年」特集の桜井浩子さんのインタビューと、そのすぐあとのページの仮面ライダー2号・一文字隼人役の佐々木剛さんへのインタビューです。むかしウルトラマンやセブンを見ていた、ライダーの変身ポーズはよくまねた、そんな身に覚えがある方なら絶対共感を覚えてもらえる内容と自負しております。

この日本を代表する二大ヒーローにまつわる記事の共通点は、ズバリ“魂”です。ただしその内容は極めて対照的でもあります。

まずは桜井さんのインタビューから。前号が出たときにもこのブログで紹介しましたが(思えばあれがきっかけで実現したインタビューなんですねえ)、桜井さんと言えば「ウルトラQ」の江戸川由利子、「ウルトラマン」のフジアキコ隊員でおなじみの、いわゆる初代ウルトラ・ヒロインであります。いまや黎明期のウルトラを知る人が次々と光の国へ旅立ってしまったなかで、当時の状況を知る貴重な生き証人でもあり、彼女が発する言葉からはウルトラの現場の熱がそのまま伝わってきました。

そのインタビューの中で桜井さんが強調していたのが「ウルトラの魂を大事にして欲しい」という言葉。ほとんどすべてのウルトラ怪獣には必ずその存在理由があることを忘れないで欲しいということなんですね。角の本数やしっぽの長さ一つとっても、何故そうなっているかという理由がある。それは怪獣図鑑の解説記事に反映されていると言うだけではなく、当時怪獣を作り出したデザイナーの成田亨氏や造形の高山良策氏、特技監督の高野宏一氏らが企画会議の席で真剣になって、時には子供のように大げんかしてまで作り上げた結晶の一つ一つであった。そのことをこれから先も、ウルトラという文化が継承される限り伝えていって欲しいという話。古典の強さの秘密を知った思いでした。

一方、一文字隼人こと佐々木剛さんの話。ご存じのファンもおられるかも知れませんが、ライダーを演じたあとの佐々木さんは、不慮の火事に見舞われて大やけどを負い、一時期、地獄のような生活を送られていました。私も話には聞いていましたが、直に本人の口から語られるそれは正直、ショックでした。あのぼくらのヒーローだった人が、ホームレスになり焼きいもの屋台を引いていたなんて。そして佐々木さんは言っていました。

「自分を殺してしまったこともある。ライダーだった男がいも屋やってちゃいけないからね」

その詳しい経緯は記事を読んでいただくとして、それでも実際に死ななかった、死ねなかったのはなぜ?それは役者としての“魂”が死ななかったからと、彼の言葉から伝わってきました。


いずれにしても今回の取材、執筆ほど、学ぶことが多かったものはありません。そして改めて特撮ファンを続けてきてよかったなとも。そんな思いを誌面から発信できればなと。

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