REPORT - 0412│折門八坂地区 三ツ沢集落 - 後編 | 行ってみたら凄かった。アーカイブ

REPORT - 0412│折門八坂地区 三ツ沢集落 - 後編

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山梨県│八坂集落


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 三ツ沢集落(八坂集落、旧八坂集落)


・富士山の麓の孤立した集落
35.505446,138.588215


こんなレスを見た事はないだろうか。


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前回こんな(くだり)で開始した富士山麓の八坂集落レポート、ネット上で騒がれ、実際に見に行けば違う場所へ…そんな摩訶不思議な集落の真相に迫ろうと仕事を放り出して現地に向った。

そしてとうとう見つけました、正式名称「三ツ沢」集落への入口を…。


が。


なんとも後味悪い「後半へー、つづくー」のナレーション、日曜日の18時16分付近を思い出す。


本日は前回眼前に現れた三ツ沢集落への舗装林道へ入り、集落入口まで来た所で閉幕と成った前編の続き。今回でこの噂の集落の全て?がお解かり頂けるでしょう、多分。それでは前編最後尾辺りのコピペから開始します、コッチが先の方はまず直下のリンクから迂回して起こし下さい。


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前編最後尾から


ここにて急に「三ツ沢」の文字が増えて来た、の名前や電信柱に書かれた住所など本丸に近づいて来た事を実感する。しかし一体何処まで車で行く事が出来るのか…。


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国土地図で言えばこの先に旧八坂集落へ向う舗装林道が在る筈…なんだけど…。


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あったけど…あれ?普通じゃね?


なんか普通の道路じゃね?


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いや、実は確信が在るのだ。この道で間違いない、前振りで散々地図に道が無い!とか県が八坂の事を教えてくれない(後に協力してくれました)とかラッパ吹いたけど…実はね。


今回の取材は行政さんが全面的に協力してくれているのです。


今回協力して頂いたのは山梨県身延町教育委員会/生涯学習課/文化財担当/主任の坂口さん地元の方、それと今回の取材にとってはなくてはならない人物。その人物に行き先を先導されながらずっと気に成っていた旧八坂「三ツ沢」へ向う。そう、この時点で実は三ッ沢集落の住人(後に詳細を交えてご紹介します)と合流して集落に向っているのだ。


まあその詳細は後程、まずはレポートを続けようか。


と、言うか何故皆さんこの道に入らず真っ直ぐ天空菜園へ?


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集落入口


文献や資料は正しかった、旧八坂集落へは車で来る事が出来た。意外とアッサリ来ちゃったもんだから感動が若干少ない…が、実感は出来る。


ここがアノ航空写真で異彩を放っていた旧八坂集落「三ツ沢」なんだと。


ふと路地脇を見ると古い道祖神が、歴史の在る場所なんだと実感してきた。


ここに来て少々ネタをドロっと流すと「旧八坂」って言い方も正しくない、この辺は折門八坂地区、略して折八地区として地元の方には当然の様に知られている。ウェブ地図を製作する過程で折門八坂と記載すべき所を折門集落が無人化してしまった事を受けてどうやら「八坂」だけを名称として記載した様なのだ、そしてこれまた偶然にも広い折八地区の「三ツ沢集落」の真上に広域名称として「八坂」の文字が載ってしまった事でこの場所を「三ツ沢」ではなく「八坂」と勘違いする者が沢山出て来たと言う訳。


これでではなくて現在も折八地区で在る事は理解して頂けたと思うし名称の勘違いで「三ツ沢」ではなくて「八坂村」の天空菜園へ向う人(※1)が沢山現れた事への回答としたい。


※1 2014年現在でもこの場所に関して地名を混同している方が多いらしく、意外と問い合わせが在ります


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生活感有るでしょ、そう…この山深い三ツ沢集落現役の山岳集落なのです。生活しているのは若干2名と言う超限界集落では在りますが現役の在住村で廃村では無いのでした。


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村内はこんな感じだ。


一番下の写真、2人の人物が写っているのだけど左が三ツ沢地区区長さんである今福さん右側は折八地区管理をされている方。で、先の今福さんが今回のなくてはならない人物でなんとのこの三ッ沢を開村した先祖直系子孫さんなのです。


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ここでやっとこネタ明かし


実は県に問い合わせた後に身延町へ直接問い合わせた所、懇切丁寧にこの地区の事を教えて頂きました、担当されたのは先ほども紹介した山梨県身延町教育委員会坂口さん


その後資料もウチ事務所へ送って頂き、しかも取材当日は史跡資料まで拝見させてくれる様に手配してくれるとの事。しかしコレで終わりではない、この地区に関する歴史を語る上で欠かせない方をご紹介頂いた。

今回全面的に取材協力して頂いた仏様の様な人物、先ほどから多少引っ張った感は否めないけどそれ程この「三ッ沢」と言う集落に重要な人なのだ。今までもちょいちょい出て来た「なくてはならない人物」とお伝えしてきた人、もうお解かりだろう。


今福さん、その人だ。


この方は現在三ツ沢集落に住む現役村人でしかもこの集落のご先祖さんの直系。色々とお話を聞かせてくれるばかりか周辺の町指定文化財や資料を見せてくれるとの事…


うひょー、テンションがって来た。


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ココまでをまとめようか。


・まず八坂と呼ばれる集落の本当の名前は「三ツ沢集落」だった
・三ツ沢集落は廃村では無く限界集落(季節限定)ながら現役の村
・道路は普通に在る
・住んでる方は開村の直系子孫
・山梨県身延町教育委員会の坂口さんは良い人


今福さんには後程登場してもらうとして集落内をもう少し紹介しよう、実は今でも謎が多く残る地なんですよココ。


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この地の正式名称は「折門八坂地区三ツ沢」、3つの沢が重なり合う地形からそう名付けられた。人々が集まりだしたのは平安時代とも言われ(※2)、富士山麓の山岳集落では最古の集落の一つだと言われている。


集落としての最盛期は製炭産業だったけどこの集落の歴史を紐解くとちょっと面白い産業が基盤に在った事が解る。


それではその歴史を紐解く為に、この三ツ沢集落の端に有る神社を訪問する事にしよう。


※2 開村の起源は諸説あり、現在ではその真相を確認する術が全くありませんでした

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八坂金山神社


地図上では国土地図にしか描かれておらず、航空写真などでも確認は出来ない山間部の急斜面に建造された古い神社。現在は昭和に入ってから立て替えられた小屋の中に奉り物奉納品伝承されてきた木の彫刻像が納められている。


※ 通常は閲覧不可、これらを見る為には地元教育委員会の許可が必要です。


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この場所が知られる様に成ってから勝手に入ろうとする方が居る様です、この場所は手前から進入禁止と成っており、また設置されている社には施錠されています。


観光地でもありません、一般の来訪者へは未公開です。


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同行者は先ほどもご紹介した今福さんと折八地区の管理をされている方、それとウチの撮影班2人を合わせて合計5人。この鳥居から急な登り(そして前日までの雨でマディ)道をひたすら歩く。

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やっとこ見えて来た、あの青い小屋の中にこの三ツ沢に関する貴重な資料が納められている筈だ。しかし…ちょっと急過ぎるでしょ、この立地。


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到着。


それでは見せて頂きましょうか、例のブツとやらを。

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まず再度確認しようか、この場所について。


航空写真が発端と成って廃村と勘違いされ、その余りに山深い立地から憶測が色々と飛んでしまった限界集落「三ツ沢」。グーグルマップやヤフーマップの誤表記(三ツ沢集落の場所に八坂と表記)されてしまった事からこの三ツ沢を八坂と勘違いしてしまう者が続出。


たまたま現八坂集落が「天空菜園」として機能している事からこちらが航空写真の八坂と思い込んでしまう者も出て来た、そして見付からない「八坂」…。


そりゃそうだ、この場所は八坂じゃなくて「三ツ沢」だもの、道路標識が在ったって聞いた事も無い地名ならスルーしてしまうに違いない。また中途半端に道路が地図に描かれてない物だからこの地を目指した方々はさぞ混乱した事だろう。


さてこの三ツ沢、元を辿ると八坂とは一つの系譜を持った一つの家族集落だった。本家が三ツ沢で分家が八坂、その名残でこの2つの集落には「今福」姓が多い。


その本家と成る三ツ沢の今福姓は歴史を遡ると1500年代中程までに及ぶ。


集落自体は平安時代に形成された様だ、西暦3桁代に形成と成るとこの付近一体の集落では最古参と成る。平安時代は1192年までなのはご存知の通りだがその平家没落後辺りから一端この集落の歴史は途切れる(集落は存続しているが歴史的資料がこの期間存在しない)、次に資料から推測される時代は少々時代が移り変わった1573年(天亀3年)の頃だ。


1573年三方ヶ原の戦い武田信玄は徳川家康に快勝するのだけどその中には小さな小競り合いも多く在った。詳細な資料が残されていないのだけどこの三ツ沢の地へ逃げ延びた人々が居た(三方ヶ原の戦いとしては大勝した戦いも付近の緒戦では敗戦も在った筈、そうして小さな戦場から逃げ延びた人々が居たと言う言い伝えが在る)。記録として残るのは1573年にこの地へ逃げ延びて生活していたと言う事だ、現住の三ツ沢民逃げ延びた武士が一緒に成ってから三ツ沢の歴史史跡に残る様に成る。


当時まだ八坂の集落は小さく、そこで開墾して集落を大きくしたのが現在の今福姓の始まりとされている。逃げ延びた人々は三ツ沢に残ったり新たに八坂の土地拡大の開墾に勤しんだりと様々だったろう、そして多様な生活形態において八坂から三ツ沢に戻る者も出て来てその子孫が現在三ツ沢で生活されている今福さんだろうと考えられている。


なので八坂、三ツ沢全ての今福姓が同じ系譜では無いにしろその基本と成る人々の素性は同じようだと結論付けられる。またその証拠にこの地域では武田菱家紋が残されていて武田筋の人間がこの地にやって来た事は間違いない、そうやって少々複雑な経緯で三ツ沢は小さな集落から村として機能し始め、人口も少しづつ増加していった。


この時三ツ沢では現住の人々は製炭、移住の人々は刀鍛冶と言うそれぞれの産業をこの地で行なっており、この刀鍛冶の貴重な歴史的資料が今でも八坂金山神社に奉納されている。


写真は去年腕の修復を終えたばかりの木の彫刻でこの地での刀鍛冶が彫ったと言われる彫刻像達だ、年代鑑定もされたが詳細は不明だった様だがとても古い物だと言われている。


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年式鑑定は通常木の素材や経年調査、彫り方や彫り跡(製鉄技術の違いによって深さや鋭さなどが年代によって相違する)などで解明していく。の、だけど…僻地での歴史民俗学上の資料では往々にそのフォーマットが適用されない事例も幾つかある。それは僻地ゆえに製鉄技術の遅延、交流が頻繁で無い為の独自の技法などが用いられるからだ。


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専門の大学調査機関が過去に鑑定してもこの彫刻の年代は判明しなかったのだけど、それを抜きにしてもこの地での歴史を語る上でとても貴重な資料で在る事は間違いない。(非公開

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普段は入る事が出来ない場所だ、当然とシャッターを切る回数も増えてしまう。

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折八地区の管理をされている方が詳しくこの奉納品の品々を説明してくれた、神祭用具がなかなか面白くて色々と聞いてしまう。と、言うのも通常紙の部分鉄製なのだ。


こんな幣は僕自身初めて見た。


「すこし休憩しましょうか、家でジックリこの地の事をお話します」


今福さんに促されてこの集落唯一の現役居住のお宅へお邪魔する。


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今福さんのお宅で山菜とお茶をご馳走に成りながらお話を伺う、最後尾で総括してまとめよう。


奥さんにも大変お世話に成った、本当にご馳走様でした。今年の夏に「潰れるまで呑みましょう」ともう一度伺う約束まで、三ツ沢の真夜中の風景にも興味が出て来た。


星が綺麗なんだろうなぁ…。


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今福さんのお宅でお話を伺っていると「天空菜園」に1979年町指定文化財指定された「八坂金山神社諸商売役免許木札」が保存されていると聞かされた、「見ますか?」の問いに「是非に」と。


早速車に乗り込み、天空菜園へ。


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天空菜園の入口、何故かココが「八坂(本来は三ツ沢)」と勘違いされている。机上調査でも、


「結局”八坂”って廃村なの?」の問いに対して、
「山奥で宿やってるだけで廃村じゃない」の答え。


うーん、微妙にズレている。

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地図を見てほしい。


八坂と誤表記された三ツ沢集落から車で15分、更に山を登ると天空菜園「八坂村」が在る事が解る。まあココが「八坂」で合ってはいる、本来ココが八坂村な訳なのだから間違いではないのだけどネット上で騒がれた八坂は誤表記で本来の名称は三ツ沢だ。


コレの所為でややこしく成ってくる。


三ツ沢に関しては既に詳しく説明したのだけどこの天空菜園、実は希望者によって宿の用意もしてくれる。上記のネット上でのやりとり、勘違いして名称と場所が入り乱れてはいるものの天空菜園八坂村宿をやっている事は確かな事実だ。


しかしこの集落も常駐ではなくて季節限定の限界集落、三ツ沢同様廃村ではなくて人が今でも住んでいる(※3)事を付け加えよう。


※3 住む事が出来る住宅が残っているが2014年現在はほぼ不在で廃村に近い状態です

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さてお目当てのお宝「八坂金山神社諸商売役免許木札」を拝見するとしましょうか…と待っていると今福さんから、


「金庫が開かない」
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この木札は大きな業務用金庫の中に保管されている、勿論持ち出しも一般閲覧もしてない完全非公開貴重な資料だ。保管は怒デカイ金庫で二重の小屋の鍵+金庫の鍵と厳重だ、小屋はすんなり開いたのに…何故…。


何回やっても開かない…


「8月の樹海アタックの時に再訪しますし、その時にもう一度見せて下さい」


そう伝え、今回は「八坂金山神社諸商売役免許木札」にお逢いする事適わず。だども、ここまで三ツ沢、八坂と一緒に歴史を辿る同行者として協力して頂いた事に感謝感謝で御座います。


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最後に今福家のお墓にお邪魔させて頂きました、八坂の道祖神も並んでお出迎え。手を合わせ、今回無事に取材を終えた事を感謝の気持ちでお祈り。


こうして謎に包まれ、色々と噂されていた「八坂」の取材が終了した。協力頂いた教育委員会の坂口さん、地元の方や区域管理者の方、そして何より開村直系子孫の今福さん夫妻に大変お世話になった旅でした。

本当に有難う御座いました。


では最後にもう一度ザックリまとめましょうか。


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三ツ沢集落


まず八坂ですがネット上で騒がれた場所は八坂ではなくて「三ツ沢」です、八坂は天空菜園が有る八坂村がその場所でグーグルマップなどのウェブマップは誤表記と成ります。


歴史は古く、開村は平安時代後期。その後武田側(三方ヶ原の戦い以降の戦)の逃げ延びた人々と合流し製炭と刀鍛冶の産業を山中で行なう歴史がスタートします。元々の住民は製炭、合流住民は刀鍛冶と分担しての生業ですが時代が進むにつれて混ざり合っていった様です。現在この集落は廃村ではなく、冬季は甲府の別宅で生活して春~秋はこの三ツ沢でご夫婦2人で生活されている限界集落。


※ 年代などは記事内参照


集落無いには幾つかの畑が整っていて野菜などを作っています。


この三ツ沢へは車でのアクセスが可能、しかし山中の小さな集落です。訪問の際は事前の連絡(各々お調べ下さい)や教育委員会への許可申請などを経て山岳部における地域民族学に触れて下さい。


今回ご紹介した資料や彫刻などは基本非公開と成っています、此方の公開希望についても身延町教育委員会にお問い合わせ下さい。


現地調査を終えてみれば実に簡単な答え、記載地名の勘違いによって辿り着く事が無かった限界集落。それが八坂改め「三ツ沢」集落の正体でした。


しかしその三ツ沢にはとても親切で親身に過去を語る住民の方や富士山麓で最古の部類に数えられる集落としての歴史、そして未だ解明されていない残された史跡資料の数々が僕らを出迎えてくれました。


そして幾つか気に成った点も在りました。


近隣集落との関係(実はこのレポートを書いている時点で調査済み)、それぞれの姓と新たな居住者との生活、最盛期から廃村に到った周囲の集落の経緯など…そしてこの三ツ沢に続く幾つかの廃道(旧生活+産業道路)の存在。


解明したい事は沢山残ってしまった。


2011年8月、僕は別途計画を立てている「青木ヶ原樹海アタック」時にこの三ツ沢へ訪問する事を既に決定している。その時までに更なる机上調査を進めて現地訪問に挑みたい、地域民俗学とトレッキングが一度に楽しめるチャンスと言う訳だ。


しかも滅多に撮影出来ない「生活光が無い山中での夜間山間部の風景写真撮影」付きとくればもう。これは広角だけど通しでF2.8とかマジすげぇなレンズを購入するしかあるまい。


これにて当ブログ最長と成った三ツ沢集落レポートは終了です、現地取材の1ヶ月以上前から三ツ沢集落との繋ぎ役をして頂いた行政と地元の方々には再度お礼申し上げます。やはりモニター越しよりも現地での見聞が確実で面白い事だと気付かせてくれる良い物件でした。


協力


・山梨県
・山梨県身延町教育委員会 生涯学習課 文化財担当 主任 坂口様
・折八地区管理担当様
・三ツ沢地区区長 今福様
・天空菜園 八坂村


再度追記します、この場所自体は通常の村ですので出入は自由ですが基本過疎集落の場合は都市部の様に好き勝手出来る場所では在りません。この集落全体が現在の集落の住人の方の努力で運営されており、予期せぬ来客にも対応出来ない状態です。


また集落入口からは完全な個人敷地内の私道と成っており、車両の乗り入れも出来ません。神社への侵入や文化財の閲覧も基本的には未公開と成っており、現地での許可も出来ない為対応出来ないそうです。行政と管理者の許可を得てからと成りますが非公開文化財ですので閲覧も研究している大学関係者や広報関係者に限られる様です。


三ッ沢集落の今福さんをはじめ、周辺集落の人達は静かに暮らしています。その辺をどうか留意頂いた上で各々ご考慮下さいませ、今後新たな問題が起きないとも言い切れません。よって追加調査の内容の掲載は見送る事に致しました(今まで非公開の情報を多く含むので)、何卒ご了承下さい。


今福さん自体はとても親切で訪問者も歓迎しているのですがほんの僅かな不届者が出没する事によって不慮の事態が起きるのを懸念されております、追記は以上と成ります。


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アプローチ
エントリー内を参照下さい。


地図リンク

http://goo.gl/maps/inZ8A


撮影者:nee


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