一昨日(7/15)夕方に、つぎの著に言及した。
 松竹伸幸・レーニン最後の模索-社会主義と市場経済(大月書店、2009)。
 見慣れない人物名だったので、推測もしたが、間違っていた点があった。
 松竹には、以下の本もある。
 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)。
 そして、この書での松竹伸幸の「肩書」は、日本共産党中央委員会政策委員会外交部長。この時点で、「外交政策」の党内部での責任者のようで、専従の立派な幹部職員だ。
 もちろん、党員だとの推測は誤っていない。
 但し、松竹伸幸は現在、かもがわ書房(京都市)の編集長だと分かった。党の専従幹部職員ではなくなっている。党籍があるかどうかは不明。
 しかし、この出版社の名前からして「左翼」系だとは分かる。
 ともあれ、党籍があるかどうかとは関係がなく(共産党専従職員に年齢による定年制のようなものがあるかどうかは知らない)、レーニンが「市場経済を通じて社会主義へ」という途を示したなどと書いている者は不破哲三ら幹部しかいないので、いずれにせよ、日本共産党員またはほとんどそれに近いことは明白だ。
 何しろ、ロシア革命・レーニンを擁護しているとみられる溪内謙(ロシア史)や藤田勇(社会主義法)といった学者・研究者ですら、レーニンによる「市場経済を通じて社会主義へ」の明確化などとは書いていない。
 溪内謙・上からの革命-スターリン主義の源流(岩波書店、2004)。
 藤田勇編・権威的秩序と国家(東京大学出版会、1987)。
 そうした中で、レーニンのもの以外の細かい文献を示すことなく、基本的に日本共産党の中央、つまり不破哲三や志位和夫と同じ趣旨の本を出す「気概」・「根性」があるのだから、形式的な組織帰属の有無は実質的には関係がないだろう。但し、不破哲三らが書いていないことも書くという「自由」は一定範囲内でもっているようだ。
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 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)。
 この本が最初の方で述べていることには、疑問がある。
 この書物は1961年以降の日本共産党の基本方針を大賛美しているが(党員で、それを明らかにした本を書くのだから当然だろう)、その「民主主義革命」先行論の理解は、かなり怪しい。幹部職員でもこの程度かと思わせるところがある。以下、これに触れる。
 「民主連合政府」による大企業に対する「民主的規制」という2004年党綱領の立場に立つ。p.12。「民主」、「民主的」、「民主主義」がいっぱい出てくるので、独特の用語法に慣れないと日本共産党関係文献は読めない。
 さて、この著が言うには、1960年代初めに党が「社会主義をかかげるのではなく民主主義革命を打ち出した」という「先駆性、勇気」に「驚きを禁じ得ない」。p.22。
 こんなことを書かれて、「驚きを禁じ得ない」。
 なるほど、つい最近にフランスやイタリアの共産党に言及したのだったが、それらは「ユーロ・コミュニズム」とか称して議会制度重視ではあったものの、すでにブルジョア革命=市民革命は終わっているとして、つぎの「革命」は社会主義革命だと考えていただろうことを容易に推定できる。輝かしい「フランス革命」はとっくに18世紀後半に完了していたのだ。
 これらに対して、日本共産党は先ずは「民主主義革命」を選択するという「先駆性、勇気」があったと、松竹は書く。
 バカではないか。
 1961年綱領を作り上げるまでの宮本顕治や不破哲三が<偉かった>のではない。
 もともと日本共産党の歴史観は<講座派マルクス主義>と言われたもので、明治維新を<絶対主義天皇制国家>への画期と捉えていたから、ブルジョア革命=市民革命=「民主主義革命」はまだ完遂されていないのだ。
 労農派マルクス主義の立場にたてば、つぎの目標は「社会主義革命」なのかもしれない。
 しかし、日本共産党の発生史的・歴史的沿革からして、先ずは民主主義>革命という路線を選択せざるを得ない。これは1960年頃の日本共産党の幹部たちの判断を超えたものだ(宮本顕治の獄中~年を完全無視しないかぎりは)。
 杉原泰雄(一橋大学・憲法)のように戦後改革を<外見的市民革命>と理解すれば、つぎの革命は<社会主義的>なそれになるだろう。
 しかし、日本共産党は、そのような性格づけを戦後改革についてしていない。
 戦前・戦中にコミンテルン等から送られた<テーゼ>類には触れない。そして私の推論で書くのだが、コミンテルンとその支部・日本共産党は日本天皇制をロシア・ツァーリ体制と類似のものと見て、ロシアでの二月・十月の「革命」のようなものを日本で連続させることを意図していた。
 もともと二月・十月というのは間隔が短かすぎて、その間に<下部構造>がいったいどれだけ変質したのか?と素朴には思うが、ロシアでの<成功>体験からして、日本でも、A・パルヴゥス→L・トロツキーの「永続革命論」と同じではなくとも、<天皇制打倒>と<私有財産否定>の民主主義的変革と社会主義的変革とを連続して一気に遂行しようというのが、日本共産党の根本戦略だったのではないかと推論している(いずれきちんと資料を読みたい)。
 そうではなくとも(<一気に>ではなくとも)、明治維新が<ブルジョア(市民・民主主義)革命>でないかぎりは、そしてマルクスの社会発展史観に教条的に従えば、つぎは「民主主義革命」にならざるを得ない。
 1961年綱領が<先ずは民主主義>の旨を書いているのは、それだけのことだ。
 これに「先駆性、勇気」を見出すというのは、よほど宮本顕治・不破哲三を<崇拝>するものだろう。
 とはいえ、これは2004年の著。その後にほんの少しは変化したのかについては、松竹伸幸の著をもっと読む必要がある。