2022/01/22 - 2022/01/22
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kojikojiさん
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天橋立を午後0時40分に出発してバスは京都府を離れて兵庫県の出石に向かいます。日本海側に出ても天気は曇のままでしたが、雪も雨も降らなくて幸いです。県境の山を越えるときにこの日2回目の鹿を見ることが出来ました。昨年の夏に道東を10日間旅して目を鍛えた甲斐がありました。午後2時前に出石川に沿ってしばらく走ると出石城下の古い町並みが見えてきました。妻は以前に鳥取県の仕事をしていて山陰には何度か来ていたようで、出石には来たがっていました。出石と言えば皿蕎麦と焼き物くらいしか頭に浮かびませんでしたが、自由時間が1時間しかないのでそれだけで十分だったかもしれません。駐車場でバスを降りて人の流れを見て出石家老屋敷まで来ると、もらった地図で現在位置が把握でき、辰鼓楼から古い町並みを散歩します。蕎麦屋と出石焼の窯元は事前に場所をチェックして地図を出力してきたのは正解でした。午後2時過ぎということも幸いして、土曜日というのに蕎麦屋さんにお客の姿は少なく、目当てにしていた「正覚田中屋」にはすぐ入れました。時間が無いことを伝えて皿蕎麦5枚のセットと冷酒を1合注文しました。蕎麦が出来る間に持ち帰り用の生蕎麦を5パック用意してもらいました。サービスのそば味噌をあてにお酒をいただいているとお蕎麦がやってきます。薬味を蕎麦に乗せてつゆをかけてぺろりといただきます。天橋立でお昼を食べたばかりでしたが美味しいので箸が進みます。もっとものど越しで食べているのですが。一緒に出てきたとろろも粘りがあって、これを乗せての味変も楽しみました。お店の女将さんに器についても尋ねてみると近くの「虹洋陶苑」で造ってもらっているとのことだったので帰りに立ち寄って、蕎麦猪口と蕎麦用の小皿も買い求めました。染付で出石藩主だった仙石秀久の家紋である〇に無と旗印の無の2種類を選びました。その間に妻は地元名産の山の芋を買って、バスに戻ると出発の時間でした。短い時間でしたが最低限の目的は達成できたので満足ですが、ちゃんと時間を取って再訪したいと思える城下町でした。出石の次はバスで余部鉄橋に向かいます。子供の頃に家族で島根県の隠岐の島へ行ったことがあるのですが、往路は京都駅から参院選の夜行列車で境港に向かい、復路は鳥取砂丘を見た後に米子から東京まで夜行寝台列車の「出雲」で東京まで帰ってきたことがあります。山陰線を列車で旅したのはそれだけなのでよく覚えています。その時に通過した余部の鉄橋も1986年の列車転落事故で架け替え工事が行われていました。夜中に通過しただけの鉄橋の脇に立つのは感慨深いものがありましたが、展望台からの景色も素晴らしいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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天橋立を出たツアーバスは北近畿タンゴ鉄道を越えて、京都府を離れて兵庫県に入ります。
天橋立公園 公園・植物園
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バスの車窓をずっと見ていると何度か日本鹿を見つけることが出来ました。昨年の秋に北海道の道東を10日間旅して、車窓から蝦夷鹿と丹頂を探して目を鍛えた甲斐がありました。写真が撮れたのはこれだけで、左下に2頭の雌ジカが写っています。
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出石川の周辺も雪が積もって冬の厳しさを感じさせます。
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前の日までは雪が降っていたようですが、天橋立を出てからは晴れ間ものぞいてきました。
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添乗員さんから聞いていた時間ではそろそろ出石に到着するようです。
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雪の重みで大きく倒れ込んだ竹の姿が痛々しいです。
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出石には午後2時に到着しました。観光バス用の駐車場のある「出石城山ガーデン」にはトラピックスのバスやクラブツーリズムのバスも停まっていました。東京からではなく関西からのツアーのようでした。
出石 城山ガーデン グルメ・レストラン
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駐車場から城下町に向かって歩くと永澤兄弟製陶所という出石焼の窯元がありました。現在は4つの窯だけが残っていると後で聞きました。
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内町通りを右に曲がると「出石家老屋敷」の長屋門がありました。いきなりタイムスリップしたような気分になります。
出石家老屋敷 美術館・博物館
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江戸時代における三大お家騒動の1つに挙げられる「仙石騒動」の中心人物である仙石左京の屋敷跡に建っているので「左京屋敷」とも呼ばれているそうです。
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「仙石騒動」とは藩財政の窮乏が深刻化していた出石藩で、その立直しをめぐって大老(家老)の家筋である仙石式部家と仙石主計(かずえ)家が対立したことから始まります。藩主仙石政美(まさみつ)の死後その嗣子がなかったことから家老の式部家仙石左京が主家横領を企てたと疑われます。このことが幕府に知られて1835年左京らは処刑され、出石5万8000石は3万石に減封されます。
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出石と言えば仙石秀久(せんごくひでひさ)を忘れることも出来ません。豊臣秀吉の最古参の家臣の1人であり、もっとも早く大名に出世した人物でもあります。1570年の姉川の戦いで山崎新平を討ち取り、1574年には1000石の領主となり、1585年の四国攻めの論功行賞により讃岐10万石を与えられます。
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1586年に四国を平定した秀吉に従い四国勢の軍監として従軍し、十河存保や長宗我部元親と信親父子らの軍勢と共に九州に渡海し、豊後で島津家久と対峙します。秀久は秀吉からは本隊到着までは持久戦に徹するよう書状を受け取っていました。犬猿の仲である長宗我部親子と十河存保がそろって反対したにも関わらず、先陣部隊だけでの攻勢を決定し、戸次川の戦いで大敗して長宗我部信親・十河存保らが討死、軍勢も総崩れとなって退却します。
出石城跡 名所・史跡
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それ以上に九州から四国の讃岐へ勝手に撤収するという醜態を見せ、これらの行状に秀吉は所領没収の上で高野山追放の処分を下しました。1590年に小田原の役がはじまると故郷の美濃で浪人達を集め、徳川家康の推薦もあって陣借りとして参陣します。伊豆山中城攻めで「無」の馬印を背負い先陣を務め、小田原城早川口攻めでは虎口の1つを占拠するという抜群の武功を挙げ、その名声は箱根にある「仙石原」に名を残すことになります。
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この時の「無」の旗印と家紋は最後に出会うことになります。
辰鼓楼 名所・史跡
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天橋立で書いた絵葉書をロープウェイ乗り場のポストに投函し忘れたので出石で出すことにします。最近の旅先ではこの古いタイプのポストに投函することが多くなった気がします。
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「辰鼓楼(しんころう)」は出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある日本最古と伝わる時計台です。本体は明治4年の1871年のもので、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。午前7時から9時の間である辰の刻の城主登城を、太鼓の音で知らせていたそうです。現在の時計台の姿となったのは、明治14年の1881年のことで、城下町で開業していた蘭方医の池口忠恕が大病を患った際に多くの人々が病気快癒の願掛けをしたそうです。池口はそのお礼として私費でオランダ製の機械式大時計を取り寄せて寄贈しました。
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旧三の丸大手門の辺りはとても風情があり、蕎麦屋の店先にもこんな美しい花が生けられていました。出石に来るのはこれが初めてですが、もっと時間を取ってゆっくり観光したいと思いました。
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店先の細い水路に風情を感じます。妻が出石に来たがっていた理由が分かった気がします。
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皿蕎麦の器の微妙な歪みにも美しさを感じます。型物やカチッと成形された磁器の美しさも良いですが、昔の歪んだものにも魅力を感じます。
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「鶴萬」の屋根の上には鶴が置かれてありますが、雪が積もっているので本物かと思いました。
鶴萬一休庵 グルメ・レストラン
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出石焼の窯元の虹洋陶苑と山本製陶の2軒も覗いてみましたが、あまり時間も無いのでそばを食べることにしました。
正覚 田中屋 グルメ・レストラン
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ツアーの最終案内では1時間の滞在時間しかないので、出石焼の窯元と人気のある蕎麦店については調べておきました。午後2時を過ぎているのでどの店も空いていましたが、一番気になっていた「正覚田中屋」に入ることにしました。とは言え時間厳守なので、時間が無いことを店の方に伝えましたが、快く迎えてくださいました。この店はミシュランガイドに掲載されています。
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皿蕎麦を2人前と冷酒を1合お願いしました。地元の友人にお土産も考えていたので生蕎麦を5パック用意してもらうようにもお願いします。すぐに皿蕎麦の用意もされ、薬味と温泉卵ととろろが並びます。食べ方はお好みで皿のそばの上に乗せるようです。
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1人前のお蕎麦は5皿ですが1枚単位で追加も出来ます。2時間前に天橋立でぶりしゃぶ鍋膳を食べたばかりなのでこれで十分です。
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蕎麦はもちろんのこと蕎麦茶も蕎麦湯も美味しかったです。特にとろろを乗せた蕎麦は絶品でした。女将さんから「鳥取の山芋も良いですが宮津の山の芋も粘りがあって自然薯みたいで美味しいですよ。」と教わります。器について尋ねると先に店先を覗いた虹洋陶苑に注文して造ってもらっているとのことでした。これはもう一度帰りがけに見なければなりません。
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お土産の生蕎麦も手に入って大満足で本日3回目の食事が終わりました。妻は山の芋を買いたいというので手分けすることにしました。
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虹洋陶苑に戻って店内を見ると田中屋と同じ蕎麦猪口と皿蕎麦の皿が並んでいます。これはもう買わなければならないなと思い店の奥に声を掛けます。
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店の奥さんと染付の色を確認しながら蕎麦猪口を2つと皿を2枚選びました。絵柄は無の文字と〇に無の入った2種類が描かれています。ここで無の意味を聞かなければ仙石秀久(せんごくひでひさ)まで思いが行かず、買うことも無かったかもしれません。
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近くの「まめいも屋」という店に妻がいたので一緒に買い物します。ここで気になった巨大なあたご梨ですが、ここでは買わずじまいでしたが余部で買ってしまいました。
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「つくねいも」ともいわれる「山の芋」は、古くから天橋立のある宮津市で栽培されてきたそうです。
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田中屋の蕎麦を5パック買ったので山の芋も5個買うことにしました。何しろ友人4家族分なのでまた荷物が重たくなってしまいました。今までは母にお土産を買っていましたが、買って帰る相手がいなくなってしまったので、友人のお母さんにお土産を買っています。
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最後はバタバタでバスに乗り込んで、出石の観光も終わりました。我が家がいつも一番最後ですが集合時間には間に合っています。
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バスは次の立ち寄り先である余部鉄橋に向かって走ります。出石からは約1時間の移動です。
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神戸を出てから高速道路や自動車道に乗っては降りての繰り返しです。
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余部が近づくと辺りは雪が全くなくなってしまいました。同じ日本海側の海岸線ですが天橋立とは違った穏やかな景色です。
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山陰近畿自動車道の上から余部の橋梁が見えました。以前は鉄橋でしたが現在はコンクリート製の橋梁に変わっています。
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橋梁の下は余部鉄橋「空の駅」公園になっていて昔の鉄橋の一部が残されています。
余部鉄橋(余部鉄橋空の駅) 名所・史跡
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コンクリート製の橋梁は鉄橋の横に建てられ、その一部は現在も保存されています。
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鉄道事故は1986年12月28日午後1時25分ごろに発生しています。回送中の列車が強風にあおられ、高さ約41メートルの鉄橋から脱線転落して、真下にあった食品加工場を直撃し、工場の従業員5人と車掌1人が命を失い6人が負傷しました。当時は大きなニュースになったのでよく覚えています。
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トンネルに繋がるコンクリートの線路は鉄橋をよけた分だけカーブしているのが分かります。
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昔の橋脚の細さが印象的なのと、現在も当時と変わらないような木造の家屋が隣接していることに驚きます。ここからは専用のエレベーターに乗って上にあるJR餘部駅まで行くことが出来ます。
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41メートル上がったところに「空の駅」があり展望台になっています。
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ここから2駅戻ったところにJR香住駅があります。京都の外祖母が「いつか香住にカニを食べに行こう。」と話していたのですが叶わないままになってしまいました。
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古い線路がそのまま残されています。山陰線に乗ったのは今までに2回だけで、新幹線で京都に着いた後に京都駅から夜行列車で境港に向かったのと、その帰りに鳥取砂丘で夕日を見た後に米子から「出雲」の2等寝台車で東京に帰った時だけです。どちらもこの辺りは夜中だったのですが、父に起こされて「餘部鉄橋だぞ。」と教えてもらったことを思い出しました。
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昭和48年の小学校6年生の夏休みの隠岐の島の家族旅行のことでした。この線路を家族5人で通過したのだと思うと感慨深いものがあります。それと同時に線路の間を歩きながら、昔はトイレが垂れ流しだったなぁなんてことも思い出します。
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この海岸線はタービダイトという砂岩と泥岩互層の海底堆積物が見られるそうです。肉眼では確認しずらいですが、縦に筋状になったところがタービダイトらしいです。
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この辺りの海底には松葉ガニがたくさんいるのだろうなと考えてしまいます。この日の晩御飯は鳥取でタグ付き松葉ガニが待っています。
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タービダイトの岸壁にへばりつくように小さな漁港があります。その1点にだけ太陽光線が当たってきれいでした。
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公園と保存された線路の脇には本物のJR餘部駅があります。
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こんなところに来ることも無いと思うので記念写真を撮っておきます。
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ホームの先の待合い室にあった時刻表を見ると16時16分に下り列車が来るので待つことにしました。
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単線なので上りも下りもこのホームで乗り降りするわけです。
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3分ほど遅れて汽車がやってきました。山陰線がまだ電化されていないことに気が付きました。
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たった2両の豊岡行の列車です。乗り降りする人はいませんでした。
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橋を渡っていく列車を見送ります。
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列車が行ってしまうと皆さんエレベーターで下に降り始めます。
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日本海側で晴れていたのはこの辺りだけでした。
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波も穏やかで寒さも感じませんでした。
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我々も最後にエレベーターで降りてきました。ここでの時間は40分あったのでまだ少し遊んでいられます。
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すぐ脇にある「道の駅あまるべ」にも入ってみました。周囲のパンフレットを貰ってスタンプも押しました。子供の頃の国鉄の駅にはディスカバージャパンのスタンプが置かれていて、取りつかれたように集めたことを思い出しました。
道の駅 あまるべ 道の駅
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今まで眺めるだけだった晩三吉梨(おくさんきちなし)をここで買うことにしました。幼稚園児の頭の大きさくらいあるので驚きです。10月から出荷され始め、伴生種なので3月頃まで出回るそうです。
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鳥取県の八頭町の農家さんがミネラル栽培で収穫後に追熟させて食べごろを集荷しているので味は間違いないと思います。
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資料館もありましたがそこまで見学している時間はありません。午後4時45分にバスは鳥取に向かって出発します。
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山陰近畿自動車道に戻ってさらに西に向かいます。やはりこの日は右側の座席にして良かったようです。
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鳥取までの天気は良さそうですが、最終日の明日の天気も気になります。
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