2020/01/30 - 2020/01/30
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いいちゃんさん
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2020年、冬のヨルダン、イスラエル8日間の旅、第五日目前半は死海のホテルを出てヨルダンとイスラエルの間の国境を通過します。ここでこれまで乗ってきたヨルダンのバスからイスラエルのバスに乗り換え、イスラエルの占領地ヨルダン川西岸のイエスが洗礼を受けたクサルアルヤフードに立ち寄ってから、エリコの町にあるテル・アッスルターンの遺跡、死海写本が発見されたクムランの遺跡へ行きます。
【旅程】
1月26日(日)・27日(月) 成田~ドーハ~アンマン~ペトラ(泊)
1月28日(火) 終日ペトラ(泊)
1月29日(水) ペトラ~マダバ~ネボ山~死海 (泊)
1月30日(木) 死海~テルアッスルターン~クムラン~マサダ~ エルサレム(泊) ●
1月31日(金) エルサレム~ベツレヘム~エルサレム (泊)
2月1日(土) ・2日(日) エルサレム~アンマン~ドーハ~成田
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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デッドシースパ前の道路です。
ホテルの周りを写してみました。 -
ゲートです。
付近一帯は高級リゾート地、左の低い建物がデッドシースパ、それなりに立派ですが、右の建物には劣ります。
何処も警戒は厳重です。 -
ゲートには車止めが設けられています。
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エントランス
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セキュリティーチェックもあります。
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朝食
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ホテルから死海を見ると対岸まで見渡せます。
7時45分、ホテルを出発します。 -
ベドウィンのテント
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もうすぐ国境です。
このあたりから写真撮影は不可となります。
ヨルダンの国境を通過します。
出入国管理所へは8時05分到着です。
管理所は町中にあって、バスに乗ったまま、現地ガイドさんがパスポートを集め手続きをしてから返却されそのままイスラエルへと向かいます。
現地ガイドさんとはここでお別れです。 -
イスラエルの国境を通過しました。
ヨルダンのバスはイスラエルの出入国管理所までです。
スーツケースを持ってセキュリティーチェックを受けイミグレーションを通過します。
ここでイスラエルのガイドさんがお出迎え、イスラエルのバスに乗り9時45分出発です。 -
このあたりから写真撮影が可となります。
ヨルダン川西岸地区、現在イスラエルの占領下におかれています。
イスラエルのガイドさんはSさん、イスラエル国籍の日本人です。 -
有刺鉄線が張られています。
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検問所を通過します。
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有刺鉄線が張られています。
この先は危険地帯、地雷が埋まっています。
第三次中東戦争で、ヨルダンが撤退していく際に地雷を埋めたので、それが残っています。 -
10時、クサルアルヤフードに到着です。
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ヨルダン川
イエス・キリストが洗礼を受けたと言われる場所です。
川は左から流れ右にある死海に注ぎます。 -
雨が降った影響で増水しています。
いつもなら川岸まで降りて行けるくらいの細い流れだそうです。 -
川に入れないのですが、奥にパイプがあって勢いよく水出ていました。
ここにもいました手前は東洋人の訳の分からない集団です。某隣国の人? -
対岸のヨルダンの教会は、正教の教会です。
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駐車場の周囲は鉄条網で囲まれています。
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左奥は防護網が付いたブルドーザー、地雷の撤去工事?
監視所?も見られます。
クサルアルヤフードの周囲だけ地雷撤去が済んで入れるようになった? -
この先危険という標識が立ちます。
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10時25分エリコに向け出発です。
有刺鉄線の向こうは砂漠です。
当初、こことエリコは午後の予定でしたが、時間の都合ということで最初となりました。
このため参加者が期待???されていたジュエリーショップは割愛されました。 -
エリコの町です。
海抜-250mの低地にあるところから世界で一番低いところにある町です。 -
町の中です。
エリコはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にありますが、周囲はイスラエルの占領下に置かれています。
1967年の第三次中東戦争前まではヨルダン領でした。 -
野菜を売る露店
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10時40分、テル・アッスルターンを見に行きます。
テル・アッスルターンは古代のエリコと呼ばれ世界最古と言われる都市の跡です。
残念ながらゴンドラには乗りません。 -
テル・アッスルターンの遺跡から、キリストが悪魔から誘惑されたという誘惑の山を見ます。
右側の山です。
ゴンドラは誘惑の山の中腹にあるギリシャ正教の修道院に行くものでした。 -
エリコの町です。
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テル・アッスルターンは今から1万年ほど前には人が住み始めたと言われています。
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紀元前8300~7300年頃のものと思われる石を円形に積み上げた塔
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紀元前3000~2000年頃に造られた城壁の跡
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土の壁には、何層もの縞模様が見られます。
これは繰り返し町が滅びては再建されたことによるものです。 -
城壁の外側です。
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エリシャの泉
旧約聖書の中で、紀元前9世紀の預言者エリシャが、飲用に適さなかったこのジェリコの水源を、塩によって清めたという伝説のある泉です。
現在でも、生活水として使われています。
後方は、テル・アッスルターンです。 -
11時25分、クムランの遺跡に向けて出発です。
ムスリムの土地です。
モスクがあります。 -
死海の西岸を進みます。
砂漠が多いのですが、時々ナツメヤシの畑も見られます。
ここは若いナツメヤシです。 -
11時45分、クムラン遺跡の駐車場に到着です。
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駐車場のゲストハウスにて昼食です。
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ゲストハウスのレストラン
ビュッフェです。 -
よくある食堂です。
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イスラエルのビール、値段を書き留めてありませんでした。
ただ、ヨルダンのビールよりは安かったように記憶しています。
支払いはドルです。
ピタパンと付け合わせ
ビュッフェではなく、大皿で来たのを取り分けました。 -
メインの肉料理
皿を変えていないので汚くてすみません。
デザートはナツメヤシでした。 -
クムラン遺跡は死海の北西岸にあるエッセネ派に属する言われるクムラン教団と呼ばれるユダヤ教の一派の共同体の遺構です。
ユダヤ教にも色々な派があるのですね。 -
紀元前2世紀頃から住み始め、この荒野の地で自給自足をしながら財産の共有、共同の食事、清貧を重んじるという修道士生活を送っていたと言われます。
しかし、ローマの支配に対するユダヤ人の大規模な反乱「第一次ユダヤ戦争」のさなかの紀元68年ごろローマの侵略によって破壊されます。 -
身を清めるための水浴槽や水路が整備されており、これは大きいので貯水槽かな?
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石積みの壁で囲まれた小部屋の集合体で、聖書を書き写した写字室を中心に、書庫・広間・共同食堂・物置など生活全般にわたる施設があります。
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いろいろ説明を受けましたがどこがどこで、何が何やら?
水槽ですが小さいので水浴槽かな? -
左側に見える小さな黒い穴が、死海文書が発見された洞穴の一つです。
1947年、山羊を捜していたベドウィンの少年が、洞穴のなかから幾つかの壺に入った羊皮紙を発見したと言われ、これがベドウィンから古物商、さらにはシリア正教会の大司教の手に渡るなどの変遷を経て、旧約聖書の写本などであることが分かり世紀の発見とされました。
1948年、第1次中東戦争があるなど大変な時期をくぐり抜け、その後の調査の結果、11ヶ所の洞穴から、紀元前3世紀から紀元1世紀にかけての旧約聖書の写本を含め600点余りの文書が発見され、聖書関連史料では最古のものと言われます。 -
遺跡の向こうは死海です。
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対岸は昨日泊まったヨルダン側のリゾート地帯です。
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