今回は映画のお話です。
パトリック・ヴォルラス監督『7500』を見ました。
6月19日からAmazon Prime videoで配信されている映画です。同名のホラー映画がありますが、「7500」の意味が同じなだけで、内容は全く関係ありません。
「7500」とはハイジャックされた場合の緊急用コードだそうです。
ヴォルラス監督は本作が長編デビュー作品。検索しても出てこないわけです。
主演はジョセフ・ゴードン=レヴィットで、映画は数年ぶりだったそう。Amazonレビューを見ると、この俳優目当てで見た人もいて、高評価をつけていた。
公開され間もないのでネタバレは控えたいところですが、大変興味をそそられる映画でしたのでまとめておきたいと思います。
まっさらの状態でご覧になりたい読者様は、ここでウィンドウを閉じてAmazonへGO!です。
第六十九話:「移民問題に対する意識を問われる映画」
本題に入る前に、既出のレビューをご紹介します。このレビューにもネタバレが含まれるのでご注意ください。
「7500(2020)」 感想 ハイジャックのドキュメント記録映像のような映画
https://www.gokkan-chinsaku.com/2020/06/7500.html
見出しに、「記録映像のよう」とあります。
《初めからずっとコックピットの中だけしか映されません。徹頭徹尾副操縦士目線を貫き通し、リアルタイムで進行し、かつ劇伴の一つさえ全くかからない。徹底してリアリズムを追求したリアルハイジャック再現映画と言えます。》
確かに、監督および脚本家は実際にハイジャックが起きた場合をシミュレーションして映画を作っていると思います。ただ、それはドキュメンタリーや記録映像のように作りたかったのではなく、リアリティの中に含まれた「ある要素」をあぶり出すためではなかったのか、と考えます。
さて、映画の展開をかなり詳しく書きます。そうでないと深堀りできないので。
最後の警告です(笑)。前情報無しでご覧になりたい方はここまでにしてくださいね。
Amazon Prime Video 『7500』字幕版。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08B46H1ZL/ref=atv_dp_share_cu_r
映画を見たあと、ご関心ありましたらつづきを読んでみてください。
+ + +
オープニングタイトルのバックは空港施設の監視カメラ映像で、坊主頭の男が印象付けられます。何かが起こりそうなイメージではじまる。
主人公はアメリカ出身の副操縦士。ベルリン発パリ行の旅客機の任につきます。機長はベテランのドイツ人だ。主人公には恋人がおり、2歳の子供がいる。詳しい事情は語られないが、彼女はトルコ出身(トルコ系)だということがわかる。彼女はCAで、同機に搭乗しています。フライト前、恋人は子供を入れたい幼稚園が通らなかったと言い、主人公は他を探せば良いと慰める。この会話から、ふたりがドイツ在住だとわかります。
恋人は、幼稚園には「なるべくドイツ人がいないところが良い」と言う。
旅客機は無事に離陸して安定飛行へ。オートパイロットに切り替えてしばらくすると、年長のCAが機内食を持ってドアを開けたのと同時に「アッラーアクバル!」と叫びながら男が押し入ってくる。空港の監視カメラに写っていた坊主頭の男だ。男はガラス片に布のようなものを巻いた武器を持ち、主人公の左腕に切りつけ、機長の腹を何度も刺した。主人公は消化器で男の頭を打ち、昏倒させると、他のテロリストを押し出してドアをロックする。
ここからコクピットの外はドア上部についているカメラで捉えられる範囲しか見えません。デッキと客席を仕切るカーテンが開くと客席の一部が見えるますが機内の様子はわかりません。
主人公は管制塔に「7500」を伝え、テロリストがハイジャックしようとしていることを告げます。ここからしばらく、コクピットのドアを開けろと怒鳴るテロリストたちとの押し問答がつづき、その間に機長は力尽きて死んでしまう。乗客の首にガラス片を突きつけてカメラに向かい、ドアを開けろと要求してくるが、このような場合、何があってもドアを開けてはいけない。人質は殺されてしまいます。つづいて、CAを人質にドアを開けろと要求してくる。そのCAは主人公の恋人だ。一緒にいる若いテロリストは明らかに怯んでおり、坊主頭の仲間に殺さないよう訴える。恋人は、主人公にドアを開けないよう叫び、自分もイスラム教徒だと言い、テロをやめるよう説得するが、殺されてしまいます。
主人公の協力要請で、客席側では坊主頭のテロリストと格闘する音声が響く。
(このあたり展開は若干前後しているかもしれない)
コクピットで気絶していたテロリストが目を覚まし、ドアを開けることになる。若いテロリストとふたりでコクピットは占拠され、年長の男が操縦桿を握ります。ここでようやく、テロの目的が明らかになります。彼らは、西洋文明への復讐を果たすため、どこの街だろうが構わずに墜落させ、多くの人を道連れに殺すことだった。
街へと高度落とす中、若いテロリストが「死にたくない」と半狂乱になり操縦席に座っていた仲間を殺してしまう。
主人公と若いテロリストの2人だけになる。若いテロリストの携帯が鳴る。かけてきたのは母だ。主人公は、落ち着けるために身の上話をはじめる。ドイツでは若いテロリストと住居が近いことがわかる。
主人公は死んだテロリストが持っていた武器を隠し持ち、反撃のチャンスを伺うが、若者にバレてしまい奪われます。
軍機が先導してハノーヴァー空港へ降りることになるが、若いテロリストは燃料補給したら再び飛ぶよう要求します。
左腕が使えない主人公を若いテロリストが手伝って空港へ着陸成功。乗客が外へと逃げていくのが見える。
警察との交渉が始まります。若いテロリストはコクピットの非常口(窓)を開け、交渉に応じるが、激昂して主人公の首にガラス片を突きつける。主人公はまだやり直せると説得する。しかし、僅かな隙きをついて狙撃され、若いテロリストは殺される。
警察が突入してきて主人公は解放されます。コクピットの外には恋人の死体が横たわっている。映像から誰もいなくなると、コクピットの中から若いテロリストの携帯が鳴っているのが聞こえる。
会話の内容や登場人物の感情面を省略して、主要な「起きたこと」を書きました。
役名ではなく、主人公、若いテロリスト、などと書いたのは、セリフを聞いて一度で覚えるのが難しい名前ばかりだったからです。確認して書こうかと思いましたがあえてそのままにしました。なぜなら、アメリカ人のトピアスという名もやや聞き慣れず、恋人の名は機長が聞き間違える描写があるようにトルコ系で馴染みにくい名前だった。つまり、監督および脚本家は観客に「馴染みの薄い人たち」と感じるように意図して設定している可能性があるのです。
上掲のレビュー記事では、このわかりやすいテロリスト像がステレオタイプなのがマイナスポイントだと書いています。若いテロリストは気弱で、仲間を裏切ってしまい、おそらくどこか空港でないところに着陸して逃げてしまおうと考えていたのかもしれない。それほどに、このテロリストグループは感情的で計画性がなく、宗教的にも徹底していないのです。
操縦のプロセスや非常事態の対応、コクピット内の主人公視点に絞った密室劇の演出など、リアリティを感じさせるように巧みに演出している(しかし、決してドキュメンタリー風に撮ろうとはせずコントロールしている)中で、テロリストグループにはわざと隙きを作っているようにすら感じた。主人公と乗客が協力すれば、準備不足で感情的なテロリストたちを抑え込めるのではないか? 恋人を救えるのではないか? 気弱な若者を説得できるではないか? 若者を味方につければテロリストたちはハイジャックをあきらめるかもしれない。…そのような期待をもたせるように仕向けられ、ことごとく失敗します。「主人公の期待は裏切られる」ように演出されていると考えざるを得ないほどに。
ではなぜ、この作品は主人公に究極の選択をさせ、ことごとく絶望させる展開を作ったのか。
この主人公はアメリカ人。恋人はトルコ人だ。住居はドイツにあり、ふたりはドイツにとって「移民」です。
2人の子供が幼稚園に受からなかったのは、結婚していないからだとも考えられる。ではなぜ結婚していないのか。詳しく語られないが、ふたりが移民であることが、または宗教が障壁になっていたとも想像できます。いや、日本人には想像し難いことですが、移民の急増した欧州人ならピンとくる設定ではなかろうか。
序盤のセリフを思い出してください。このセリフだけは外せなかったので書きました。
恋人は「なるべくドイツ人がいないところが良い」と言っていた。
恋人が、本当にイスラム教徒だったとしたら、ドイツ人(またはキリスト教徒)が多いところには入れたくないのではないか。イスラム系の人が多いところを選びたいのではないか。ドイツではイスラム系への差別があるのではないか。念を押して「わかるでしょ?」と主人公に言うのは、移民としての複雑な事情を示唆していると思えますし、アメリカ人の彼とは移民問題を共有できているのではないかと思えます。
このセリフは重要だと思った。なので、テロリストたちの統制が取れていないのは演出ではないかと疑った。ヒッチコックの言う「マクガフィン」、つまり物語を動かすための口実です。マクガフィンは意味がないほど良い。別な言い方をすれば、誰もが知っているような「何か」であるほど良いのです。重要なのは、それ以外の描写なのですから。
テロリストたちが、計画性が高く、宗教的意志の強い、隙きのないグループであったなら、主人公や恋人の複雑なバックグラウンドがなくとも、ハイジャックサスペンス映画として成立したでしょう。犯人側の巧みさを練りあげ、主人公側が抗し難い条件を作ります。ハイジャック犯との攻防を重点にしたければ、そうします。しかしその逆に、明らかにテロリスト側に隙きを作っているのです。主人公が少しでもマシな結末を期待するように仕向け、観客に期待させ、それがことごとく裏切られるように演出されている。主人公が追い詰められる背景が重要だと考える所以です。
主人公カップルが「移民」である、という事実を序盤に示したのは、全体を方向づける重要な伏線だったのです。
アメリカ人の主人公は子供の母で妻になる恋人を失った。パイロットをつづけられるかわからないほど酷い目にあった。イスラム系の人々とは心を通わせることができないのか……いや、少なくともあの若者には可能性があったのではないか。いやいや、あの若者が主人公に説得されることは祖国を裏切ることになってしまう。
なぜあんな結末だったのか。そもそもの間違いは何だったのか。
+ + +
上掲のレビュー記事も、Amazonレビューも、欧州の移民問題に着目したものは一つもありません。ネタバレを配慮したとも考えられますが、「移民問題が背景にありそうだ」くらいのコメントは興味を引くことだってあるわけで、ひとつくらいあっても良さそうです。
星1つをつけたコメントは、「レイシズム全開の救いのないプロパガンダ映画です」と書いている。あらすじでは省略してますが、主人公も映画の作り手も、テロリスト側の事情を汲もうとする意志がある。自身が移民である主人公は、近所に住んでいるらしい若いテロリストに「移民同士」の感情すら伺うことができる。少なくとも、そう受け取れるように演出されています。アメリカ人の主人公は、トルコ人の恋人に配慮してかドイツ人との会話に距離をおいているのがわかる。一方でドイツ人の機長をとても尊敬しているのも感じ取れる。白人至上主義とは言えず、白人対有色人、キリスト教対イスラム教、そのような対立構造をしめす要素は、むしろ否定されている。と言いますか、対立でなく、溶け込むでもない、割り切れない複雑な状況があるとこを示しています。
他のレビューコメントでは、恋人を殺された主人公が若いテロリストに感情移入する会話は必要だったのかと疑問を呈したものがありますが、テロリストたちも、アメリカ人の主人公も、トルコ人の恋人も、みな事情を抱えた「移民」なのだ。だから、あの会話が必要だった。
何のために作られたのかわからない、というレビューもあった。
この映画の目的は、映画を見た人が欧州の移民問題をどう捉えるているか、という問いかけではなかったか。
個性的なハイジャック映画としてその巧みさを楽しみ、高評価することは可能です。多少なりとも移民問題に対する意識を持っていれば、制作者の意図を感じることができる。
アメリカ映画でも、エンタメの塊のようなスーパーヒーロー物にしたってアメリカの問題意識が根深く横たわっていますからね。珍しいことではありません。
締めくくり方は大変印象的で、映画的です。
狙撃で殺された若いテロリストの携帯がなっているところでプッツリと終わります。
かけてきたであろう彼の母は中東の母国にすんでいるのか、いやおそらくドイツで同居していたのでしょう。母が呼びかけてきた、という締めくくりには大きな意味があると思うのです。
臨床心理学者の河合隼雄さんは、母系的(包み込む)社会の重要性を説いた。欧米は父系的(区別する)社会であり、それゆえ母系的な救いが必要なのではないかと示唆しました。その意味も、この映画で納得できるところがあった。
反対に、日本社会は母系的なのだと説いていた。包み込む寛容性は大切ですが、だからこそ危険も伴います。
どちらかが一方的に悪いのではなく、簡単な解決策もない。河合隼雄さんのことばを借りれば、「悩みと付き合っていく」考え方が必要なのかもしれない。付き合いながら、少しずつ改善していくしかないのではなかろうか、と。
「新」経世済民新聞の観点で書けば、世界を席巻している新自由主義、グローバリズム。この問題点を観察できているかどうかで、『7500』の見え方は全く違ったものになるのだと思います。新自由主義とグローバリズムは、国家や民族といった共同体を壊し、個々に分離していく思想です。父系的か母系的かといった共同体の性質、文化を壊すのです。
まさしく、『7500』の主人公は全てを破壊されました。
日本では、気がつく人はまだ少ないでしょう。欧米が抱える移民問題は他人事ではありません。十数年、いや数年後には、『7500』が痛切に理解できるようになっているかもしれない。
理解できない状況のほうが良いと思ってしまう。異文化とともに暮らすことに不慣れな日本人が、気がつくこともないまま経済的必要性すらないにもかかわらず新自由主義とグローバリズムの「この道」を進みつづけ、取り返しのつかない状況になっていく。
そう遠くない将来、多くの日本国民が、アメリカ人の副操縦士みたいな絶望を味わうのではないか。
是非ご覧になって、絶望を味わってくださいね。
あぁ…映画って本当に良いものですね。
○コマーシャル
ボクのブログです。
https://ameblo.jp/tadashi-hiramatz/
TVアニメ『呪術廻戦』にキャラクターデザインなどで参加しています。
2020年10月放送開始。
【平松禎史】「霧につつまれたハリネズミのつぶやき」第六十九話:「移民問題に対する意識を問いかける映画」への1件のコメント
2020年6月28日 6:28 AM
そのように映画でも、ある程度の時間と労力を使い繰り返し見ることにより様々に復習することとなり、その後の展開を予測できるわけですね。とにかく常識に考えても親兄弟ですら価値観が異なるのに、ましてや海外の異文化なんて受け入れられる筈もあり得ません!しかしそれを体現した昭和の後期から平成にかけてのバカ騒ぎによる自滅でしたから、竹中平蔵の掲げるワクワク感とやらもカス以外の何ものでもないわけですね!
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