4−7。海外 アジア 南インド編(1994)
1994年の11月、私はインドに行きました。
インドといっても南のマドラス。いま調べてみますと、マドラスという地名は、チェンナイという名称に変わっていました(マドラスは植民地時代の名称だとして、1996年に旧名称に改名したそうです)。インド第4の都市だそうです。
当時、ひとり仕事で行きました。聞くも涙、語るも涙。。。インドでは「ペスト」が大流行。インド行きを誰も止めていくれない。
ペストの予防接種しようかと思ったら、2回やらねばならないとかで、とても間に合わん、時間切れ。終息宣言は出て、主催者も安全を保障してくれたのですけどね。
マレーシアのクアランプル経由で向かったのですが、クアランプルの空港では足止め。マドラス行きの飛行機が出ない!乗り継ぎなのに空港内ではとどまれず、誰もいないから外に出た方がいいよ、と言われ。。外に出た(マレーシアに入国した)次第。
飛行機が出ない理由もわからず。ただ、雨が降っているとだけ。一晩をベンチで過ごしました。クラランプールはむし暑かったこと。ただただ待っていたら、朝になり、マドラス行きの周辺に人が集まって来ました。
赤ちゃんをつれたお母さんとそのおばあさんが向かいに座っていました。あかちゃんは鼻を垂らしていたので日本のポケットティッシュをあげました。朝もだいぶたって、待ちくたびれた頃、航空会社から食事がでるという話をそのおばあさんが教えてくれました。
こうしてただ飯に預かれました。
飛行機にチェックインする段になって、空港職員のあんちゃんから空港使用税を要求されました。あれー?と思いながら払ったのですが、トランシットは無料だったはず、本を引っ張り出して調べたらやはりそう書いてある。。。と、クレームをつけたら、もう一人の空港職員のお姉さんが、わかってくれてお金を返してくれました。。という思い出があります。
一路、マドラスまで飛び、降り立ってみて、はじめてわかりました。おおきなハリケーンだったんですね。大木が道路に倒れていました。
空港には訪問先の迎えの車が来ていました。前日、到着するはずだったのに、よくまあ、会えました。当時は私の便はこれだよと日本からFAXで先方に知らせただけですから。携帯もネットも持っていなかった時代。
この便が飛ばなくなり、ようやっと飛んだ便で、ちゃんと迎えに来てくれたのですから。私も心配などしていなかったのですから、実に呑気だったですね。先方に電話でもすればイイヤなどと思っていたんでしょう。
空港にはもうひとり、別の国の知人がすでに車に乗り込んでいました。
マドラスから、南に向かい、車で2時間くらいのところの海岸に、宿泊するコーテージがありました。お仕事は会議なので、毎日車でお迎えの車が来て往復するだけでしたが、夜は食事会や花火大会をやったり、してくれました。
コーテージは海岸にあり、機関銃を持った警備員が見張りをしるのにはびっくり。ときどき、停電もありましたが。おおきな部屋にベッド、そして大きなカヤがありました。確かに。蚊が飛んでいました。ぷーーん。蚊帳で寝たのは、子供の時以来。。。
そして、仕事も一段落したある日、近郊に観光に連れてってくれました。
私はどこにいったのでしょう? (どこに連れて行かれたのでしょう?)
当時、私は海外旅行というと使い捨てカメラ「写るんですよ」を持って行きました。
残っている写真はこれ。
この岩、本日、テレビ東京の「旅するお疲れ様」の「南インド編」を見ていたら出て来ました。
ネットで調べたら、「クリシュナのバターボール」という名前でした。マハーバリプラム(マーマッラプラム)という地名の場所で、世界遺産(1985年)だそうです。
当時は私は「世界遺産」なんて言葉も知りませんでした。でも、世界遺産に指定されたのは私が訪れたより10年ほど前らしいです。いまになって感心しております。
ということは、前の二枚の写真は、海岸にあるという岩をくり抜いた寺院のレリーフなんですかね。
像のレリーフは「ガンジスの降下」(7世紀頃)でした。西側の岩の丘の壁面に彫られたレリーフ。ガンジス河が天界から地上に降下したという神話を表しているそうです。
何も覚えていませんでした。案内してくれたのは現地の人ですし、いっしょに回った人は世界各国人7、8人。流暢な?インド風英語での説明に加えて、わたしなどは歴史などの英単語はほとんど知らないんですから、理解不能ですよね。
岩山を登っていくと見晴らしの良いところに出て、海岸や一帯が見えました。
マハーバリプラムの建造物群だそうです。皆んなして、へえーーー、とみていただけです。
岩をくりぬいて作っているんですね。
インドらしさ。実は、あの「クリシュナのバターボール」の手前は、こんな感じでした。痩せた牛たちがたむろしていました。
岩山に登る時には、おばあさんの乞食もいましたし。駐車場から歩いていくときは、コブラ使いのおじいさんもいましたし。。。
インドの国道も走るときにはスリル満点でした。
アスファルト道路、一車線分しかありません。
ここに我らが車、走っておりますと、遥か遠くの正面から対向車がやって来ます。
どっちが道路から降りるか勝負なのです。ぐんぐんスピードを上げて近づいて来ます。初めに根負けしてアスファルトを降りた方が負け。乗客は、いつもひやひやもの。
これがタミールナジの流儀?
さて、帰国間際に、よったお寺がありました。
ここも、写真から、カーンチープラム(マドラスから南に72キロ)最大の寺院「エーカンバラナータル寺院」(エーカンバレシュワラ寺院)のようです。ヒンドゥー教のお寺です。
少し雨降りでしたが、ここでは、地元の人の案内で裸足になって、中に入り、歩きました。そして中で多分一番えらいお坊さんにわざわざ面会、挨拶を。「どこから来たの?」「はい、日本です」「そりゃ、ようこそ来られました」などと言っておデコに赤い印をつけてもらい?、「氷砂糖」をくれたことを覚えています。
タミール地方の田園風景(たんぼ)は、雨降りで、インド人さえいなかったなら、まるで日本の田舎の田んぼの風景、そのものでした。
写真にはありませんけど。。。心の風景として覚えています。
こうして、インドの旅は終わり、帰りはシンガポール経由で帰国。シンガポールに着くと、乗り込んで来たシンガポール空港の係員がにこやかな顔をしながら、乗客の頭にスプレーでシューシューとなにやら撒いていました。
私の頭にも吹きかけられ。。。臭い消しみたいなもののように装っていましたが、あれは絶対「ペスト」の消毒薬だったに違いない(そんなものがあるかどうかは知りませんが)、と今でも私は思っています。
これが、25年前の南インドの旅、今思い出せること、でした。
(もう、南インドの旅行にはいかなくていいかな? いや、それでもテレビで見た今時の南インドの旅は、1泊のクルーズ観光も付いているみたいだし、それも羨ましいな。。。)
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