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あいちトリエンナーレで「表現の不自由展・その後」を見てきた

あいちトリエンナーレに最終日に行った話は別途書きたいのだが、ひとまず、「表現の不自由展」を見た話を書いておきたい。

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あいちトリエンナーレの100近くある作品の一つとして展示された「表現の不自由展・その後」は、2015年に行われた「表現の不自由展」をあいちトリエンナーレ向けにアレンジしたもの

表現の不自由展・その後

特設ページによれば、『日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会』で『扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する』ということになっている

開催当初からその内容を問題視した人からの電凸などが集中し、脅迫もあったことから、安全性の確保ができないとして、開始3日で展示室が閉鎖された。名古屋市の河村市長の抗議や、菅官房長官による、補助金交付についての検証発言などもあった。(のち、この時点で補助金の不交付は決定していたことが判明する)

この処置をあいちトリエンナーレ側の検閲であるとして、別の参加アーティストが抗議声明を発表し、お盆明けに10あまりの作品も閉鎖された。

あいちトリエンナーレとしても検証委員会を立ち上げ、8月から9月にかけて検証が行われ、9月末に中間報告が発表された

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告 - 愛知県

中間報告が発表された直後、文化庁があいちトリエンナーレに交付する予定だった補助金7800万円が不交付となることが発表される。一方で安全性を確保しての展示再開が模索され、10月8日から展示が再開、表現の不自由展以外の展示作品も、一斉に再開されることになる。

自分はあいちトリエンナーレは毎回欠かさずに見ている。 

 

 

 


今回もなるべく早めに行こうと思っていただけれど、表現の不自由展…というよりも、それ以外の閉鎖されてしまった展示が見れないことが惜しく、再開されることに一縷の望みを託していた。

展示は再開されたが、再開後の週末は展覧会の最終週の3連休のみ。しかも3連休初日は史上稀に見る規模の台風が直撃し、東海道新幹線は1日運休、展示も閉鎖。翌日も交通機関がどうなるかわからない。

連休最終日、すなわち、展覧会の最終日ならなんとか行けるのではないか。そう思い、金曜日の夜に10月14日の新幹線チケットを購入し、やってきた、というわけ。展覧会全体の旅、往復の交通手段については、別項にて書くことにしたい。

豊田市美術館、名古屋市美術館とまわって、愛知芸術文化センターに到着したのは14時20分。「表現の不自由展」の鑑賞は抽選方式になっており、最終2回分の抽選券の配布は10分後に終了する。急いで10階に上がると、人でごった返しており、抽選券の配布に長い行列ができていた

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抽選券はリストバンドになっており、渡されるときに腕に巻かれるので、当選した人以外に権利を譲渡できない仕組み

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14時40分から抽選がはじまる。大変な人です

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抽選結果はモニタに発表されたんだけどれど

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最初、下の方を見ており、自分の番号は無かったので、倍率高そうだし、外れたのかー、と思った。16時の鑑賞と16時55分の2回分の鑑賞が同時に抽選されており、各回40人当選することになっている。自分は16時55分のほうの当選者を見ていたのだ。

しかし、改めて上の方から見たら、16時のほうに、なんと、番号があるではないか。思わず変な声が出てしまった。あとから知ったのだが、この回、抽選券を受け取った人は1207人おり、そのうち当選したのは80人だったので、倍率は15倍だったのだ。なんかえらいところで運を使ってしまった…

リストバンドはさっきも書いたとおり、配布時に腕に巻かれるので、権利譲渡は不可能。当選発表後、当選の目印をリストバンドに押され、集合時間までは他の展示を鑑賞していた。

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16時からの鑑賞の30分前に集合場所へ。誓約書に署名して提出する。内容はこんな感じ

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身分証明書を提示し、貴重品やカメラ携帯電話以外を預ける。検証委員会の報告の抜粋(付録として参考資料もある)を配られた他は、鑑賞方法の諸注意があるだけで、特にレクチャーなどはなかった。

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ちなみにこの資料、一番上についている紙以外は、会場で普通に配布されており、誰でも読めるもの。

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全文はもちろん、愛知県のサイトから読むことが出来る。

待機場所に、「検閲」をめぐる新しい動き、「表現の自由」をめぐる論点、という掲示物があった。

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権力による従来型検閲だけでなく、大衆のネット上での批判などによる過度な自粛・自主規制も、現代型の検閲なのでは?との論が印象的だった。このボードは展示再開に合わせて作られたもので、表現の不自由展の立場を簡潔に説明したものと思われるが、表現の不自由展の実行委員会の意向と、あいちトリエンナーレ側の意向と、どちらがどのように反映されているのかは、よくわからない。

ほかに掲示されたいた資料は、報告書の中にも入っているもの

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時間になり、40人が並んで中へ。会場は奥まった行き止まりの場所にあり、金属探知機での検査の後に入場できる。

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とにかく入場前掲示の案内や説明が長い。後から増えたものもあるけど、最初からのものも沢山ある。これは検証委員会でも、展示をわかりにくくする原因の一つとされた。

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この展示に限らず、今回のあいちトリエンナーレ、そもそもキャプションが説明的に多いうえに、表現の不自由展の閉鎖についてアーティストの声明など、やたらと説明ボードが多いのである。

なお、今回の展示は、当初から写真・動画は撮ってもよいけれど、SNSへの投稿は禁止。ただしこれは会期中に限ったことで、会期終了後はOKとなっている。この会期終了後はOKというのも、当初からの方針だった(自分はてっきり、再開後に決まった方針だと思ってTwitterではそう呟いてしまったが、津田大介芸術監督からご指摘を受けた)

入ってすぐの通路的空間に、大浦信行『遠近を抱えて』や、その後作成された映像上映コーナーがある。

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映像は当初はこの通路的空間に設置されたモニタで鑑賞するものだったが、今回の再開に合わせて、みんなで別のモニターで見る方式に変わっている。

さらにこの空間、小泉明郎の『空気』もある

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大浦信行『遠近を抱えて』は、富山県立近代美術館が展示・収蔵したものの、県議会での問題化や右翼の抗議を受けて、作品を売却、作品が掲載された図録が焼却処分された。この事態を受けて制作された、別の2人の作者の作品も並んでいる

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さながら天皇コーナーの様相を示している。大浦信行の映像作品『遠近を抱えて part2』も、のちに作成されたものであり、公立美術館に拒否された作品以外の関連作品の割合が高く、表現の不自由展の「公立美術館に拒否された作品を展示して状況を考える」という趣旨からして疑問を感じる。この件の比重がやたらと高い。

通路の奥は四角い空間で、平和の少女像、落米のおそれあり、時代の肖像、群馬県朝鮮人強制連行追悼碑などが並ぶ。

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10人以上の作家の作品がけっこうギッシリと並んでいるが、群馬の作品がやたらと場所をとっており、この作品ばかりにこんなに場所を使う必要があったのか…?という疑問が浮かぶ。

津田大介芸術監督は、ほかのキュレーターにあまり相談せずに表現の不自由展を招待し、会田誠などの作品を並べることを提案したが、場所の関係などもあって、表現の不自由展実行委員会に拒否されたという。工夫次第ではほかにもいろいろ並べられたような気がするが…

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とにかく表現の不自由展と言いつつ、天皇、在日朝鮮人や慰安婦、原発についての作品が大半を占めている。これらは日本における「表現の不自由」が際立つ問題なので、当然と言えば当然と言える。しかし、芸術監督が突っ走って、結果、まともにキュレーションが入らず、表現の不自由展実行委員会に委託するような形になってしまったのも事実。展示全体としての説得力を欠くようになってしまっている。

あいちトリエンナーレには、表現の不自由展より、ずっと鋭く現代社会や政治問題を扱っていて、批判的で、しかし、高いレベルで美術作品として昇華されているものがいくらもある。個人的には不自由展にでてる作品の多くはピンとこない。脅迫や不交付は論外だけど、あいちトリエンナーレという、国際芸術展にこの表現の不自由展があるのは、かなり違和感ある。

当初、多く問題視されていたのは、平和の少女像と、大浦信行の映像作品『遠近を抱えて part2』で天皇の画像を燃やして踏んでいる、という件だった。しかし、展示再開直後に、Chim↑Pom(チン↑ポム)の『気合い100連発』で「放射能最高!」と言っているとのことで、また批判が集中した。

私はこの映像は震災以来何度か見ている。東日本大震災の津波で、何もかもグチャグチャでどうしていいかよくわかんない状態になってしまった中で、なんとかやってこう、と、被災者の若者とアーティストが円陣を組んで、叫び合う映像作品なのだ。その中で、それぞれが思いつくままに勝手に叫んでいく中で、やけくそみたいに、カラ元気で、「放射能最高!」という言葉が出てくる。直後に「放射能最高じゃない!」という叫びもある。

そして最後にグーっとカメラが引くと、そのグチャグチャな状態の中にポツンとちっぽけな彼ら彼女らがいる。そういう作品なのだ。部分の言葉だけ抜き出してどうこう言わんで欲しい。殊更、「放射能最高!」をこと挙げての批判は筋違いだと思う。

しかし今回の展示については、海外に出品しようとした際に「原発」についての言及があるので難色を示された、という文脈で展示されている。そして、出展用に「放射能最高!」などと叫んでいるところにピー音がかぶさり、見え消しされているバージョンと、元のバージョンを並べて展示する方式になっていた。

黒幕で覆った空間に、この2つを並べて展示するのは、どうにも悪ふざけ感があるし、作品単体としてではなく、表現の不自由展に出た文脈としては批判に値する部分もあるのではないか、そういうふうに見える。

作品として一番面白かったのは、『アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子』じゃないかな。

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作品として、いちばんまともに成立してると思った。また、あまりピンとくる作品が無かったと書いたけど、安世鴻『重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち』は良かった。 

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これは新宿のニコンサロンで展示されるはずが、抗議などあり一旦中止が発表され、後、開催されたものだった。自分も実際に見に行ったが、金属探知機が設置されるなどしていた。

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展示の鑑賞は20分強。後半の20分は、大浦信行の『遠近を抱えて part2』の鑑賞となる。会場内に座布団が並べられ、みんなで20分間、照明を落とした空間で静かに映像鑑賞となる。これだけは、動画も写真も撮影禁止。

で、内容について。確かに天皇の画像を使った自分のコラージュ作品をバーナーで焼いたり、最後に踏んで消したりはしている。しかし、かなりしょーもなくて…大騒ぎしてなんだったんだろ、みたいな。

若い女子が焼け残ったコラージュを浜辺で拾って、後ろでドラム缶がボーン!と爆発して跳ね上がるところとか、なんだこりゃ、という感じ。富山の美術館が自身の作品が載った図録を焼却処分したことを受けて、大浦氏の内的風景を描いた作品であり、天皇を侮辱したりする意志は無い…というのは、確かにわかるのだけれど、九軍神とか、海ゆかばとか、モチーフを適当に詰め合わせたなー、以上の印象は抱けないものだった

この映像については、映像を専門にする方が、丁寧なレビューを書いている。自分も、好意的にまじめに考えると、わりと近い印象を持つ感想だった。ぜひ、合わせて読んで欲しい

https://twitter.com/shimadagen_/status/1182671162557566976

この日の会場は、警備員ももちろんいるし、スタッフ、実行委員会のメンバーなど、関係者も多く。そして出展作家も3人いたけれど、今日はじめて会場に来たという作家もいた。

映像上映終了後、一言と促されて作家各位も話したのだけれど、時間をまかれても延々と話して終わらない作家や、こういうことがあるといずれ戦争になるんです!と言う作家など、風貌含めて、とても「それっぽい」なあ、という…

この「それっぽい」感じ、説明しにくいのだが、なんだろ、『原爆の図』丸木美術館に行った時の感覚に似ている。 

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 ただ、それは実行委員会の人や作家の人から受ける印象に負う部分が大きく、展示そのものはもっとニュートラルであろうとしていたと思う。あと、上記の映像を専門にしている方の『ゴールデン街』ぽい、という感想も、なるほど感がある。

とにかく、この展示は「美術館で拒否された作品を並べて考える」企画であり、個々の作品がどのようなものであろうと、それぞれの作品の主張が、すなわち、主催したり、補助金を出したりした、公的セクターの主張と理解するのは大間違いだし、今回、大村知事の原理原則は終始一貫、まったく正しいものだったと思う。

しかし、表現の不自由展の実行委員会に委託されたような形になってしまったことなど、キュレーションはいろんな意味で失敗してる展示だと感じた。これはわたし自身の感想であるけれど、検証委員会の中間報告でも似たようなことが書いてあるので、併せて読んでみて欲しい 

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告 - 愛知県

最後になるが、表現の不自由展への脅迫や圧力での閉鎖、さらに閉鎖への抗議で多くの展示が閉じてしまった状態から、再開に向けて努力した皆さんに、おつかれさまでした、ありがとうございました、と言いたい。特に大村知事のぶれない姿勢は称賛に値するものだった。