創価学会のこと③
-どうでもいいことが批判になっている事例-
創価学会を批判する人たちの中で、よく考えたら批判になっていないのに批判として通っていることがある。かえって批判者自身の狭量と差別体質を浮き彫りにしてしまっているのである。
①貧乏人と病人の団体である、という批判
宗教が貧乏人と病人を救わないでどうするのか。貧乏人と病人を受け入れない宗教があれば、そちらが情けない。
これを言うときの批判者の「上から目線」が私はトコトン嫌いである。
②会館の建物が豪華で悪趣味、という批判
寺院も神社も豪華なものが多いし、なかには国宝・重要文化財になっているものもある。そもそも仏教の寺院はその信徒が自分たちが尊敬する僧侶を中心として研鑽したり話し合ったりするために皆で資金を集めて作ったのが始まりで、創価学会が「財務」を集めて会員が集う場所を作っているのもその意味からは何も不自然ではない。貧乏人と病人の集まりといわれてきた創価学会が豪華な建物を現に作って使用していることをやっかんで言っているのではないかと思う。
③創価学会は北朝鮮系である、という批判
なにをもって朝鮮系とするのか。まず証明できない話である。池田大作氏を在日朝鮮人だとする話もあるが、眉唾である。たとえ朝鮮系であることが証明できたとしてそれが何を意味するというのであろうか。「組体操をよくやる」を共通点にあげる人も多いが、組体操は日本の各地の運動会で行なわれている。私の子どもの小学校の締めも高学年の組体操である。
これを言う人の朝鮮蔑視が私は嫌いである。
-少し考えたら不自然な事例-
①創価学会員は洗脳されている、という批判
オウムなどと違い、創価学会員は普段隣人として日常生活を送り、どこかに隔離されているわけではない。そうした状態で洗脳などできるのであろうか。そもそも洗脳とはどういうことをいうのであろうか。なかなか定義は難しいようだ。ここではネット上扱われている「洗脳」の感覚に従ってみたい。
一定の考え方を持つ団体に所属する人が、程度の差こそあれその考え方に共感しつつ所属していることは当たり前である。しかし、それを洗脳というかというとそうではあるまい。「創価学会員が洗脳されている」という場合、「一般常識や法令に著しく反する思想を疑問もなく正しいものと信じ込まされている」「そういう洗脳を組織をあげてやっている」という印象を伴っているのではないか。
であれば、学会員が洗脳されている、とするためには、「創価学会の考え方は一般常識と著しくかけ離れているが、学会員は全く疑問を持たずにそれを実践している」「公明党の政策は政界の常識からかけ離れているが、学会員は盲目的に支援している」「学会は会員に犯罪行為をさせているが、会員は疑問もなく実践する」などの事例がなくてはならない。
現実にはどうか。犯罪団体ではないということは以前に述べたので、公明党を例に取る。公明党は創価学会が作った政党なので、学会員の多くが公明党を支援するのはある意味で当たり前である。しかし、今回の参議院選挙の出口調査によると、「公明党支持者」がかなりみんなの党に流れている。前回の衆議院選挙では民主党にも流れていた。この傾向は所謂「無党派(あまり好きな言葉でありませんが)」と同じである。「公明党支持者」の全てが学会員ではないだろうが、出口調査で「公明党支持者」を名乗る人の多くは学会員であろう。学会内部では、選挙前になると公明党の政策を学習したり候補者の話を聞く機会があるというが、それでも「無党派」と同じ考え方をする人たちが結構いる。その現実は「洗脳」されている、といえるであろうか。「学会員は公明党と一体だ」という人もいるが、学会が公明党を作り支援しているという実態がある、という意味ならその通りであろう。しかし、それを洗脳というのは言い過ぎであろう。
「創価学会による被害者の会」にカルト専門家の浅見定雄氏(統一教会対策で有名)の講演がのっている。
「投票日も迫ったある夜、私の親族の親友(女性)のところに妹さんから次のような電話があったというのである。 「お姉ちゃんは公明党になんか投票しない人だとよく知っているけれど、今度だけ、お願い!」あまりにも切実な感じなので「なぜ?」と聞くと、妹さんはこう言ったという。「5票集めないと仏罰があるの。」「5票」が「あと5票」の意味だったか、また「仏罰」というのが正確に本人が使った言葉だったか、問い合わせれば確かめられるが、実際には変わりのないことである。」
浅見氏らしくもない。これは本人に確かめてから紹介するべき質の話である。「実際には変わりのないことである」ではいけない。特に「仏罰」の言葉を本人が使ったかどうかで話の質に大きな差が出る。「5票集めなければ仏罰が当たる」と本当に本人が思って選挙活動していたとしたら、「洗脳」されている例証になるからである。何故浅見氏ともあろうものが肝心のところを確認しなかったのか。また、なぜ創価学会員が洗脳されているという別の明らかな例をださなかったのだろうか。
さらに、池田氏の本を読んでいつも思うのだが、外国の著名人と渡り合っている論理展開には見るべきものがある。しかし、学会員のどれだけが池田氏の話を理解し実践しようとしているのであろうか。例えば、池田氏はキリスト教にもイスラム教にも価値を認めている。しかし、学会員のなかにはキリスト教を排撃するようなことを言う人もまだいるであろう。
この現象は二つの捉え方で理解できる。一つは著名人にはうまく話を合わせて理解者に引き込むくせに、学会員には違う指導している、という見方。もう一つは学会員が池田氏の考え方について行けていない、という見方である。私には、あれほど多くの著名人が下心あるウソに騙されるとは思えない。だから後者の方がしっくりくるのである。池田氏とガルブレイス博士、ゴルバチョフとの対談などを一読されることをお薦めする。
創価学会員は一定の方向性で洗脳されているわけではなく、むしろ、いくつかの流れ(幹部の指導性)があり、池田氏は精神的支柱ではあっても池田思想ともいうべきものは末端の会員に浸透し切れていない、というのが実態ではないのか。つまり洗脳とは逆の状態ではないのか。
そのようにこれも知人の学会員に聞いたら、「その通り。地域によってくせがある。」とのことであった(浅見氏の紹介した話は教義の上からあり得ないそうであるが)。活動に参加する人の数も地域によってまちまちだとも。
創価学会は、洗脳されているどころかまとまりきっていない。これが現実のようである。
②財務で家の権利など全財産を失った、という話
私の知り合いの学会員は持ち家に住んでいる。そこには学会員が定期的に集まっている。他にも多くの学会員が持ち家に住んでいることであろう。
ネット上に散見されるこうした話は、私は不自然だと思う。もし「家の権利を売って財務をしなさい」というような指導性を学会首脳が持っていれば、もっと多くの学会員が持ち家を失っているはずである。私たちの周辺に持ち家を財務のために失った人はいるだろうか。私はいません。もしそんなことが指導されているとしたら、社会現象になり、「被害者の会」にそうした話が持ち込まれ、財務返還訴訟が各地で起こって創価学会はテンテコ舞になるはずではないのか。しかし、「創価学会による被害者の会」は「創価学会は日本を乗っ取ろうとしている」「政教一致だ」「カルトだ」と叫ぶばかり。実害に乏しい理念的批判団体だ。そうした例を集める気がないようにさえ見える。いや、もしかすると「被害例」はほとんどないのではないか。
ネットの匿名性を利用すれば、いくらでも創作できる話である。眉唾で聞くべきであろう。
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コメント
上三つの事案は初めて聞きましたが一体どこで挙げられている批判ですか?
前回もそうでしたが批判の出典がいまいちはっきりしませんので どこからの引用か明確にして頂けますでしょうか?
リンク等貼って頂けると助かります。
下二つについては「洗脳」という言葉が妥当かどうかは別にして、そういう状況が生まれる恐れがあるのは否定できないと思います。
例示されていた選挙の話についてはyossyさんが何を言いたいのかよくわかりませんでした。
創価学会員票がみんなの党に流れたという根拠も提出されていないですし
データで見る限りは公明党結党の1998年以降比例票はほぼ770万票前後で推移しています。
(※2003-2005は860万票以上と100万票以上上積みされていますが、これは小泉政権下における自民との選挙協力の結果と思われ。)
この度の選挙でも従来と同じ程度の票数を稼いでいるわけで ~「洗脳」という実態がその程度~ というくだりの意味が理解できません。
数年前のコメントでも述べましたが創価学会が私の中の理に適わない点の1点として
参政権という民主主義国家で最も重要な権利を宗教的行為にすり替えているという点が挙げられます。
学会員にとって公明党に投票してもらう人を多く作るということは自らの徳を上げるという宗教活動の一環であり公明党の施策を理解しているかどうかは関係ありません。
こと選挙に関して言えば末端の学会員は学会に求められる役割を忠実に果たしているだけで そこに自らの意思は介在していないように思われます。
(※ex=公明党(≒創価学会)が伸びれば日本や世界が良くなると信じているが、方法論として具体的解決策(≒政策の内容と効果)を説明出来ないなど。
推測にはなりますがそのような状態が「洗脳」と言わしめている要因の一つではないかと思います)
最近では私の周りでそのような話も聞かなくなったので学会が方針を改めたのか 熱心な学会員が周りにいなくなったのか、もしくはそういう場面に運良く遭遇していないだけなのか、状況はよくわかりません。
しかしながら民主主義の根幹をなす投票という行為を「徳」という宗教的概念、もしくは信仰に対しての「責」で縛ってしまうのはどうも腑に落ちません。
これは池田大作の思想ではない、各支部における独断であるという主張をなさるのであれば少なくとも公明党だけを支援するような学会員による選挙活動は禁止するぐらいの通達を学会として出すべきでしょう。
あと財務についてはよくわからないので教えて頂きたいのですが
・一口1万円を振り込みにて行うとありますが 振込先はSGI本部1か所ですか?
・収支や使用用途は末端会員に公開されますか?また監査はどなたが行っているのでしょうか?
・名目上はお布施という形で強制ではない。とありますが財務を行ったかどうかの追跡調査はあるのか?
・財務を行ったかどうか 個人が特定できるとして多額の財務を行ったものは学会内での地位や名誉等の報酬が与えられるのか?
・制度として集金システムが構築されていることに学会内部から異論は出ないのか?
・財務の返還請求は制度として存在するのか?
・財務の返還をめぐっての裁判は存在するのか?
これに関しては金銭が絡む為、家族やその周辺に与える影響が大きいので どうしても感情的な情報しか見受けられません。
したがって考察するにも情報が決定的に不足している状態です。
出来れば建前ではなく本音でお答え頂けると幸いです。
投稿: PublicComment | 2010年7月23日 (金) 14時48分
PublicCommentさん。いつもありがとうございます。
>上三つの事案は初めて聞きましたが一体どこで挙げられている批判ですか?
上の二つは伝統的に言われているようなところがあり、2chや知恵袋等でも時々見受けられるものです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426066929
http://logsoku.com/thread/society6.2ch.net/koumei/1235843635/ の4
など。
3つ目の北朝鮮系は掲示板、知恵袋等で頻繁に見受けるものです。http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
など。
2ch等の掲示板は次から次から新しいスレッドを立ち上げていきますので、すべて出典を明記するのは難しいです。
>例示されていた選挙の話についてはyossyさんが何を言いたいのかよくわかりませんでした。
すみません。文章が下手で。私も満足していませんので作り直します。ようは、いろんな学会員がいていろんなレベルの主張をしている実態を見てみると、創価学会の実態は「洗脳」という言葉とはほど遠く、むしろ統一性に欠けるのではないか、といいたいのです。
>創価学会員票がみんなの党に流れたという根拠も提出されていないですし
参議院選挙の出口調査結果を分析していたテレビ番組で報道されていました。どこの番組だったかは忘れました。すみません。
>創価学会が私の中の理に適わない点の1点として参政権という民主主義国家で最も重要な権利を宗教的行為にすり替えているという点が挙げられます。
私の感覚では、創価学会の会員がすべて公明党に投票しているわけではないと思います、第一誰がどこに投票したかなどは分かりません。選挙活動を信仰次元でどのように位置づけているのか、という実態は学会員に詳細に聞かないと分かりませんが、そのような人もいるでしょうし、それだけでは有権者に響かない、ということで政治的にきちっと勉強している人もいる、というのが実態ではないでしょうか。
>学会員にとって公明党に投票してもらう人を多く作るということは自らの徳を上げるという宗教活動の一環であり公明党の施策を理解しているかどうかは関係ありません。
こと選挙に関して言えば末端の学会員は学会に求められる役割を忠実に果たしているだけで そこに自らの意思は介在していないように思われます。
これも実態は、学会員に聞かないと分かりませんが、私の回りにはよく考えている人も多いです。公明党の政策を理解していないとも言えません。
学会の書物等を読む限りは「自分たちで作った政党を自分たちで育てよう」というのが基本的なスタンスのようです。「議員にどんどん意見も言っていこう」という表現も見たことがあります。
ネット上に、創価学会の選挙活動について、「無批判で政策も訴えずに、ただ頼む。○○に入れて」はおかしい、などという批判があり、その批判は理解できます。ただ、特に地方選でよく見られる自治会丸抱えの議員に対する地域の方々の様子や、労組が民主党や社民党を組織を挙げて応援する様子を見ると、大きく変わりません。自分の地域の利害、自分の労組の利害だけで積極的に選挙活動をやっている人、地域や組織の一員としてズルズルやらされている人、無批判に一票を投じる人も多いと聞きます。そもそも組織で選挙を応援するということはそういうことなのではないでしょうか。
財務については実態は把握できていません。私は、財務のせいで一家離散、持ち家を取られた等のケースは、実際にあったとしてもレアなケースではないか。学会の指導性としてそうしたことが行なわれているのではないのではないか、といいたいだけです。財務にはっぱをかける婦人幹部の発言とされるものがネットに出回っていますが、出所不明であるだけでなく相当前のものであったりして、現状を映し出しているとは言えません。
宗教法人法の平成7年の改正で次の点が変更されました。
○全国規模の宗教法人の所轄庁を都道府県知事から文部大臣(当時)に移す。
○財務関係を中心とする法人備え付け帳簿の所轄庁への提出を義務づける
○利害関係者は宗教法人の事務所に備えられた書類又は帳簿を閲覧することができる。
ですから、>収支や使用用途は末端会員に公開されますか?また監査はどなたが行っているのでしょうか?については、法的にケアされているということができます(財務書類の提出を京都仏教会やPL教団などは少なくとも一時拒否しましたが、創価学会は提出しています)。
この改正は自社さ連立政権による創価学会を標的にした改正と言われており、
(http://www.kbo.gr.jp/kaihou/65-3.htm を参照)
創価学会は当局からいかなるイチャモンもつけられない、隙のない財務処理をしていることが想像できます。
財務の返還請求訴訟については、かつて一度だけ耳にしたことがあります(山崎正友氏が焚きつけて提訴させたのに敗訴しただったか?)。財務は寄付行為で自発が原則ですので、退会者がかつての財務を返還してくれというのは法的には難しいでしょう。「あの時はその気だったけど、気持ちが変わったから返してくれ」が通ることにはどんな宗教団体も反発するでしょう。ただし自発でなく強制的であったことが証明されたり、財務をした時に正常な判断ができない状態であったことが証明できたら、返還の可能性はあるかも知れません。
学会が「洗脳」をしているという主張をする人たちは「洗脳」が溶けたとされる脱会者に返還訴訟を勧めるべきなのに、それがされていないということは、「洗脳」自体が証明できないのではないでしょうか。
投稿: yossy | 2010年7月24日 (土) 10時07分
創価については書きこみを止めると言ったけど、どうしても言いたいことがあります。
>「公明党支持者」がかなりみんなの党に流れている。で、洗脳はそんなレベルって。
「糞みたいな嘘言ってんじゃね~よ、jふぁこlhふぃあおhふぁj」と逆上してたところ、P.Bさん 見事な突っ込みです。惚れました。
創価学会は北朝鮮系である、という批判
池田が朝鮮人であろうがなかろうが、北の体制を維持する為や核開発に財務の一部が流れているなら世界平和に貢献しているとは言えませし、北朝鮮一般人にとっても不幸です。
でも、池田が朝鮮人なら、やっぱりなって思います。違ったらごめんね。強欲爺さん。
>これを言う人の朝鮮蔑視が私は嫌いである。
組み体操を誰の為にしているのかが問題です。私は小学校の組み体操は良いものだと思いますが、北朝鮮で行われている金正日に見せる為、体制を維持する為におこなわれているのは嫌いです。でも、Yossyさんは北朝鮮のマスゲームも好きなんですね。
>学会が「洗脳」をしているという主張をする人たちは「洗脳」が溶けたとされる脱会者に返還訴訟を勧めるべきなのに、それがされていないということは、「洗脳」自体が証明できないのではないでしょうか。
洗脳の証明が不可能だからといって、洗脳がないとするのもおかしいですよ。でも、yossyさんは脱会員の「洗脳されていた」との声は無視して洗脳はなしの立場ですよね。すると、脱会員が嘘を言っているか、偽脱会員が嘘をついていることになりますよね。Yossyさんはどっちだと思います?
投稿: junk | 2010年7月24日 (土) 18時16分
junkさんは、「とにかく創価が嫌い」から出発されていますので、私の文章をきちんと読まれないでコメントを書かれています。
>組み体操を誰の為にしているのかが問題です。私は小学校の組み体操は良いものだと思いますが、北朝鮮で行われている金正日に見せる為、体制を維持する為におこなわれているのは嫌いです。でも、Yossyさんは北朝鮮のマスゲームも好きなんですね。
反論する気にもなりません。
私の紹介した「北朝鮮云々」のサイトはまったく根拠を示さないまま批判を羅列してあります。私は「創価は北朝鮮系」という批判がこの程度のものだという例証として紹介したつもりなのですが、それを信じてしまう人もいる、ということを忘れていました。ちょっとショックです。
投稿: yossy | 2010年7月24日 (土) 19時01分
話の腰を折らないようにといいながら毎回コメントいれちゃってますね。スイマセン。
リンク先拝見させていただきました。
①の貧乏人と病人云々というのは高度成長期において地方から都市部に流入したブルーカラー層が創価学会躍進の原動力になっているから。ということでしょうかねぇ。
②の悪趣味という意見については完全な主観の意見であり「はぁ そうですか」としか言いようがないですな。
③の北朝鮮系のうわさについては脳内フィルタで読み飛ばしてましたw そういえば池田氏も在日認定されてましたね。気に入らない人物は誰でも在日認定されてしまうので付き合ってたらキリがありませんw
いずれにせよ2chソースであーだこーだ言うのはやめたほうがいいですよ。クソまじめに正義感を振りかざしても誰からも相手にされません。
そもそもウソやデマ、それらしく見える作り話なんてものは2chやネットだけに見られるわけではなく、あらゆるメディアに山盛りあるわけでそれの一つ一つにいちいち反論するなんてことはナンセンス極まりないです。
この場合、本質的なものを捉えるとすれば「なぜ創価学会は一部の人から忌避されるのか?」ということで、そこに対しての説明を学会や学会員が的確に答えられていないからあらゆる方面からバッシングされるんだと思うんですよね。
前回エントリーでのjunk氏のコメントにもありましたが「いじめられるにはそれなりの理由は必ず存在する」と私も思います。(心理学や社会学などの学術的には問題大アリな論法だとは思いますが)
yossyさんはいじめを行うほうを先に指導しないといけないとおっしゃられていましたが 事故対応の初手としてはそのとおりだと思います。
しかしその構図が常態化したときには問題の根底にある「何か」を除去・解決しようと虐める側 虐められる側双方の意見を聞き、それぞれを指導するのではないですか?
すべての事例においてそのような構図が当てはまるとは言いませんが 皆が怯える影に光を当てようとしない学会側「にも」責任があるのではないかと感じております。
組織票についての問題はyossy殿のおっしゃるとおり対象が自民党であれ民主党であれ社民党であれ、個人が所属する組織に投票先を指示されるということは当たり前のように行われています。
(余談ですが世間一般では当たり前でも私はこの組織票の存在を快く思っていません。この議論はあまりに話がそれるので別の機会にでも)
ただ、創価学会員の公明党に対する関係と業界団体のその他政党に対する関係とでは性格が大きく異なると思います。
自民や民主もあらゆる業界団体から支持を取り付けていますが両者の間は利害関係に依って成り立っています。またその利害のベクトルも多種多様です。
多種多様の利害を扱うが故に、必ずしも支持団体すべてに対して利益を供給することができない事態も起こりうるでしょう。場合によっては特定の団体にかなり大きな損害を与えることになるかもしれません。
仮にそういう事態に陥った場合、組織や団体は支持政党を乗り換えるという選択をするかもしれませんし、政党側も世論の支持を得られないと見れば団体からの支持を切り捨てることもあり得ます。
しかし公明党の場合は少し事情が異なります。支持層の大部分を創価学会(及びそのシンパ)が占めているため、基本的には学会の向いている方向に意識を向けておけば問題ありません。
いくら学会と公明党がまったくの別物と言ったところで学会の影響力がここまで大きいと創価学会と公明党は一身同体と言ってしまってもいいと思ってます。
そういった批判を公明党が嫌うのであれば創価学会以外の支持母体を得る努力を行うと思うのですが(すなわち創価学会の影響力を相対的に低下させる努力)
未だかつて創価学会以外の支持を大々的に得られていないのは何故なのでしょうか?
学会内部にもyossyさんのおっしゃるように今のままでは公明党の理念が有権者に届かないと政策研究を重ねる方々もおられるでしょう。
しかしそれは学会の中でどれほどおられるのでしょうか。公明党の比例獲得票のうちの何%程度なのでしょうか。
・・・とは言ってもそんなの測りようもないので私の印象・憶測で申し上げると770万票の内の700万票程度は池田大作を聖人として崇め、学会こそが真の世界平和へ道しるべだ、それこそが良い行いなのだと信じている人たちの創価学会への信任票だと考えています。(学会に所属しており、もしくは学会員と近い関係にあり、周辺との軋轢を作りたくないノンポリ票も含む)
すなわち公明党の政策理念に賛同して投じられた票は全体の10%程度だろうと予想しており、上記のような創価学会への信任票が衆参両議院で40議席を獲得し、キャスティングボードを握ろうとする様子にえも言われぬ違和感を感じるのです。
ずいぶん長くなってしまいましたので財務についての感想はまた改めて・・・
投稿: PublicComment | 2010年7月25日 (日) 00時20分
聖教新聞の韓日表記がなかったら、創価学会が朝鮮系だとは信じません。日本語の表記として日韓でしょ、普通。
それよりも最後の質問に答えてくれていません。yossyさんは脱会員の「洗脳されていた」との声は無視して洗脳はなしの立場ですよね。すると、脱会員が嘘を言っているか、偽脱会員が嘘をついていることになりますよね。Yossyさんはどっちだと思います?
投稿: junk | 2010年7月25日 (日) 03時26分
財務について
財務処理が適正に行われているという論拠に挙げられました宗教法人法25条ですが
おっしゃる通り平成7年の法改正により管轄が都道府県知事から監督省庁へ移管となり、収支報告書の提出が義務付けられました。
しかし少し調べてみたところ この収支報告書提出をもって疑念が晴れたとは言い難い状況です。
前回列挙しました財務についての疑問点の第二項
>・収支や使用用途は末端会員に公開されますか?また監査はどなたが行っているのでしょうか?
については 学会員からの開示請求であっても拒否されるという状況となっているようです。(これは是非お知り合いの学会員に確認を取ってもらいたい)
その根拠としてあげられるのが平成7年宗教法人法改正に対して文化庁から各都道府県への以下の通達書面
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19960902002/t19960902002.html
この中の第三項 「事務所備付け書類及び帳簿に関する信者その他の利害関係人による閲覧について」 を要約すると
・信徒や檀家(創価学会なら学会員)は収支報告書の閲覧対象に含まれる。
・しかしその者が閲覧請求に値する正当な目的を有するかどうかの判断は教団の判断に委ねる
ということになります。
したがっていくら学会員が収支を開示せよと請求を出したところで学会側が「見せられない。」と判断すれば請求を拒否することが出来、法的にはそれでも問題なしとなってます。
・・・・・・ザル法としか言いようがないですね。
創価学会の年間の総収入は噂では何百億ともいわれ(しかも寄付に関する収入に関しては非課税)現代における大企業並みの収入を得ながら
その使用用途もはっきりせず、また誰の監査も入らない。前述の宗教法人法では所管官庁への収支報告書の提出こそ義務化はされていますが
同時に同法では行政による宗教活動を阻害する行為をかなり神経質に予防しており、よほど悪質な違法行為が明確な証拠付きで見つかりでもしない限り全く手が出せないな。という印象を受けます。
この状況は必ずしも創価学会だけに言えたことではありませんが宗教法人における不透明極まりない財務状況については
新興宗教ビジネスを取材されたジャーナリストさんも「不要な疑心を生む」とコメントされていますし私もその通りだと思います。
http://karamaru.com/2008/09/post-70.html
むしろ不思議なのはこれだけ大きな額が動いているということを認識しながらそのお金が一体どのように使われているのかを気にしない(もしくは気にするということを封じ込める)創価学会の体質です。
それだけのお金が具体的なプロジェクトに投資されたという話も聞かないですし 聞こえてくるのは池田氏の叙勲や学位授与や各国要人との対談の話ばかりです。
しかも伝え漏れてくるのはこれは金銭的な支援の結果ではない。金銭的な関わりは一切無いというコメント。
ではその学会が抱える膨大な資金は一体どういう使われ方をされているのでしょうか。私には全く見当がつきません。
難民や戦災孤児を支援する街頭での寄付が必ずしも食料や教育に行き渡らず、その地方の有力者の手に渡り賄賂や武器を買う資金になってしまうというような馬鹿げた話もあります。(真偽のほどは不明ですが十分すぎるほどあり得るでしょう)
財務で集められた善意のお金の用途に疑問を抱き 学会内で透明化を図ろうとする勢力はないのでしょうか?
もしもこの点において全く疑問を抱く事はないというのであれば「何かおかしい」と思う人はいないのでしょうか?
というようなことを何となく考えたりしてます。
投稿: PublicComment | 2010年7月25日 (日) 18時48分
先に申し上げたとおり、「創価学会員は洗脳されている、という批判」を書きかえました。また、ご意見を頂戴したいと思います。junkさん。脱会者のいう「洗脳されていた」がどういう意味か私には判断できませんので、例示して下さい。
PublicCommentさん。
>2chソースであーだこーだ言うのはやめたほうがいいですよ。クソまじめに正義感を振りかざしても誰からも相手にされません。
私も全く同意見なのですが、こういう風潮を看過できないという動機から書き始めたものですから。こういう2ch等の信ずるに足りないヨタ話は、「信じられない」とスルーしながらも、何となく悪印象だけを残していくという効果があります。だからウソは明確にウソとして排除しないと、本質的な議論がでません。何度も言うようですが、私の目的は創価学会を宣揚したり讃えたりすることではなく、そうしたガサネタを出来るだけ排除することです。最後に「創価学会は批判されるのか」についても私の現在の考えを書きたいと思っています。
公明党の支援について。今から書くことはちょっと勘違いされるかも知れませんが、思い切って書きます。
>自民や民主もあらゆる業界団体から支持を取り付けていますが両者の間は利害関係に依って成り立っています。というのはその通り現実です。私が最も嫌う現実です。自分の目先の利害だけで投票行動を決める、そういう国民の幼稚性が日本を遅らせているのだと思います。日本の将来のために投票行動を決めないでどうするのか、ということです。そういう意味では、私の周囲の創価学会員は少なくとも自分の利害で動いていないように思います。本当かどうか分かりませんが、公明党が日本の政治を変える、と確信して応援しています。学会員には社長さんも労働者も主婦もいろんな階層の人がいて公明党の政策が一次的に困る人もいるだろうに(そういう人が他党に流れているのかも知れませんが)。利害で動くのが当たり前の社会の中で、利害以外の動機で動くから異様に映るのではないかと、そういうふうにも思います。ちょっと持ち上げすぎですかね?
財務について。宗教法人法については、なるほどそれではザル法と言わざるを得ませんね。お教えいただきありがとうございます。よく知られていることですが、自社さ政権は別名、四月会(死学会)政権と言われており、自民党が細川連立政権に政権を奪われた原因を公明党=創価学会に求め、冷遇されてつつあった社民党とさきがけを抱き込んで成立させた政権でした。宗教法人法改正は創価学会にダメージを受けさせるのが最大の目的だったようですが、ザルになった背景はおそらく自民党を支援する宗教団体からの反発があったのだと想像します。
また、企業が財務状況を公表しなければならないのは、株式市場が経済社会の根幹をなしているという実情と関係があります。すべての国民が株主に成りうるわけですから、今の経済社会は企業が財務状況を公開しなければ成り立ちません。国や地方公共団体も私たちの税金で運営されており、私たちの社会の運営にどのような使われ方をするのか、私たちは知る必要がありますので当然公開されるべきです。しかし、宗教団体はちょっと違うと思います。お布施というのは、信者がその教団の教義を信じその発展のため、その指導階層の生活のため、などの目的でイスラム教的に言えば「喜捨」することです。何に使われているか教えなければ出さない、というのでは喜捨になりません。これが基本です。ご紹介いただいたリンク先にあるように、お布施の総額となにに使用されているか、総資産はどれだけあるのか、ということを明らかにしている宗教団体(寺社含む)はほとんどないのではないでしょうか。こうしたお布施の質は釈迦の時代から変わりないように思います。ただ、そこからは「指導階層」と「信者」の階層分離が自ずから見えてきます。株主や国民のように、信者が運営の主体者であるような宗教団体があれば、信者に財務状況を公表するのではないでしょうか。創価学会の場合はそうではないのでしょう。ただしその場合も国民すべてを対象とする公開は理論的に無理があります。宗教団体の財務状況は経済社会の根幹ではありません。信者以外の人が知りたいと言うのはお門違いでしょう。
ちなみに、私は色々な所に顔を出してきた関係で、T教団(もちろん仮称)の青年部長と飲んだことがあるのですが、彼はこういっていました。
「創価学会は会館を作りすぎている。文化祭などのイベントも多い。海外布教も熱心だ。どれだけ集めても財政的に持たないのではないか。うちは大丈夫。信者が半減しても財政的に持つから教団経営はできる」
これはちょっとショックでした。
投稿: yossy | 2010年7月26日 (月) 22時33分
2chスレにおける枝葉の煽りに反論するのは莫大な労力だけがかかって得るものが無いと思いますがとりあえずがんばって下さい。
明確に同意できるものについてはコメントにて支援させていただきます。
さて、組織票と利害関係云々についてですが
>利害で動くのが当たり前の社会の中で、利害以外の動機で動くから異様に映るのではないかと、そういうふうにも思います。
その感覚は今まで私が散々お話してきた内容そのままですね。
しかしyossyさんのおっしゃる動機は「彼らなりの正義感」、私の言う動機は「悪意無き信仰心」という違いがあります。
利害以外の動機で投票を行っているという点においては似ているのですが「政治というものを理解しているか」またそこから導かれる「支持政党の決定プロセス」は両者間において全く異なります。
前回もお話しておりますとおり学会員の10%(憶測)程度は熱血な「正義感を有し」「本質を理解し」「熟考の結果」公明党支持を選択される方もおられるでしょう。
しかし私が言いたいのは90%(憶測)程度の学会員は上記のような自由意志による政党選択の機会を信仰心によって奪われてしまっているのではないか?ということです。
yossyさんがおっしゃられるような憂国の士が学会内におられるのも理解できます。しかし現行の選挙というシステムの中で影響が大きいのは明らかに後者です。それを私は危惧するのです。
この点においてどうもポイントのずれた議論になりがちなので私の主張を重ねて申し上げておきます。
財務および宗教法人法について。
>宗教法人法改正は創価学会にダメージを受けさせるのが最大の目的だったようです
本当にそうなんですか?その論拠は?
尚、誤解のないように言っておきますが私は学会の収支報告書を信者以外にも公開せよというような主張は持ち合わせておりません。
また総資産を公開せよ。とも言っておりません。
コメントをしっかりと読んでいただければ私の抱く疑問や疑念はご理解いただけると思います。
他にも寄付・寄進・慈悲喜捨に対しての考え方、またそれらを受ける宗教団体としての責務などについて思うところはまだまだありますが話が変わってしまうのでとりあえず置いておきます。
気がつけば深夜になってしまいました。
眠い目をこすりながら書き上げたので校正が不十分かも知れません。ご容赦ください。
投稿: PublicComment | 2010年7月28日 (水) 01時55分
そうですね。
批判するなら正しく批判するべきです。
投稿: coffee | 2010年8月 1日 (日) 19時23分
体調が思わしくなく、ついついお返事を差し上げません事、お許し下さい。
PublicCommentさん。いつもありがとうございます。
>利害以外の動機で投票を行っているという点においては似ているのですが「政治というものを理解しているか」またそこから導かれる「支持政党の決定プロセス」は両者間において全く異なります。
>90%(憶測)程度の学会員は上記のような自由意志による政党選択の機会を信仰心によって奪われてしまっているのではないか?ということです。
何を投票の意志決定の判断材料とするかということですね。テレビのコメンテーターと言われる種族(大嫌いです)の適当なその日の気分でくるくる変わるコメント、時流にはずれれば重要なことでも平気で無視する(鳩山の政治資金問題など)新聞の社説、残念ながら必要な情報が正しく提供されていない状態のなかで私たちは投票行動を決めています。私は一般の世間を取り巻く現状は正常ではないと思います。多くの国民が「政治というものを理解しているか」というと疑問です。
創価学会の人たちが公明党を作り、自分たちなりの政治的理想をいだき、学習し、運動するということは、新聞やテレビの情報にも接したうえで一般の私たちにはない動機と別の情報を判断材料として付け加えて持っているということであって、そんなに特別なこととは私には思えません。それが異常に思える背景にはやはり「洗脳されている」という印象があるのではないでしょうか。信仰心だけで政党選択が行なわれているのではなく、身近な公明党の地方議員などに文句や意見を相当に言っているようですよ。
>宗教法人法改正は創価学会にダメージを受けさせるのが最大の目的だったようです
本当にそうなんですか?その論拠は?
これは論拠というよりも、当時まさにそのようにそのように展開されていた、という事実としか説明のしようがありません。
http://www.kbo.gr.jp/books/kaiseitozeisei-00.htm
http://www.kbo.gr.jp/kaihou/65-3.htm
をご覧いただきますと、少なくとも京都市仏教会はそのように理解していたことが分かります。さらに国会の参考人招致も行なわれ、創価学会の当時会長の秋谷氏も出ています。まるで証人喚問のような雰囲気でした。wikipediaの四月会の項目も参考にはなります。
なお以前の財務についてのお尋ねで分かったことを書いておきます。
・財務の振込先は各都道府県の創価学会の口座だそうです。銀行でも郵便局でもできるそうです。
・収支や使用用途は末端会員に公開されていません。監査は分からないが、本部内では何らかの形で行なっているようだということです。
・財務を行ったかどうかの追跡調査はないそうです。
・多額の財務を行っても学会内での地位や名誉には関係ないそうです。会社の社長さんで多額の財務をされる方が役職はないという例はめずらしくないそうです。
・かつては地域によって財務を集める会場を設定し、そこで直接納めていたということです。しかし、セキュリティ面からも、それこそ金額も分かるし誰がまだしていないかも分かるので、銀行振込になったそうです。当初内部の異論があったようです(心がこもらない等)が、今は聞かない、ということでした。
coffeeさんコメントありがとうございます。HP、熟読させて頂きます。
投稿: yossy | 2010年8月 8日 (日) 01時05分
自由民主主義社会においてはどのような事柄においても選択の自由があるか無いかというのは非常に重要な事だと思っております。
熱心な学会信者が「ああ今回は比例も選挙区も民主党に投票してみよう」と思い立ち、個人の自由意思において学会また他の学会員に対して背徳心を感じることなく投票できるものでしょうか?
yossyさんのお話の中で「熱心な人は公明党議員に文句や意見を言う人も多いですよ」というコメントを多く目にしますがそれは政党選択の問題ではありません。創価学会(員)としての政治参加です。
おそらくこのまま続けてもお互いの主張がかみ合うことは無いであろうと思いますので勝手にまとめさせていただくと
宗教というのは個人においての善悪の判断基準、物事の価値基準、ひいてはその人のアイデンティティの根源たる存在だと思います。
そういう存在である宗教団体が特定政党への投票を指導し、選挙での勝利を渇望している以上その行為は宗教的行為の延長線上にあると言え、他政党への投票は創価学会の教義・方針に背くことになり、他政党への投票を躊躇させる(アイデンティティーを揺るがすほどの)心理的な負担となっているのではないのか。
また今回は話題に載せておりませんでしたが上記の内容に加えて・公明党への投票を周囲に呼び掛けることが教義的に善行とされており自らの幸福追求の為に選挙活動を行うことが集団心理として無意識のうちに求められているのではないか。
という2点が私の中で創価学会における選挙運動の疑念としてあったのですが、結果としてそれを覆すだけの情報には出あえませんでした。
したがって「洗脳」という表現が妥当かどうかは別として、「そのように言わしめるだけの素地を今の創価学会は未だに持ち合わせている。」と考えてます。
ちなみに創価学会は学会員に対して公明党への投票を指示、指導はしていない。巷で言われているようなF活動は存在しない。というのであれば前提条件が崩れますので私が事実誤認をしているようであればお知らせください。
・宗教法人法改正問題について
仏教会の冊子は初見です。勉強になりました。
秋谷会長の参考人招致の議事録は読みましたが雰囲気や臨場感については解りかねます。
・財務について
お手数をおかけしてすいません。確認有難うございました。参考にさせていただきます。
ところで本当に集金したお金はどこでどういう使われ方をしてるんでしょうねぇ。
会館が多いと言えども近代的な施設なのでそんなに維持費がかかるとも思えず・・・
ここ最近やたらとテレビやラジオで創価学会の広告を見る機会が増えているので新規信者獲得の原資になってるんですかね。
この議論の為に学会について突っ込んで調べるようになりましたが
近年の創価学会の実態としては「宗教法人」というよりはカリスマ指導者が牽引する「世界平和を標榜する市民団体」と捉えた方が本質的には近いように思えてきました。
隙間の時間を使って複数日にわたって文章を紡いでおりますので十分に練れていません。乱文ご容赦ください。
投稿: PublicComment | 2010年8月14日 (土) 20時22分
>自由民主主義社会においてはどのような事柄においても選択の自由があるか無いかというのは非常に重要な事だと思っております。
その通りです。
>宗教団体が特定政党への投票を指導し、選挙での勝利を渇望している以上その行為は宗教的行為の延長線上にあると言え、他政党への投票は創価学会の教義・方針に背くことになり、他政党への投票を躊躇させる(アイデンティティーを揺るがすほどの)心理的な負担となっているのではないのか。>公明党への投票を周囲に呼び掛けることが教義的に善行とされており自らの幸福追求の為に選挙活動を行うことが集団心理として無意識のうちに求められているのではないか。
それはありうることですし、その通りかも知れません。しかし、すべての国民が地域や職場に所属しその支援する候補がいたりする環境にいて、少なからず「心理的な負担」「集団心理」の影響を受けながら、そのなかで誰に投票するか決めているわけです。そのことも含めて「自由な意志」だと私は考えます。ただしウワサのように「支援しないと地獄に落ちる」などという脅しが実際に行なわれ、それが組織的意図的確信的に行なわれているのならば、私は友人の創価学会員に退会運動を行なうでしょう。ちなみに創価学会は公式的には「会員の公明党への支援・投票は自由だ」と言っています。また紹介します。
>近年の創価学会の実態としては「宗教法人」というよりはカリスマ指導者が牽引する「世界平和を標榜する市民団体」と捉えた方が本質的には近いように思えてきました。
その通りですね。これほど現実社会へのアプローチが強い宗教団体はないのではないでしょうか。しかし、なかにいる会員は間違いなく日々「勤行」をしていますから、やはり宗教団体でしょう。
投稿: yossy | 2010年8月15日 (日) 18時30分
早速のお返事恐縮です
>ただしウワサのように「支援しないと地獄に落ちる」などという脅しが実際に行なわれ、それが組織的意図的確信的に行なわれているのならば...
ここの点については注意を要すると思います。おそらく直接的に上記のような脅迫まがいの事は行われていないでしょう。そんなことをやっているようなら本当のカルトです。(勢力拡大に躍起になっていた昔の創価学会なら解りませんが)
私が危惧するのはむしろその逆で、学会が推奨する善行を行わなかったということに対しての背徳心が心理的不安を呼び起こすのではないか。
また積極的に選挙運動をする人は選挙運動をすればするだけ何らかの御利益を得られると期待しているのではないか。創価学会に対して参政権という社会的権利までを喜捨させているのではないか。という点です。
創価学会側もそういう批判を意識して「会員の公明党への支援・投票は自由だ」という表明をされているのだと思いますが、だとすると一心不乱に選挙活動を行う学会員の行動に疑問がのこります。
(少なくとも私に接触してきた方の言動をみるかぎり公明党の政策に共感して応援していたということでは無いのは確か。)
創価学会員における選挙活動を見るかぎり、学会員における投票の自由とは暗黙の了解という重力を振り切った人たちだけが得られるものであろうと考えます。
まあこの件においても立証しようが無いのであくまで私の憶測・推論の域を出ませんが 創価学会、公明党ともにそういう視線でみられていることを知りつつも
創価学会は公明党への影響力を最大化できるよう組織を挙げて全力で支援を行い、
公明党も創価学会の意思を汲み取り創価学会以外の支持母体を求めようとしていない現状において、そこにあらゆる疑念が生まれるのは仕方が無いことなのかなぁと思ったりもします。
投稿: PublicComment | 2010年8月16日 (月) 00時27分
PublicCommentさん、いつもありがとうございます。
>私が危惧するのはむしろその逆で、学会が推奨する善行を行わなかったということに対しての背徳心が心理的不安を呼び起こすのではないか。
それはありうるでしょうね。しかし、それは所属する組織が候補を支援したという体験をされたことのある方は同じ心理的不安(圧迫)を感じられたことがあるのではないかというのが、私の考えです。
>また積極的に選挙運動をする人は選挙運動をすればするだけ何らかの御利益を得られると期待しているのではないか。創価学会に対して参政権という社会的権利までを喜捨させているのではないか。という点です。
参政権をどのように行使するかということ(棄権する、無視するも含めて)は本来国民にゆだねられていますので、学会員一人一人が参政権をどのように行使しようが関知する問題ではない、というのが私の考えです。
創価学会と公明党については、創価学会が公明党を作ったという事情を加味する必要があります。いつか誰かが作って今ある、という距離感ではなく、「おらが政党」「今も作りつつある」という近しい距離感を感じていることは間違いありません。そのような感覚は一般の我々にはないもので、それが学会員の公明党に対する支援の激しさを勘違いさせている原因の一つでもあると思います。
>少なくとも私に接触してきた方の言動をみるかぎり公明党の政策に共感して応援していたということでは無いのは確か
私の場合そうではないのです。私の周囲の学会員はよく勉強しよく納得して、公明党の政策の利点も限界も理解して支援を訴えてきます。PublicCommentさんと私の発想の違いはそこから来るのかも知れませんね。
一番大切なことは、公明党の政策と行動が日本のためにどうなのか、ということ。野党第2or3党の政策と行動を予断を差し挟まずにしっかり政治的に評価していかないと、日本のためによくない、というのが私の確信です。今のマスコミは面白おかしく報道するか無視するかのどちらかです。
投稿: yossy | 2010年8月19日 (木) 20時38分
しつこく食い下がるようでスイマセン。
埒が明かないので今回で私のコメントを〆ます。
>参政権をどのように行使するかということ(棄権する、無視するも含めて)は本来国民にゆだねられていますので、学会員一人一人が参政権をどのように行使しようが関知する問題ではない、
これは同意します。だからこそ組織が投票先を指導するという 国民一人一人の判断を阻害するような行為に嫌悪感が生じてしまうのだと思います。
前述しておりますように組織票はどの政党においても存在しますが、個人の利益の為であったとしても、たとえそれが世界平和の為であったとしても
組織が自らの権力を行使して参政権の大義名分を歪めてしまうような圧力をかけることに私は反対します。
以前、利益誘導型の組織票は最も忌むべき現実という表現をされておられましたがyossyさんは自民党や民主党の組織票は汚い組織票だが公明党の組織票は綺麗な組織票という風にお考えなのでしょうか。
理想論かもしれませんが私は組織票全てが忌むべき存在である。と考えています。
話がそれました。
yossyさんの御友人の学会員さんはよくお勉強されているということですので公明党がどのようなビジョンを持っているのか良く御存じなのでしょう。
しかし私に接触してきた方はそうでは無かった。
私は特に固定支持政党を持ち合わせていないのですが(保守派寄りの無党派層)その方のお話を聞いていて、どう好意的に解釈したとしても、まったく合点がいきませんでした。
その違いが私とyossyさんの学会に対しての評価の違いに関係しているのは間違いないでしょう。
しかし私が見たような組織ぐるみで政治的関心が無い人にまで政治運動をさせている状況。というのは事実「ある」と思いますし、(どこまでが本当の事か解りませんが)net上でも同様の話をいたるところで見ることができます。
元来政治的指向を持ち合わせていない方に対して政治運動をさせるように仕向けるのは正常な状態とは言い難いでしょう。またそうやって選挙運動をさせることが学会を忌避させる一端ともなっているのを学会自身も知りながら何故止められないのでしょうか。
yossyさんは政治を積極的に学び、自身の考えを啓蒙し運動をされる御友人のような学会の表の面を見て「洗脳」という状況はあり得ない、したがって創価学会が信者を洗脳しているというのはNet上で流れている「デマ」である。と表現されている。
しかし私は裏の面を見て「洗脳」に準じる状況が生み出されているという事実があるのではないか。「デマ」であると断罪するには根拠として弱いのではないか。と指摘させていただいた次第です。
話が大きく膨らみすぎて色々な面に話が飛びましたが今回のエントリーの内容で私が言いたいのはそういうことです。
最後になりましたが、学会にも人格者はおられると思いますし逆に周囲の意見に流され続けるような心の弱いかたもおられるでしょう。個人的には創価学会という組織は理解できない事が多く、攻撃的な側面を持つ為嫌いですが、
学会員だからと言う理由だけで個人批判をするつもりは全くありません。
創価学会および公明党が持っている不透明さ・彼らが展開する選挙活動と信仰の関連性に対して疑問を呈しているだけです。その点だけは誤解なきようにお願いいたします。
投稿: PublicComment | 2010年8月27日 (金) 13時57分
長く返信しないですみません。事情がありまして。
私なりの思いを書かせて頂きます。
>組織が自らの権力を行使して参政権の大義名分を歪めてしまうような圧力をかけることに私は反対します。
>理想論かもしれませんが私は組織票全てが忌むべき存在である。と考えています。
人間は組織的動物です。すべての人が、家庭や地域、職場、仲間などの組織に所属しています。そうした自分を取り巻く組織の人々と語り、意見を交換し、時には文句をいい、時には評価して、最終的に自分が投票先を決めるのが参政権の行使ではないでしょうか。創価学会員は、日常のなかで、ニュースを見、新聞を読み、くだらないバラエティの無責任なのにやけに影響力のあるコメンテーターのコメントも聞いています。その上で、自分たちが作った公明党の説明を聞き、彼らなりの選挙活動の意義を構築し、意見を交換し、時には文句を言いながら、最終的に投票先を一人一人が決めている。みんなの党や民主党に入れている人もいる。私にはそんなにおかしなこととは思えません。
PublicCommentさんの創価学会の印象の中には「学会員はやらされている」という感覚があると思いますが、私は人間というのはそんなに従順で単純なものとは思いません。日常生活から隔離されて情報から遮断されているならともかく、学会員は普通の生活者です。個人的な事情や思いをみんな抱えているはずです。上の幹部が「やらせよう」としても簡単に動くはずがありません。他の組織の人もそうでしょう。ましてや学会員は自分の利益よりも社会の発展等を動機としている点で、私はプラスに評価しています。そもそも私は「組織票」「集票マシーン」などという決めつけた言葉が大嫌いです。かってに決めつけて判断するのはよくないと思います。
>私が見たような組織ぐるみで政治的関心が無い人にまで政治運動をさせている状況。というのは事実「ある」と思いますし、
>元来政治的指向を持ち合わせていない方に対して政治運動をさせるように仕向けるのは正常な状態とは言い難いでしょう。
「政治的関心が無い人」が政治運動に参加していると言うことは、政治に関心を持ったから参加したのではないでしょうか。関心もないのに参加するほど、人々の生活は楽なものでもヒマなものでもないでしょう。
「元来政治的指向を持ち合わせていない方」というのはPublicCommentさんらしくない表現です。そのような人が本当にいるとなれば、民主主義の前提が崩れてしまいます。
PublicCommentさんは、創価学会が閉鎖的であるという印象から入っておられます。しかし、私にはそれほど閉鎖的であるとも思えないのです。そこが一番違うのではないかと思います。
創価学会の会館に「創価学会について知りたいから教えてくれ」と訪ねたら、教えてくれます。「トイレを貸してくれ」と訪ねても貸してくれます。彼らの会合にもかなり明け透けに参加できます。お金も取られません。私は出来る限り自分から様々な団体などにアプローチして自分の目で見て判断するようにしてきましたが、会館や寺院などに入るだけで金を取る宗教団体(拝観料ってなんだ!)やトイレも貸してくれない団体、阪神大震災の時でさえ周辺住民を閉め出した団体も知っています。学会は阪神大震災の時、会館を完全解放して、会館を拠点にして全国からの支援物資を地域に配布していました。国や地方公共団体よりも速かった。1995年1月27日の「パペポテレビ」で上岡龍太郎が「宗教団体は何してる。創価学会だけは別やけど」と指摘していました。私は創価学会はかなりオープンな団体であると思っています。
熱心に勧誘されることもありますが、宗教団体なら当たり前です。私は勧誘しない宗教団体があればむしろ宗教団体としての意義が疑われると思います。かつては強引な「折伏」もありましたが、非常識なことはなくなってきています。
組織ですから機密もあるでしょうが、それをいちいち取り上げて「閉鎖的」というのもおかしいと思います。財務の詳しい使い道などを公開するかどうかは、創価学会の組織主権の問題であって、組織外の人間がどうこういうことではないでしょう。
以上がPublicCommentさんのまとめを受けての私の意見です。
投稿: yossy | 2010年9月11日 (土) 19時57分
Yossyさんの意見は
「創価学会と公明党は、政教分離に反していない。なぜなら、学会員でも民主党に入れる人がいるからである。組織票、集票マシーンなどと決めつけるのは良くない。 本来、人は組織的動物であるから、宗教団体が政治に組織的に関わることは問題ない」で、いいですか?
Yossyさんが全面的に正しいとすると、全ての宗教団体にも政党をつくる権利があることになります。と、いうことは軍国的新道が復活して政治に口を出してもよいのでしょうか?大和民族新道原理主義(なんだか良く分かりませんが、ヒトラーのような独善的な考えをを持ちプーチンのような強硬派であり、カリスマ指導者が率いる宗教団体)が政党を創っても、yossyさんは問題ないと思いますか?
仮に、大和民族新道原理主義宗教の信者が国民の60%以上に膨れ上がって軍国主義やナチスのように在日排除を叫んだとしたら、怖いと思いませんか?
創価学会は開放的な良い宗教で、大和民族新道原理主義は悪い宗教だから、政党を創ってはいけないとはならないでしょう。だから、日本は政教分離を掲げたと思うのですが、政教分離に反対の立場のyossyさんはどう考えます? 聞かせてください。
もう一つ聞かせてください。
創価学会の財務をイスラム教的に言えば「喜捨」だと言っておられますが、イスラムの喜捨の目的は福祉です。政府が存在しなくてもイスラム信者には福祉が行き渡るように、国がなくともイスラム信者が飢えることのないようにと考え出されたものです。
財務と喜捨は同じですか?そうでないのなら、イスラムと創価学会を同等に述べるのは違うと思います。
投稿: junk | 2010年9月12日 (日) 12時33分
日本国憲法には「政教分離」の文言はありません。憲法20条を解釈して政教分離であるとされていますが、実際には国家と宗教の分離で、国家の一機関を宗教団体に任せたり(江戸時代の宗門人別など)、国教を設定したり(戦前の国家神道など)、国家が特定の宗教を迫害したりすることが禁じられています。その目的は、信教の自由を確保することです。日本国憲法では、宗教団体が政党を持つことは禁じられていないのです。
以上は私の考えではなく、憲法学の定説です。
したがって公明党も幸福実現党も問題ありませんし、大和民族新道原理主義宗教が政党を作ってもかまいません。もっとも私は支援しないでしょうし、それどころか批判し攻撃の言論を張るかも知れませんが。それが憲法の保障した政治参加の自由ですし、言論の自由です。ただし、その攻撃の論拠は明確でなければならないことは言うまでもありません。
喜捨の件は、お布施の心というのは「喜んで使って下さい」というところにあるもので、使い道を報告しなければ出さない、という質のものではない、ということをいうのに「喜捨」という言葉を利用したのであって、イスラムの「喜捨」と学会の財務の厳密な違いを取り上げるのは私の文脈から外れます。もし、イスラムの信者に喜捨の使い道が報告されているということであれば訂正します。
投稿: yossy | 2010年9月12日 (日) 17時53分
すいません、私がバカでした。では、仮に公明党が単独で与党になっても(ありえませんが)、政教分離に反しませんか?
創価学会のように公明党が日蓮や他の宗教を攻撃しないと言い切れますか?
公明党が創価学会を特別扱いしないと言い切れますか?
池田のように神道を攻撃しませんか?
靖国に口出ししませんか?
>イスラムの信者に喜捨の使い道が報告されているということであれば訂正します。
と、ありますが、イスラムの喜捨は使い道がはっきりとしています。もちろん、中には兵器購入に使用されているかもしれませんし、報告の義務もなかったと思います。しかし、使い道の不明の創価の金を例えるのに、イスラムの喜捨を使うのは違うと思います。
投稿: | 2010年9月12日 (日) 23時44分
公明党が単独与党になっても、憲法学的には違反となりません。ただし、政治権力を使って他宗を攻撃したり創価学会を特別扱いすれば、その時点で政教分離違反となります。
そうしないと言い切れるかどうか、という仮定の話はあまり意味のある話ではないと思います。
投稿: yossy | 2010年9月13日 (月) 00時31分
私も学会員で入信して五年、きっかけは家庭不和や仕事、今は乗り切り普通に暮らしてます。
何を根拠に学会の悪風評をサイトに書くのか?単なる妬みかと思います。池田先生が平和、人間、文化を主体に海外100ヵ国まで広げた功績はすばらしい。
我々は池田先生についているのでなく日蓮大聖人の御本尊、人生の在り方についてます。
宗教は世界様々にありカルト的なものもありますが、学会は人との対話、繋がりで成り立っています。
経済悪化になるほど、皆神社や寺、パワースポットなどに行くのと同様に私は御本尊にお願いをして、かつ自らも努力を惜しまない。
学会は地域には欠かせないものです、お年寄りの1人暮らし、近所付き合いが無い現代社会にコミュニケーションを取れる唯一の団体です。常に訪問し70歳以上のお年寄りの安否確認にもなります。
学会は、社会に大きく貢献していると私は思ってます。宗教心が無い方がただカルト、悪徳業者、危険な団体、池田先生が多くの株所有など事実無根なことネットなどで記載してます。
投稿: 学会員 | 2010年9月13日 (月) 10時52分
>池田先生が平和、人間、文化を主体に海外100ヵ国まで広げた功績はすばらしい
創価では池田大作はガンジー、キング牧師、ダライラマに並ぶほど素晴らしいなどと言っておられるようですが、具体的に何をしたのですか?平和?って何をしたの?文化を広めるって何ですか? 人間を広める? 意味が分かりません。
学会員の方に聞きたいのですが、池田大作名誉会長が名誉教授の称号をかき集めていますが、どのように感じておられるのかお聞かせください。池田大作が学術的論文を書いているなど聞いたこともありませんから、非信者からすると、とても不思議なのです。
>学会は地域には欠かせないものです、お年寄りの1人暮らし、近所付き合いが無い現代社会にコミュニケーションを取れる唯一の団体です。常に訪問し70歳以上のお年寄りの安否確認にもなります。
そのような良い側面を否定はしませんし、学会員が悪い人だとも思ってません。また、どちらかと言うと良い人が多いと感じていますよ。ただ、唯一の団体だと盲信するのは違うと思います。キリスト教だって同じようなことしてますから。
投稿: | 2010年9月14日 (火) 00時06分
有り難うございます。
池田先生がダライラマ、ガンジー池田など称されてますが、私にも解りません。(入信した時から既に称されてました)
宗教を通して平和、文化や人との和を作り上げる事と理解してます。
宗教や哲学倫理では実際に解決出来ないことは多々あります。
先生の学術称号や世界中の都市からの賞状においては宗教哲学の見地から頂いているのだと思ってます。
学術論文については無いと思います。
日蓮大聖人のご本尊、御書(キリストでいう聖書)について、各哲学者の話をされてます。
各宗教は全て同じであるので共存出来ると話されてます。
最終的には、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を国内、世界中に広布し幸せになってもらいたい。
投稿: 学会員 | 2010年9月15日 (水) 12時31分
学会員さん、無名子さん。コメントありがとうございます。
この記事の目的は、あくまで学会を巡る根拠無き批判の検証にあり、学会を宣揚することにも、批判することにもありません。そこのところをご確認願います。
その上で若干申し上げます。
無名子さんの
>創価では池田大作はガンジー、キング牧師、ダライラマに並ぶほど素晴らしいなどと言っておられるようですが、
はご確認なさった方がいいです。私の知るところでは、創価学会が言っているのではなく、そのように池田氏を尊敬している団体・個人があるのです。さらにダライラマは出てこないと思います。
このような厳密性を欠いた言が一人歩きをすると、より大きな根拠無き批判につながりますので、ご確認願います。
また、
>池田大作名誉会長が名誉教授の称号をかき集めていますが、
とありますが、「かき集めている」とされた根拠をお示し下さい。単に権威付けのためならば200を越える数は必要ないと思いますし、失礼ながら無名な大学も含まれていますので不自然です。授与した大学をも批判することになりますので、2chの住人とは一線を画して慎重にお願いします。
学会員さんは、
>先生の学術称号や世界中の都市からの賞状においては宗教哲学の見地から頂いているのだと思ってます。
とされていますが、授賞の理由は一回一回大学や都市が明らかにしているはずですし、聖教新聞などに報道されているのではないでしょうか。せっかくの機会です。お読みになられて、ここでご紹介していただいてはいかがでしょうか。
私個人は、池田氏の対話活動。「SGIの日記念提言」などの現代世界の難局への具体的提案と働きかけ。創価学会の展示、署名などの平和、人権活動。民主音楽協会を通じての文化活動。創価学会インターナショナルが各国で社会に貢献するよう指導され、実践していること、などが総合的に評価されているのだと理解しています。評価されているのは池田氏個人の活動だけでは恐らくないでしょう。
いずれにしても、「池田・ゴルバチョフ対談」など一度目を通されてはいかがかと思います。やはり、さすがにすごいことを言っていますよ。
なお池田氏にいては、近々まとめて論じる予定です。
投稿: yossy | 2010年9月15日 (水) 18時29分
ttp://livedoor.2.blogimg.jp/far_east_news/imgs/c/9/c9a06f6e.jpg
これ読んでください。
yossyさんはこれを読んでどう感じました?
別に朝鮮人だからどうこうって訳じゃないけど、yossyさんが必死で否定するから、ちょっと聞きたくて。
でも、yossyさんのことだから、国籍なんか関係ない! 差別だ!って切れんだろう。
日本で朝鮮名で反日するのは勇気ある行動だし、理由もある。
日本人で反日する奴も日本を良くしたい為のような気がする。
でも帰化人で日本名を使い反日する人間を俺は認めたくない。正々堂々と朝鮮名を名乗る私の友人のほうが立派な人間だと思う。
大作特集をする時、ぜひ池田大作氏の考える韓日友好とやらを教えてください。
未だに謝罪と賠償を日本に求めているのかなどです。
投稿: junk | 2010年10月14日 (木) 01時37分
なにをもって朝鮮系とするのか。まず証明できない話である。
ワタシもガセは嫌いなので信用できるものは何だろう・・・とは考えました
まあ・・この碑文は文句無しの証拠ですね堂々と記してあるのですから
日本人とは言いがたい人に
政党なんぞこの日本で動かしてほしくないものだ
ヤメてくれるないか・・・池田君
http://livedoor.2.blogimg.jp/far_east_news/imgs/c/9/c9a06f6e.jpg
投稿: | 2011年12月16日 (金) 15時29分
日韓友好のために韓国の立場を尊重して書かれている文章にしか見えませんが。
これが黒人相手なら『ブラザー』って書くかもしれない(笑)
Junkさんは見ていると『好き・嫌い』がまず前提にあって、その上で論を発している。
だから、相手の論も『好き・嫌い』が前提になってると思い込んでないですかね。
逆です。
好きか嫌いかは一旦脇にどけ、一つ一つの論を検証する智恵を私たちが身に付けないと、それこそ権力者や利益追求のために言葉を飾る人、メディアや風説に私たちは簡単に感情や衝動を利用されてしまう。
yossyさんは、その警鐘として創価学会を例として挙げたに過ぎない。
あと、いくら言葉を飾っても、人格の歪みがでてますよ。
差別的な人間ですらない。
あなたは差別そのものだ。
論全てが差別から出ている。
投稿: rom | 2012年5月 1日 (火) 14時20分
>日本で朝鮮名で反日するのは勇気ある行動だし、理 由もある。
日本人で反日する奴も日本を良くしたい為のような 気がする。
でも帰化人で日本名を使い反日する人間を俺は認め たくない。正々堂々と朝鮮名を名乗る私の友人のほ うが立派な人間だと思う
差別が一番顕著に現れてるので、最後の一文を引用させていただく。
問題にすべきは、『人間の感情的な争いの根治。そしてそれは何によって私たちの心に起こるのか』であって、反日論で使う名前が日本名だの朝鮮名だので人間を判断するその心が差別だということを全くわかってない。
本当に悲しくなる。
投稿: rom | 2012年5月 1日 (火) 14時53分
学会員としての極論で言うと「法華経の行者は迫害される」という法理の故に、不道理かつ否応なく叩かれる現実があることを認めざるを得ない。それが覚悟できないのでは創価は法華経の実践団体とは言えない。
そもそも宗祖・日蓮自体が捏造・デッチ上げで随分と鎌倉幕府に迫害されたし、人生では困難と理不尽の連続だった。
それから、幕府と政治的に緊密で「邪宗」とこき下ろされた高僧達が日蓮との教理的「法論」ではなく陰謀で教団壊滅を図った点から見ると、現代の創価学会叩きや法華経哲学の現代的推進者たる池田名誉会長を貶める虚構イメージの反復操作の実態も「宗教的次元から俯瞰することは可能」なのだが、ここではもっとより社会的な実体論で語られているのでその話を。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年5月 2日 (水) 19時55分
組織に所属して活動している人間からすると、学会批判の多くは論じるまでもなくウソっぱちだらけの難癖という以外にない。よくもまぁ雨あられのように調べもしないデタラメを吐き続けるものだと。
ストーカーだの、香典泥棒だの、滅茶苦茶だ。実は香典泥棒の話を創作・流布したのは創価学会の拡大期に檀徒を奪われた他宗教団体の相談に乗った大宅壮一で、それを死の直前に本人が潮の編集者に告白し謝罪したのが明らかになっている。ジャーナリストとして随分と悔いていた様子だったと話を聞いた。
そもそも50年に渡って政治力学上の重要地位を占める政党の支持団体ともなれば、偽装入会して学会員を装い反社会的行為を繰り返す、内部告発に見せかけたマッチポンプ、政敵の絶えざる謀略などで学会へのイメージダウンを意図する動きに晒されることなど日常的だ。
入会の時に思想検査ができるわけでもなく、人格テストを行えるものでもない。フリーランスに開かれた組織の内部に、どのような課題が発生するのかという「実体的な考察」が完全に欠如した非難などがそもそも学会への本質論になるはずもない。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年5月 2日 (水) 19時57分
政教分離についてはyossyさんのご指摘通り。国家の思想中立を規定し、もって国民の思想信条の自由を保全する主旨。その観点から靖国への国会議員の集団参拝の方がよほど疑義があるだろう。(個人の信仰は当然に自由。)
もし公明が単独政権になったら…という話だが、特定思想・宗教への肩入れも保護も我々学会員が認めない。ただそれだけ。そんな小さな目的のために政治参加して身を捧げているつもりはさらさらない。良い政治を創出して欲しい。それだけ。手弁当で応援しているのは、利害なんかで動かない我々の誇りでもある。公明党が伸びたからって仕事が貰えるわけでもない。金が貰えるのでも党内の地位が上がるのでもない。
民主主義においては貧富貴賤の差なく、どんな人も平等の1票という力を持っている。これを当然に発揮させて大衆の意見をきちっと国会に入れていくことを目的にする作業に何の問題があるのだろうか。
池田名誉会長はかつて「公明党のような大衆政党が作られることによって、これまでは常に強者の思惑に埋没していた民衆が積極的に政治参加する機会を得ることになった点で、民主主義の観点からも重要な仕事を担ったのだ(大要)」というようなことを言っていたが、今でもまことにその通りだと思う。
庶民には政治の難しい判断を個々人がすることが困難なケースが少なくない。何が問題点なのかがわからないのが問題点の人たちは、当然に政治への興味を喪失するし、まして政治参加などとても覚束なかった。公明党は自らの党の理念を支持者・党員・党友に話し「政治とはこうあるべきだ」ということを一貫して訴えてきた。公明党員の政治感覚は今日ではそれほどおかしなとも思われない。現場主義・国民目線に立つ政治家の養成は公明党員にとっては当たり前のことである。これはハッキリと「教育」の成果だ。また、公明党の政治判断が気に入らないことなど日常茶飯事だ。議員に唾飛ばして激昂する会員も目にする。「なんでも右に倣え」のような洗脳などというネガティブな解釈は学会・公明党の事実を感得しないで口にするだけのものだろう。印象だけで語ると自らを恥じ入ることになる。学会員が聴いても「むむ、なるほど。頷ける確かな指摘だ。」と言えるようなリアルな感想を見たいといつも思っている。
長文、失礼しました。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年5月 2日 (水) 20時06分
初めまして
コメントも含め記事を興味深く拝見しました。
大聖人が当時迫害・弾圧されたのも、学会が批判され続けたことも、その理由について池田名誉会長は「別に法華経に書いてあるとか、御書に書いてあるからだとかではなく、単純に世の中の価値観や常識と違うことを主張したり、行動したからだよ」と身近な方によく仰っていると聞きます。教義的な因果を否定した訳ではなく、もっと冷静に見ているのだと思います。
学会に限らずあらゆる事象において常識や一般的な価値観と違うことをやれば批判が出るのは当たり前だ、ということでしょう。出る杭は打たれる、ですね。
政治との係わり合いについては、『雲海の着想』(人間革命10巻)の中で、名誉会長は率直な想いを綴っておられます。
http://blogs.yahoo.co.jp/nonviolencedevelop/20815064.html
後半の(以下引用)
将来、二十年先か、三十年先か、五十年先になるかわからないが、妙法の土壌からまったく新しい真の政治家が出現したとしたらどうだろう。
多数の民衆の衆望というものを担った偉大な一世を風靡【ふうび】するような政治家が、
われわれの土壌から出たとする。
衆望のおもむくところ、民衆はその政治家を信頼するに足るとして、彼の政策遂行に協力せずにはいないだろう。
こうなると、この政治家を中心として民衆自身の望む政党もできるであろう。こうなると、いまの会員の支援など問題でなくなる。
社会の広汎な民衆の支持こそ基盤となる。
つまり、会員は選挙権の行使に気をつかわなくて済むに至るだろう。
時代とともにここまで拡散しなければ政治の分野の広宣流布とはいえないのではないだろうか。
(引用終わり)
これについて言えば、例えば、某氏が大阪府知事に当選した翌日の聖教新聞で『大阪に若獅子誕生』と名誉会長は書いてます。
新聞を読んだ某氏は早速〇〇関西長に電話をして「これは僕のことですか?」と確認しています。
某氏のその後の政治姿勢、理念について名誉会長がどの様な見解を抱いているかは定かではありませんが、当時は注目していたと思いますよ。
『会館建築について』
豪華な会館を昨今バンバン建てていることと、財務との関係で色々批判があるので書きます。
実は、会館の新築も建て替えも・・・そもそもそれはそれぞれの地域の中心会館なんですね。それらの会館は殆んどが40年近く前の会館建築ラッシュの時に作られたもので、現在、老朽化や耐震面や安全面が問題になってました。当然、行政的な指導も圧力もあったのでしょう。
よって学会としては建てざるを得ないんですね。ただ、これから少子化を迎えるに辺り、その他の小さな会館などは利用価値が少なくなるんです。つまり閉館です。
新しい会館が増えている、というのは今の時点では錯覚でしかなく、これから長い間利用できるしっかりした大きな会館を作り、その代わりその他の会館を整理統合していく流れになります。学会本部では(会館を減らすにあたり)、当該地域の会員さんにどの様に理解してもらうか頭を抱えている様です。
投稿: 雅人 | 2012年5月 4日 (金) 10時44分
romさん、伊達半蔵さん、雅人さん、コメントありがとうございます。しばらく見ないでいるうちにこの記事へのアクセスが増えていることに驚いています。2年弱前に書いた当初は全く反応がなかったのですが。しばらく身体を壊しておりまして、中途半端になっているシリーズなのですが、なかなか再開できずにおります。
お三人は、創価学会員のようですね。私の知らない情報をお教え頂きありがとうございます。
ネット社会の異常性を見ると、創価学会をなんとか否定しようとしているとしか思えない反学会(勢力?)が存在するとしか私には思えません。そうした面白おかしい話が喧伝されて、善良で「善意の」一般市民までが本当のことと思って巻き込まれているような感じです。junkさんがそうです。またPublic Commentさんなどはそうした情報に振り回されずに正面からの疑問と批判をされていますが、これなどは例外です。これらの疑問には、私などではなく学会の方々が応えられるべきだと思います。そんな場が創価学会員さんと外部の方の間にあれば、本当に生産的な場となるのではないかと思います。
是非、お取り組み下さい。
投稿: yossy | 2012年5月 7日 (月) 20時14分
romさんへ。
日韓友好のために韓国の立場を尊重して書かれている文章にしか見えませんが。
これが黒人相手なら『ブラザー』って書くかもしれない(笑)
池田大作はブラザーの碑文を残していますか?あれば教えてください。朝鮮以外に肩入れした友好の碑文があるのであれば、あなたの言われることを理解できます。英日、米日の友好碑文の中で相手国に肩入れした碑文を紹介して下さい。お願いします。
私が差別そのものだと言われますが、
あなた方ってすぐに「差別だ」と騒ぎたてますよね。
はっきり言いますが、反日の朝鮮人と本気の創価学会員、本気のキリスト教徒、などの人たちと接する時は、警戒感から私は区別して接するようにしています。特定の話(政治や宗教)は極力避け、地雷を踏まないように心がけています。
創価学会員の同僚が選挙の度に公明党の話を振ってきますが、ウザイけれど、無視したこともありません。が、はっきり言います。正直にあなた方はメンドクサイ。
差別だ、賠償だ、などと騒ぐ人たちを警戒感なしに相手にできるど私は出来た人間ではありません。しかし、あなた方は「プロ被害者」ですから、すぐにそれを感じ取って差別だと騒ぎます。そして、私はより警戒します。悪循環ですよね。笑
投稿: junk | 2012年5月18日 (金) 00時57分
このエントリーについてのやり取りはもう2年前の事になるんですね。早いものです。
体調は戻られましたか?激務かと思いますがご自愛ください。
さて、
皆様のご意見を興味深く拝見させていただきました。
どうやら学会員の方もおられるようですのでyossyさんの「他所でやれ」というお言葉を噛みしめながら一つお伺いしたいのですが
学会員による公明党推しの選挙活動は一体何のために行われているのでしょうか?
公明党も創価学会もあの行為が様々な不信感を煽っているのは自覚してますよね?
前回のコメントでも入れましたがここ数年はそういう場面に遭遇していないので
もしかしたら既に方針転換をなされているのかもしれないですが
そこんとこ学会員さんとしてどうお考えなんでしょう?
投稿: PublicComment | 2012年5月23日 (水) 19時47分
偶然このサイトの記事を見かけ、コメント欄も含め、大変興味深く拝見致しました。
Public Commentさま
はじめまして。私も一学会員として、日々良き社会人として、また人間として、今まで以上に成長できるよう、創価学会の活動を通して取り組んでいる一人です。
>学会員による公明党推しの選挙活動は一体何のために行われているのでしょうか?
これに関しましては、その昔、自分が先輩から教えて頂いた&学んだ事で、
(結構うる覚えですが…)
「政治を民衆の手に取り戻す」という趣旨のもと、当時の既存政党ではそれが出来ないと考え、それであれば、同じ信仰をもつ同志の中から輩出させよう、と言うのがきっかけで設立された党、だと自分は認識しております。
現在も(=民主党政権)、自分のイメージでは、50年前と状況が変わっていない(=民衆が無視されている)としか思えないので、だったら、公明党の議員さんに政治を良いように変えてもらいたい、との思いで自分は支援をしています。
だからって訳ではないかも知れませんが、公明党議員に対する眼は厳しいですよ(笑)ちゃんと仕事をしていないと感じたら、それはもう大変(笑)
過去の教訓もあるでしょうが、こちらからしても、しっかりしてもらわないと、支援をお願いした方に顔向けできませんからね。
>公明党も創価学会もあの行為が様々な不信感を煽っているのは自覚してますよね?
>前回のコメントでも入れましたがここ数年はそういう場面に遭遇していないので
>もしかしたら既に方針転換をなされているのかもしれないですが
個人的には、不信感を煽っている人は、その行為を自覚していないように思えます(笑)
少なくとも、自分が所属している地域では、むしろ逆で、一つ一つ地道に理解の輪を広げる為の行動を求められてます(少なくとも10年以上前から)。
まぁ、それでも勘違いした行動をする人もいてますので、軌道修正を促すために、上位役職の方は日々奔走してますが。
不信感が煽られている原因はいろいろあるでしょうが、ただ、本当の原因の解明は難しいのではないかと感じています。情報が氾濫しすぎて。またどちらかに偏りすぎて。
…とまぁ、まとまりのない文章になりましたが、Public Commentさまいかがでしょう?
投稿: | 2012年5月26日 (土) 18時26分
↑
上記の文章は私ですm(_ _)m
junkさま
はじめまして。
>私が差別そのものだと言われますが、
>あなた方ってすぐに「差別だ」と騒ぎたてますよね。
>はっきり言いますが、反日の朝鮮人と本気の創価学会員、本気のキリスト教徒、など
>の人たちと接する時は、警戒感から私は区別して接するようにしています。特定の話
>(政治や宗教)は極力避け、地雷を踏まないように心がけています。
正直、この文章を拝見すると、junkさまの様な方に対して「差別主義者」という認識を少なからず持ってしまいます。そうでなければ、特定の話・団体に対して、そのような反応はしないはずですから。
ただ、好き嫌いはあってしかるべきだとは思います。そういう意味で上記の発言をされているのであれば、凄く理解は出来ます。
だって、junkさまの様な方と初めて接した場合、私であれば、明らかに「嫌い」の部類に入りますので、凄く警戒して接してしまいそうですので…(あくまでも第一印象だけで言えばですが…)
>創価学会員の同僚が選挙の度に公明党の話を振ってきますが、ウザイけれど、無視
>したこともありません。が、はっきり言います。正直にあなた方はメンドクサイ。
ちなみに、本当にメンドクサイと感じられているのであれば、当の本人にハッキリと伝えたら良いかと思います。それでも、状況が変わらない(or酷くなる)ようであれば、それを上司に報告するべきです。自分が逆の立場なら、速攻でしますよ。それこそウザイので。
最後に、上記の内容を、学会員としてではなく、一人の人間の意見として聞いて頂けると嬉しいです。
投稿: かわぶう | 2012年5月26日 (土) 18時59分
junkさん、PublicCommentさん、かわぷうさん、コメントありがとうございます。
だいぶ前に書いたこのシリーズが何故か最近閲覧数が増加し、コメントも頂くようになり驚いています。これを書いた後、身体を壊した時期があり中途半端なままほってあります。書きたいことはあるのですが、なかなか着手できないでいます。創価学会について正面から書くことには、それに対する反応などを考えると結構労力がいるのです。そもそも書き出した動機からして、「創価学会をめぐるネット上の批判には、出典や事実の裏付けのない不当なものが多い。こんなことでいいのか」というものですので、私が記事を書く上でも出典や事実を確かめて書かなければならないと考えるからです。
romさん、かわぷうさんが、junkさんを差別論者などと言われますが、私はこのブログを通じてjunkさんとは長いつきあいなので分かるのですが、junkさんの言動は対局にいる人が読むと過激に聞こえますが、真実であると認められることについてはきちっと認める度量を持った方です。単なる感情的批判者ではありません。お二人はおそらくは創価学会員でしょうから、junkさんにお二人の持っている情報をきちんとお伝えになることが大切だと思います。ネット言論には、相手にレッテルを貼って、かってに分類して、論破した気になって、かってに勝利宣言する人がいますが、それは対話とはいいません。なにとぞよろしくお願い致します。
PublicCommentさん。私は、創価学会の公明党支援はかなり単純な動機に発しているように思っています。世間で勘ぐられているように「日本を支配しよう」などは考えていろようには見えませんし、そもそも不可能です。公明党が創価学会の政治支配の先遣隊だとして、カリスマ的な政治家を輩出して、いい政治を行ない、支持率を高めて政権を取ったとしても、例えば「創価学会を国教にする」などという法案を出した時点で本物の政教一致です。これを回避するためには憲法を改定する必要がありますが、2/3の国会議員と50%の国民の支持を得るのは無理でしょう。
創価学会員は、既成の政治家を信用できずに自前の政党・公明党を作ったが、その期待を裏切る政治家の出現や政治が「妥協」の世界であるという事実を突きつけられて(公明党は創価学会員の期待しているようにはなっていないらしいです)、学会内の支持率も低下している、というジレンマに陥っているということらしいです。政治の世界は魑魅魍魎の住む世界です。宗教的動機はストレートで純粋です。純粋な動機で政治の世界に身を投じてダメになった人物は数多くいると聞きます。また、そういう人物を私は実際に知っています。
そう考えると、創価学会と公明党はやはり別の団体と考えたほうが分かりやすいと、私は思います。
ただ、ここまで書いてなんですが、やはり「別で」やってほしいですね。コメントでこれ以上の議論をするのはなかなか難しいです。もっとも続きを書けていない罪悪感もありますので、コメントにはできる限り反応してまいります。
投稿: yossy | 2012年5月27日 (日) 00時29分
わわぶうさんへ
>、特定の話・団体に対して、そのような反応はしないはずですから。
前にも書いてるけど、「本気の人」を警戒してる。勧誘する人や自分の宗教を一番だと信じて譲らない人達のことです。学会員だから警戒するんじゃなくて、本気だから警戒するわけ。本気の神道信者、天皇崇拝が異常な人、本気のアニメオタクや鉄道オタクなんかも含んで警戒するわけ。だけど、今までに本気の新道信者や天皇崇拝論者にもであったことはではないんですよ。右翼団体と話す機会なんてないでしょ?だけど、キリスト教徒と創価は身近にいるし、攻撃的宗教(勧誘有)だから目立つ。だからその特定の団体名を出してるだけで、「など」って書いています。
>ただ、好き嫌いはあってしかるべきだとは思います。そういう意味で上記の発言をされているのであれば、凄く理解は出来ます。
私は創価もキリスト教も嫌いですけど、学会員やキリスト教徒全員を嫌っているわけじゃないんですよ。だから創価の友人もいればキリスト教徒(白人)の友達もいます。好き嫌いの話をしているんじゃないんですよ。白人とイスラム教信者とヒンズー教信者とみんなで話をしてるときに、神の話を振らないようにする。普通のことでしょ?だけど、あなたはこれをすることが差別主義者だと考えるなら、私は間違いなく差別主義者です。
差別について
差別主義者って言って何がどう変わるの?外国に住んでた時、白人や中国系移民や黒人なんかと友達になった時、私は日本人で英語も下手だったから区別された。時には日本のことを悪く言った友達(この時は知り合い程度のつきあい)もいた。ここで差別するなって言ってたら、私は外国人の友達なんて出来なかった。日本人のメリットとデメリットを背負って、差別的な目で見られても仲間になる努力をした。その結果、友達になった。
差別って言葉を簡単に使う人って、私はどこか変だと思うんです。だって区別されるなんて当たり前のことです。私も年齢や国籍、学歴、いろんなもので区別、差別される。そんな当たり前のことを言って相手を不快にすることがよい結果を産むとは思えません。ただ、学会員だから収容所に入れられるとかは本当に差別だと思いますよ。その時は差別だと言ってもいい状況だと思います。ただ、差別だと言っても何も解決しません。日系アメリカ人は戦時中に収容所に送られた。その時、若い日系人はアメリカ人として軍隊に入隊して信頼を勝ち取った。年老いた日系人は収容所から解放されたのちにアメリカに溶け込んで信頼を勝ち取った。区別されたくなかったらアメリカ人として生きたわけです。それでも日系は差別されてますが、他のアジア系よりは信頼されてます。創価は区別(差別とあなた方は考えている)と闘うのに「差別するな」で対抗しているようですが、何か解決すると本気で思っているの?
投稿: junk | 2012年5月27日 (日) 12時21分
junkさんのコメントに興味を持ちました。
「本気」の創価学会員です。
junk | 2012年5月27日 (日) 12時21分
>前にも書いてるけど、「本気の人」を警戒してる。
>勧誘する人や自分の宗教を一番だと信じて譲らない人達のことです。
>学会員だから警戒するんじゃなくて、本気だから警戒するわけ。
そうですね、創価学会に所属していても、本気でない会員は多数おります。
>だけど、キリスト教徒と創価は身近にいるし、
キリスト教、特に「ものみの塔」の方は、こまめに知らない家を訪問していますよね。
創価学会員は、基本的には知らない方には、アプローチはしていないはずです。
あくまで、ある程度、人間関係が築いてある方ですよね。
>攻撃的宗教(勧誘有)だから目立つ。
自分の信じている宗教に対して、絶対に正しいと「確信」が無いのであれば宗教の価値は無いですよね。
他者に対して「正しい宗教ですよ」と勧めることができない宗教であれば、自分も信仰する価値が無いということですよね。
憲法20条で、信教の自由は法律的にも保障されているのですから、警戒などしなくても、「イヤだよ、嫌いだよ、勧誘しないでくれ」と
はっきり言い切ってしまえばいいことだと思いますよ。
私は、何人もそういう方に出会ってきていますし、
私自身、入会する際には、
「憲法20条で信教の自由は保障されていますから、今は全て理解して入会するわけでなく、
紹介者を信じて、試してみようという程度の気持ちですから、
価値の無い宗教、あるいは、悪い宗教だと判断した時点で、
退会しますのであらかじめ御了解ください」
と、断ってから入会しています。
もっとも、その後、実践してみて、正しい宗教だと確信しましたが。
その信頼できる友人と出会う前に、他の方から勧誘されましたが
「興味ありません、勧誘は迷惑です」とキッパリ断りましたよ。
junk さんの今の問題点は、キッパリ悩まずに拒絶できないことではないでしょうか?
勧誘されても、悩まず、毅然とした態度の方も多いですよ。
勧誘に警戒するぐらいなら、いっそのこと、
創価学会は、何を教えているのか、研究してみた方が価値的だと思いますよ。
必ずしも、正式に入会しなくても、創価学会の内部に入って、実態を観ることは可能ですよ。
完全オープンですから。
投稿: 絵 | 2012年5月27日 (日) 16時27分
junkさん、絵さん、コメントありがとうございます。
一言だけ。
絵さんのコメントに
>憲法20条で信教の自由は保障されていますから、
という部分がありますが、憲法の信教の自由は、国や政府が国民の生活の一部である信仰世界にタッチしないことを趣旨にしております。国に邪魔されずに、信仰をする自由と信仰しない自由、他人に勧める自由、同じ信仰を保つ者が団体を作る自由、が信教の自由の中身です。
したがって、誰かが誰かに自らの信じる信仰を勧める(布教する)場面で、「私には信教の自由があるから」という言葉は場違いです。布教も憲法に保障された信教の自由の一部なのです。もちろん断るのも自由です。真剣な布教に対して断りも含んだ真剣な対応があって、新しい価値観が生まれてくることを憲法は期待してます。
本筋とは違う部分ですが、気になりましたのでちょっと触れました。
投稿: yossy | 2012年5月27日 (日) 18時27分
絵さんへ
>自分の信じている宗教に対して、絶対に正しいと「確信」が無いのであれば宗教の価値は無いですよね。
科学が創世記を否定しても、キリスト教の価値がなくなるとは思えませんし、輪廻転生を1%信じているだけでも、何か心に影響を与えると思います。ですから、絶対的確信がなくとも信仰する宗教に価値はあります。そして敵対する宗教(他の宗教を否定する宗教)なんかのイスラムやキリスト、共存主義の多神教を含む全ての宗教にはそれぞれの価値観があり、私がイスラム教を信じていなくても、イスラム教に価値はあると信じていますし、創価でなければ創価の価値がないとは思えません。
>他者に対して「正しい宗教ですよ」と勧めることができない宗教であれば、自分も信仰する価値が無いということですよね。
正しい宗教なんてのは個人の価値観ですから、絵さんが正しいと信じることを悪いことだとは思いませんし、むしろ羨ましく思います。しかし他者に対して自分の信仰を勧めるということは、他の宗教を否定していることだと自覚してください。キリスト教や創価学会(創価は絵さんの言われるように、まったくの他人を勧誘はしませんが)のように他の国にまでいって勧誘をするということは、あなたにとって絶対的に正しいと思えることでも、よその土地で他の宗教を絶対的に信じる本気の人達を苛立たせますし、日本での知り合いへの勧誘であっても他者は気分を害します。万人に対して正しい宗教なんてこの世には存在しません。ですから創価が「正しい宗教ですよ」と勧めているのであれば、それこそが創価の嫌われる大きな要因だと思います。そして正しい宗教が存在するというなら間違った宗教が存在することにもなり、勧める相手によっては「あなたは間違った宗教を信仰していますよ」と言われているように感じる人もいると思います。
話が脱線してすみません。勧誘を除いて絵さんの言われることを言い換えると、「正しい宗教と信じなければ、信仰する価値がない」になると思うのですが、上の質問から「確信」を抜いた質問になります。間違った宗教だと感じるなら、信仰する価値は無くなるかもしれません。ただ、宗教を漠然と正しいとか間違っているとかは無意味だと思っています。
絵さんに言うことではないのかもしれませんが、
創価にも良い部分と悪い部分があると思うんです。光があれば影もあるし、同じ絵を見ても人によっては評価が分かれます。キリスト教も批判されるように、創価も批判されるとこがあります。批判を全て「デマ」や「迫害」「差別」と捉えるのであれば、それこそ傲慢だと思います。会館の建物に関して言えば、私はなぜ寺を建造しないのか?と思うわけです。豪華な寺を建てろとはいいませんが、創価が寺を建てることで日本の風景が保たれるし、観光産業にも良い影響を与えると考えています。が、創価から見れば、寺よりはビルのほうが有効利用しやすいし、仏教の本質から見れば、寺なんて意味のない箱だと考えているかもしれません。が、私の感じる違和感を「差別」と言うなら、もうお手上げです。正しいとか、間違ってるとか、じゃないんです。迫害や差別でもない。正しいことをしても違う立場からみれば批判されるのが普通のことだと思います。
投稿: junk | 2012年5月27日 (日) 23時44分
junkさま
わざわざコメントに反応して下さり、ありがとうございますm(_ _)m
先に実感したのは、やはり対話する事はすごく重要な事だと実感いたしました。
一部の文章を読んだだけで、junkさまの事を「差別主義者」との認識をもった文章で反応した内容になってしまった事に対し、少なからず反省をしております。
>「本気の人」を警戒してる。勧誘する人や自分の宗教を一番だと信じて譲らない人達のことです。
最初に、「本気の人」の具体的な内容を先にお聞き&確認するべきでした。この部分に関しましては、自分も凄く共感致します。
同じ学会員でも「信じて譲らない人」に対しては、こちらからよく注意しています。「信じて譲らない人」=「頭がかたい人、融通が利かない人」というイメージがありますので、もっと柔軟な考えをもって、人の意見を充分に聞き、その上で、しっかりとこちらの意見も伝える、というのが必要だと考えておりますので。
>創価は区別(差別とあなた方は考えている)と闘うのに「差別するな」で対抗しているようですが、何か解決すると本気で思っているの?
これに関しましては、私自身、「区別」と「差別」はしっかりと判断するように心掛けてはいますし、「差別」に対して、そのようなやり方で解決するとは思っておりません。その点を考えても、junkさまに対する先の自分のコメントは、思慮の足りなさに、ただ反省するばかりです。
自分自身、junkさまも書かれている通り、「区別」されるのは至極自然な事と感じます。ただ、自分が今まで(特にネット上で)見た創価学会に対する反応は、「区別」と言うよりは明らかに「差別」しているんとちゃうの?といった内容ばかりなんですよね。被害妄想と言われるかもしれませんが。
ただ、不思議な事に、自分の友人・知人、また職場の人の中で、創価学会の事を「差別」するような人は、一人もいてないのですよね。ですので、他の信仰or無信仰の方と対話をしていても、自ずから「区別」した反応になってます。このネットとの違いはどこから出てくるのか、結構気にはなります。
>創価は区別(差別とあなた方は考えている)
との部分に関しては、自分の意見としては、総体的にそのような考え方はもっていない、と思います。当然、junkさまの指摘通り、
>「差別するな」で対抗しているようですが、何か解決すると本気で思っているの?
こんな事で解決するなんて微塵も考えておりません。ただ、こちらからの少なくともネットにおける反応、発信をみると、junkさまから見て、そういう風に取られてしまわれる箇所があったと推察されますので、そこの誤解は、何とか取り除いて頂けるよう、こちらの努力は必要かと考えております。
あと、絵さんに対して反応されたコメントの内、「勧誘」に関しましてですが、やはり、他者に対してのいわゆる「勧誘」行為と言うのは、必要ではないかと思います。これは、宗教に限らずだと思うのですが。何でもそうなんでしょうけど、良いと感じた商品・行為だったりした事に関しては、どうしても他者に勧めたりすると思うんですよね。それをせずに、自己満足で終わってしまうのは、やはりそれはどうかと。そういった考えが、創価学会に関しては、結構浸透していると自分は思うんですね。だから、こと信仰に関しては、他の団体に比べ、まぁ行動力もありますので(笑)、目立ってしまい、その結果良くないイメージがつく一つの原因になっているのではないかとjunkさまの意見を拝見すると、そのようにも感じます。
また、
>しかし他者に対して自分の信仰を勧めるということは、他の宗教を否定していることだと自覚してください……(後略)
この辺りのコメントに関しては、こちらとしても当然、気をつけなければいけない事だと思います。だからこそ、普段の振る舞いや言動に関しては、もっとしっかりしないといけないと、自戒を込めて感じます。社会的にも注目されてしまっている団体ですしね。
>キリスト教も批判されるように、創価も批判されるとこがあります。批判を全て「デマ」や「迫害」「差別」と捉えるのであれば、それこそ傲慢だと思います。
完全に同意します。批判を受け入れる度量もないといけませんよね。それこそ、完璧な団体なんかないわけですし。学会員から見て、もっとそこ変えなアカンのとちゃうの?って感じる時もありますしね。
最後の方のコメントについて、寺を建造しないのか、との疑問に関しては、個人的には、価値観の相違なのかなと思います。「仏教の本質から見れば、寺なんて意味のない箱」との部分も理由の一つかもしれないですが、少なくとも、junkさまが感じた違和感をさすがに「差別」だとは思いませんよ。
…なんか、こうしてみると、yossyさまの指摘通り「別で」やった方が良いかも知れませんが(汗)議論の場として提供して下さっていると、勝手に感謝しつつ、junkさま共々、よろしくお願い致しますm(_ _)m
投稿: かわぶう | 2012年5月28日 (月) 14時04分
yossy様
いつもお世話になっております。
あなたは作家でもルポライターでもジャーナリストでもありません。
基本的にblogというのはただの公開日記なわけで
そこにどういう事を書こうが、書くまいが基本的には非難されるいわれはありません。
だから続編が書けなくとも全く問題ありませんのでそのことお気になされず。
それより このような切り口で問題提起を行っていただき、かつ議論できたのは非常に実りのあることです。
どうしても創価学会が絡むとノイズが多すぎてこちらが知りたい情報になかなかたどり着けません。
その点こちらでの議論はかなりクリアに考えることが出来、創価学会と公明党を取り巻く問題の内面を見ることが出来たような気がします。
非常に有意義な問題提起をしていただき有難うございました。
>かわぶう様
ん~折角ご説明頂いたところ恐縮ですがどうも納得できません。
ほぼ2年前のyossyさんへのコメントと同様のものになりますがご容赦ください。
まず、「政治を民衆の手に取り戻す」という割には民衆の前で公明党の議員を見た試しがありません。
共産党なんかは割と頻繁に各地で集会を開き、告知し、それこそ民衆に共産党としての理念を広く広める努力をされていると思いますが
公明党さんが街宣で政策を語るということを聞いたことはありません。
ではどうやって民衆に政策を広く告知されているのでしょうか?
また本当に政治を変えたいと願うのであれば絶対的な議席数が必要です。過半数与党たろうとすれば衆参合わせて約360議席。
ところが公明党は結党以来 確実に票数(学会票数)は確保するものの
一定数以上の候補者を立てることをせず、今以上に議席数を伸ばそうとする意思が見えない。なぜなんですか?
そして
>自分が所属している地域では、むしろ逆で、一つ一つ地道に理解の輪を広げる為の行動を求められてます
とありますが こと選挙に関して言えばこれは本来公明党がが担う仕事ですよね。
前述したように公明党の努力が全くと言ってもいいほど見えないのに
創価学会(員)がその役を全て担うのは何故なんでしょう。
以上の事から 実質的に公明党は創価学会の下部組織でしかなく そのような政党が政治の中枢にいることに違和感を感じると私は評しました。
またその公明党の得た票の有り方についても参政権という社会的権利の喜捨させているのではないかという疑問が残ります。
まぁその辺が選挙活動における不信感の源泉の一つなんですが
よろしければ上記について学会員さんのお考えをお聞かせいただけると幸いです。
>junkさん
私が言うのも何なんですが
随分と思慮深くなられたというか 大人になられたというか。。。
2年前のコメントから随分と変わられましたね。
と読み比べていて感じた次第です。
投稿: PublicComment | 2012年5月28日 (月) 18時01分
みなさん、コメントありがとうございます。
「別で」やってくれなどと言ってきましたが、有意義な議論になっていることですし、皆さんのお役に立っているならどうぞご利用下さい。ただ、「ネットに氾濫するガサネタによる創価学会批判を検証し、情報リテラシーの一助とする」(かなり表現はかわりましたがとにかくそういうこと)というのが、私の当初の目的であるということは、頭の片隅に置いておいて下さい。何かいい題材があれば、是非またお教え下さい。
また、私の思いや意見も書き込ませて頂きます。
投稿: yossy | 2012年5月28日 (月) 18時54分
管理人の yossyさん、お世話になります。
>憲法の信教の自由は、国や政府が国民の生活の一部である信仰世界にタッチしないことを趣旨にしております。
>国に邪魔されずに、信仰をする自由と信仰しない自由、他人に勧める自由、同じ信仰を保つ者が団体を作る自由、が信教の自由の中身です。
仰る通りです。
>したがって、誰かが誰かに自らの信じる信仰を勧める(布教する)場面で、
>「私には信教の自由があるから」という言葉は場違いです。
>布教も憲法に保障された信教の自由の一部なのです。
>もちろん断るのも自由です。
>真剣な布教に対して断りも含んだ真剣な対応があって、新しい価値観が生まれてくることを憲法は期待してます。
全く、仰る通りです。
----------------------------------------------------
>私自身、入会する際には、
「憲法20条で信教の自由は保障されていますから、今は全て理解して入会するわけでなく、
紹介者を信じて、試してみようという程度の気持ちですから、
価値の無い宗教、あるいは、悪い宗教だと判断した時点で、
退会しますのであらかじめ御了解ください」
と、断ってから入会しています。
----------------------------------------------------
私も入会を勧められた時は、ある種の不安はありましたね。
創価学会を全て理解してから入会する人はむしろめずらしく
紹介者の人徳を信頼し、これからやっと実践してみるという段階ですから
もしかして、退会するべきと判断する時が来るのでは?
一度入ったら、出ることが出来ないのでは? 等々、
でも、試してみたい、知ってみたい、心の葛藤があり、
予防線としての意味で、言ったと思いますね。
「入会後、貴方方が、退会してはダメといっても、法律で保障されている信教の自由があるんだから退会も大丈夫ですね」という思いを込めて
念押しの意味で、ついその言葉を出したのでしたね。
いずれにしても、ご指摘ありがとうございます。
投稿: 絵 | 2012年5月28日 (月) 21時00分
PublicCommentさま
早速お返事を頂き、ありがとうございます。
言い訳になってしまうようで申し訳ないのですが、公明党員ではございませんので、内部的な事情は分かりかねる部分はありますが……(汗)
それをさておいて、個人的な見解で許していただけるのであれば…
確かに共産党は、自分の場合、特に駅前で街頭演説している姿をよく見かけます。そして、公明党の議員が同様にしているかと言われれば、確かに、ほとんど見かける機会はございません。
ただ、自分が住んでいる地域に限って言いますと、結構こまめに各地の駅前に立って街頭演説もしているのは知ってます(友人で、この前○○駅で見たで、という声を何回も聞いたりしましたので。)
>「政治を民衆の手に取り戻す」という割には民衆の前で公明党の議員を見た試しがありません。
と、
>こと選挙に関して言えばこれは本来公明党がが担う仕事ですよね。
>前述したように公明党の努力が全くと言ってもいいほど見えないのに
>創価学会(員)がその役を全て担うのは何故なんでしょう。
の部分に関してですが、
都合の良いように聞こえるかもしれませんが、その役割を公明党議員ではなく我々一国民である学会員が率先してやっているように思います。政治の事を全て議員に任せるのではなく、我々がもっと政治・政策の事をしっかり学び、それを議員になりかわって他の有権者に伝える。そして、そこで聞いた意見等を、その声を一番拾ってくれる(はずの)窓口となるべき政党である公明党に伝える。それが「政治を民衆の手に取り戻す」事の一つの答えかと自分は勝手に解釈してます。
>また本当に政治を変えたいと願うのであれば絶対的な議席数が必要です。過半数
>与党たろうとすれば衆参合わせて約360議席。
>ところが公明党は結党以来 確実に票数(学会票数)は確保するものの
>一定数以上の候補者を立てることをせず、今以上に議席数を伸ばそうとする意思が
>見えない。なぜなんですか?
これに関して、考えられる原因として、強引(?)にまとめると
①公明党は創価学会という組織に依存し過ぎている
②その結果、学会票以外の票を見込めなくなっているので、勝てない戦はしない、との 考えから、一定数以上の候補者を立てない(立てられない?)。
この二点が主な原因かと考えます。ただ、都道府県議会といった部分には当てはまらないかも知れません。
個人的には、共産党みたいに無意味に全選挙区に立候補させてないだけ全然ましだと思ってます(極端な例ですが)。
また、単に議席数を伸ばすのではなく、以前に自民党と連立を組んで政権与党となったように、やり方を変えているかも知れません。あくまで推測の域は出ませんが。
ただ、上記の内容を書きましたが、多くの学会員の方は、そこまで深く考えず、良くも悪くもただ純粋に(もちろん勉強もしますが)、公明党を通して、もっとより良い政治を行って欲しい、との思いで選挙活動に参加しているように思います。そして、それはそれで大事な事だとも思います。
なんかまとまりがない文面で、特に最後の「不信感の源泉の一つ」に対する答えになっていないかも知れませんが、一つの考えとして聞いて頂けると助かります。
投稿: かわぶう | 2012年5月28日 (月) 21時01分
junkさん、ひととおり、書いてみますね。
>正しい宗教なんてのは個人の価値観ですから、
一般に「仏教」と呼ばれる宗教については、創始者の「釈尊」本人が
唯一正しい経は、「法華経」であると述べております。
個人である私は、自分では価値判断はとてもできませんでしたから
創価学会で正しい宗教を教えてもらいました。
自分だけで探求するのはとても大変ですよ、釈尊の一切経をどう読めばいいのか
途方にくれますよ。
仏教以外の宗教は、今回は触れません。
>絵さんが正しいと信じることを悪いことだとは思いませんし、むしろ羨ましく思います。
本当に羨ましいですか?
でしたら、 junkさんも、正しいと信じることができる「対象」を
見つけてみて下さい。
>しかし他者に対して自分の信仰を勧めるということは、他の宗教を否定していることだと自覚してください。
正しい宗教は、真実の幸福が実現できます。
ですから、他の宗教を否定するということ以前に
目の前の相手に対して、真実の幸福への道を
教えるのですから、本来なら、感謝されるべき親切な
慈悲の行為なんですよ。
ちなみに、反対していた人も、信仰して確信をつかめば
後に感謝に変わりますよ。
>キリスト教や創価学会(創価は絵さんの言われるように、まったくの他人を勧誘はしませんが)のように他の国にまでいって勧誘をするということは、あなたにとって絶対的に正しいと思えることでも、よその土地で他の宗教を絶対的に信じる本気の人達を苛立たせますし、日本での知り合いへの勧誘であっても他者は気分を害します。
諸外国のSGIメンバーは、この正しい信仰に巡り合えた歓びを
語っております。
事実の上で、幸福になって、喜んでいるのですよ。
気分を害する方も、紆余曲折はあっても、信仰の確信をもてば
今度は、自分が他者に語る立場に変化していますよ。
>万人に対して正しい宗教なんてこの世には存在しません。
失礼ながら、宗教に対する「無知」故のご発言です。
万人が等しく幸福になれる宗教が存在するのですよ。
この人だけは、例外的に幸福になれない人がいると主張する宗教など
不完全な間違った宗教ですよ。
>ですから創価が「正しい宗教ですよ」と勧めているのであれば、それこそが創価の嫌われる大きな要因だと思います。
正しい宗教を教えた人は皆、その時は嫌われていますよ。
釈尊、天台、日蓮大聖人等々、
後の世になり、その偉大さが理解されるのですけどね。
>そして正しい宗教が存在するというなら間違った宗教が存在することにもなり、勧める相手によっては「あなたは間違った宗教を信仰していますよ」と言われているように感じる人もいると思います。
そうですね、学会草創期は、「あなたの宗教は間違っている、それが不幸の
原因だと」とかなり、はっきり言っていたようですね。
もちろん、怒りますよね。
でも、怒った人たちが、その後、入会した例は多数あります。
ただ現在は「あなたは間違った宗教を信仰していますよ」なんて
言い方は、ほとんどしてないはずですよ。
それよりも、
「あなたに内在している無限の可能性が開花できるんですよ」
あるいは、
課題、悩みを解決できますよ、等々ですね。
いいでしょう、解決できるんですから。
>話が脱線してすみません。勧誘を除いて絵さんの言われることを言い換えると、「正しい宗教と信じなければ、信仰する価値がない」になると思うのですが、上の質問から「確信」を抜いた質問になります。間違った宗教だと感じるなら、信仰する価値は無くなるかもしれません。
>>間違った宗教だと感じるなら、信仰する価値は無くなるかもしれません。
その通りですね、信仰とは「信」の意味ですから、
>ただ、宗教を漠然と正しいとか間違っているとかは無意味だと思っています。
漠然とでなく、きちんと、文証、理証、現証といって
宗教批判の「三証」というのが有るのですよ。
>絵さんに言うことではないのかもしれませんが、
>創価にも良い部分と悪い部分があると思うんです。
>光があれば影もあるし、同じ絵を見ても人によっては評価が分かれます。
創価学会という「組織」そのものは、目的は全人類の幸福実現
確実なる世界平和実現、ですから、組織の目的は正しいですが、
様々な生身の人間が動いているわけですから、
時には、創価学会員である以前に人間として
誤った行動を取る人間もいるわけです。
これは、創価学会に限らず、どのような組織でも
同じだと思いますよ。
通常、私たちは、警察組織全般を信頼しています。
信頼してなければ、安心して暮らせません。
時には、道を踏み外す警察官も出るわけです。
教師、医師、弁護士、裁判官等々、皆同じですよね。
>キリスト教も批判されるように、創価も批判されるとこがあります。
>批判を全て「デマ」や「迫害」「差別」と捉えるのであれば、それこそ傲慢だと思います。
事実をしっかり認識する必要は有りますね。
これは、創価学会に限らず、全てにおいて必要ですね。
以前、週刊誌で報道された創価学会員の「傷害事件」がありましたが
これは、事実でした。デマではありません。
又、事実でないことも多々あるわけです。
でもどういう組織体でも、同じではないでしょうか。
会社、政治家集団、等々、
一般人でも結果として「事実無根・冤罪」で逮捕され
長い年月の後、無実が証明されたなんてことも
ありますよね。
又、事実として罪を犯していても、いまだ
表ざたにならないケースもあります。
かって、池田名誉会長は「逮捕」という「事実」は
ありました。無実での逮捕ですが、4年後に裁判で
明確に「無罪」が確定しました。
「事実」と「真実」が違うことは多々有ります。
ちょっと話が飛躍しますが、中国の故周恩来総理は
あの文化大革命の際、いかにも、文革賛成のような態度を
取っていたそうです、いや取らざるを得なかった(それでも随分と危なかったそうですが)これは表面的な事実でしょう。
しかし「真実」は違う。
真実の思いは違う。
何事も、事実と真実を、よく見極めていく眼は必要ですね。
>会館の建物に関して言えば、私はなぜ寺を建造しないのか?と思うわけです。
「寺」「寺院」というのは、もともと、修行者の集まりの場ですから
現在の学会の会館も、そのような意味でいえば「寺院」と
解釈してもいいと思いますよ。
>豪華な寺を建てろとはいいませんが、創価が寺を建てることで日本の風景が保たれるし、観光産業にも良い影響を与えると考えています。
学会の会館は、落ち着きがあり、周囲の景観とマッチしていると
思いますが。
観光産業はともかくとして、会館は災害時の避難所としても
活用されていますし、地域の夏祭りの場としても提供されている
所もあります(会館の駐車場)
>が、創価から見れば、寺よりはビルのほうが有効利用しやすいし、仏教の本質から見れば、寺なんて意味のない箱だと考えているかもしれません。
一般的にいう寺の建築物であれば、大勢の人も集まりずらいですよね。
機能性は大切だと思います。
>が、私の感じる違和感を「差別」と言うなら、もうお手上げです。
別に「差別」などと思いませんよ。
junkさんは正直にご自分の思いを綴っているだけだと思いますよ。
>正しいとか、間違ってるとか、じゃないんです。
>迫害や差別でもない。
>正しいことをしても違う立場からみれば批判されるのが普通のことだと思います。
批判しているからといって、偏見は持ちませんよ。
ただ批判だけで、終わってしまうと、何の意味も無いでしょうね。
批判したその後に、何らかの、一歩前進の有益なことが
残らないと、徒労に終わるのではないでしょうか。
少し踏み込んで正直に書きますと、
折伏された時のことですが、
信頼できる友人に連れられて言った場所で
数人の人に取り囲まれ、「理屈」をたくさん言われたのです。
友人は魅力的な人で信頼できるから、その人がやっている宗教は
試してみたい、その気持ちがあったからこそ、友人に誘われるままに
ついていきましたが、
数人の会員から、「理屈」をたくさん言われ、
何も反論できない自分に情けなく、
理屈に反論できるだけの「何か」を掴みたい
そのためには、一旦入会するしかない、この気持ちも
ありましたね、だからこそ、万が一の退会のことも
頭の中で駆け巡ったのですね、それが「信教の自由」発言ですね。
junkさんに対しての「結論」ですが、
批判の後に何が残るかですね。
永久に批判だけでは、あまりにも時間の無駄ですよ。
批判が有るというのは、創価学会に「関心」が有るということです。
全く、無関心の方も結構多いですよ。
その「関心」を、具体的に「何かに」結実させていくことが
大事かと思いますよ。
聖教新聞の購読をしながら、地域の会員に頼んで
会合の様子や、会館でのセミナー等で
実際に、「ウオッチング」することを、お勧めしますね。
いいんですよ、気楽に、見学のつもりで、
これは「勧誘」ではないですよ。
あまりにも、 junkさんが、創価学会に関心が有るのに
ご自分の頭だけで、迷っているのが気の毒というか
もったいないというか、それだけですからね。
投稿: 絵 | 2012年5月28日 (月) 21時13分
PublicCommentさん、少しだけ書いてみます。
>以上の事から 実質的に公明党は創価学会の下部組織でしかなく そのような政党が政治の中枢にいることに違和感を感じると私は評しました。
公明党に対して、創価学会が主な支持団体であることは事実ですが、
宗教団体からの支持を受けている政治家は随分いますよね、
それらのケースは違和感無しですか?
>またその公明党の得た票の有り方についても参政権という社会的権利の喜捨させているのではないかという疑問が残ります。
つまり、創価学会員が自分の意思で投票していないと、言いたいのでしょうか?
自分で書いているのですから、自分の意思ですし、
創価学会員でも公明党に投票しない会員もかなりいますよ。
それも自分の意思ですよね。
>まぁその辺が選挙活動における不信感の源泉の一つなんですが
政治は結果責任ですから、
今まで公明党が推進実現してきた事実で判断するのが賢明かと
思います。
野党時代にも、政策実現は多々してきております。
かの有名な「さいたい血治療保険適用」などは、
人生を諦めかけた白血病の方をたくさん救済してきました。
まさに仏法の慈悲の理念を具体的に政治の場に
活かせた例です。
ドクターヘリの実現は、やはり命をたくさん救ってきました。
ほんの一例ですが。
具体的な政策実現の事実をみないと
真実はわからないですね。
投稿: 絵 | 2012年5月28日 (月) 21時31分
かわぶうさんへ
かわぶうさんは宗教の勧誘と良い商品を友達に勧める行為が同じようなものだと考えていることについてですが、動機が同じなのは同意します。しかし、大きな違いがあります。10人に違った良い商品を勧められてもすべて購入できますが、宗教はそうはいきません。また、家族の一人だけが創価に入会することで家族との間に溝ができるかもしれません。仮に私がキリスト教徒で創価学会員を片っ端から勧誘していったら、学会員の中には怒る人もいると思います。勧誘行為は時と場所を間違えれば戦争や殺人にまで発展することもあります。そこまでいかなくとも、創価に新しく入会した人数と同数以上の怒りをどこかで産んでいるかもしれません。信仰の自由は憲法で保障されていますから勧誘も好きなだけやっても赦されるのかもしれません。しかし、大げさかもしれませんが、勧誘行為は武器の無い宗教戦争だと私は認識しています。ですから、商品と宗教を同等に考えるのは間違いだと思います。
創価の被害妄想について
ネットでの被害妄想
Yossyさんが警鐘するようにネットで創価に対して批判が絶えないのは、ネットでは本音が言いやすい環境(匿名性)があることが原因の一つだと思います。でも、創価だけが批判されているわけじゃないと思います。現実世界より本音で、時には感情にまかせて(私もこの中の一人です)全てのことが批判され、全てのことに関してデマが流れているんだと思います。リアルとネットの学会員に対する態度の違いは、学会員本人の性格が一番大きいと思います。創価が嫌いでも個人が好きなら絶対に創価のことで学会員を怒らせたくないからです。
ただ、最近の書き込みを見ていると、創価の被害妄想はネットだけが原因ではないと考えるようになりました。(本音で書いてますから学会員は怒るかもしれませんが)指導者、もしくは創価特有の性格もあるのではないかと疑っています。弱者、被害者を演じることで団結力を固め、創価を強化する手段じゃないのかと、伊達半蔵さんの書き込みから考えるようになりました。これです
>学会員としての極論で言うと「法華経の行者は迫害される」という法理の故に、不道理かつ否応なく叩かれる現実があることを認めざるを得ない。
>学会批判の多くは論じるまでもなくウソっぱちだらけの難癖という以外にない。よくもまぁ雨あられのように調べもしないデタラメを吐き続けるものだと。
もちろん、伊達半蔵さんの言うようにデタラメも多いんだとは思いますが、私から見れば勧誘行為を行う創価は加害者でもあります。初めに他宗教に喧嘩を売って人を引き抜けば、引き抜かれた宗派は怒ります。そして批判されれば(嘘も含まれることあり)、なぜ、学会が批判されているのか → 法華経だから では一種の自己防衛プログラムが作動しているとしか思えないんです。
投稿: junk | 2012年5月28日 (月) 23時55分
絵さんへ
自己紹介の通りに絵さんはやっぱり本気の人ですね。言葉使いが悪くなるかもしれないので初めに謝ります。
>正しい宗教なんてのは個人の価値観の意味
ある人にとっては創価、bさんにとってはキリスト教、cさんにとってはイスラム教って意味です。地域、国、家族なんてのにも影響されることもあると思います。
>しかし他者に対して自分の信仰を勧めるということは、他の宗教を否定していることだと自覚してください and >よその国での勧誘をすること~~~~の意味
あのね。SGIのメンバーが喜びを語っていても、創価になった絵さんが幸福を実現しても、引き抜かれた宗教を信じる人にとっては不愉快なの。アフガンで韓国系キリスト教徒が布教活動して殺されたりしたでしょ。善意でアフガン人を救うために行ったと思いますよ。救われた人もいると思います。が、争いの種を蒔いている自覚があまりにもない。
>万人に対して正しい宗教なんてこの世には存在しませんの意味
アフガンでキリスト教徒やって幸せになれますか?アフガンで創価やって幸せになれますか?殺されるでしょ。創価に入った人全てが幸福につつまれて生きてますか?
>本来なら、感謝されるべき親切な慈悲の行為なんですよ。
なんか、もう、やっぱり本気の人ですね。本気中の本気の人ですね。私には絵さんと冷静に話せる技量がない小さな器の持ち主ですから、これ以上話すのは止めておきます。
あ、最後にこれだけ言っておきたい
>創価学会という「組織」そのものは、目的は全人類の幸福実現。確実なる世界平和実現、
布教活動をして争いの種を蒔く宗教が世界平和の実現って、無理!!ってのが私の見解。
これに関しては絵さんとは話合いが出来ないと思うから、かわぶうさんか他の学会員に反論を聞こうと思ってます。
私がここで批判している意味
批判してるけど、反論も聞いて、正論だと思えば考えを変えます。公明党に関してはここでyossyさんと話した御蔭で大分見方は変わりましたよ。
投稿: junk | 2012年5月29日 (火) 00時46分
junkさんへ
>動機が同じなのは同意します。しかし、大きな違いがあります (中略) 大げさかもしれませんが、勧誘行為は武器の無い宗教戦争だと私は認識しています。ですから、商品と宗教を同等に考えるのは間違いだと思います。
この部分については、概ね同意できます。自分も、動機の部分での例えとして挙げさせて頂いたつもりでしたので。ただ、『勧誘行為は武器の無い宗教戦争だと私は認識』については、さすがにそこまで考えた事はありませんでした。実際に、創価学会への入会を勧めた結果、勧められた家族の間で(一時的なものも含む)溝が出来てしまった、という事例は少なからず発生しております。もちろん、その後の努力でその溝が埋まった事例も数多くあるのもまた事実ですが(当然逆もあります)。
ですので、『勧誘行為は時と場所を間違え』ないようにしないと、無駄に敵を作る事になりますので、その辺りは我々は本当に気をつけないといけないところです。
ただ、書いていて感じたのですが、『勧誘行為は武器の無い宗教戦争だと私は認識』は商品にもある程度当てはまるのではないかと。
例えば、居酒屋で、ビールはサッポロのみ提供していた店舗に、アサヒの人が、「こっちのビールの方がおいしいですよ。こっちに乗り換えませんか」と言って勧誘しに来た場合を想像した時、junkさんが宗教の勧誘行為で発生する摩擦と同じような事例が発生するような気がしました。そういう意味で、同等というには大げさかも知れませんが、似た部分もあるのでは、と感じたのですが、junkさんはいかがでしょう?
被害妄想の部分について
自分の考えでは、ネットの世界では、本音というより、自身が抱える不満や愚痴のはけ口としての環境がすごく整っているような気がしてます。それが一つの原因としてあるのではないかと思います。芸能人や大企業、政治家や高級官僚、当然創価学会に対してもですが、俗に言うストレス発散の対象者(物)として格好のネタにされているような気がしています。
当然、ネタとされている方々にも少なからずそのネタを提供する原因を作ってはいるとは思いますが。その中には真実の批判もあるでしょうが、いわゆるデマがそれに混じってしまっているものですから、(創価学会に関して言えば)またそれが膨大な量があるので、もはや何が真実の批判で、何がデマなのか判断しづらくなっているのかも知れません。
また、
>指導者、もしくは創価特有の性格もあるのではないかと疑っています。弱者、被害者を演じることで団結力を固め、創価を強化する手段じゃないのかと
この箇所ですが、前半部分は理解できますが、後半部分は違うと思います。
前半部分の『創価特有の性格』については、これは、一般的に言われる日本人のイメージと反対の性格をもっているからだと思ってます。細かく言い出すときりが無いですが、アカンもんはアカンねん!!て言う人(要するにハッキリと自分の意見を言う人)は、学会員では多い気がします。
後半部分については、演じてもなければ手段としてもないハズですよ。もっと単純な気がします。個人的には、もし本当なら、憐みをかけられている、若しくはもっと依存しろ!って言われているようでなんかイヤです。もっと自立した精神をもたないと、何のためにしているのか分からないです(少なくとも自分は、です)。
ついでに、絵さんのコメントを通して感じるのは、
・創価学会に入会する=絶対に幸せになれる。
・創価学会は、一番素晴らしい宗教団体である。
という認識の上で話をされている学会員さんが意外と多いような気がしました(絵さんはそうでなかったとしたらスミマセン)。自分は、ハッキリ言ってそれは間違っている。と思ってます。
個人的には、そういう認識に立っている時点で、組織に依存してて、独善的で排他的な状況に陥っているような気がしてならないんですよね。
だからこそ、junkさんの言う、『なぜ、学会が批判されているのか → 法華経だから では一種の自己防衛プログラムが作動している』ような認識をされてしまう。
批判とデマの見分けがつきにくい側面もあるのですが、その背景はしっかり掴んでおかないと、無意味に誤解を増幅させてしまうだけだと思います。
その意味で、絵さんとjunkさんとの今回のやりとり部分だけで判断するなら、自分はjunkさんの意見を支持します。同じ学会員さんである絵さんには悪いですが。その部分だけを見たら、自分は学会には恐らく入会しないでしょう。
>布教活動をして争いの種を蒔く宗教が世界平和の実現って、無理!!
との見解をされてますが、
自分は、いわゆる「布教活動」をしているのではなく、日蓮仏法を元にした思想・考え方を、池田SGI会長という「指導者」を中心に、日本はもとより、世界各地でそのための行動を起こしていっている、というのが自分の認識です(違っている、と思う他の学会員さんは言って下さい)。もちろん、その過程の中で入会する人は居てるでしょう。ただ、例えばゴルバチョフ氏のように、「良き理解者」であっても「入会」はしていない人物は、それこそ無数にいてます。ゴルバチョフ氏の場合、池田SGI会長が直接対話しているにも関わらず!です。この点、絵さんの様な方はどのように感じているのでしょう?ゴルバチョフ氏も「入会」しないといけませんでしたか?
自分の場合、「布教活動」が目的だったならば、絶対にゴルバチョフ氏のような人物に理解してもらう事など到底出来なかったと感じます。そうではなかったからこそ、他国の多くの著名な人物に理解して頂けたのでは、と思いますし、だからこそ、多くの名誉称号を頂いていると自分は認識しております。
ですので、「布教活動」=「入会」を目的として行動していれば、junkさんの言うとおり、アフガンのような国では、それこそ命がいくつあっても足りないでしょうし、恐らく世界平和の実現は絶対に無理!だと思います。しかし、この考え方だったからこそ、192の国や地域でSGIの組織が出来たのだと思います。そして、将来、アフガンでもイラクでも北朝鮮でも、我々の思想を少しでも理解してもらえ、それがきっかけとなって世界平和に実現に近づくのでは、と思います。そして、我々の場合は、それを身近な方との対話を中心に行動しています。もちろん、それが相当に困難な事だとも承知してます。
これが自分の現在の見解ですが、いかがでしょう?
相変わらず文章が長くなり、また纏まりのない文面で申し訳ありません。
投稿: かわぶう | 2012年5月29日 (火) 12時35分
みなさん、コメントありがとうございます。
絵さんとかわぷうさんという、タイプの違う創価学会員さんのご意見を伺っていると、「本当に創価学会は変化しつつあるのだな」と感じます。「洗脳はあり得ない」「熱心なだけだ」といっていた私ですが、以前の創価学会には「どこを切っても金太郎」的な同質性を感じたことは間違いありません。誰と話しても同じような迫力で同じような答えが返って来るというような(私の仲の良い学会の友人は、そういうタイプとはちょっと違い安心して話ができるのですが)。しかし、今は多様性を感じます。
このような変化はやはり、日蓮正宗との分離にあるのでしょうか。日蓮正宗の人とも話したことがありますが、失礼ながら昔の創価学会と同等いやそれ以上の閉鎖性と独善性を感じ、たいへん違和感を感じ腹も立ちました。他の宗教の存在を認めない、というのはむしろ日蓮正宗に見られる傾向なのかも知れない、と私は感じましたが、いかがでしょうか?創価学会の池田名誉会長は色々な国から表彰や勲章や名誉称号を受けていることが批判のネタになることもありますが、このこと自体、その国で信仰されている他宗教の価値を認めている証拠ではないでしょうか、その国で信仰されている宗教を理不尽に攻撃したり認めない人を表彰する訳がない、と思っていました。日蓮正宗と創価学会の分裂は、そうした体質が原因なのでは?そう考えるとしっくりくるのです。創価学会の「排他性」を証明するとしている聖教新聞の記事や幹部の言動は、日蓮正宗に関するものばかりです。私はそこに日蓮正宗から完全分離しようとする創価学会の強い意図を感じます。
「閉鎖性」が日蓮正宗の特徴で、「創価学会は日蓮正宗と分離してから開放的になっている」という私の感覚から見れば、「創価学会は閉鎖的で独善的」という批判がかなり古い事例で裏打ちされていることが多いことが見えてくるのです。そして、「閉鎖的で独善的な日蓮正宗から破門された創価学会は開放的になった」という事実が導き出されます
(日蓮正宗から「破門」されたかどうかは法的に宗教法人の要件に全く関係ありません。そもそも他の宗教法人を「破門」するという感覚が私には分かりません。この当たり、ローマ=カトリックとコンスタンチノープル教会が相互に破門しあったり、マルチン=ルターがローマ教皇の破門状を人々の前で焼き払ってプロテスタントを確立していった、中世の権威的なキリスト教会と似ています)。
もう一つ、創価学会の体質や教義が変わりつつあることが事実であれば、古い言動をネタにしての創価学会批判は意味を持たないことになります。
無理矢理私のテーマの持っていってみました。実は次に書こうと思っていたテーマの一部なのです。ここで解消できれば書く必要がなくなります。みなさん、是非ご感想や情報をお寄せ下さい。
投稿: yossy | 2012年5月30日 (水) 19時49分
管理人yossyさんの意見に対しては、
コメントしやすいですね、
ある意味、在籍会員よりも、本質的なこと
ピントが合っているというか、
真実を掴んでおりますので。
>創価学会の池田名誉会長は色々な国から表彰や勲章や名誉称号を受けていることが批判のネタになることもありますが、このこと自体、その国で信仰されている他宗教の価値を認めている証拠ではないでしょうか、その国で信仰されている宗教を理不尽に攻撃したり認めない人を表彰する訳がない、と思っていました。
全くその通りです。
御存知のように、キリスト教の方、イスラム教の方
儒教の方その他等、人類の抱えている諸課題を
語り合っております。
又、大変有名なことですが、
マンデラ氏等抑圧され迫害された方々の人権闘争に対して、深い理解を
持っております。
池田名誉会長と対談が成立する方は「人権感覚」
つまり、生命の尊厳という点で一致する方ばかりです。
仏法の用語でいう「菩薩界」の方々です。
むしろ、この「境涯」というか「生命状態」を
日蓮大聖人の仏法は一番重んじております。
形は創価学会員でも、なかなか、「人権感覚」とは無縁で
もっぱら、自分の「功徳」というか「御利益」を
求めてしまいがちな会員もいるわけです。
このレベルでは、真実の日蓮門下、真実の創価学会員とはいえないわけです。
>「閉鎖性」が日蓮正宗の特徴で、「創価学会は日蓮正宗と分離してから開放的になっている」という私の感覚から見れば、「創価学会は閉鎖的で独善的」という批判がかなり古い事例で裏打ちされていることが多いことが見えてくるのです。そして、「閉鎖的で独善的な日蓮正宗から破門された創価学会は開放的になった」という事実が導き出されます
正確に言えば、日顕が法主になってからの日蓮正宗、つまり
内実から言えば「日顕宗」なのですが、
その閉鎖性の特徴としては、「人権感覚」ゼロということでしょうか。
これは、書き出すと長くなりすぎますので、又の機会に。
>(日蓮正宗から「破門」されたかどうかは法的に宗教法人の要件に全く関係ありません。
全くその通りです。
昭和27年に創価学会は宗教法人となっておりますので。
ただ、信仰の対象である日蓮大聖人御図顕の「大御本尊」について
多くの学会員に理解納得させるためには、時間はかかりましたが。
いまだ、納得できず宗門へ行く会員も少しですがいるようですね。
>もう一つ、創価学会の体質や教義が変わりつつあることが事実であれば、古い言動をネタにしての創価学会批判は意味を持たないことになります。
体質という点でいえば、かの言論問題の際、
その「体質的」なことで、池田会長(当時)が
世間に対して謝罪しております。
体質というよりも、未熟であったとですね。
これなどは、新・人間革命に詳しく書かれておりますので
読んでいただいた方がですね。(巻数は又確認しておきます)
私は、いわゆる草創期というものを、知りませんが、
ややもすれば、強気というか押しつけがましいらしかったとか・・・
ただ、その時代は、それが必然であったのだと思いますね。
それを経ずしては、今日は無かったのではと思います。
ちょっと蛇足ですが、例の香典を持って行ってしまうというデマは
有名な、ジャーナリストである大○ ○一が、仏教各派から
頼まれて創作した「デマ」であると、何年か前に
ある方を通じてはっきりいたしました。
(すぐわかりますが一応半分伏字にしておきます)
これは、聖教新聞にも掲載された確実なことですが
必要であれば、確実な日付等、調べますので。
本日はこのくらいで、
投稿: 絵 | 2012年5月30日 (水) 23時53分
>例えば、居酒屋で、ビールはサッポロのみ提供していた店舗に
確かに似ています。しかし、宗教を資本主義の競争原理と同じように考えるのはどうかと思います。朝日、サッポロ、バドワイザー、全てが勧誘し全てが広告を出しているなら、私は意義を唱えません。創価はTVコマーシャルまでに手を伸ばしています。もちろん、違法性はありませんし、創価の熱意は認めます。が、全ての宗教がコマーシャルを流し、全ての宗教が創価を真似て勧誘をし始めたら、と考えると・・・そんな国になって欲しくないってのが私の考えです。ビールに例えるなら、隣の店か席でアサヒを美味そうに飲んでる人がいて、興味を持ってアサヒを飲んでみてアサヒ派になる。これなら、良かったね、で終われるんです。これで家族間に溝ができても、アサヒに非は一切ない。
>不満のはけ口
同意、
>後半部分については、演じてもなければ手段としてもないハズですよ
これについては、私はまだ、なんとも言えません。疑っているだけというかそう感じる部分があるというか、私が間違っている可能性もあるわけで、ただ、なんとなく、今はこう感じています。
>布教活動をして争いの種を蒔く宗教が世界平和の実現って、無理!!
ゴルバチョフの例は分かりやすい。そのような活動だけをしているなら、世界平和を目指すに、頑張ってねって返します。が、やはり布教もしている。私はSGI(多分、これに当てはまると思うんですが、それとも海外にいる学会員の集会)に一度参加したことがあります。「暇なら一度きなよ」ってノリで呼ばれました。海外留学(遊学)生や単身赴任者にとって日本人との交流は特別なものがあります。SGIの実態は知りませんが、その集会で外国人(現地人)は一人でした。ですから、SGIが本当に外国人向けなのか、海外在住日本人向けなのかは判断できませんが、海外でも勧誘をしている事実に、正直に言えば、何やってんだろこの人達、って思い、帰りに本を十冊ほど渡されて時は、マジかよって思ったのを覚えています。
SGIではありませが、海外で仏壇に向かっている人も二人見ました。一人は遊び仲間のグループの兄的存在の人です。が、このAさんは私達グループの誰も、多分、海外で一人も勧誘をしなかったと思います。だから、私達は普通に熱心な仏教徒で面白い人(いい意味で)だな~と。Aさんが創価について話をしたのは、私達が質問した一回きりで、(この時、彼が創価だと知った)私は創価について何も感じませんでした。お経?を読み精神統一(に見えた)するだけなら、誰も批判なんてしないし、摩擦も起きないし、尊敬もされる。しかし一方で海外で勧誘する学会員を見たのも事実です。世界平和を目指すことには良いことだと思いますよ。キリスト教が不安定な国で救援活動することも良いことだと思います。ただ、布教に繋がる餌にする人もいます。キリスト教徒や創価の中にも何種類もの人がいて、その一部が熱心に布教活動しているわけです。結論、世界平和を目指すことは良いこと。ただ、方法を誤れば(あるいは実践国で誤解されれば)争いの種になる。
創価は普通の宗教団体なのか? (yossyさんも暇な時にでもどう思うか書いてもらえると助かります)
創価の基本は仏教(法華経)だと思うのですが、公明党もあり(公明党の議論はpublic comentさんに任せます))新聞までもあり、思想誘導もしています(と、私は思っている)。洗脳の定義は難しいですが、yossyさんは「洗脳されているどころかまとまりきっていない」と言われ、「幾つかの流れがあり、池田思想ともいうべきものが浸透しきれていない」とも言ってます。逆に言えば、ある程度の思想誘導があるともとれます。また、聖教新聞の論説の中にもある程度の思想誘導があると考えるのが一般的だと思うのですが、創価は宗教の枠組みを超えて思想誘導をしているのではないのかと(現実にできていないのかもしれませんし、まとまりきってない?)。キリスト教福音派も政治に口を出し、創価とは違う方法で政治家に自分の意見を言わせています。中絶反対など、聖書に書かれていないことなども、思想誘導によっていつの間にか正論だと彼らは信じ、教会が言うことだから間違いではないと思う人もいます。ここで学会員のみなさんは公明党に厳しい目を向けていると言われていますし、実際そうだと思うのですが、仏教とはかけ離れたことにまで(基本は仏教の思想を基にしていると思いますが)、池田思想や幹部思想が学会員に影響を与えているのではないかと思うんです。洗脳に関して言えば、例えば、私は朝日新聞を読んで育ったんですが、ネットでいろんな意見を目にするまで、新聞を信じて第二次世界大戦は無条件に日本が悪いと思ってました。右翼新聞を読んで育てば、無条件でアメリカが悪いと信じるかもしれません。キリスト教の聖書を毎日読んで教会に通えば、ある程度の洗脳を受けていると言っても過言ではないと思うんです。宗教の洗脳が悪いと言っているんじゃないんですよ。洗脳の定義は難しいんですが、宗教と洗脳はある程度の関係があります。ただ、日本の他の宗教より、メディア媒体を利用する創価が、洗脳(思想誘導)されていると批判されることはごく普通の感覚だと思うんです。創価について考える時、前にも言いましたが、法華経、池田大作、聖教新聞、公明党、いろんなことを含めて考えなければならないと思うんですよ。宗教の枠組みに入らない要素が多いんです。学会員が創価について語る時、常に名誉会長がセットで語られるんです。尊敬しているのは分かるんですが、個人崇拝的なとこが見え隠れするんです。上手く説明できないけれど、カルト(一般的なカルトの定義ではなく、私、個人的にはグル指導のカルト宗教に分類される)的にも感じるし、商業的だとも感じるんですよ。なんか仏教とは違う匂いがするんです。こう感じているのは私だけではないと思います。どこか普通(日本の仏教)とは違うんですよ。かわぶうさんの言葉を借りるなら「実践する仏教」になるし、私から見れば、仏教以外のことにも口をだす宗教になります。簡単に言えば、やっぱり普通とは違うんです。だから、いい意味でも悪い意味でも興味も持たれるし、デマも流されるし、ストーカー疑惑も持たれるし(これに関して言えばストーカー的行為はある、全てが嘘ではなく、極一部の本気な人が行った可能性はある、と考えていますが、出来れば聞き流して下さい)、色々と批判されるんだと思うんです。勧誘も含めて、普通の仏教とは違うんですよね。ま、普通とはなんとなく違うって指摘は私の知識がないだけなんですけどね。
投稿: junk | 2012年5月31日 (木) 00時32分
>かわぶうさん
ご回答有難うございました。
ちょっと時間が無くてじっくり読み込めてないんですが
またしっかりと拝見させていただきます。
取り急ぎ御礼まで。
>絵さん
前からちょっと気になっていたんですが学会員の皆さんが提示される情報元はだいたい聖教新聞とか人間革命ですね。
聖教新聞は創価学会の機関紙で、人間革命は池田大作氏の著書。
書かれている内容が全くの虚偽ということは無いと思いますが、表現方法やそもそもの取材対象がかなり学会寄りになるのは明白だと思いませんか?
良く行くラーメン屋に聖教新聞が置いてあるのでタマに見てますが
情報源や表現方法は相当偏ってますよ。いろいろと。
なのでその辺の機関紙などをソースとした言説を展開されてもあまり説得力はありませんし、ましてや大宅壮一氏が臨終の際に「潮」の編集者に謝罪したなんて話、とてもじゃないですが信用できないです。
※香典泥棒という噂を肯定しているわけではないのでその点お間違えなきよう。
池田氏の言動を拾おうと思うとどうしても学会内部の機関紙に頼らざるを得ない。
そういう意味ではまだまだ学会は内向きなんではないでしょうか?
投稿: PublicComment | 2012年5月31日 (木) 15時04分
PublicComment さん、正直でよろしいですよ。
私も入会直後、紹介者を信頼してという理由が主ですから
確信も無く、入会しておきながら、いろいろ半信半疑でしたからね。
藤原弘達氏の本も読んだりして「へーそうなのかな?」なんて
感想を紹介者に述べて、紹介者は絶句して、呆れていましたね。
ですから、最初から、確信があったわけではないのですね。
やはり信仰体験を重ねていくプロセスで、
紹介者以外にも、信頼でき尊敬できる先輩に数多く
出会ったということも有りますし、
やはり、池田名誉会長の世界平和への「真実の思い」というものを
確信できるようになったということが大きいと思いますね。
毎年の「SGI提言」ご存知ですよね?
お読みになってますかね?
池田名誉会長の世界平和への思い、PublicCommentさんは「ウソ」だと
思いますか?
口から出まかせだと思いますか?
故周恩来総理が、中国の国民だけでなく世界の民のためにも
池田会長(当時)に、託した期待・・・ウソだと思いますか?
中国の方々は、本当に信頼しております。
中国の信頼できる出版社から、そのあたりの経緯等
詳しく書いた本も出されております。
>聖教新聞は創価学会の機関紙で、人間革命は池田大作氏の著書。
>書かれている内容が全くの虚偽ということは無いと思いますが、表現方法やそもそもの取材対象がかなり学会寄りになるのは明白だと思いませんか?
>池田氏の言動を拾おうと思うとどうしても学会内部の機関紙に頼らざるを得ない。
>そういう意味ではまだまだ学会は内向きなんではないでしょうか?
世界の識者との対談が書籍になっているだけで50点以上あります。
まとめサイトを作って下さっている方の資料を使わせていただいたので
ここ数年の最新は載っていませんが、
下記の中には、知っている方もいますでしょうから
PublicCommentさんが信頼できそうな方との対談を読んでみて判断されるのもよろしいかと思いますよ。
その「識者」の「真実の思い」を曲げて捏造して出版されていれば
必ず問題になっているはずですから。
世界の識者との対談の内容は、全て「世界平和」が目的です。
人類の抱える諸課題への意見交換です。
出版は、学会系でない出版社もありますよ。
クーデンホーフ=カレルギー伯
アーノルド・J・トインビー博士
松下幸之助氏
アンドレ・マルロー氏
井上靖氏
ルネ・ユイグ氏
アウレリオ・ペッチェイ博士
ブライアン・ウィルソン博士
ヘンリー・A・キッシンジャー博士
アナトーリ・A・ログノフ
カラン・シン博士
ヨーゼフ・デルボラフ博士
ライナス・ポーリング博士
常書鴻氏
ノーマン・カズンズ博士
チャンドラ・ウィックマラシンゲ博士
アナトーリ・A・ログノフ博士
アウストレジェジロ・デ・アタイデ博士
ヨハン・ガルトゥング博士
ミハイル・S・ゴルバチョフ氏
パトリシオ・エイルウィン氏
金庸氏 1998年
アリベルト・A・リハーノフ氏
アクシニア・D・ジュロヴァ博士
ルネ・シマー博士、ギー・ブルジョ博士
マジッド・テヘラニアン博士
シンティオ・ヴィティエール博士
デイビッド・クリーガー博士
ヴィクトル・A・サードヴニチィ博士
季羨林教授、蒋忠新教授
ロケッシュ・チャンドラ博士
趙文富博士
ヘイゼル・ヘンダーソン博士
ヴィクトル・A・サードヴニチィ博士
アレクサンドル・セレブロフ博士
趙文富博士
ベッド・P・ナンダ博士
ジョン・ケネス・ガルブレイス博士
モンコンブ・S・スワミナサン博士
ジョセフ・ロートブラット博士
ドゥ・ウェイミン博士
フェリックス・ウンガー博士
ヌール・ヤーマン博士
>ましてや大宅壮一氏が臨終の際に「潮」の編集者に謝罪したなんて話、とてもじゃないですが信用できないです。
いやいや、よくウオッチングされていますよ。
これは、PublicCommentさんが、信用できなければ仕方のないことでしょうね。
遺族が名誉棄損と判断すればそれなりの訴訟も起きるのでしょうしね。
投稿: 絵 | 2012年5月31日 (木) 17時36分
>絵さん
あーなんか誤解させてしまったかも知れませんが別に聖教新聞や人間革命をdisってるとかそういう事じゃないんです。
インプットされる情報が偏ってませんか?ということが言いたかっただけです。
やっぱり時間に追われて書いたものはダメですね。
スイマセン。
投稿: PublicComment | 2012年5月31日 (木) 19時33分
PublicComment さん
>インプットされる情報が偏ってませんか?ということが言いたかっただけです。
創価学会は「信仰」の団体です。
「信」が無くしては、会員として存在している意味がありません。
これは「盲信」とは次元の違う「信」ですからね。
もっとも、名前だけ在籍している会員は多いのですよ。
つまり、「信仰体験」の無い会員です。
彼らは、たやすく創価学会に対する批判情報を鵜呑みにする傾向はあります。
そしてなおかつ、機関誌等の情報を信用しません。
又、批判情報、機関誌情報、両方に全く無関心の会員もおります。
全く信仰活動、実践無くして会員でいることに矛盾を感じず、
自分から積極的に退会する会員も極めて少ないという
不思議な団体です。
「信」が基本である会員が、機関誌等を信用できなくなれば
もはや、在籍してい意味は無いと私は思います。
明らかなミス記事等は、必ず訂正があります。
投稿: 絵 | 2012年5月31日 (木) 22時51分
みなさん、コメントありがとうございます。
絵さん。創価学会を取り巻くネット上の批判にはよく考えると相互に矛盾していることが多いです。批判が両立しないと言うことは、そのどちらかが間違っているか、どちらもが間違っているかです。①でも書いたのですが、創価学会批判だけがそのような冷静な判断をできない風潮があることは異常です。私がこれらの記事を書いた動機はここにあります。
PublicCommentさんのコメントの中に
>インプットされる情報が偏ってませんか?
がありますが、私も創価学会の方が創価学会を説明評価したりするときに、創価学会や創価学会系の出した出版物から引用されることが多いことは気になります。まったく創価学会のことを知らない方に説明するならそれでもいいのですが、この場のように懐疑的な目を持ちながら対話が進んでいる場合、それは説得力を持たないと思います。大宅壮一氏のエピソードも他社の出版物に掲載してあればかなり違ったインパクトを与えたと思います。ただ、池田氏が多くの対談集を発行していますが、その内容は相手にも内容を承認してもらった上で発行しているはずですので、相手の言動は信用してよいものと私は思います。創価学会系以外の出版物でそういう資料はなかなか見つからないと思いますが、①で紹介した以外にも私はいくらか知っています。
junkさん。以前から私は教義に関しては触れないようにしているのですが、「仏教」の基本は今の日本の葬式仏教ではないようには思います。社会科の倫理で教えているシッダールタ(釈迦)の思想は、よりよい「生き方」を教えているもので、葬儀の仕方や格式とは無縁です。釈迦に関する説話を読んでいると、国王から一般の庶民まで、いろんな階層の人々と会話をしています。そのすべてが正確なエピソードではないにせよ、そのような姿が好ましいと考えられていたからこそ、そうしたエピソードが残ったのでしょう。本来仏教はそうしたものだったはずです。死んだ後のことしか考えない葬式仏教はやはりおかしいのです。日本の仏教の現状に飽きたらず、釈迦に回帰しようとする新興宗教は少なくないと思います。創価学会もその一つかと私は思います。葬式仏教の視点から見れば、釈迦に回帰しようとか社会参加しようとかすると、異常に見えることは仕方のないことだと思いますが、だからといって間違ったこととは思いません。
ちなみに私の時には「お別れ会」はしてもらっても「葬儀」はいりません。「通夜」もいりません。すでに親族には言ってあります。私は葬儀の最大の意味は、亡くなった人とお別れする残された人の気持ちに区切りをつけることだと思っています。また、残されたご遺族を慰めることだと思います。その意義がクリアできるならどんな形式でも構いません。以前に教え子の葬儀で坊さんが、読経の後「若くして亡くなられるなんて悲しい、悲しい。私も悲しい。」ばかりを言って終わったことがありました。「ご遺族を慰める言葉もないなら坊主など辞めてしまえ!」と心底腹が立ち、家に帰ってご遺族を慰める手紙を書きました。亡くなった教え子に呼びかける形式で、墓前で読んで頂くようお願いし、読んで頂ければお父さんお母さんが少しでもお元気になっていただけるよう、必死で考えて書きました。その時には本当に喜んで下さいました。たかが私にも少しはそういうことができる。なのに何もしないならすでに葬式仏教でさえない。私は今の日本の葬式仏教は、嫌いです。文化財としての価値は別ですけどね。
junkさん。本文でも触れましたが、やはり私は「洗脳」という言葉は慎重に使ったほうがよいと思います。「思想的影響力を受ける」ということがたちまち「洗脳」ということにはならないと思います。「思想的影響力を受ける」ことにはいいことも悪いこともあります。教師など生徒に影響力を与える仕事です。何も影響力を与えない教師はむしろ、全く魅力のない教師です。世間でも「洗脳」という言葉が簡単に使われていて、単に相手を批判するのに便利なアイテムになっている傾向があると思います。むしろどのような影響を与えるかという中身が大切なのではないでしょうか。その一方で、批判すべき「洗脳」の定義はやはり行なう必要があると思います。私は日常生活を行ないながら(テレビやインターネットなどの情報の洪水に晒されながら)洗脳されることはあり得ない、と思います。「洗脳」で問題になっている宗教は、集団生活をしていたり、一定の期間外部との交流を遮断されたりというもの、という感覚が私にはあります。その中にはインターネットのバーチャル世界を本当の世界と思いこむほどにネットにのめり込んで、それが真実である思いこんでいる人々も入るかも知れません。
創価学会はそれには当たらないと思います。
投稿: yossy | 2012年6月 2日 (土) 18時28分
管理人さん、そして皆様、
>①でも書いたのですが、創価学会批判だけがそのような冷静な判断をできない風潮があることは異常です。
創価学会が何故、理論上だけで理解されないか?
これは、私が一番良く解ります。
信仰体験しないと解らないからです。
仏法用語で「元品の無明」というものが全ての根源的理由です。
もっとも、その他のいわゆる「新興宗教」と言われるものにも
それなりの批判はあると思います。
既成宗教といわれる、念仏宗であるとか真言宗であるとかに比べればですが、
もっとも、既成宗教といわれる「仏教」をまともに「信仰」しているという
自覚のある方はほとんどいないと思います、ただ単に檀徒であるという
程度のことなんだと思います。
理性だけで創価学会を理解できる方もおります。
それは、仏法用語で恐縮ですが、「菩薩界」の方々です。
前にも書きましたが、人類が抱える諸問題について
真剣に模索している方々は、池田先生の哲学思想に共鳴いたします。
>私がこれらの記事を書いた動機はここにあります。
ご理解ありがとうございます。
>PublicCommentさんのコメントの中に
>>インプットされる情報が偏ってませんか?
がありますが、私も創価学会の方が創価学会を説明評価したりするときに、
>創価学会や創価学会系の出した出版物から引用されることが多いことは気になります。
>まったく創価学会のことを知らない方に説明するならそれでもいいのですが、この場のように懐疑的な目を持ちながら対話が進んでいる場合、それは説得力を持たないと思います。
>大宅壮一氏のエピソードも他社の出版物に掲載してあればかなり違ったインパクトを与えたと思います。
かって、香典泥棒での間違った情報を報道した茨城新聞が謝罪したというのは
有名ですが、
大宅壮一氏については、一般の方に理解を求めるのは無理だと
思います。
ただ、潮・編集者の方も、もし何らかの「異議申し立て」が
あった際は、きちんと対応できるだけの「証拠・根拠」は
有るんだと思いますが、
私としては、この「件」は、取り下げます。
というよりも、管理人さんのご努力には敬意を表します。
ただ、PublicCommentさん、junkさん、達を
理論で説得しようとは思いません。
私が、このブログを知ったのは、ある創価学会員のブログで
紹介されていたのですが、
とりわけ、junkさんに関心を持ったわけです。
それほど、創価学会のことが「気になる」のであれば
別に入会する必要はないから、勇気を出して体当たりで
創価学会が日頃何をやっているのか、その目で見たらいいのに、
というのが私の投稿動機ですから。
それは、PublicCommentさんについても同じです。
理屈では、絶対に理解できません。
繰り返しになりますが、自分だけのことを考えている
利己主義の方には、絶対に理屈では理解できません。
かっての私がそうであったように。
人類が抱える諸問題に「道」を見つけたいとの希望を
持っている方でなくては、理屈、理論、では解りません。
そういう意味でいえば、管理人さんは、ある程度、ご自分では
意識していないでしょうが、人類的視野で判断したいとの
思いはお有りになるのかなと思います。
というか、管理人さんが記事でも書いていたように
憲法上の「政教分離」等、正確に理解できているからですし、
こういうことも解っていないというのが、民衆の大半ということなんですよね。
一般の民衆どころか、かって、かの宗教法人改正の際は
日大の法学部の教授ですら、誤解というか的外れの解釈を
していたくらいですから。
公明党という存在が無ければ、おそらくこれほどの批判は
生まれなかったと思いますし、そのことは戸田、池田、両会長共
あらかじめ承知の上でした。
ただ、宗教が人間の幸福を目的としているのであるならば
政治、社会に対して関心を持たない、行動しない、宗教というのは
レベルの低い宗教と言わざるを得ないと思います。
野党時代であれ、与党時代であれ、約束した政策は実現する、
公明党は一貫してこの姿勢を貫いたてきたわけです。
公明党が推進実現した政策は、国民全部に対してのものですが
何か、公明党員&創価学会員だけを対象にしているかの如くの
大変な見誤りの方もいるわけです。
更に言えば、今までの、既成の価値観では理解できないことを
創価学会が実践しているからです。
私も創価学会に入会し、実践してみて「驚きました」から。
何に驚いたのか?
人間とは「何ぞや」との解明が「完璧」でしたから。
驚きと同時に、大変な「歓喜」ですね。
大分脱線して書きましたが、
以上で、こちらのブログのコメント欄への投稿は
終了とさせていただきます。
管理人さんの今後の御健筆に陰ながらエールを送ります。
書かせていただきありがとうございました。
投稿: 絵 | 2012年6月 3日 (日) 16時23分
>絵さん
退場されてしまったようなので多くは言いませんが1点だけ。
>自分だけのことを考えている利己主義の方には、絶対に理屈では理解できません。
>人類が抱える諸問題に「道」を見つけたいとの希望を持っている方でなくては、理屈、理論、では解りません。
「世界平和」やら「仏法」やら「人間とは何ぞや」やら高尚な理想を説いてらっしゃる割には言ってることがちと高慢すぎやしませんか?
ご自身の所属する組織を批判されていい気がしないのは解りますが、「貴方たちには理解できない、理解できないほうが悪い。」というのは宗教を真剣に学ばれている大人の対応とは思えません。
特にこの議論においてはyossyさんもおっしゃるように学会側にとっても疑問に応えるチャンスだったはずです。
そういった疑問に答えることなく、学会の教えの中に答えを求めて自分だけで納得してしまう。
まあそれはそれでいいんですけど
絵さんが本当に「本気の学会員」さんだったとして、学会の発展を願っているなら貴方のコメントは間違いなく逆効果だったと思います。
投稿: PublicComment | 2012年6月 4日 (月) 01時02分
>絵さんへ
私は絵さんのような本気の人と話すと、お互いに話が通じないことに疲れるから会話を止めたけど、public comment(以下pc)さんと話を続けて欲しかった。私じゃなくて、pcさんなら絵さんの意見を冷静に理解して有意義な話がでてくると思ったんですけど。残念です。絵さんが特別な思想の持ち主なのか、これが本気の量産型学会員の普通の思想なのかは判断出来ないけど、とりあえず創価について話す時は絵さんも含めて考えることにします。本気の絵さんがここにきてくれて、ここでyossyさんと話をして,やっぱりよかったと思ってます。きてくれて、ありがとね。
>学会員のみなさんへ
学会員がpcさんの疑問について答えてくれると助かるんですけど・・・・
投稿: junk | 2012年6月 5日 (火) 00時34分
>Yossyさん
>「洗脳」で問題になっている宗教は、集団生活をしていたり、一定の期間外部との交流を遮断されたりというもの、という感覚が私にはあります。その中にはインターネットのバーチャル世界を本当の世界と思いこむほどにネットにのめり込んで、それが真実である思いこんでいる人々も入るかも知れません。
オームや軍事施設ように薬物洗脳は完全な洗脳ですけど、ネットにのめり込んで、ってのと創価にのめり込んでってのはあまり変わらないような気がするんですよ。創価を信じている=上位に位置するみたいなのを絵さんから感じるし(>宗教が人間の幸福を目的としているのであるならば政治、社会に対して関心を持たない、行動しない、宗教というのはレベルの低い宗教と言わざるを得ないと思いますなどから)、絵さんを見てると、絵さん、高揚状態なんですよね。ここまでくると世間に洗脳って言われても仕方ないと思うんですよ。だから、「創価はそれに当たらないと思います」って言われても、ネット中毒精神衰弱状態者と一緒だろって思うんです。
でも実際は創価が洗脳していると言うよりは、「創価の思想にのめり込む人が自己洗脳している、または、されている」が正解なのかもしれません。だけどこれからは洗脳の定義がここではっきりするまでは使わないようにします。
>日本の葬式仏教は、嫌いです。文化財としての価値は別ですけどね。
これには完全に同意。もちろん、私が知らないだけで立派なお坊さんもいると思いますけど。
>どこか普通(日本の仏教)とは違うんですよ。
堕落した日本の仏教が普通の日本仏教だと思うんですよね。普通とは違う創価はある意味原点回帰をしているのかな?そう考えれば納得もするけど、政治に口を出していることで原点回帰とも思えないし。勧誘については来るものを拒まずが本来の仏教の救済方法なら、助けに行くってのも原点とは違う気がするんですよね。
投稿: junk | 2012年6月 6日 (水) 00時19分
>絵さんの最後の投稿について
人類的視野とか、宗教が人間の幸福を目的としているのであるならば政治、社会に対して関心を持たない、行動しない、宗教というのはレベルの低い宗教と言わざるを得ないと思います。とかは、創価か池田大作氏の思想なの? それとも絵さんが勝手にそう思い込んでるだけ? 理性だけで創価学会を理解出来る人=菩薩界の方々とかも創価がそう教えているの? 私が今までに出会った学会員の中で、他の宗教はレベルが低いなんて言う人いなかったんですけど、これが創価の本音なの? それと伊達半蔵さんの創価への批判→「法華経の行者は迫害される」これも創価が教え込んでるの?
Yossyさん、PCさん、学会員のみなさん、これが創価の本音だと思いますか?それとも個人の勝手な思い込みなんですかね?
投稿: junk | 2012年6月 6日 (水) 00時33分
junkさん。しばらく返事無しですみません。
「洗脳」と「影響」は違うと思います。このあたり是非専門的な視点がほしいところです。私は、若いときに天理教、統一教会、親鸞会、創価学会、真光、真如苑、クリシュナ国際協会など、さまざまな宗教の信仰者と話をしましたが、自分自身の主体者観が崩れるようなことはありませんでした。だからかも知れませんが、特定の宗教に洗脳されるという感覚が分からないのです。もちろん勉強にはなるし影響も受けますが。
また、創価学会が「原点回帰」を指向しているのはその通りだと思います。それでは仏教の原点とは何?ということになると、門外漢は立ちつくすのみ。
ただ、宗教の原点=目的は人の幸福であるはずです。いや、幸福を目的としない宗教など私は認めません。幸福が個人のものなら他人に勧める必要はないのですが、大乗仏教はその名の通り大勢で幸せになることを目指していますので、他人に勧めることとなります。ここまでは、一社会科の教師の私にも分かります。創価学会が「折伏」をするのは、大乗仏教の性ではないかと思います。
他人に勧めればそこに価値観のぶつかり合いが生じます。「言論の自由」「信教の自由」「学問の自由」という憲法の概念は、そうした価値観のぶつかり合いから新しい価値観が誕生していくことを期待している、と聞いたことがあります。しかし、価値観の披瀝が「うっとうしい押しつけ」に感じるのも、また事実です。junkさんは「絵」さんからそういう感じを感じられたのでしょうが、信じることを他人に披瀝する時、相手から独善的に感じられたり押しつけ観を感じられたりするのは、一般にもよくあることです。
しかし、このコメント欄のやりとりだけでも互いに影響しあったり考えを改めたりできているわけですから、真面目に対話することが悪いことな訳がありません。「絵」さんにもこれからも大いに投稿して頂きたいものです。
投稿: yossy | 2012年6月18日 (月) 18時36分
私がコメントしてから1ヶ月以上の間、色々意見交換がなされていたのですね…。最初の数日はここを見ていたのですが、5/7のyossyさんの投稿以後はすっかりご無沙汰しておりました。全てのコメントを拝見いたしました。なかなか文字だけでのやり取りでは意思疎通が容易でないことはよく分かります…。
時折、私の述べた「法華経の行者の故の迫害」についてお話があったのでコメントしてみます。
あれは端的に日蓮の主張(遡れば釈迦の主張)です。日蓮門下の創価学会が宗祖と同様の主張をするというか信念を持つことは信仰を一にする上で不思議な事ではないでしょう。
こうして学会が法華経の教学的視点を重視するのは、戦前の創価教育学会が時の政府からの弾圧によって会長・理事長以外のメンバーが容易く転向して組織が瓦解してしまったことに端を発してます。
「真に力ある正しい信仰なら、何故、こんな迫害を受け苦しまなくてはならないのか…」
このような現実的問題に何ら戦前の学会員は解を持たなかったのです。当時の翼賛体制が圧倒的な権力を敷き、法を定めて国家を統御し、思想信条を厳しく統制して国民に実質上の不自由を強要していたことが「正しい」時代において、他国への侵略を是とせず政府の思想政策に屈せず信念を貫き通すことは誰からも「悪(非国民)」と映ったことでしょう。日蓮の在世中も同様です。これについては説明はいらないですね。簡単に権力によってへし折られてしまったら平和も安定も叫ぶような資格はないし、そのような平和勢力を構築するエンパワーメントは得られないでしょう。
いつの世も権力は時に暴走する。チェック機能が働かない次元までいくこともあるかもしれない。かつての戦争のように。奢れる権力の前に少々の信念ある人間の言説など軽々と吹き飛ばされてしまう。
「真の強さ」について語る時、私は日蓮を思い出す。命知らずの武家政権への舌鋒鋭い諫言があるかと思えば、無学貧窮の庶民・門下への眼差しは実に温かい。真心の励まし、苦悩の克服、希望の提示。日蓮が残した様々な文献から揺るぎない民衆中心の宗教性・思想性が見て取れます。
その一方で民衆を食い物にする宗教・政治権力者の傲慢、高次の思考を無理矢理に相対化させようとする「多様性の罠」や「検証されない通俗的な風習・風俗」、及び「感情的な議論」が確実に存在する。そうした「抗い難いパノプティコン」を正面から捉え、自己の立脚点を再確認し、自他共の幸福を追求するためのブレのない信念の置きどころとして「法華経故の迫害の構図」を釈迦や日蓮は自己を規定したのではないだろうか。そんな風に私は思います。信念ある人は強い向かい風を受けるものでしょう、それが例え宗教者であろうと政治家であろううと学者であろうと。
意見や見解の違いを不幸と定義するなら、よほど世の中は不幸になってしまいます。勧誘が「加害行為である」と見解されているコメントがありましたが、勧誘以外に布教の語り口が存在するのか私には不明です。対話機会によって双方の思考の深化もあるやもしれませんし、そうして事実として蘇生を遂げた学会員の数は1人や2人ではありません。布教行為を故に単に加害と定義されるのは無念です。もちろん、現行法を逸脱するような態度は厳に慎まねばならないのは当然であります。そのような者がいたら容赦なく訴え出てください。
少々乱脈でしたが「法華経故の迫害」について書きました。なお、これは事実関係に照らして妥当な批判についてまで「法華経故」と言っているわけではありません。そのあたりはきちんと峻別して組織運営はなされています(そうでなければやりたい放題の滅茶苦茶な思想・組織になってしまいますよね)ので、予め誤解のないように付記しておきます。
概ね学会への疑念は「知っているようで、よく知らない」というところに着地することが多いように思われます。自分の印象論で語ることは無限に出来るのですが、池田名誉会長の主張やこれまでの具体的実践、行動記録、反戦への取り組み、学会の組織形態や利害関係の実際的な調整など、知るほどに「世の広さ・深さ」を感じることが内部の人間である私ですら非常に多い。
名誉会長の遠謀深慮・人間への眼差しには全く恐れ入るところなのです。そうでなくてはこれほど多数の人間を纏めていくことなど現実的には出来るものではありません。もし「カリスマだからできるんだ」で処理するような思考があるならば、そのような態度こそ「カルト」だと私は思います。
どこまで言っても日蓮仏法を基軸とした「人間観・生命観」の追求と、地道で地味ではあるけれども一人ひとりの人間に対する配慮を重ね、支えあう行動を起こし、自他共の幸福を志向することが創価学会の運動力の源泉なのです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月19日 (火) 16時01分
※上記投稿について
部分的にテキスト修正をしながらのコメントになってしまい、全体の文章として接続詞や助詞に時折適切でないものが混じってしまいました。文脈の上から適正な読みを施して頂けたら幸いです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月19日 (火) 16時08分
>伊達半蔵さん
半蔵さんの文章って半蔵さんの言葉なの? なんか、私のような馬鹿な人間からすると、何冊かの創価本から抜き出した言葉を並べて、そんな風に感じますって言ってるように聞こえるんですよ。
私が馬鹿だからそう感じるだけで、全てが半蔵さんの言葉ならすごい頭のいい人っぽいんだけど、私にも分かるように言葉を少し簡単にしてくれません。パノプティコンの意味が分からないんです。すいません。
創価の話になると聞きたいことや言いたいことが多すぎて、いつも話が脱線してしまうのですが、今回から出来るだけ一つ一つ話を聞いていこうと思ってます。伊達さんの文章で私が引っ掛かったのが①『法華経の行者故の迫害』です。伊達さんは私の②『勧誘する宗教は加害者である』です。とりあえず、これを話しましょう。①が片付いたら次に聞きたいことを聞きます。②が終わったら、伊達さんが引っ掛かることを聞いてください。そして、PCさんの質問は公明党についてなのですが、私はこれについては出来るだけPCさんに任せていますが、とても興味があるので答えてもらえるとたすかります。
① 法華経の行者の故の迫害
戦前の創価と今の創価を同一視して考えるのはなんか違う気がするんですよ。私が創価を知らないからそう感じるだけで、伊達さんから見れば同じなのかもしれませんが、現代の創価への批判を、戦前の創価への弾圧を混ぜて、「法華経の行者の故の迫害」と言われても、私には「何いってんの?誰も法華経だから迫害なんてしてないし」ってなるんですよね。それに戦前、創価だけが迫害されたの?いやいや、大日本帝国に異を唱える全ての宗教と人々が弾圧されたんじゃないの?そうですよね?新道ですら変革を迫られた。だから「法華経の信者の故の迫害」はかなり的外れな答えだと思います。詳しくは知りませんが、創価学会の前身?である会のトップが反戦運動をして拘束されたとかなんとかってのは聞いたことがあります。が、その人の率いた創価と今の創価が同じ体質とも思えないんですけど、話が逸れるのでこれについてはまた今度聞きます。話を戻すと、創価への批判は、現在の創価が批判されるだけの要素を持っていると私は考えています。その一つが勧誘行為だと思うんですよ。
② 勧誘する宗教は加害者である。
>蘇生を遂げた学会員がいる。だから加害者と定義されるのは無念。
やっぱり他からみれば、勧誘をする(今、勧誘をしている)宗教は加害者なんですよ。熱心な学会員が他を助けたくて勧誘をしていると信じたいんですよ。だから、ちょっと学会員よりに考えてもみたんですよ。でも、やっぱり公平に考えると加害者になるんですよね。
創価に信者を奪われた側から見れば、創価は敵になります。私は創価でもなければ、キリスト教徒でもないし、どの宗派にも属していないし、家族が創価に入信したわけでもありませんから、創価は敵ではありません。ですが、勧誘する宗教を定義すると、加害者です。
以前、話の流れでビールに例えましたが、学校のクラブ活動で考えると私の言いたいことを理解してもらえるかもしれません。学校には何十種類のクラブがありますが、創価野球クラブがサッカー部の補欠Aを引き抜いたとします。その補欠のサッカー部員Aは創価野球部ではレギュラーを務め、今では楽しくやってます。あなたの言う蘇生です。が、引き抜かれたサッカー部はいい気分ではありません。会費を納めていた補欠Aが欠けた為、色々と障害がでるかもしれません。また、学校の他のクラブ、テニス部、水泳部、将棋部、なんかも創価野球クラブに対して警戒します。好き勝手に部員を引き抜く野球部を好ましく思うクラブはいないと思います。引き抜かれたサッカー部としては泣き寝入りするか、創価と同じように引き抜きをするか、今までとは違った対応をするようにもなるかもしれません。サッカー部が野球部を見習ってテニス部から引き抜きをしたとします。もうこうなると学校全体の問題になります。「創価で蘇生を遂げた学会員がいる」と言われますが、泣き寝入りしたクラブも無念です。創価を見習えば混乱が生じます。ですから、無念と言われても暗黙の了解(日本では宗教の勧誘が盛んではない)を破っている創価はやはり加害者です。加害者を好ましく思うものはいません。
ただ、学会員が強調する「救われる人がいる」は事実だと思います。人間関係や色々なことで弱っている人間がいる。学会員がその人の面倒を見て勇気づける。救われた人から見れば創価は加害者でも被害者でもありません。ですので、無念と言われるのも理解できます。
>概ね学会への疑念は「知っているようで、よく知らない」というところに着地することが多いように思われます。
これも繰り返しになりますが、他のクラブは直感的に創価を警戒しているから疑念が産まれるのです。他のテニス部や将棋部を警戒するクラブはありません。なぜなら、勧誘をしないからです。ただ、確かに私も創価を学会員ほど知らずに疑念を抱いています。が、これが普通です。確かに創価に対する誤解もあるとは思いますが、伊達さんの考えだと、北朝鮮に疑念を抱くのは北朝鮮を深く理解していない日本が悪いと言っているのと同じです。
投稿: junk | 2012年6月22日 (金) 00時34分
junkさん
コメント拝見いたしました。ありがとうございます。まず文章についてですが、全て自分で考えています。表現の拙さについては汗顔の至りです。精進が必要といつも思っています。分かりにくさについて申し訳なく思います。
<法華経の行者故の非難>
この「法華経の行者故」というのは法華経信仰者の主観的立場の表明です。公平や客観というよりは「釈迦がそう言ったから弟子としてはそう考える」という意味以上のものではありません。
>私には「何いってんの?誰も法華経だから迫害なんてしてないし」ってなるんですよね。
その通りだと思います。それが一般的に至極妥当な感覚だと私も考えます。一方で仏教学な観点で言うと「法華経故の難」というのは「(社会が)法華経だからと知って叩く」というニュアンスではないです。これは宗教ですので、より「釈迦が考える社会法則観点」から説いているイメージで捉えてもらえれば理解の助けになるかもしれません。法華経には釈尊死後に法華経を信じ弘めていく者に対して、様々な迫害が加えられることが説かれています。
「如来現在猶多怨嫉。況滅度後」…法華経法師品第10に説かれる
法華経を説く時には釈尊がいる時代でもなお怨嫉が多い。まして死後の時代であれば、釈尊の時代以上の怨嫉があるという意味です。この経文通りに釈尊時代よりも激しい怨嫉の難を受けたのは日蓮です。そして日蓮門下としての創価学会は法華経の実践を貫くので「釈迦の予見したように叩かれている」という解釈です。ですので一般向けではなく門下向けの意味合いが濃いと思ってください
学会としては「間断なき捏造記事、証拠無き非難、分析なき感情論、評価の不公平さ、事実に即さない論評、統計を無視した針小棒大な論難」などの度を超えた叩きに遭うのは「法華経故」と考え、それは釈迦や日蓮が不当(国法に照らして)に叩かれてきた経緯を踏まえて教理的に捉えているという風に思っていただければ。もちろん法華経なんて信じてないという人にとっては全く無関係なことです(当たり前ですね)。なので重ねてになりますが「門下向け」の色が濃い説明です。
釈迦は一生を通して様々な教義を説いたのですが、晩年になって「最後に説く法華経が奥義だから、これまでのものはステップとして教えてきたもので今後は一切不要である」みたいなことを言うので、その先行して説かれたものに執心する人にとっては法華経が目障りだというのが実状でしょう。
日蓮はこうした経緯を学問で見出して「法華経第一」を宣言します。経典に基づいて当時の念仏や真言・禅・律などの各宗をバタバタと説き伏せたものですから、法論で敵わない各宗派のリーダーが一斉に権力におもねって日蓮を害する行動に出た。仏教論でなく裏で抹殺しようとしたというのが教科書にも出てくる四度の流罪でした。「叩かれるプロ」みたいな感じです(ちょっと不敬ですが…)。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月22日 (金) 13時31分
<勧誘が加害>
世の中、数が決まってますから「パイの奪い合い」という観点では「害」だと考えるのは違和感のない主張だと思います。土地でも選挙でも金でも構成員数でも宗派でも「拡大の反面には減少」が伴っていますから当然ですよね。「仏法と申すは勝負を先とし…」とする日蓮ですから尚の事、学会には勝負観があります。一方、「取られた、負けた」という側から見れば勝者は「加害者」に映ることでしょう。これは数の観点から論じるのか、哲理の浅深で論じるのかによって問題の輪郭は別なものになってくるのだと考えます。
ただ、junkさんの仰る「公平に考えると」は数の天秤の話をしているのであって本質的に公平を語っているとは思えないのです。数を多く取った方が加害で、少なくされた方が被害であるというだけなら結果として「判官贔屓」なだけではないでしょうか。また、ご主張されていた「暗黙の了解」が必ずしも平和を安定をもたらすか…。「神国日本、陛下万歳、靖国で会おう、一億玉砕、欲しがりません勝つまでは、竹槍で戦闘機と戦うetc」を国民は暗黙了解して何がこの国を包んだか。そういう精神的風土に切り込んだのが日蓮ですし、その系譜を継ぐ学会でした。ですから日本の「なぁなぁ主義的風習」とは相対する側面を持っていたことは確かなんだと私も思います。どちらかというと何も問題なければなぁなぁの方が私も遥かに楽なんですけれどね(苦笑)。
日蓮は宗教の勝負を「風習や慣習」ではなく「哲理」で判定しました。議論して哲理で破れたら改宗することを選んだ人が多かったのは日蓮のせいではなく、自宗の正当性を担保できなかった他宗の自己責任でもあるでしょう。学会の拡大もやはり基本的には哲理を語って成し遂げてきたものです。さすがに哲理なくして1000万人に納得を与え続けることなど不可能ですしね。yossyさんも仰ってましたが「葬式仏教」なんて本来の釈迦の精神とは全くかけ離れてしまったもので、墓守や法事のための商売宗教から民衆自立によって幸福獲得を実現する宗教への転換を目指して思想闘争をしたのが学会の運動です。商売宗教から見れば驚異的な「飯の種を奪う敵」に見えたことでしょう。だってそれまでも今でも「坊主丸儲け」な日本社会だったのですから。
野球の話しがありましたが、同じ舞台で同じルールで勝負して「負けたら負けたで相手を加害者とする」というのは気分的には分かりますが見方としてはフェアではないはずで、宗教選択のルールで言えば取捨選択は各個の自由な判断に任せるというのが現代社会の規範であるはずです。その判断機会を持つ事自体が「加害・被害」だと判断されるのなら、学会に限らず数が増えれば「加害」、減じてくれば「被害」であるということに収束するので「本質的な議論ではない」と冒頭述べたのです。
何の信仰を選択するのかは最終的には構成員たる「個人の局面」です。信仰をするというのはやはりかなりの覚悟が伴うことですし、同じやるならば教義的にしっかりしたものを選びたいと考えるのはそれほどおかしなことではないでしょう。経済なら金でスポーツなら得点で相撲なら土俵で政治なら選挙で仕事なら業績で宗教なら対話で事を決する。疑義を呈すべきなのはこの基本ルールを逸脱する時だと考えます。
憲法の政教分離原則はこの判断機会に国家が不介入であることを通して、各人の思想信条の選択自由を担保します。その範囲内で大いに議論を重ねれば精神的にも実りがあるように思います。丁度、ここで交わされているコメントのように。
なお、私は創価学会が唯一無二で誤りのない団体だとは考えていません。人間の為すこと、完璧なことなんてあり得ない。信心が純粋で真面目であることと宗教的正当性は相関関係はあるかもしれないが、決して因果関係を取り結ぶものではないですしね。
また、私が日蓮門下であることも彼の言う「智者に我が義破られずば用いじとなり(他の智者に自分の教義が破られない間は他教義を用いない)」とする公平なスタンスが肌に合うからです。これは自分よりも優れた思想を持つ人間が出る可能性を認めている点で宗教的寛容性を内包したものと理解しているところです。
>ただ、確かに私も創価を学会員ほど知らずに疑念を抱いていますが、これが普通です
それでは、ただ話し手の状況説明に過ぎないではありませんか。知識量そのものについては違いがあるのは当然でも、知ろうとするスタンスをjunkさんはお持ちだと信じたいです。北朝鮮に疑念を抱くことと対比するのも酷く観念的な話に聞こえます。
junkさん個人を例にお考えになるというのはどうでしょう。あなたのことを知らない人が見かけや立場や肩書きや雰囲気、はたまた噂だけで「批判的に論じている」とすると「こちらのことを言いたいのなら、少しは調べてから言えよ」ということになりませんか?「よく知らないけど、それが普通でしょ」で批判されたら??と私なら感じますし、そう捉えることの方が普通だと思います。あるいは「面倒そうな話だから相手にしない」か…。
学会に対してのみならず、何かを知りたければそれなりに詳しく調べていこうとするスタンスがあって論じることこそ真っ当(普通)な姿勢だと考えます。どんな事柄にも共通するはずです。
今回junkさんは学会を知りたいから問うているのですよね。知らないのと「知ろうとしない」のでは大きな違いです。今、知ろうとされてコメント等でアクションされているはずですが、もし「知らなくて普通ですけど、疑問抱いてます」みたいな気持ちで言われてはちょっと途方にくれてしまいます。こちらも聖人君子ではないので、そこまでの説明パワーがないのです…。私はjunkさんが「知ろうとしないで議論しようとしている」わけではないと信じてコメントを書きました。
なお、公明党のことについては私のブログにも書いてる部分があるのでお読み頂いた上で、ご質問等あればお話できればと思っています。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月22日 (金) 13時32分
伊達半蔵さん
>ただ、確かに私も創価を学会員ほど知らずに疑念を抱いていますが、これが普通です
>今回junkさんは学会を知りたいから問うているのですよね。
私は知りたいから質問をしてますよ。私がまだ他に誤解している部分もあると思うし、創価に対する印象で私が正しい部分もあるかもしれない。確かめようとすると学会員と話す以外にないから、ここで話してますよ。ただ、知り合いの学会員と話すと、本音で聞きにくいからネットで聞いてます。
>疑念
一般的に言えば、人が何かに疑念を抱いた時、その根拠は直感的に判断したことが多いと思うのです。原子力発電を巡って両者の言い分があると思うのですが、多くの反対派は危険だからと言うけれど、専門家ではないのでなぜ危険なのかは完全には説明できません。もちろん知識として知った方がいい。でも、そんな暇がない。だけど、反対。賛成派も同じです。これが一般的だと思うんですよ。だって、専門家(創価)じゃないんですから。
すいません、前の北朝鮮は言いすぎでした。ただ、北朝鮮にでも使えるような言い訳では、誰もが納得しないんですよ。法華経故も門下向けだと言われますが、それを創価を非難する側に言われても通じないんですよ。違う理由で創価を非難している人がほとんどだと思うんです。「創価への批判はデマやどうでもよいこと」【ネットの危険性】が主なyoosyさんの主張なんですが、私はなぜデマまで流れて創価が批判されるのかが重要だと思うんです。そこに誤解や無知もありますが、公明党の存在も含めて、日本の多くの人が創価を好ましくない者に分類している。それを創価が正そうするなら、それなりに筋の通った「言い訳(馬鹿だから、違う言葉がでてこない・・)」が必要です。「無知と法華経故」は学会員だけで通じる言い分で他には通じないと思います。
>勧誘について
加害者と被害者
以前ビールで例えた時にも言いました、となりで美味そうにビールを飲んでる人がいて、私がそれを飲みたいから銘柄を変える。これで創価学会員の数が増えても加害者ではない。
ですから、数が増えたから加害者だとは言ってないんですよ。ただ、勧誘に問題があると言っているだけなんです。
今まで触れてきませんでしたが、学会員の数は公明党に繋がり、政治にまで影響があります。と言うことは、人を救うための勧誘であっても政治運動と一緒なんですよね。これも問題だと考えてます。
パイの奪い合い(この言葉がでてこなかった・・・・)で、キャバクラや風俗の客引き(犯罪ではない?)を用の無い人は好ましいとは思わないですよね?ウザいだけです。前にも指摘されたんですけど創価は知らない人を勧誘するわけではありませんが、でも用の無い人にはキャバクラの客引きと同じなんですよ。これも創価が嫌われる理由の一つです。
創価は勧誘する攻める宗教です。加害者というのは私の言葉の選択しが少ないのでこの言葉を使っていますが、やはり他から見れば加害者が適当な言葉だと思うんです。違う言葉を思いつけば変えます。ただ、攻める者がいるから守る者もいる。守る側からみれば、攻めてくるから守るわけです。なので、攻めてこなければ守らなくてよい。第三者的立場でみると、初めに手を出しているのは創価なんですよね。だから加害者を使ってます。
>宗教選択のルールで言えば取捨選択は各個の自由な判断に任せるというのが現代社会の規範であるはずです。
その通りですが、各個に自由な判断がありますかね?創価のような勧誘する宗教が有利だと思いませんか?弱っている人に近づき選択を迫る(助けようとして)。弱っている人に自由な判断を任せるって、ぼけ老人に自社株を買わせる訪問販売員とあまり変わらないように思うんですよ。日本の全ての宗教が弱っている人を勧誘していれば、その人にも色々な選択肢があります。それに「自由な判断に任せる」は精神が正常な時が前提だと思います。宗教を改宗した人って、改宗する時、普通の精神状態の時のことの方が少ないと思うんですよ。かなり弱っている時が多い。
勧誘に関して意見が分かれてますが、伊達さんも、「じゃ、どうやって勧誘するのか正解なんだよ!!」って声を大にして言いたいはずです。私の答えは、「分かりません」です。一つ言えることは、今までと同じやり方ではやはり理解は得られない。
>「面倒そうな話だから相手にしない」か…
>本気の人
前に本気の人を警戒していると書きましたが、伊達さんも確実に本気の人です。ですが、私が定義した「本気の人」と伊達さんは種類が違うと考えています。もう少し細かく本気の人を種類分けしとけばよかったな~と思ってます。創造論者と地質学の話をしても意味がないように、絵さんと話をしてもお互いの主張を認めずにお互いの嫌な部分が見えるだけなので、話すのを止めました。お互いの為です。伊達さんとは話合いで今までとは違った見方が両者に産まれることを望んでます。もちろん、ほとんどの部分では平行線のままかもしれませんが、、どこかでお互いが納得できる接点が出てくると感じています。
投稿: junk | 2012年6月24日 (日) 00時16分
junkさん、コメント拝見致しました。ありがとうございます。
>法華経故も門下向けだと言われますが、それを創価を非難する側に言われても通じないんですよ。違う理由で創価を非難している人がほとんどだと思うんです。
はい。繰り返しになるようですが批難する側に通じないと思いますし、junkさんがそう思われるのは当然だと考えてます。
私があえて、あのように説明したのは「学会サイドでは批難に対する受け止め方を精神的に深い所ではこのようにしている」ということを知って頂きたかったからです。
誰人も逃れがたい生老病死と向き合い、飽くなき精神性の開発と追求を真剣に行う創価学会が、単に「社会的な行動を色々やってるから批難されるのは仕方ない」という浅薄な見解だけで処理しているはずもありませんし、やはり仏教的な洞察というのが会内の行動原理を深層部分から支えているのです。これは外の人にそのように批難の原理を「理解して欲しい」という意味ではありません。あくまで会内の精神的視座とお考え下さい。
その上でjunkさんの疑問に沿った形で私なりに考える部分をまとめてみますね。
>勧誘(折伏)
今や学会書籍や聖教新聞の購読によって自ら入会する人も少なくない時代です。それから学会の人たちの振舞いを見て入会するパターンもありますし、実際のところは「折伏一辺倒」での拡大でありません。学会員が悩みの相談を受けるということもよくあることだし、その時に信心の話をすることは我々にとって通常のことであります。特に生老病死に関わる内容の相談であれば尚更です。junkさんの言われる「ビール」の話ではありませんが、自ら望んで入会する人がいるという現実があることを知識としてお持ちになって頂ければと思います。
もちろん折伏は変わらずありますし、これは日蓮門下である以上は止めたりすることはないです。junkさんは「攻める宗教」と言われていましたが、その通りであります。もっと言えば「攻守の備わった宗教」です。yossyさんも書かれていましたが、宗教組織が自己の教義体系によって幸福を獲得する自信を持つのは当然で、それが無いならウソの信心です。また自ら知るのみではなく、関わる人にそれを語っていこうとするのが「大乗仏教」たる所以です。「自分だけ良ければいい」という発想が学会にはありませんし。だからこそ批難されるというのもその通りだと考えます。何もしなければ誰も気にならないし批難なんてしませんが、何かを起こせば波が起きる、風が吹く。人間の社会では避けて通れないものと思ってます。
>私はなぜデマまで流れて創価が批判されるのかが重要だと思うんです。
これを説明するのはなかなか大変ですが…。まずはyossyさんの指摘は極めて真っ当だと私も思っています。デマ自体が無限に増幅して国民にインプリンティング(擦り込み)されていくことは、どう見たって「正しいはずがない」ですよね。民主主義を敷く法治国家においてダメなものはダメで、デマが許されていいはずがない。もうコレは揺るがない視点です。
で、私なりに学会批難の理由を何点かに整理してみました。
・折伏が強くて面倒だし、トラブルになった。言い返せるような理論が自分にないのも腹立たしい。
・選挙の依頼も鬱陶しい。こんな時にだけ友達面はするな。
・学会員は異常な宗教的生活をしてるかと想像していたが、思ったよりも普通の市民で攻めるポイントもないのが腑に落ちずイラつく。
・祈るなんて抹香臭いことは抵抗があって、正直バカバカしく感じる。
・学会と議論になるとやたらと正論かつ強いので腹が立つ。
・対抗政治勢力が批難を裏で煽動する。
・対抗宗教勢力が批難を裏で煽動する。
・学会批判はかなり儲かる(週刊誌など)。
・鶴タブーの誤用。
・一糸乱れぬ統率が逆に不安を掻き立てる。
・池田名誉会長を尊敬する感覚が共有できない。
・学会組織を私欲のために利用しようとして失敗し退会した人間が意趣返しで執拗に批難を展開する←外側からは正義の告発者に見える。
などでしょうか。あくまで私見ですがね…。
私は組織の内部にいるので、どのような攻撃を仕掛けられているかをよく知っています。一般の人に悪口されるのはともかく、金のために批難扇動する「プロ業者」がいます。右翼の街宣なんかもそうなんですが、あれも裏では政治家や権力者、宗教者に雇われているプロ扇動だったりしますし、週刊誌程度の物は完全にデマの再生産・焼き直しで部数売りです。学会批難をすると随分部数が伸びる。
うがった人たちに言わせれば「学会員が批難封じのために買い占めるから」だそうですが、組織現場にいる私に言わせれば噴飯話。一冊だって買う学会員などいません。お宅訪問して週刊誌なんておいてある学会員宅はありません。へそ下三寸の話が得意な三流雑誌なんて相手にもしてません。芸能人と学会についてもこういう噴飯モノの話が溢れていて、説明するのも疲れます(苦笑)。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月24日 (日) 10時30分
>各個に自由な判断がありますかね?創価のような勧誘する宗教が有利だと思いませんか?弱っている人に近づき選択を迫る(助けようとして)。
これは制度的自由についての話と感情論を混濁させた見解でしょう。私は制度について話しています。自由を語る際に制度以外の点で客観性を保った分析が出来るようには思えません。これはきちんと縦分けて話さないと論じる観点がバラついて問題抽出の質が上がりません。
>弱っている人に自由な判断を任せるって、ぼけ老人に自社株を買わせる訪問販売員とあまり変わらないように思うんですよ。
失礼ですが、junkさんは宗教に対して「弱い人間がやるものだ」と先入観をお持ちではないですか?これでは「悩んで判断力が揺らいでいるところを掠めとっていくのが宗教だ」と言っているのに等しい。信仰を持つ人間に向ける「軽蔑的な視座」を私は感じます。
>それに「自由な判断に任せる」は精神が正常な時が前提だと思います。宗教を改宗した人って、改宗する時、普通の精神状態の時のことの方が少ないと思うんですよ。かなり弱っている時が多い。
ここでも制度的自由とjunkさんの持論が混ざり合って話されていますが、後段は特に印象論(先入観)が強いですね。弱っている時に正常判断できなくて入信してしまうという分析が正しいならば、宗教を持つ事それ自体が「異常な判断である」という結論が導かれませんか。正常な精神の時には信心などしないと。そうしたコメントはjunkさんの思考の輪郭を表しているように思います。1000万人を超える会員を擁し、社会のあらゆる階層に存在する人たちが「精神的弱者」であるとする有意な統計はどこにもありません。それは先入観と印象論の合成物でしょう。
私はこのような視点自体が「学会批判(宗教批判)の分析」の精度を鈍らせてしまうのだと考えています。マスコミや社会がたれ流す捏造やうわさ話に翻弄されがちになるのは、自らの宗教に対する認識の程度を「上手く利用されている」側面があると思います。何であれ掘り下げて洞察してかないと扇動の思惑がある人間に自分が「タダ乗り」されてしまうものです。ですから学会を論じるならば「自ら学び、知ろうとするスタンス」をjunkさんにはお願いしたのです。
学会が悩みの真っ只中の人の側に立って励まし、希望を送り、支えていこうとすることは何らおかしなことではないし、悩みに乗じて私腹を肥やそうなどとインチキな指導性だったら私自身がとっくの間に辞めています。そんな団体ならこっちから願い下げです。社会から誤解を受けることはやむを得ない部分があっても、それを受容する必要は学会にはないし、あるのはあくまで事実の積み重ねです。
もちろん法に反することがあれば学会であろうと何であろうと厳しく対処するのは当然でありましょう。繰り返すようですが、私は学会組織を完全などと考えていません。人間のやることですから過ちもあれば、失敗もある。是は是、非は非として捉えていくだけのことであります。
>本気の人
うーん、本気の人という意味は測りかねますが、「真剣に考えて」はいます。自分の信仰ですからね、イヤなことは続けられない性質ですし。学会や信仰に疑問を感じては調べ、分からないことは聞き、納得の行かないことは掘り下げて洞察してきました。その中で分析には個人の経験的な視点のみならず、より大きな視野が必要なことや、責任を持つ者と持たない者の感覚の違い、執拗に絡んでくる反社会勢力とどのように向き合うか、幸福とは何か、会員が生老病死などの現実の困難をいかに乗り越えていくか、などなど「真剣にならざるを得ないシーン」が私をそのようにしたのかもしれません。
>話合いで今までとは違った見方が両者に産まれることを望んでます。
はい。私もそういう生産的な話し合いは大切だと思っていますし、junkさんと同じように望んでいるところであります。
私自身、こうしてコメントを書くことで思考が整理される局面もありますし、junkさんの意見を拝見しながら学会に否定的な見方の人の「感じ方・捉え方」を学ぶ機会でもあります。本来、宗教は社会との隔絶を志向するのではなく、社会の中の人間を「いかに陶冶するか」という点に役割があると思っています。より良き社会を目指して、良き人間を目指していく道程にこうしたネット上での意見交換もあるものと信じます。
私のスキル不足で至らぬ点や不快に思われる点も多いかと思いますが、双方にとって有意義な話が出来れば罵詈雑言が飛び交うネット上のやり取りとしては十分に価値があるのではないかと考えています。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月24日 (日) 10時31分
伊達さんへ
>制度的自由についての話と感情論を混濁させた見解でしょう
そうかもしれません。が、制度だけでしか語れないなら、法律家と法律の解釈を論じるだけで十分です。が、それだけでは心が置いてきぼりになります。宗教とは「心」が最重要だと思うのです。しかし、伊達さんが言うように言うように視点がバラバラになり質が上がるとは思えませんね。でも、私はこういう人です。ですので、これからも話をする上で感情が表に出てくるので、先に謝まします。脱線したらまた指摘して下さい。
>「弱い人間がやるものだ」と先入観をお持ちではないですか?これでは「悩んで判断力が揺らいでいるところを掠めとっていくのが宗教だ」と言っているのに等しい。信仰を持つ人間に向ける「軽蔑的な視座」を私は感じます。
私は改宗した時(創価に限らず)は「弱っている時」が多いと言っただけです。「弱い人」ではありません。誰にでも精神が弱っている時があります。現に伊達さんも「蘇生した」(この考え方は創価体質?)と言ってますし、他の学会員も似たようなことをこのブログで言ってます。蘇生するってことは「死んでた」もしくは呼吸停止状態です。私が間違いであるなら、なぜ、「蘇生」と述べたのですか?宗派を変える、宗教を変える時、結婚なども理由にあがりますが、創価の場合は勧誘が主ですよね。普通の精神状態の人に対して、「蘇生」とあなた方は言うのですか?何かあるからわざわざ「死」から「蘇る」と言っているのでしょ。勧誘する宗教が弱っている人を勧誘するのは当然です。それを「全ての宗教」に勝手に拡大解釈する。それは違います。「悩んで判断力が揺らいでいるところを掠めとっていくのが『新興宗教と勧誘する宗教』」だが正解です。創価が正しいとかオームがテロを起こした狂った宗教だとかは関係ありません。勧誘行為で改宗する者が改宗する瞬間は心が弱っている時が多いと言っただけです。
>>「精神的弱者」であるとする有意な統計はどこにもありません。それは先入観と印象論の合成物でしょう。
私が二世三世は精神的弱者なんて言いましたか? 一世も改宗した時は弱っていたけど、蘇生したなら精神的弱者にはならないでしょ?先入観と印象論などと言いますが、その言葉をあなたにそのままそっくり返します。「改宗した時は弱っている」から「1000万を超える学会員が精神的弱者、宗教をもつものは精神的弱者」まで飛躍するのって、凄いですね。ものすごい被害妄想と自分勝手な拡大解釈。反日の朝鮮と中国が「アジアが反日」と言って関係の無いものまで勝手に見方にするのと一緒です。私が創価学会員全員、宗教を信仰する者全てを精神的弱者だと考えていると勝手に印象付けしないでください。それはあなたの肥大した被害妄想の産物です。それをまた勝手に「宗教批判の分析の精度」を鈍らせるまで想像力を膨らませる。暴走しすぎです。
>学会が悩みの真っ只中の人の側に立って励まし、希望を送り、支えていこうとすることは何らおかしなことではないし
だから、弱っている人を助けようとしていることを非難してません。しかし、学会員は「弱っている人」を助けようとして、創価に勧誘するでしょ? 創価に勧誘せずに助けてあげればいい。脱創価学会ブログを読むと、「弱っている時に勧誘されて助けられた。で、脱会したら友達だと思っていた学会員があっというまに自分から去っていった」と書いてありました。創価でなければ助けない、助けられないっておかしいでしょ。「勧誘しなくとも助ける」これが普通の人(宗教を信仰する人も)がする行為です。なぜ、「勧誘」と「励ましたり、勇気付けたり、支えていこうとしたり」が一緒でなければならないのか?私には分かりません。人を助ける行為と宗教を結べつける宗教は、「おかしなことですよ」。あなたの言葉を借りるなら、「悩みに乗じて私腹を肥やそうなどとインチキな指導性だ」です。勧誘せずとも助けるのが真の指導性だと思います。もちろん、弱っている人を助けるのに創価と仏教の知恵を有効に使えばいい。重要なのは助けることです。私には創価は入会させることに重点を置いているように思えます。創価が勧誘せずに人を助けているなら、また、勧誘せずに人を助け、助けられた人が自発的に創価に入会するなら、ここまで勧誘にこだわりませんし、「インチキな指導性」だなんていいません。
繰り返しますが、なぜ、創価は助けるために勧誘するのか?創価に入信しないとその人は助からないのか?私には分かりません。
投稿: junk | 2012年6月24日 (日) 15時05分
勧誘と関係ないけど、
>一冊だって買う学会員などいません。お宅訪問して週刊誌なんておいてある学会員宅はありません。へそ下三寸の話が得意な三流雑誌なんて相手にもしてません。
週刊誌を読ンでる人を屑って言ってるのとあまり変わりませんし、学会員だって読んでる人はいる。でも厳格な伊達さんが家に来るってなったら、学会員だって隠すんじゃね?
学会員って伊達さんのような人から私の友達や同僚まで幅広いですよ。同僚は週刊誌を読んでますよ。購買したかどうかは知りませんけど。
伊達さんを基準に学会員がこうだと考えるはかなり愚かなことです。伊達さんは中の人でしょ。やる気のない学会員、宗教の選択肢がなかった二世、三世は、全然、創価気質ない普通の馬鹿多いですよ。そして本気の人より、やる気のない人の方が多いでしょ・・・・・
伊達さんに公平な目を期待はしてませんし、創価の立場で話をしてほしいんですけど、伊達さんが創価全体を代表するほど、学会員全体が伊達さんのように立派じゃないですし、俗物にまみれて生活してますよ。
投稿: junk | 2012年6月24日 (日) 15時48分
junkさん
コメント拝見致しました。
精神状況云々というのは私にとってもjunkさんにとっても実際のところ客観性を保った見解は取れないような気もしますので、ひとまず置かせて下さい。ただ、私が関わった入会についてはあくまで納得行くまで語ってきた経緯を持っていますし、相手の精神状態も極めて普通でした。今も元気に暮らされております。
あと、私が実際に関わってきた多くの実例でもjunkさんのおっしゃるようなケースがないわけではありませんが、やはりよく語って合意の上での入会が多数です。「蘇生」について言われていましたが、格別学会の用語ではありません。これはキリストの復活とか死者が蘇ったみたいな仰々しいものではなくて、「人生の軌道・思考の柱」みたいなものを得たというようなイメージでご理解頂ければ実情に近いかと思います。言葉が足りなくて汗顔です。しかし、それは「学会側の主観の域を出ない」と言われればそれまでですので、お互いに議論のテーマとしてはあまり適さないのかもしれませんね。
junkさんの仰りたいことを端的にまとめると「折伏(勧誘)」についての学会のスタンスが気にかかるということでよろしいでしょうか。
>しかし、学会員は「弱っている人」を助けようとして、創価に勧誘するでしょ? 創価に勧誘せずに助けてあげればいい。
これについては必ずしも即折伏とセットというわけでもないですしね…。災害や行政での対応困難な事案が発生すれば会員内外を問わずヘルプするというのは何十年と当たり前のように行われていますし、そうした動きも多様なので説明も難しいですが…。
基本的には学会で「助ける」という言葉は「相手自身の苦難を受けねばならない宿命の転換」を指しています。ですので「助ける」となれば本質的には信心を語るという行為に結びついてきます。金銭で助けるとか、社会的な手立てで助けるというのは学会には基本的にないのです。学会としてはそうした助けは「本人の根本問題の解決には至らない」と考えてますので、誰かの力になって支えたいとなれば「法華経の信心をして、自分の困難を克服していく」ということを共に追求するという姿勢です。
そうなるとjunkさんの仰るような「勧誘」という風になるのでしょうけれども、悩みの相談があったり、また聞いたりすれば、やがては人生の根本問題への解決を訴えるようになる。これが折伏ですが、このことを「加害」であると捉えられてしまうのは先にも言いましたがちょっと無念で悲しい。外から見てそのような印象を受けるのは仕方のないことなのかもしれませんけれどもね…。
>私には創価は入会させることに重点を置いているように思えます。創価が勧誘せずに人を助けているなら、また、勧誘せずに人を助け、助けられた人が自発的に創価に入会するなら、ここまで勧誘にこだわりませんし、「インチキな指導性」だなんていいません。
お考えの件、よく理解できました。私も外の人間だったらそのように思うだろうなとも感じます。これについては上段で述べた「学会における助けの意味」でお応えするしか今の私には言葉がありません。
>週刊誌etc
すみません、本筋とは異質な世間話をしてしまいましたね…。議論的に不要な観点で不明を恥じ入ります。申し訳ありません。
>俗物
皆が修行中でもあって、ご指摘のとおりだと思いますよ。私自身、先にも言いましたが聖人君子でもありませんし。まだまだ精進が足らないと思うばかりです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月24日 (日) 19時18分
>伊達さん
子細な推察と解説ありがとうございます。
またjunkさんのコメントと合わせてじっくり読み込ませていただきます。
(ちょっと長文過ぎてまとまった時間が無いとまとめきれません><
。。。と自分の事を棚に上げて言ってみる。)
で、横から申し訳ないのですがちょっとご質問が。
以前のコメントの中で
>私なりに学会批難の理由を何点かに整理してみました。
とありますが、その中から
・選挙の依頼も鬱陶しい。
・(特に上記の選挙に関連して)一糸乱れぬ統率が逆に不安を掻き立てる。
・鶴タブーと呼ばれるもの(すなわち学会批判に対して、学会からの高圧的・攻撃的な反論・反撃が生み出した萎縮)
・池田名誉会長を尊敬する感覚が共有できない。
と、これらの事は不条理な批判であるとお考えなのでしょうか?
投稿: PublicComment | 2012年6月25日 (月) 20時05分
PublicCommentさん
はじめまして。コメント拝見致しました。私の文章も無為に長すぎますので、斜め読みでもして頂ければ十分かと思っています(苦笑)。
以下、ご質問にお答え致します。結論から言いますと、どの項目も一般的な視野から考えると「不条理な批判」だとは感じません(もちろん、言いぶんはありますよ)。
>選挙の依頼が鬱陶しい
そのように感じる人がいるのは当然だと思っております。頼む側にもかなり緊張感がありますが、頼まれる側も断りだったり、受け流すのも「面倒だ」と思うのは想像に難くありません。回数が重なれば尚の事ですね。
>一糸乱れぬ統率
外側からはそのように見えるのだと思いますが、内部は意外に散らかっているというか百家争鳴状態と言ったら言い過ぎですが、学会員個々人でそれぞれ思うところがあるわけです。「公明党、ふざけんじゃねぇよ。俺達にばかり甘えんな!」的な話は各種会合でも目にします。選挙支援については互いに意見をぶつけながらまとめていくわけですが、折り合えなくて最終的に各個の判断になるケースは珍しくありません。
>鶴タブー
PublicCommentさんが仰るように「学会批判に対して、学会からの高圧的・攻撃的な反論・反撃が生み出した萎縮」が一般的な鶴タブーのイメージだと思います。こういう認識が存在することは全く異論がありません。
その上で私が「鶴タブーの誤用」と先述したのには理由がありまして、これの意味するところなんですが、各報道機関によって数々の批難が過去、現在に至るまで学会に向けられてきました。「集団的住民票異動疑惑・暴力布教・香典泥棒疑惑・名誉会長の女性問題・各国の受章の買収」などなど、他にも多くありまよね。これらは「投書・噂・吹き込み・脱会者のタレコミ」などで寄せられたものの集積であるようですが、そういうことを取材・検証しないで鵜呑み的に批判記事にしたところ、どれも厳しく反論されて謝罪・撤回に追い込まれるという経緯が幾度となくありました。これは学会の圧力による謝罪などではなく(通常そんなことに報道機関は屈しません)、裏付け取材なき報道姿勢についてのものです。指摘を受けて各社が追跡調査をすると、どれも事実関係を見出だせずに終わるケースが繰り返されました。
結果的には報道機関が情報源の怪しさに気付かず踊らされていたということになるのでしょうけれど、鶴タブーの本質は「安易に不確かな学会批判を取り上げて報道すると、それがブーメランのように報道機関に返ってくる」という意味でのものだったと思われます。つまり批判的な話の中には簡単には信用できない危険な情報も混ざっていて、これを不用意に報道すると手厳しく指摘を受ける」と言う意味でのタブーだったのではないかと考えています。軽々しく学会の批判報道なんかやると、どんな下手を打ってしまうか分からない怖さ…というのでしょうか。ですので「学会による攻撃的な反論の怖さ」というよりは「出所不明の怪しい情報を掴まされる怖さ」があるということ。
もちろん、「批判されるべき批判」はあってしかるべきですし、それを否定したり潰しにかかるようなことはありません。そもそもそんなことをしたら経緯を知る学会員が納得しませんしね…。
>池田名誉会長を尊敬する感覚が共有できない。
それが一般的に当然だと思います。名誉会長のことを知っているのでもなければ、尊敬する理由も見当たらないというのが大多数の無関係の人の感覚だと思います。
我々は直に会って話を聞いたり、振舞いを見たり、その場の雰囲気を感じたり、著作や新聞によって名誉会長の人となりを知っているのでシンプルに敬意を抱くプロセスがあるわけですけれど、それが一般的であるとは全然思わないです。
音楽だって聞いたことのないアーティストをリスペクトすることは通常無いでしょうし、やはり知らなければ「ただ知らないだけ」だと私は考えます。名誉会長を知らなければ、ただ知らないだけの話であって、それについて何ら不条理なことだとは思いません。
以上、簡便に過ぎるかもしれませんがコメントしてみました。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月26日 (火) 00時07分
>伊達さん
貴殿のHPでエントリーを読ませていただいている間に早速のご返信がw
ありがとうございます。
選挙については煩わしさが嫌悪感の源ではなく
政治について無知な人にまで選挙活動をさせることに対しての怒りです。
(この点についてはこのエントリ冒頭~のコメントで記しております。)
鶴タブーの本質については御説ごもっともかと。
ところで伊達さんところで紹介されていた松沢さんの記事も合わせて読んでみたんですが
そこには「お前は俺か」と言わんばかりに私の言いたいことが代弁されていました。
(細かい点は端折られていましたので違和感を感じるポイントや各論は違うんでしょうけど)
また全部は読了しておりませんが松沢さんのなされた問題提起についての伊達さんの解も概ね了解しました。
まあ他にもいろいろと聞きたいことはあるんですが取り急ぎ御礼まで。
投稿: PublicComment | 2012年6月26日 (火) 01時17分
PublicCommentさん
私のブログまで読んで下さったようで、こちらこそありがとうございます。
松沢さんの記事に関しては、私が外部の人間なら同様に感じるだろうなという内容が多く、学会の実際を説明(分析)するにあたって意義あるテーマだと感じたので引用させて頂いた次第です。少しでもご理解の足しにでもなれば望外の喜びです。
ともあれ、多様なテーマと不可視な領域(信仰)と巨大な運営を内包する学会について語ることはとても骨が折れる作業だなぁといつも感じています。
乱筆長文にもかかわらず主旨を汲んで下さって、私の方こそお礼を申し上げる次第です。本当にありがとうございました。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月26日 (火) 16時39分
伊達さんへ
批判ではないんですけど、疑問というか、不審というが、肯定的に見れない自分がいるので批判と取られても仕方ないんですが、
「創価は金銭的に学会員を助けない」とありましが、公明党としては「福祉政策」で金銭的に国民を援助する政策に賛成してますよね。福祉政策を批判しているわけじゃないんですよ。政策として成し遂げた成果を公明党が誇るのも分かるんです。そして公明党の支持の学会員が誇るのも分かります。でも、創価学会自らは金銭的には援助しない(援助することは人の為にならない)けど、国に援助させることには賛成。繰り返しますが、政策に反対しているわけではありません。絵さんのドクターヘリでも公明党が成し遂げた成果だとありましたが、言い換えれば創価が成し遂げた成果だと言っているように感じたんですよ。しかし、創価以外の政党も公明党と同じような政策も成し遂げている。公明党の成果=創価の成果では、「創価は金銭的に助けない」は「創価の金は出さないけど、金銭的に助ける為に国庫を使う」と変わらないような気がするんです。繰り返しますが、政策に反対なわけでも、創価が金銭的に助けないのに反対しているんでもないんですけど。
池田大作名誉会長の名誉の学位授与なんかで金銭的支援(図書館なども)した結果だとするブログを読んだことがあるんです。本当かどうかは分かりませんが、ソースは貼ってありました。学会の金をどう使おうと別に私の金じゃないからいいんですよ。でもその金の出所は頑張って働いた学会員の給与からでて、成果は池田大作名誉会長の勲章リストが長くなる。創価学会を代表して名誉会長が感謝されるのは普通のことなのかもしれませんけど。学会員が名誉会長を尊敬しているのは分かりますし、私が知らないからこう考えるだけで、中から見ると私と違った景色を観ているのだと理解しているのですが、なんか不自然なんですよ。学会員を金銭的に助けることも無く、建物は寺より安く建つであろうビル建築(これに反対しているわけじゃないですよ)、でも仏壇(ビルでいいなら、紙きれに描かれた仏を使えばいいでしょ)。寄付金を何に使っているのか分からないんですよ。外国への援助やビルのメンテナンスなんかにも金がかかるし、他にも支出があると思います。でも、名誉の為に莫大な金が動いているんじゃね?って・・・・創価の寄付金が何に使われているのか分かんないんですよね。
金の流れと線引き(創価、公明党、名誉会長)も分かんないんですよ。あやふやなんですよね。寄付金も公明党や名誉会長にも流れてんじゃないの? そして、金とは別の線引きなんですが、創価と公明党と名誉会長と、学会員はどんな感じで線引きしているの?
投稿: junk | 2012年6月26日 (火) 23時18分
junkさん
学会の政治参加の主旨については、こちらに記しましたので御一読下さい。
http://blog.livedoor.jp/soka1930/archives/50885780.html
(リンク先の中段「一般的に考えると~」からお読み頂ければと思います。)
宗教(団体)は人間の精神や生き方といった分野の機能を強化する分野、国家は人間の具体的生存に関わる機能を強化することをその領域としているはずです。宗教団体に行政機能(金銭・福祉など)を求めることや国家が思想や精神に介入することは、やはり違和感が伴いますし、無理なことでありましょう。
そのように両者には異なる領域がある一方で、人間は宗教団体に属していても、同時に国家にも属しているわけで、それらを切り離して考える事もまた不可能であります。機能や役割には線引きが可能でも、人として生きていくことには線引きは馴染みません。
具体論としては宗教は宗教の領域、政治は政治の領域で処理する以外にはなく、仮に学会が行政的な機能(金銭や福祉)を国民に負うということは不可解なことでありましょう。
他方、学会に所属する人間が選挙によって政治の分野に立ち入って「行政」の枠内で作業をするのは学会の行動とは全く別の次元のことであります。それは端的に言って法律を定めたり、その枠内で平等に国民に国家機能を提供するのが政治の本質であって特定団体のする作業とすることは通常ありえないことだと思われます。
>絵さんのドクターヘリでも公明党が成し遂げた成果だとありましたが、言い換えれば創価が成し遂げた成果だと言っているように感じたんですよ。
学会が中心となって支援した政党が法案成立に具体的に動いたとなれば、絵さんがそのようにお考えになっても特段には心理的にも違和感のない見解だと思いますがいかがでしょうか。
付言すれば、公明党と一口に言っても学会員以外でも支持して投票している人も当然いるわけで、支持者層に一定の傾向はあるにせよ投票者は全て日本国民ですから法理論的に「国民が選んだ政党がドクターヘリの導入の道を開いた」と見ても、そうそう的外れではないように考えます。
>公明党の成果=創価の成果では、「創価は金銭的に助けない」は「創価の金は出さないけど、金銭的に助ける為に国庫を使う」と変わらないような気がするんです。
学会員一人ひとりも納税者であって、納税者たる国民が投票した政党が国民に良かれと考えて政策を練り実現していくことが、どのように「学会の金は使わず国の金を使う」という認識に至るのか、ちょっと私には分かりかねるところです。ここは完全に政治的な領域だとも思うのです。
仮に「学会員だけを助けるドクターヘリ」というのが存在するのであればお話の意味はよく理解は出来るんですけれども…。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月27日 (水) 04時17分
>名誉学位
第一号はモスクワ大学の名誉博士号でしたが、受章の打診があった時に池田会長(当時)は丁重に断っているのです。それをソ連(大学)側の度重なる依頼によって受けることになりましたが、このあたりの経緯を外務省のロシア担当の主任分析官だった佐藤優さんが最大限に立場を利用して調べ尽くしたそうです。池田会長がロシア第一の大学からそのような受章をする「理由」に疑義を感じたからでしょう。
結果、創価学会側から金銭の移動の実態は全く確認できなかったこと、むしろ社会党や共産党にはソ連から資金が流れていたことなどが明らかになったそうです。加えて当時は今よりも遥かに外貨持ち出しの制限は厳しく、まして大きな単位の金の動きがあれば全て国(税関)に把握されます。学位を金で買おうなど出来ようがありません。最初から学位を金銭で扱うということ自体が存在していないのです。
そもそも名誉学位を買ったのならば「売った側」が必ずいるはずですが、この手の批難にはついぞ「売った側」の具体的証言・金額・人物が示されないのです。取材すら出来ていない。もうすでに300を超える名誉会長の受章ですが、売った側の事実関係をひとつも示せず、憶測・邪推で固められた虚報の山であります。まさに悪印象をインプリンティング(擦り込み)する典型例でしょう。
なお、ご指摘の寄付行為というのは文化事業として行うことはさほど珍しいことではありません。例えば先方の国や学校が東京富士美術館への美術品貸し出しや交換留学生の協定や学術交流協定を結ぶなどの機に寄付が交わされることもあるようです。当然、それは巨大な金額ではなく相互に文化の促進事業としての位置付けであります。創価大学にも外国から寄付された像や美術品などがありますが、やはり文化的交流の一端を示しているものです。金銭で名誉学位の受章と引換に行われているなどと言うのは多分に早計でありましょう。名誉会長への受章に寸分の曇りもないことは学会以上に外務省が把握しています。外国要人が軒並み来日して入国の手続きやSPを付けたりすることも国家の威信がかかった作業ですし、私自身この目で何度も見てきているのです。
>学会員を金銭的に助けることも無く、建物は寺より安く建つであろうビル建築~寄付金を何に使っているのか分からないんですよ。
学会員を金銭で助けているようでは、どうやっても信仰心など育ちません。「困ったら学会から金を貰えば良いんだ」では誰も自分の宿命の転換をかけて祈ったり、他者のために折伏に走ったり、社会活動に汗を流す必要もありません。まして「自他共に根源的な宿命と向き合い、その転換を目指す」という日蓮以来の法華経の精神は絶えてしまうことでしょう。
ビル建築が寺よりも安価であるとのご指摘ですが、学会の建物は非常時の災害発生時にも地域住民(内外問わず)を受け入れたり、支援拠点としての機能を果たすために非常に頑健な造りになっています。施工業者が驚くほどの入念な頑健ぶりだそうです。かけるべきところに費用をかけるのは「人間を守っていくため」に他なりません。学会の会館が近代ビルの様相を採るのは決して安価に仕上がるからではないです。
個人としての人間を強化してくのは自己の精神であり信仰、組織として集団を守っていくためには建物や外形的なものに費用をかけて整備していく。これが学会の基本的な考え方であります。
なおメンテナンスや管理維持、学会職員の給与等にも相当の費用がかかりますので、数百年単位での組織維持を視野に入れたポートフォリオを持っているわけです。
>金の流れと線引き
あやふやとおっしゃいますが、公明党は日本における第3党の位置の政治組織です。政治資金収支報告書の提出が法律で義務付けられており、全ての支出入について記載義務のある時代に学会や名誉会長に資金融通する(される)などということが出来る道理がありません。線引きは法律が自動的にその役務を担っているので学会員が考える必要がないことであります。
また、寄付金が名誉会長に流れているんじゃないかとのご指摘ですが、そもそも学会員の主たる意思として「名誉会長の世界的な活動を資金でも支えたい」というのがあります。学会の信仰によって力強く人生を拓いてこれたと考えている学会員は、その信仰がより世界中の多くの人に広がって幸福を掴んでもらいたいとシンプルに願っています。その指揮を執る名誉会長に信頼を置く寄付でもあるわけですから、むしろ使ってもらわないと困るというくらいの思考なんですよ。だからこそ「喜捨の精神」となるのではないでしょうか。
これらの資金のあり方が外部の人にとって意義ある情報なのかは今ひとつ不明ですが、私に可能な説明としてはこのようなものです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月27日 (水) 04時22分
伊達さんへ
公明党の政治的成果を学会の力やなんとかやらで学会員が誇るとなれば、一般人が公明党を応援しにくいんですよね。学会員の数の力ももちろんあるんですが、それ以外の一般人が公明党の政策にほれ込んで一票を投じても、創価の力と考えるのであればそこに溝ができるし、公明党に投票した違う宗派の人の票までも創価の力と勘違いしてしまうと思うんですよ。さらに言えば、公明党の政策は公明党単独では実行不可能ですよね。ですから自民党なんかとも政策の中身を吟味するわけです。しかし、成果は創価のモノ(公明党ではない、もちろん公明党があってのことなんですが)では、創価が誇れば誇るほどに一般人との間の溝が深くなり、今以上の票を獲得出来ないと思うんです。
創価のお金の流れで公明党に流れていると考える人(私も)がいるのは、創価と公明党の距離が近すぎるからです。創価から公明党に直接金が流れていなくとも、政治資金収支報告書があると言っても、創価に限らず全ての政党も迂回献金という手がありますし、創価の金を公明党に回さなくても創価独自に選挙活動をするのは可能だと思いませんか?創価の勧誘で学会員が増えると公明党の票が増えるとなると、勧誘=選挙活動とも言える。もちろん、創価から見れば違うんですけど。
なんて言えばいいのか、創価と公明の線引きが外から見ると分からないんですよ。表裏一体では、公明党を選択肢に入れられない自分がいるんです。今後、100%(例えばなんですが)公明党の政策を支持した時、創価を支持していると捉える人がいるほどに入れにくいんですよ。
名誉学位
名誉学位を現金で買っているとは思いませんよ。ただ、寄付行為の結果の名誉学位なら、感謝状程度の学位なんじゃね?って。また、運営が行き詰まっている大学や設備がない大学ほど名誉学位を与えるし、ハーバードやオックスフォードなんかは寄付行為に対して名誉学位を与えないんじゃね?って。ただ、寄付行為に対しては良いことだねって思ってますし、そして学会員が寄付行為に問題ないなら、どんどん続けたらいいと思います。ただ、名誉学位を貰っているから名誉会長が凄いってのは、なんか違うな~って感じてます。寄付や文化交流に対して誇るのであれば、素直にそうだね~って返せるんですけど。しかしこれも寄付行為で人助けをしているから名誉学位がついてくるわけで、学会員からすれば、私の見方が違うんですけど。
>その指揮を執る名誉会長に信頼を置く寄付でもあるわけですから、むしろ使ってもらわないと困るというくらいの思考なんですよ。だからこそ「喜捨の精神」となるのではないでしょうか。
私は「喜捨の精神」が分かりませんが、「喜捨」とは、貧乏人や病人を救う為や坊さんが食っていける(組織維持も含め)ように寄付する行為だと考えてます。しかし、文化交流や図書の寄贈も喜捨に入るのなら、なるほどね。
>名誉会長への受章に寸分の曇りもないことは学会以上に外務省が把握しています
重要人物にspがつく。名誉会長が対談をする。だから、曇りが無いことを外務省が認めているって、ロジックとしておかしい。これが成立するなら、ダライラマと対談した麻原のオームですら外務省のお墨付きとなります。印象論なんですが、創価って仏教の原点回帰というけれど、それに政治と機関誌と池田大作を足した感じなんですよね。で、学会員は仏教徒というよりは池田大作のカリスマに引っ張られる集団で、名誉会長を神格化しすぎているってのを感じるんです。外務省の保証付きとかは、引っ張られると言うよりは持ちあげすぎなんじゃね?
順番に色々聞いていこうと思ってたけど、また、何も考えずに色々と聞いちゃってます。今度こそはちゃんと論点をしぼって質問しようと思ってます。出来るのか、俺?
投稿: junk | 2012年6月28日 (木) 23時22分
junkさん
学会に対する感覚的というか、感情的な部分では仰っていることを理解できることは多いですよ。その上であとは「事実関係はどうなのか」という点を掘り下げていくことがお互いの話としては大切であろうと考えています。そこを知識として持っているかどうかで見える風景も異なったものになる可能性も出てくると思います。印象や感覚を持つのは人間ですから当然のこととして、それを裏付ける事実関係で認識を固めていく作業をセットにしていくということです。
>創価が誇れば誇るほどに一般人との間の溝が深くなり、今以上の票を獲得出来ないと思うんです。
公明党が政策実現をしたことを主張すれば溝が深くなり、言わなければ仕事の内容が伝わらない(何も政治の仕事をしていないと誤解される)という点でジレンマもある部分だと思います。運営側の視点に立つと苦慮するシーンでしょうね。国民の受け取め方は多様ですので情報発信について方針を定めて実行に移してもなかなか想定の通りにはいかないものです。納得もあれば誤解もあるし疑念が出ることもあるだろうと思います。あとは「政策そのもの」で政治家としての力量で勝負ということになりますよね。
>迂回献金という手が
どのような証拠を示されても「いやいや裏があるでしょう」と考えることは無限に可能なので、ここについては分かる範囲での事実関係で語るしか私にもjunkさんにも術はないように考えますがいかがでしょうか。
>表裏一体
完全に学会は公明党の支持政党なので、表裏一体と考えても妥当だと思いますよ。そこは学会も世間も同じ認識だと考えていましたが、学会と公明党は「すっぱり分かれてるはず」というようなイメージがあるのでしょうか?
政教分離原則は「国家の宗教的中立性」のことを指していますから、宗教団体が政治団体を支援することやその政治団体が立法に関わることについての禁止を意味しておりません。幾度と無く内閣法制局長官が同様の見解を示しております。よって、学会の立場を言いますと「公明党の存在は政教分離原則に照らして何ら問題がない。そして我々は事実の上からも一般的な認識の上からも中心的な公明党の支持団体である」ということになります。本音も建前もなく、このままです。
ちなみに公明党議員は創価学会の役職には就いておりません。政治家は議会や市民相談、法案練りや調整で多忙ですしね。
>名誉学位
前回のコメントでも書いたのですが、「寄付行為に起因する名誉学位授与」ではないのですよ。名誉学位の授与には大学側が当然その「受章理由」を設定しています。そもそも名誉学位の授与はその大学の教授会や最高意思決定機関において決められるもので厳粛なものです。
受章理由についてはお読み頂ければ分かりますが、各国地域のSGIメンバーが社会に抜きん出た貢献を示しているとか、識者との対談集についての評価であるとか、国連への提言などの高い見識についてであるとか、実に多様な理由が述べられております。
>ハーバードやオックスフォードなんかは寄付行為に対して名誉学位を与えないんじゃね?
繰り返すようですが寄付行為で学位を出すような大学は基本的にありません。著名な大学を挙げられているようですが、名誉会長はモスクワ大学、グラスゴー大学、ボローニャ大学、北京大、清華大などの各国における超一流大学からの受章もあります。もっとも、名誉会長自身は大学の格式によって受章価値の上下を判断することはありませんけれども。
>ただ、名誉学位を貰っているから名誉会長が凄いってのは、なんか違うな~って感じてます。
名誉学位があるから名誉会長は偉いとお考えになっているのであれば「なんか違うな~」はその通りですよね。
それは単純に因果が逆なんです。名誉会長の社会・人材育成・哲学的思考等についての貢献度の高さについて名誉学位の授与が行われているのであって、まして名誉学位は欲しいと言ったらもらえるような代物ではありません。それを金銭でやり取りするということは、学位を出す側の大学がいかに「恥知らず」かということを意味することになりましょう。各国の知性と良識を代表する大学がそのような知的自殺行為を行うことは通常考えられません。
>重要人物にspがつく。名誉会長が対談をする。だから、曇りが無いことを外務省が認めているって、ロジックとしておかしい。
これは私の言葉足らずでしたね。名誉会長が対談した海外の識者は1,000人を優に超えており、他の人のようにたまたまタイミングがあったから会談したとか、相手側が日本の側の人間をよく知らないで会ってしまったとかいう次元とは異なるものです。
名誉会長の実際の行動や著作を通してその足跡が世界的に知られており、外務省もその内実の伴った経緯を外交路線でも文化路線でも知悉しているという意味であります。来賓が日本に入国する際には外務省が日程調整や警備計画、その他の要人との面会などのセッティングを行い、各国の外交部局との交渉も担っていたりするので、SGIや名誉会長が世界的にどのように見られているのかをよく知っているのです。
>学会員は仏教徒というよりは池田大作のカリスマに引っ張られる集団で、名誉会長を神格化しすぎているってのを感じるんです。
学会員は毎日朝夕に恒久平和と安寧の願いを込めて経文を唱える点では信仰篤い仏教徒、現実世界の安定や社会貢献運動を主軸とする時には組織人、悩める人がいれば耳を傾け励ましていく良き友人です。そうした「自他共に前進・成長していこうとする文化」を学会に内包させ、その指導性を一貫して発揮してきた名誉会長に対してはシンプルで強い敬意を抱いているといったところでしょうか。
名誉会長はどこか遠い人ではないんです。慈悲が深いというか、根本的に強く優しいのです。非常に良く気付き、長く人を見て励ます人、また、忘れない人でもあります。
学会員一人ひとりが、人生の絶望的な局面において名誉会長が細かく手を打ち、励まし、支えてくれた恩義を胸に刻んでいます。一会員の何十年も前の病気のことを気遣ったり、大きな会合でも一人ひとりの様子を見ながら終了後に個別に激励をしたり、ともかく人への思いやりの度合いが想像もつかないほどケタ違いなんです。他者の人生を守っていこうとする責任感が重くのしかかっているとも言えるでしょう。
ですので名誉会長の存在は神格化されているというよりは、実際のところは学会員一人ひとりから受ける信頼の篤さに起因するリスペクトが集積していると考えたほうが「学会員が名誉会長に何を感じているのか」についての理解は進むと思いますよ。世界192カ国地域・1,000万人以上のメンバーの支えになってきた事実は軽くありません。
>また、何も考えずに色々と聞いちゃってます。
私はわたしなりに考えてお答えをなるべく丁寧に書こうと思って来ました。もちろん私の至らないところが多々あることは承知しております。
junkさんご自身に経験・感覚論や印象論があるのは仕方ないことだとは感じるのですが、一つ一つの事柄に対して、より多様な可能性をも御一考された上でお話を頂けたらありがたいと思っています。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月29日 (金) 01時51分
公明党については質問しちゃいましたが、やはりPCさんに任せます。
池田大作名誉会長の神格化について (以後池田に省略)
>著作を通してその足跡が世界的に知られており、
っていうけどさ、人間革命は何ヶ国語に訳されてんの? そして著作や人間性で名誉教授職を貰えるってことは、膨大なる池田に関する論文や書籍が存在することになる。ところがですよ、海外で6年ほど過ごしたことあるけど、外国人(創価以外って言っても創価の外人一人しかみたことないけど)と宗教や神のことを話した時でさえ池田の名がでたことは一度もないし、外国の書店でも著書を一度もみたことない。世界的に知られておりって、どれくらい知り渡ってるって思ってるの? 人間革命をウィキ(正しい情報でないことも多々ありますが、ある程度知名度調査には役立ちますので)で調べたら日本語だけ。著作を通じてその足跡が世界的に知られておりというほどだったら、最低でも五ヶ国語ぐらいの言語で説明文があってもいいはずです。「著作を通してその足跡が世界的に知られており」って、完全に妄想ですよね。
>社会・人材育成・哲学的思考等についての貢献度の高さについて名誉学位の授与が行われているのであって
300ぐらいの受賞歴(名誉学位の授与を含む)があったら、創価の言うように超有名人レベルでないとおかしいですから、本当にガンジーやキングと肩を並べる存在のはずなんですよ。実際はどうか、ガンジー・キング・池田をウィキの言語数を調べたところガンジーとキングは約100言語、池田13言語。13言語と言っても英語、スペイン語、ポルトガル語があれば、ほとんどの国カバー出来ますけどね。でも、ガンジーは100以上。哲学的思想等の貢献度が高いというなら、ウィキに人間革命くらいは英語訳で説明があっても良いはずです。 英語訳の人間革命はあります。その他にも英語訳の池田の書もたくさんあります。池田大作と外人との対談本や協作本もあります。ただ、アマゾンUSを見てると、外国人が池田大作について書いた本はほとんどありません。ただ、300もの受賞歴がある人がですよ、おかしくないですか?っていうか不自然でしょ?
>各国の知性と良識を代表する大学がそのような知的自殺行為を行うことは通常考えられません。
だから、経済難な大学ほど与えると言ってる。池田がそれほど凄い人物なら、有名大学でも池田に対する論文がそれなりにあってもいいはずなんですよ。そして英語でなく、大学で研究されているなら、現地の言葉で本が出版されてるはずなんですよ。だって、哲学的思考の貢献度が高いんですよね?
しかし、文化交流や経済支援の面では大学関係者の間では有名かもしれません。ですが一般外国人が池田を知っているなんてありえません。試しにダイレクトコールで適当な番号を選んで外国人に電話して聞いたらわかりますよ。
>日本に入国する際には外務省が日程調整や警備計画、その他の要人との面会などのセッティングを行い、各国の外交部局との交渉も担っていたりするので
これはその通りですけど、「曇りの無い」とはまったく別。フランスの大統領が大相撲観戦するから大相撲が八百長無いことが証明されたって言ってるのと同じ。外務省のロジックは完全におかしい。創価にテロの危険性がないと外務省が考えているということなら、分かりますけどね。ちなみに、ゴルバチョフを調べてたら法の華の福原も会談していることがわかりました。金さえつめば誰でも合えるんじゃね?
>名誉会長はどこか遠い人ではないんです。
1000万人以上の心の支えになってきたのはその通りかもしれませんが、一人ひとりに対して池田が手を打ちとか言うから、神格化だと言ってるんですよ。一人の人間が1000万人以上の人間と出会って一人ひとりの悩みを話合えますか? 大会なんかでは庶民と会えるとは思いますけど、1000人の会場で講演後に1人につき3分話したとします。1時間で20人、10時間で200人。池田と普通に話が出来るのは幹部だけでしょ?幹部に対して学会員の悩みの相談に乗るように指示して制度を確立させたとかなら理解できますよ。私が出会った学会員の中で大作に一番近かったのは、元カノとその親です。元カノは池田が名付け親だと言ってましたので、親は合ったことがあるはずです。そして誰が見ても池田と合えるだけの財力を持っています。それでも本当の話なのかは分かりません。私の知っているその他の学会員は誰も池田と話したことはありませんし、悩みを打ち明け、細かく手を打ち、支えてくれた恩義を刻んでない。しかし、学会、または、学会員、そして仏教が支えているのは想像できますし、著書からどこか遠い人ではないと考えることも想像できますけどね。
喜捨と神格化
なるほどと言いましたが、お布施とは貧しい人達に対して直接、間接的に助けることです。ホームレスにお金や食べ物を直接与えるのも喜捨です。しかし、創価はお布施はとるが、貧乏人や病人を金銭的に助けない。もちろん、創価に集まった金は国内外の災害援助に充てられることもありますけど、これはお布施という行為を間接的に創価が組織的に行うことではお布施、喜捨の範囲に入ると思います。だけど文化交流はお布施ではないと思います。学会員が池田を信頼しているのは分かりましたし、使い道も自由なのもわかりました。が、お布施、喜捨と文化交流は違う。試しに文化交流を辞書で調べて下さい。喜捨、お布施と言う単語がでてきますか? 図書の寄贈は喜捨に入るかも知れません。が、お布施の分配という意味からすれば、順番的には最後のほうのはずです。目の前の貧乏学会員(一般人でもいいけど、病人学会員を優先)を助けるのが喜捨の精神ではないでしょうか?喜捨とは金だけでなく、物質も含まれます。というよりは物質が優先で金でもいいって感じだと思うんですよ。お坊さんに米をあげたり、貧乏人に着衣をあげる。これこそが喜捨の精神ではないでしょうか?喜捨の精神で得た金を文化交流に回すっては、喜捨の裏切りではないのでしょうか?もちろん、学会員は私のように考えない。って、いうより、考えられないんですけどね。
投稿: junk | 2012年6月30日 (土) 01時07分
junkさん
拝見致しました。ありがとうございます。
>そして著作や人間性で名誉教授職を貰えるってことは、膨大なる池田に関する論文や書籍が存在することになる~「著作を通してその足跡が世界的に知られており」って、完全に妄想ですよね
ネット上に膨大な論文があるはずだとか、そうと決まったことではありませんし、検索だけが全てではないと考えます。世は広く深いもので「目に映る」ものだけが判断基準の全てではないと私は志向します。Wikipediaが参考になるというも日常的な「反創価」の編集合戦の前には首を捻らざるを得ないことが多いです。世界から受けた各大学の名誉学術称号の受章事実すら記載・削除の応酬が相次いでいるようです
。
世界での認識という話で言えば、英国の歴史学者A・J・トインビーとの対談集「21世紀への対話(Choose Life)は28言語での翻訳、ゴルバチョフ元ソ連大統領との対談は10言語ですか。junkさんは少ないとお考えかもしれませんが、私には主観的には少なくない数であろうと感じます。どのような「階層の人が手にする書籍」なのかという問題もあるでしょうし、世界での講演や提言も公開されていますので、一度ご覧になってはいかがでしょうか。名誉会長の思想の中身についての論評をお聞かせ頂けると私もより思考の機会となるので嬉しいです。ここまでそういった話になったことがないですね…??
http://www.sokanet.jp/sokuseki/koen_teigen/index.html
またjunkさんは完全な妄想と仰られてますが、実際に諸外国と仕事をしている外交官やその周辺の人の認識をお話になっているのでしょうか?日本の外交を司っている人達がどのような角度からも「池田名誉会長のことなど世界の知識人は誰も知らない」となれば、私も学会のプロパガンダかと思うのですが、少なくとも個人的に知己のある外交官やメディアの幹部などと話すととても「妄想」のようには考えられないのですが…。
>一般外国人が池田を知っているなんてありえません。試しにダイレクトコールで適当な番号を選んで外国人に電話して聞いたらわかりますよ。
私のコメントの中で一般外国人にまで知れ渡っているような主張をしましたでしょうか…。もし、そのように受け取られておりましたら私の言葉足らずをお詫び致します。
>「曇りの無い」とはまったく別。フランスの大統領が大相撲観戦するから大相撲が八百長無いことが証明されたって言ってるのと同じ。
うーん…。
私のお話したのは第一号からのモスクワ大学での名誉博士号から調査してみても金銭のやり取りは確認されておらず不可であるという端的な事実でしたが…。外務省云々は1,000を超える外交的手続きにおいて「学会」がいかなる団体であるかということ(いかがわしい団体でないということを)を経験的にも対外国からのレスポンスの集積からも把握しているという意味で用いたつもりでしたが、あまり伝わらなかったようですね。説明力が拙劣ですみません…。
>一人ひとりに対して池田が手を打ちとか言うから、神格化だと言ってるんですよ。
これはですね、創価の師弟観への視野がある程度必要な部分で説明しなくてはいけませんでした。
もちろん、junkさんの仰るとおりに名誉会長が実際的に一人ひとりと会っていくということは事実上不可能な数ですし、時間的な制約上も無理です。これは揺るぎない事実。
その一方で、学会員からの「手紙、連絡、報告」などを事細かく受け止めて伝言や激励やその他の手を打つなどのレスポンスを膨大に行います。もちろん、それは学会職員を通してとかそういうことですよ。
また、基本的に弟子というのは師のそうした立場を鑑みて「自ら学び、読み、祈って」課題に取り組んでいきます。聖教新聞には名誉会長の指導が連日掲載されますし、人間革命も執筆が続いている。それを「自分に対して言われていることなんだ」と受け止めるのが学会の信仰の基底部を形成しています。ですから「個々人が名誉会長に励まされた」と捉えるのは学会の世界ではごく普通のことでありますし、そうした契機で人生の困難と立ち向かい、新しい強い自己を創っていく起点となっていることは紛れもない事実なのです。
そうした学会員の体験的な話しというのは聖教新聞紙上にも絶えなく報道されており、それがシンプルに学会の姿であります。「師を求めていく弟子」の集積が創価学会の核の部分です。
>元カノは池田が名付け親だと言ってましたので、親は合ったことがあるはずです。そして誰が見ても池田と合えるだけの財力を持っています。
私も名付け親は名誉会長ですね。無数にいると思います。財力云々は名誉会長と会う会わないと無関係であります。yossyさんも言われていましたが「貧乏人と病人を救えないで何が宗教だ」ということです。今でも変わりありませんよ。
>喜捨
junkさんと学会の喜捨の定義が異なるというお話でしたら、これは主観の問題なのであまり良質なテーマではないかもしれませんね。その上でjunkさんの主張について私なりに考えてみます。
寄付したお金が「何に使われるのか」が喜捨の定義を決めるとなれば、学会員一人ひとりに使用用途を説明し、監査結果を説明しなくてはならないでしょう。それは一方で他宗教団体の喜捨についても言えるはずです。そうなるともう宗教団体に所属する人は会社の株主みたいなものですよね。
資金がにどのように使われたのかという配分を最終的に細かく明確にすることは宗教組織運営上極めて困難なことだと思います(いい加減に処理するという意味ではありません)。逆にこれでは金銭管理の煩雑さに捕らわれて、本来の宗教活動が停滞しかねない結果になるはずです。「喜捨の定義」に拘り過ぎると寄付行為者の「喜捨の心」まで忘却されかねない。
学会員の実際的な感覚を申し上げれば、「創価学会の運動の公益性」を認識した上で、それに必要な経費や積立てに協力したい、名誉会長の広宣流布(仏法流布)の指揮が一層執りやすくなるようにとシンプルに発想しているのが大勢です。
>目の前の貧乏学会員(一般人でもいいけど、病人学会員を優先)を助けるのが喜捨の精神ではないでしょうか?喜捨とは金だけでなく、物質も含まれます。というよりは物質が優先で金でもいいって感じだと思うんですよ。お坊さんに米をあげたり、貧乏人に着衣をあげる。これこそが喜捨の精神ではないでしょうか?
ここが恐らくjunkさんと学会員たる私の「喜捨の考え方」の異なる部分だと思いますが、以前にもコメントしたように「人間の苦難や困難はその人の根源的な宿命の問題に起因する。その本質的な解決は宿命の転換にある」と法華経の真髄を説いて成立している仏教団体なのですから、これをお金で処理していてはまったく表層的な対応になってしまいます。
それに「創価に入ったら金(物質)がもらえるらしい」と昨今の生活保護問題ではありませんが、ワラワラと信仰心など関係ない人が流入する可能性がないと言えるでしょうか。それに構成員への利益供与は税法上も大きな問題があると思いますが、それはここでは置いておきましょう。
ともあれ、あくまで学会は信仰次元での「助け」が基本です。何から何まで折伏だという乱暴な意味では決してありませんが、少なくとも金銭・物質援助のための互助組織ではないことは今も昔も変わりません。
創価学会における喜捨とは「仏法流布やその精神の実現」のためのあらゆる運動・文化的行動・組織維持発展に対して行われるものであって、学会員も大同小異はあれども似たような感覚を共有しているのが、実際の現場感覚です。
そうそう、ここまで「喜捨」という一般にも通ずる言葉をたくさん使ってきていてなんですけれども、学会には「喜捨」という考え方や言葉はありません。財務とかご供養、広布基金などと呼んでます。学会員の認識としては寄付行為は「創価学会を支える」というシンプルなテーゼに集約されていると言って良いものであります。自分たちの組織を自分たちで守り育てていく。それはそれほど違和感のある感覚ではないと考えています。
ところでyossyさんのblogのコメント欄をこのように使わせて頂き続けるのは何だか心苦しい気も致します。オーナーのyossyさんはどのようにお考えになられているのか気にかかっておりますが、いかがなものでしょうか…。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年6月30日 (土) 04時46分
yossyさんへ
色々と調べてたら、以前yossyさんが言っていた
>私の知るところでは、創価学会が言っているのではなく、そのように池田氏を尊敬している団体・個人があるのです。さらにダライラマは出てこないと思います。
韓国でガンジー・キング・イケダ展 釜山広域市・釜慶大学で開催
ダライラマは私の勘違いですが、ガンジー・キング・池田は創価発信です。この三人が並ぶのが不思議でならないんですよ。ガンジー・キング・ダライラマ肩を並べても違和感ないんですけどね。
ttp://www.seikyoonline.jp/news/headline/2012/05/1202000_2574.html
聖教新聞の記事です。
投稿: junk | 2012年7月 1日 (日) 00時42分
junkさん
横から失礼致します。
yossyさんの仰るとおり「ガンジー・キング・イケダ」は学会のイニシアチブではないのですよ。
ガンジーやキングの関係者でなくてはその名を学会が独自で用いることは出来ないですしね…。
この聖教記事は名誉会長に関わる行事を受けて作成されたものです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年7月 1日 (日) 01時42分
後援=釜山広域市、KBS釜山放送総局、釜山文化放送、KNN、聯合ニュース、釜山日報、国際新聞、国際ペンクラブ韓国本部、韓国記者協会、国立釜慶大学、韓国SGI
韓国SGIとありますが?
投稿: junk | 2012年7月 1日 (日) 11時59分
>伊達さんへ
神格化②
ゴルバチョフ・トインビー・ガンジー・キング・池田・チャウシェスク・ノリエガ
私はゴルバチョフと池田との対談は素晴らしいことが書かれていると信じています。理由はyossyさんや学会員が勧めるからです。ですので、創価への不信が信頼に変わったら読むつもりです。しかし、ブログのテーマは「創価学会のこと」「どうでもいいことが批判になっている事例」です。「池田大作名誉会長の素晴らしい功績」ではありません。そして私は創価学会はある程度の「洗脳」が行われていると考えています。しかし、「洗脳の定義」が問題になり、「洗脳」を使わないようにすると言いました。が、学会員は洗脳というか情報操作というか情報の偏りがあると感じています。私はここで伊達さんやyossyさん、絵さんなんかにゴルバチョフとの対談を勧められましたが、誰もチャウシェスクとノリエガについて語った者がいません。昨日、チャウシェスクとノリエガと創価の関係を知りました(ネットで情報なのでyossyさんが警告するようにデマの可能性はありますが、デマなら創価がブログ主を訴えるはずなので、チャウシェスクとノリエガとの友情秘話、聖教新聞日付などは事実だと考えています)。ゴルバチョフを勧めるのであれば、国家元首であるチャウシェスクとノリエガも勧めるのが普通です。なぜ勧めないのですか?絶対に素晴らしいことが書いてあるはずなんですよ。
チャウシェスクの生前は「ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい」「聖教新聞」同六月九日付)
ね、素晴らしいことが書いてある。
処刑後・「民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を、私はもろ手を挙げて、祝福いたします。『民衆』が勝った。『人間』の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました」(「聖教新聞」平成二年一月七日付)
ね、素晴らしいことが書いてある。
>名誉会長の社会・人材育成・哲学的思考等についての貢献度の高さについて名誉学位の授与が行われている
と言いますが、チャウシェスクやノリエガと創価学会を見ると、世界平和や哲学的思想も吹っ飛びます。なんかね、有名人なら誰でも良いから対談して、それなりに素晴らしい内容のこと話してるんじゃね?そしてガンジー・キング・池田とくる。チャウシェスク相手に説教ぶちかましてたら私も池田の偉大さを素直に認めるんですけどね。私は池田の哲学的思想を知りませんし、不信感しかなかったんですが、チャウシェスクのことを知ると、池田の行動と言動に哲学も思想も世界平和も感じられなかった自分が正常だと実感しています。
投稿: junk | 2012年7月 1日 (日) 12時03分
伊達さんへ
>著作を通してその足跡が世界的に知られており
が「少なくとも個人的に知己のある外交官やメディアの幹部などと話すと」までトーンダウンしましたが、普通は世界的に知られておりって言ったら、ある程度の一般人が知っていることを指します。あなたは著作を通してその足跡や平和への功績、哲学的思想が研究されての名誉教授だと言っているんですよ。特定知識層しか知らない程度の人間が世界的に平和に貢献しているなんて池田の他にいないんじゃないですか?ガンジーもキングも高卒程度なら名前ぐらいは聞いたことあるはずです。さらに言えば、世界的平和に貢献して、哲学的思想が研究され、300ほどの受賞歴がある人間で、創価がガンジー・キング・池田と並べているなら、高卒程度である程度の確率で知っているか、大卒なら高確率が「世界的に知られている」の無難なとこだと思うんですよ。これを踏まえて聞きます。池田は著作を通してその足跡が世界的に知られていますか?
>喜捨と財務
>「人間の苦難や困難はその人の根源的な宿命の問題に起因する。その本質的な解決は宿命の転換にある」と法華経の真髄を説いて成立している仏教団体なのですから、これをお金で処理していてはまったく表層的な対応になってしまいます。
それは良く分かりますし、金欲しさも困るのも分かります。では、なぜ「外国国家、大学の苦難や困難はその外国国家、大学の根源的な宿命の問題に起因する。その本質的な解決は宿命の転換にある」にはならないのか。なぜ、外国国家・大学へは援助するのかを法華経の真髄と共に説明して下さい。
前にも言いました、会館の建物が寺でなくていいのなら、御本尊も紙でいいはずです。その方が学会員に負担が少ないはずです。そして外国への援助が良くて学会員への援助がおこなわれないのか? 創価の論法はなぜ学会員には優しくないのか分からないんですよ。
>名誉教授と世界平和と神格化
大変興味深いブログを見つけまして、そこで
名誉教授の一つのトリックが暴露されてました。ブログ主の了解が取りしだい、伝えられると思いますので、しばらくお待ちください。
>Yossyさんへ
出来ればこのまま続けたい。ここでの学会員との話でyossyさんの①貧乏人と病人の団体である、という批判、②会館の建物が豪華で悪趣味、という批判、①創価学会員は洗脳されている、という批判なんかの答えが見つかりそうなんですよ。私がネットで拾ってきた情報より、学会員との会話の中で答えを見せた方が納得するでしょ。
投稿: junk | 2012年7月 1日 (日) 12時11分
junkさん
拝見致しました。実に悩ましいところのご指摘ですね。仰る感覚、よく理解できます。私もどう考えるべきなんだろうと思ってきたことだったので。
>韓国SGIとありますが?
名誉会長に関わることをやるのですから、学会側への接触がなければ資料提供も行事運営も進まないですよね。韓国SGIと提携するという先方が採った手法は社会的にも通常のアプローチだと思いますよ。
>学会員は洗脳というか情報操作というか情報の偏りがあると感じています。
ソースの偏りについては事実あると思います。学会員の多くは聖教新聞を中心に読んでいるわけで、必然的に情報の重心が学会寄りになりますね。ですが、学会内部では「他紙を読むな」などという制限的なことは一切ありませんし、私みたいにネット上での批判文献を読み、裁判においては聖教のソース以外に判例時報まで取り寄せて多くの情報に触れようとすることも自由です。情報の取捨選択はその人次第であるだけで、そこに特段に学会の恣意的なアプローチが介在する余地はありません。
>デマなら創価がブログ主を訴えるはずなので
何でもかんでも訴えるということはありません。そうなら星の数ほど訴えなくてはいけませんしね。
>チャウシェスク・ノリエガ
このことを考える時、「神格化」のイメージが進んでいるのは内部よりもむしろ外部なんだなと感じます。
名誉会長も人間であって、何でも透徹しているわけではありません。一度や二度の会談で全てを見通せるわけでもないでしょう。これは現在まで対談してきた他の著名人物でも、この先に何らかの犯罪に関わったりすることでも起きうることですよね。名誉会長は数多くの国家元首や指導者と会談してきていますから、そうした「未来のリスク」は常に背負い続けることになるでしょう。大組織のリーダーという立場は余人には知れない壮絶な覚悟を常に負い続ける重圧がかかり続けることでしょう…。
チャウシェスクやノリエガが会談当時に一般的に認知されている犯罪者だったのなら、「わざわざ犯罪者に会いに行き、肯定的な発言に終始するのか!」と厳しい指摘を受けて止むを得ないと思いますが、やはり外交というのは一枚岩ではありませんし国家間の複数の事情が絡み合っていることも少なくないです。
そして何より、それらの国にもSGIの会員がいる。名誉会長は最高責任者として、彼らを守って行かねばならない重責にあります。リーダーとして元首に会い、仏法に基づくSGIの理念や行動を対話の中で訴えていく。そうやって現場のメンバーがその国で伸び伸びと活動できるようにレールを敷く活動を名誉会長は展開してきています。やはり根本的な精神に「師弟」があるのです。かの国々もその一貫での訪問だったことでしょう。名誉会長はキューバのカストロ議長(スーツ姿で登場したのには驚きました)とも会談していますが、革命でも起きて政権が変われば評価がどうなるか分かりませんよね。
私は名誉会長が「誰と会談したのか、何回行なってきたのか」という視点よりも一重深く立ち入って「それが何のために行われたものなのか」を洞察するように心がけています。そうしないと事実自体に揺さぶられてしまい、真実を掴んでいく視野が拓けていかない可能性もありますからね。
これほど多くの実力者と会談を重ねてくれば、その中にエラーが発生することも世の常であろうと私は考えます。相手側も完全無欠な人間などではありませんし、こちら側もまた同じ。
チャウシェスクやノリエガの件で名誉会長の事跡を(全)否定することは心情的には容易いと思いますが、果たしてそれが創価学会や名誉会長の「実際」を正確に映し出すことになっているのかどうか。学会を論じる時に見えてくる「本質的な洞察」の水平線が迫ってくるように思います。
名誉会長(に限らずですが)の哲学・思想・学問・行動については「誰と会った、称号を受けた」という外形的なこととは分けて中身の精査を経ることが、その人物及び組織理解の補助線ともなると感じます。
もちろんjunkさんの仰る「それを語る主旨のblog記事ではない」という点は同意していますので、それについてはここまでで。
なお、私はチャウシェスク・ノリエガ会談があったことを否定するものではありませんし、関連する批判があることを拒否するものではありません。様々な難題が取り囲んでいますが、学会自体も更に身を引き締めて、精進していかねばならないことでしょう。そのメンバーの一人として私自身も前進・向上・価値創造を重ねたいと思うばかりです。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年7月 1日 (日) 15時54分
junkさん
投稿にタイムラグがありましたね。申し訳ありません。前後しますが、コメントします。
>トーンダウンしましたが、普通は世界的に知られておりって言ったら、ある程度の一般人が知っていることを指します。
特にトーンダウンのつもりはないんですが、「世界的に知られている」という感覚がjunkさんと異なっていたことは認めなくてはいけませんね。誤解を与えていたらお詫びします。
A・J・トインビーは「世界的に知れている歴史学者」だと思いますが、ほとんどその名を一般的日本人は知らないのではないかと思います。それこそデリダやユング、レヴィ・ストロース、ウィトゲンシュタイン、プランクやボーアなどの功績の非常に高い学者も同様の状態だと思います。もちろん、どの人物も「世界的に有名」です。
ですので、私の言うのは知識層というか関心のある層を指して「世界的に知られている」というイメージでお話しました。ですが知られている度合いは客観視できませんから、議論に際してはあまり良いテーマではなかったのかもしれませんね。
>「外国国家、大学の苦難や困難はその外国国家、大学の根源的な宿命の問題に起因する。その本質的な解決は宿命の転換にある」にはならないのか。なぜ、外国国家・大学へは援助するのかを法華経の真髄と共に説明して下さい。
国家や大学の課題と個人の宿命論がない混ぜになるのは少々乱暴な議論でしょう。また「援助ありき」ではないと幾度かに渡ってお話してきましたので、これについては繰り返しません。
>会館の建物が寺でなくていいのなら、御本尊も紙でいいはずです。その方が学会員に負担が少ないはずです。
junkさんは御本尊が何で出来ていると思われているのでしょうか。また学会員の負担の実際について何かご存知なのでしょうか。
>そして外国への援助が良くて学会員への援助がおこなわれないのか? 創価の論法はなぜ学会員には優しくないのか分からないんですよ。
援助ありきではないことはお話済みで、後者も信仰の観点から「人間にとってどうすることが一番重要で最も問題解決に近いのか」ということを学会がどのように考えてきたのかを説明してきたつもりです。
物・金でフォローしていかないことは一見厳しいようではあるけれども、それが結果的にはその人の信心による自己の確立を目指すことに繋がっていきます。以前にも説明したとおりです。学会ではこれを「本質的な優しさ」と考えます。自分のことを自ら行えるというのが何にもまして基本的な幸福の条件でしょうしね。
>名誉教授の一つのトリックが暴露されてました。
縷縷お話してきましたが、正直に言ってあまり関心がないのです。第1号から300を超えるまでの一つ一つについて、客観的な証拠付きで論証されているものがあれば読んでみたいとも思うのですが…。
この問題に関わらず「何の情報や視野を信用(受容)するか」はjunkさん次第でありますので私はそこについては踏み込めませんし、そうしようとも思わないのですが、「こういう批判もある、ああいう噂もある、wikipediaではこうで、このblogではこうだ」というようなことを次々とネット上から探してこられて「これについて答えて欲しい」となったら、極めて消耗的なやりとりになってしまいそうな予感がしています。
junkさんが日々の暮らしの中でぶつかった問題や疑問にはなるべく私の分かる範囲でお答えしたいと思うのですけれども、あまりにも事実関係が希薄な案件を延々と重ねていくのはお互いに有益とは思えません。
PublicCommetさんが提示されたような問題意識はご本人の実態に即したものだと考えますが、外国への寄付行為だとか名誉学位の疑義だとかにまで話が及ぶと、およそその当事者ではないjunkさんと私が机上の情報で考えを述べ合うに留まってしまうように思います。これはさすがに生産的ではないでしょう。
私は私の目にしたことを元にお話を組み立てますので、junkさんも眼前の出来事での疑義点などにお話を集約してもらえると大変有り難いのですが…。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年7月 1日 (日) 19時23分
>そうした「未来のリスク」は常に背負い続けることになるでしょう。大組織のリーダーという立場は余人には知れない壮絶な覚悟を常に負い続ける重圧がかかり続けることでしょう…。
チャウシェスク・ルーマニアって言ったら、秘密警察導入して無茶苦茶やってた東欧の北朝鮮です。未来のリスクに入んないでしょ。北朝鮮に行って金の指導は素晴らしいって言ってんのと変わらないよ。で、それをやっといて、未来のリスクも糞もないでしょ?
投稿: junk | 2012年7月 1日 (日) 19時54分
junkさん
>未来のリスク
繰り返すようですが、この国に関わる人達にもSGIメンバーがいるのです。名誉会長がどのような責任感で動いているのかはご説明した通りです。
蛇足話ですが、記憶がちょっと定かではないけれども、独裁体制を敷いた後のチャウシェスクが日本に来日して時の総理とか陛下に面会してませんでしたか…。
junkさんの論法で行くと、これも無定見な総理や陛下への批判ということになるのでしょうか。「そんなヤツは国内に入れるべきじゃないし、会って話すなど論外だ」という風に解釈できなくもないような…。飛躍だったらすみません。返す返すも思うのは「完璧に相手を見通せる人間などいないし、人間関係でエラーが発生することは珍しくない」ということに尽きると思います。
ともあれ、私は各国、各人それぞれの事情を鑑みて対応を採るということは外交儀礼において通常に機能していることだと考えています(名誉会長の会談についても同様)。
>秘密警察
多くの国にも存在すると思います。先述したキューバのカストロなどはそれ自体が軍人、ソ連時代のコスイギン首相や共産党の実働部隊のイワン・コワレンコ、中国の周恩来をはじめとする各世代の指導者、統一ドイツの初代大統領ヴァイツゼッカーなど多数の要人との会見、アメリカの国務長官キッシンジャーとも対談を編んでますが、どの国も秘密警察はありますよね。暗部などと言い出してはキリがありません。
人権・人道的な問題については各国の実態が「露見したか否か」の違いがあるだけで、その点を含めて私は「未来のリスク」と申し上げたのです。
それにしても、これらの話もちょっと(恐らく)junkさんや私の実生活から見るとかなり遊離した話で議論するテーマとしてはあまり馴染まないかもしれませんね。
投稿: 伊達半蔵 | 2012年7月 2日 (月) 01時45分
横から失礼します。
>junkさん
問題として挙げられていた神格化について
個人的には「学会は池田大作氏をメシア(=キリスト)として偶像化しようとしている」
と思うことは多々あります・・・
が、
法に触れることでも無いのでそのことで学会を批判できる立場に無いと思います。
どうもjunkさんのコメントには子供の駄々に近いものを感じるのですが。
その点ご自身ではいかがお考えでしょうか。
ところで議論というか質問をするにあたって
いわゆる想定問答はご自身で行われてますか?
くだらない言説に本気で付き合うのはアホらしいので健全な議論の為、
何卒宜しくお願いいたします。
投稿: PublicComment | 2012年7月 2日 (月) 23時27分
また何か誤解されそうなのでちょっと補足。というか言い訳を少々。
上記コメントでの真意は法を犯してないから批判しちゃダメってことではなく
批判する理由はどこにあるの?
何のために批判するの?
ということです。
何か批判することそのものが目的になっているように思えたので横からコメント入れてしまいました。すいません。
それと「子供の駄々」はちょっと言いすぎました。お詫びし撤回させていただきます。
投稿: PublicComment | 2012年7月 4日 (水) 01時55分
>神格化
長年にわたる日中友好への貢献と、世界平和への傑出した功績を讃えるもの。
http://www.sokanet.jp/topics/jakhcj0000005ito.html
この記事に嘘混じってますよね。分かります?
>PCさんへ
>何のために批判するの?
①学会員が騙されてると思ってるからです。
学会員って悪い人はいないと思ってるし、熱心に仏教を信仰するのは良いことだとは思ってる。だけど、創価には仏教とは違った要素が混じってると思うし、その要素(池田)が名誉の為に学会員を利用してるとしか思えないんですよ。一例なんですが、ガンジー・キング・池田展が学会主導でなくて外部発だとか言うけど、そんなことありえなくね?そして、ガンジー・キング・と並ぶくらい池田が凄いと思わされる。で、学会の活動が世界平和に貢献して、300もの受賞理由になっていると信じてる。
② 貧乏人と病人の団体である、という批判
の答えを伊達さんから見つけようとしたから。本当に批判されてるのかは知りませんが。
勧誘する創価が弱っている人を勧誘するのは必然で、貧乏人と病人が創価に集まります。そこで創価は心は救うが、問題の根本である貧乏と病気には何の助けもしない。それどころか、創価の活動が世界平和に繋がると言って寄付を集めては外国に援助する。そして熱心な学会員ほど勧誘や寄付活動にのめり込むから余計に貧乏からは抜け出せない。
PCさんは学会員は池田に騙されてると思いませんか?
投稿: junk | 2012年7月 5日 (木) 00時09分
みなさん、議論お疲れ様です。
学会員が池田氏に騙されている、とのjunkさんのご指摘は、おそらく学会員以外で学会が嫌いな方の多くがそのように思っているのではないかと思います。私もそうした一人でした。
そこで私は、学会員ではない人で池田氏に直接会ったり対談したりした人が書いた池田氏についての文章を読み、さらに池田氏の書物を客観的な冷めた目で読み、池田氏に直接出会った人や学会員が何をそんなに評価するのか、を確かめようとしたのでした。
この詳細について述べるには、コメント欄ではとても無理です。かといって今の私にはこれをまとめてみる体力があまりありません(今日は元気です)。
参考に私が読んだ資料を挙げておきます。
「創価学会池田名誉会長は何を考えているか」(柳田邦夫)、「オフレコ!」vol.2の田原総一朗・秋谷会長対談、「対日工作の回想」(イワン・コワレンコ)、「東洋の智慧の光」(蔡徳麟)、『中央公論』2010年4月号の茂木健一郎氏と池田大作氏の往復書簡、など。さらに「20世紀の精神の教訓」(池田・ゴルバチョフ対談)です。すべて書店で買いました。
読んで感じたのですが、池田氏と対談する人はみなその人間的な魅力に惹かれています。その資質は「たいへんな勉強家。出会った相手から何かを学ぼうとするとする姿勢を崩さない」「礼儀正しい」「ざっくばらんできさく」などという言葉で表現されています。参考に田原総一朗氏の言葉を引きます。
「池田さんは魅力的だと思うんだ。どこが魅力的なんですか?ちょっと普通の人とは違うと思うんですよ。ぼくがあの人が魅力的だと思うのは、話していて平気で脱線するんですよ。ガンガンお話になるんです。話ちゃいけない本音を。秋谷さんは話していけない本音は、話さない。」「本音を話すというのが、池田さんの魅力の源泉だと思う。」
田原氏は一度中央公論に池田氏へのインタビューを掲載していて、その時の印象を述べているのです。
私は、池田氏にはもちろん会ったことはありませんが、その言葉には力があると認めざるを得ません。教育に対する提言も読みましたが、現場の教師も頷ける具体的な提言と、現場の教師がわが身を振り返らざるを得ない指摘と教訓に満ちていました。
そういうものを読むうちに「学会員は池田氏に騙されている」とは思わなくなりました。「学会員はただ単に池田氏が好きなのではないか」と。そして池田氏と対談している知識人も池田氏に魅了されているのではないか、と思います。
その意味では池田氏はやはりいわゆるカリスマなのだと思います。カリマスというと理由なく魅力だけで人を引っ張っていく指導者ですが、池田氏は論理性に満ちた思想性とそれを表現する言葉も持っているのです。現代の巨人の一人であることは間違いないと思います。
私が創価学会のことをあまり否定的に論じないのは、こうした背景があるのです。
伊達さんはjunkさんの読んでいる創価学会批判を読んで話しておられます。junkさんも何か学会の書物を読まれてはいかがでしょうか。前にもいいましたが、ゴルバチョフ・池田対談はなかなかのものですよ。そうすればもう少しかみ合った話になるように思いますが。
投稿: yossy | 2012年7月 5日 (木) 20時15分
こんばんは!
>長年にわたる日中友好への貢献と、世界平和への傑出した功績を讃えるもの。
http://www.sokanet.jp/topics/jakhcj0000005ito.html
この記事に嘘混じってますよね。分かります?
※張学長は授与の辞の中で「池田先生の思想や論述、および世界平和、中日友好への卓越したご貢献に対し、井岡山大学の教員・学生一同は大変、敬服しております。池田思想を宣揚し、中国での影響を広げたい。また、創価大学と井岡山との交流を深め、中日友好をさらに発展させたい。この思いから、池田先生に対し、謹んで名誉教授称号を授与させていただきます」と話されています。
http://www.soka.ac.jp/newstopics/2011_1020.html
http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51769104.html
●創価学園「Dr. Daisaku Ikeda」
http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51805274.html
http://www.soka.ed.jp/choken/
http://www.kansai.soka.ed.jp/e/guide/e05.html
●フィリピンの国立大学(State University)
http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51769154.html
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/10544
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/11166
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/10375
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/11186
投稿: イノセント | 2012年7月14日 (土) 00時06分