1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:15:09.28 ID:V+kigXBP0
こんばんは、みんなのあずにゃんこと、中野梓です。
この春、私はめでたく桜ケ丘女子高校に入学することができました。
ぴかぴかの一年生です。
さて、今日は体育館で新入生歓迎の出しものとして、各部活が発表を行う催しがあるようです。
文化部や運動部の人たちが次々に舞台に上がり、自分達の部活のアピールをするのですが、何となく退屈です。
4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:16:55.74 ID:V+kigXBP0
『続いては軽音楽部によるバンド演奏です』
ところが生徒会のナレーションがそう告げると、私は思わず舞台にくぎ付けになってしまいました。
純粋にバンド演奏に興味があったからです。
何を隠そう私も小さい頃からジャズミュージシャンだった父親の影響で、ギターを嗜んでいたからです。
これでも『ちびっ子ジョン・マクラフリン』なんて言われて、地元では有名なギタリストだったんですよ?
まぁ、ちびっ子っていうのは余計なんですけど。
おっと、話がそれました。
舞台の上にはいつのまにか、4人の女子生徒が現れて、それぞれの持ち場についていました。
ギター、ベース、キーボード、ドラムという楽器編成から見るに、どうやら一応はロックバンドのようです。
憂「わぁ~……すごい……お姉ちゃんボーカルなんだ」
私の隣にいる女の子(確か同じクラスの平沢さんだったっけ?)が、感激の混じった溜息を漏らしています。
どうやらギターボーカルのあの先輩は、この平沢さんのお姉さんのようです。
よく見るとあの人は本物のギブソン・レスポールを抱えています。
普通に買えば30万円は下らない代物です。とても高校生の女子が持つギターとは思えません。
6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:18:17.29 ID:V+kigXBP0
でもどんなに楽器が良くても、演奏が良くなければ意味はありません。
見たところ、ベースボーカルのあの先輩なんかは凛々しい雰囲気ですが、
ドラムの先輩やギターのあの先輩もいかにもミーハーな感じですし、
どうせこれから演奏する曲もJ-POP(笑)かなんかのコピーなんでしょう。
正直私は見下していました。期待するほどでもないと、甘く見ていました。
どんな演奏をするのか、いっちょ値踏みしてやろうと、そんな視線で見ていたのです。
そんなことだから、見落としていたのです。
その軽音部バンドを囲んでいるのが、山のようなマーシャルアンプの壁であることを。
ギターボーカルの先輩の足元には、これ見よがしにたくさんのエフェクターが置いてあったことを。
唯「それじゃ、演奏しま~す。『私の恋はホッチキス』」
ゆるゆるとした気の抜けるギターボーカルの先輩のMC。
いかにもこれから繰り広げられる演奏の質を物語っている感じがして、私は軽く失笑すら漏らしてしまいました。
8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:20:17.53 ID:V+kigXBP0
しかし、次の瞬間――。
梓「……え?」
――ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
一瞬、私は体育館の屋根が崩れてきたのかと思ってしまいました。
しかし、それがギターの轟音による震動だと気付くのに、そんなに時間はかかりませんでした。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガ……ゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!
掻き毟られる六本の弦から捻りだされる悲鳴のような轟音――。
あまりに衝撃的な、ギターによる音の洪水、洪水、洪水――。
とにかくおっきい音――。
耳を劈くようなその轟音に、見れば周囲の新入生たちは皆こぞって耳をふさぎ出していました。
こんな音の洪水、私も初めての経験でした。
9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:22:05.87 ID:V+kigXBP0
轟音に負けず、ステージに目を凝らしてみます。
演奏の方、技術的な観点から見れば、お世辞にも素晴らしいとは言えませんでした。
手数は多いものの、せわしなく、走っているようにも聴こえるドラムス。
音を歪ませ過ぎで何を弾いているのかよくわからないベース。
延々と不穏なムードの不協和音(コード)を奏でるキーボード。
そしてひたすらに轟音を放出し続けるギター。
それぞれのパートの演奏はあまりにお粗末でしたが、それらが合わさった瞬間、ただのノイズが極上のハーモニーに変わったんです!
そして、
――きらきら ひかる なやみごとも ぐちゃぐちゃ へたる なやみごとも♪
――そうだ ホッチキスで とじちゃおう♪
ギターノイズの間隙を漂うように囁かれる不安定なボーカル。
辛うじて聞きとれた歌詞は、何とも力の抜ける内容で。
11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:23:44.13 ID:V+kigXBP0
技術的に見れば全然ダメな演奏なのに……
それでもどうしてこんなに心が惹かれるんだろう……っ!!
憂「ぐへへ……お姉ちゃんのフィードバックノイズ……すてき……」
ふと隣を見ると、平沢さんがヨダレを垂らして光悦の表情で、ギターノイズの洪水に浸っていました。
頭の中がとろとろに溶けて、完全にイッちゃってる人の目をしています。
確かに……聴いていると徐々に頭の中がとろとろに溶けるような感覚が……。
この演奏を聴いて、私は何としてでも軽音部に入ると決めました。
――ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
そして、舞台の上でじっと自分の靴を見ながら、ギターを弾き、ノイズに自らの身を漂わせるように佇み、
そして偶に思い出すように歌っている、あの平沢先輩のようになりたいと、心からそう思いました。
あのギターノイズを生成に加担するギタリストの一人になりたい。
そう、心から思ったのです。
13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:25:25.95 ID:V+kigXBP0
数日後――。
友人「ねぇ、梓……本当に軽音部にいくの?」
梓「うん、もう決めたんだ」
友人「軽音部って……この前の新入生歓迎会で出てた、あのすごくうるさい音楽を演奏する人たちでしょ?
あの人たち、評判悪いみたいだよ?
この前の演奏を聞いて、鼓膜が破れちゃった新入生の子もいたみたいだし……」
友人の忠告も気にせず、私は迷うことなく軽音部の門を叩きました。
律「うそっ!? 新入部員!?」
澪「まさか私たちの部に入ってくれる人がいるなんて……」
紬「歓迎するわ~」
唯「ちっちゃくてかわいい子だね~」
思いのほか、私は歓迎されたようです。
なんでも必死の勧誘を行ったにもかかわらず、これまで一人の入部希望者も来てくれなかったとか。
新入生歓迎会であれだけの衝撃的な演奏をしてしまったのですから、それも当然ですよね。
15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:27:04.87 ID:V+kigXBP0
紬「梓ちゃんはギターが弾けるのね~」
梓「はい。一応、小学生のころからやっていました」
唯「それならこれからは私が教えてあげるよ!」
澪「お、早速先輩風吹かせてるな?」
律「まー、そしたらとりあえず試しに何か弾いて見せてよ」
律先輩のその言葉は、私にとって待ち望んだものでした。
これまでに培ったギターの技術をここで見せれば、私もあのバンドの一員になれる!
そう思った私は、愛機のフェンダー・ムスタングを取り出すと、これでもかと弾きまくりました。
梓「……ど、どうでしたか?」
律「うん、巧いな」
澪「確かに巧いね」
紬「高校1年生でそれだけ弾ける子ってなかなかいないと思うわ」
梓「(……にんまり)」
16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:29:29.70 ID:V+kigXBP0
良い反応です。
思わず笑みがこぼれそうになりました。
しかし、
唯「うん、巧いけど……『巧いだけ』だね」
唯先輩のその言葉が、私の抱えている弱点をズバリそのもの言い当てて見せたのです。
律「ちょ……唯! おまえせっかくの新入部員になんてことを……!」
梓「いいんです。わかっていたことですから。私のギターは小手先の技術ばかりだということは……。
それをわかった上であえて唯先輩に聞きたいのですが……」
唯「ん~? なぁに~?」
梓「どうやったら……あんなギターを弾けるんですか?」
唯「あんなって、新入生歓迎会の演奏みたいな?」
梓「はい」
17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:32:17.81 ID:V+kigXBP0
唯「あれはね~、マーシャルを壁みたいにどどん!と置いて、このギー太にファズとディレイとワウと……
とにかく一杯エフェクターをつなげれば……こんな感じで40個くらい」
http://zvex.com/phpBB2/viewtopic.php?t=4005 澪「その機材も全部、ムギに買ってもらったやつだけどな」
紬「いえいえ。唯ちゃんが喜んでくれるならこれくらい♪」
唯「とにかく、そうすれば出るよ~?」
梓「機材を揃えれば『あの』音が出るのはわかっています! でもそういうことじゃないんです!
唯先輩はあの時、そのギターから発される洪水のような轟音を完璧にコントロールして、
それをタダのノイズから極上のハーモニーに変えていました!
ああやって自由に轟音を支配できるようなギタリストに、私もなりたいんです!」
興奮して思わず大きな声をあげてしまいました……。
律先輩も澪先輩も紬先輩も、キョトンとした顔で私のことを見ています。
梓「す、すいません……」
律「梓は唯みたいなギタリストになりたいのか?」
梓「あ、は、はい! あの新入生歓迎会での演奏を見た時、私のギタリストとしての目指す場所が決まりました!」
19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:36:27.96 ID:V+kigXBP0
澪「ははは……『目指す場所』だって。なんかすごいな……」
紬「唯ちゃんったら、まるでアイドルね」
唯「そっか~。そこまで言われるなんて、ちょっと恥ずかしいな~」
すると唯先輩は、照れながらもカバンをごそごそと漁り始めた。
唯「それならさ、このCDを聴くといいよ。わたしもこれを聴いて、今の『ぎたーすたいる』をあみだしたんだ~」
そう言って借りたCDは、The Velvet Undergroundというバンドの『White Light White Heat』というアルバムでした。
唯「これのね、最後の曲だっけ、『しすたー・れい』っていう曲が最高にかっこいいんだ! あとは日本のバンドもあったっけなぁ……」
http://www.youtube.com/watch?v=2EfSapCA5ls&feature=related (The Velvet Underground 『Sister Ray』)
そうして渡されたもう1枚は、『裸のラリーズ』というバンドの……タイトルがよくわからないCDでした。
http://www.youtube.com/watch?v=ZN5v-yWVXU4&feature=related (裸のラリーズ 『The Last One』)
澪「おい、唯。ヴェルヴェッツはともかく、ラリーズのそれは海賊盤だろう? 新入部員にいきなり海賊盤ってのはどうなんだ?」
唯「だってこの『らりーず』ってバンド、正規盤は全部廃盤で、中古でも高くて手に入らないんだもん」
21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:38:58.99 ID:V+kigXBP0
その後、澪先輩にはイギリスの『RIDE』というバンドのCDを借りました。
澪「アンディ・ベルはオアシスに行って日和っちゃったのが残念だよなぁ」
http://www.youtube.com/watch?v=E5zTuVhNs5c (RIDE 『Dreams Burn Down』)
律先輩には『CHAPTERHOUSE』という同じくイギリスのバンドのCDを借りました。
律「最近再結成して日本に来たんだよなぁ。見に行きたかったなぁ」
http://www.youtube.com/watch?v=Fp_3g8EpemQ&feature=related (CHAPTERHOUSE『Treasure』)
紬先輩には『COALTAR OF THE DEEPERS』という日本のバンドのCDを借りました。
紬「このバンドのリーダーの人、幼稚園児ばかり出てくるロリコンアニメの音楽なんかもやっているのよ~? 多才な人って、素晴らしいわよね」
http://www.youtube.com/watch?v=pADYaKph7Uo (COALTAR OF THE DEEPERS 『C/O/T/D』)
それからというもの、家での私は借りたCDを聴きこむ日々を送りました。
どのバンドの音楽も、轟音ギターが印象的で、ともすればノイズにも聴こえてしまうようなサウンドでありながら、とても美しいメロディを併せ持っていました。
先輩達から借りたCDから自力で同系統のアーティストを辿って行き、
Jesus and Mary Chain、Slowdive、Swervedriver、Dinosaur Jr、Sonic Youth、Cruyff In The Bedroom、Luminous Orange、
といった新たなバンドの音もとにかく進んで自分の血肉として行きました。
22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:40:08.65 ID:V+kigXBP0
それからの私のギター練習は、それすなわち『今まで培ってきた技術を捨てていくこと』と同義でした。
一方、肝心の部活動は言うと・・・
紬「今日のケーキはとびきりのレアチーズよ♪」
唯「わーい! レアチーズ!」
律「ただのチーズじゃないぞ! レアなチーズだ!」
唯「どれくらいレアかというと、裸のラリーズのレコード盤くらいレアだよっ」
澪「別にそういう意味じゃないだろう……」
あの壮絶なステージでの演奏がまるで嘘のように、まったりと、ダラダラとした毎日でした。
梓「もう、唯先輩! ダラダラばかりしてないでちゃんと練習しましょう!」
唯「え~、あずにゃんのケチ~」
そうして、首根っこを掴ませて演奏をさせてみると、唯先輩は本当に素晴らしいギターを弾くのです。
ギュギュギュギュワワワワ……ゴオォォォォォォォォォォッ!!!!!!
まさにフィードバック・マエストロ……唯先輩の指とギー太にかかれば、ノイズという言葉は『雑音』でなく『極上の美しい音』を表す意味に早変わりです。
梓「…………」
そんな唯先輩の隣に立ち、小手先の技術に長けただけのつまらないギターを弾く私にとって、
バンドの練習の時間はいかに自分がダメなギタリストであるかを思い知らされる時でもあるのです。
23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:42:23.48 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃお疲れー」
律「おう、また明日ー」
紬「お疲れさま~」
その日の部活が終わり、それぞれが帰路につこうとした時、
澪「梓、せっかくだし途中まで一緒に帰ろうか」
澪先輩に誘われた私は、途中まで一緒に帰るだけという野暮なことはせず、二人でとある喫茶店に入りました。
澪先輩は色々な話をしてくれました。
特に印象深かったのが、バンドの話。
何と桜高軽音部は、先輩達4人が集まった当初は今のような音楽性ではなかったというのです。
澪「前はもっと早くてビートの利いたパンクっぽいのとか、綺麗なバラードも演ってたんだ。
曲は昔からあってさ、梓が新歓で聴いた『私の恋はホッチキス』も『ふわふわ時間』も昔は今と違うアレンジで演奏していたんだ」
梓「それがどうして今のような轟音ギターロックになってしまったんですか?」
澪「ひとえに唯の影響だよ。唯って、軽音部に入部した時はギターを触ったこともない初心者だったんだ」
梓「そんな! 俄かには信じられない話ですね……」
澪「そのせいかな……どういう経緯かわからないけど、唯は普通の演奏スタイルからは逸脱した、あんな変なギターを覚えてしまったんだ」
24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:44:53.05 ID:V+kigXBP0
梓「それでバンドの方向性も変わったということですか?」
澪「まぁそんなところかな。元々、律はバンドでドラムが叩ければ何でもいいってやつだし。
ムギは耳触りのいい音楽しか聴いてこなかったような温室育ちのお嬢様だったから、
今まで聴いたこともないような新しい音楽に興奮して、すぐにバンドの方向性は変わったよ」
梓「そうだったんですか……」
そこで、会話は一度止まり、澪先輩はゆっくりと紅茶に口をつけた。
梓「そ、それでっ……!!」
澪「わかってる。梓は唯に憧れて軽音部に入ったんだろ?」
梓「そうです……」
澪「でも実際に唯を見てしまうと、とてもあの域には追いつけないと思い知らされ、悩んでいる。違うか?」
梓「その通りなんです……」
すると、澪先輩はもう一度紅茶に口をつけると、数秒間何も言わず押し黙った。
梓「……あの」
澪「唯は天才なんだよ」
25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:50:03.82 ID:V+kigXBP0
梓「えっ」
澪「いや、天才という言葉は些か正確じゃないかな。
創造性に長けてると言うか、発想が突飛もないというか……。
梓も普段の唯を見ていればわかるだろ?」
梓「まぁ……何となくは……」
澪「まぁ天然ボケっていう方が正確かもしれないけどね」
そう言って澪先輩は小さく笑いましたが、私はちっとも笑う気にはなれません。
梓「でもそれじゃ私はいつまで経っても唯先輩の域に達せないということですか!?
唯先輩のあれが生まれ持った才能だと言うなら……もはや努力でカバーできる域を超えています!
それじゃ……どうあがいたって追いつけないじゃないですか!」
澪「…………」
梓「あ……すいません」
澪「焦ることはないさ。私は梓には才能があると思うよ。
今はまだそれが開花していないだけだ。
梓が唯のようなギタリストを目指すと言うならそれもいいけど、今はまだ早すぎる」
焦り過ぎ――澪先輩の言うことは確かに事実かもしれません。
26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:53:35.26 ID:V+kigXBP0
澪「バンドは全てのメンバーがいなくちゃ成り立たない。まずは自分ができることを探さなくちゃ」
梓「自分ができること……」
澪「私の場合は、歌詞とボーカルかな。勿論、ベースプレイもあるけどさ、本当は恥ずかしいから、最初は歌いたくなかったんだ。でも今じゃそれが私の個性になってる」
梓「自分ができることを探す……」
それは、1年生の1年間をかけての私の至上命題となりました。
唯先輩と同じスタイルの轟音ギターでは、勝負にならない。
私だけのギタースタイルを確立して、唯先輩の隣に立つことを目指すのです。
1年生の学園祭までは、まさにあっという間でした。
28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:56:00.28 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃあ次の曲は……『ふわふわ時間』!」
この頃になるとバンド名も『放課後ティータイム』に決まっていました。
そして何よりも特筆すべきは、HTTで初めて作ったオリジナル曲、『ふわふわ時間』の進化でした。
4分ほどの軽快なポップパンク風のこの曲を、唯先輩は20分以上もの長尺演奏にアレンジし直したのです!
しかも、20分の内の15分――曲の間奏に延々と続く轟音ノイズパートを挿入する形で!
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガ……ゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!
かつて、軽音部はあの新入生歓迎会での演奏による持ち時間の大幅なオーバーで、生徒会にこってり絞られたと言います。
でも、そんなこともお構いなしです。
グガガガガガガガガガガガピーーーーッ!!!!!!!!!!
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
そして、私はその15分間を唯先輩とともに、ムスタングを掻き毟り、
足元のエフェクターをいじりまくり、マーシャルを苛め倒して、轟音の生成の加担に加わることが出来たのです!
29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:59:02.28 ID:V+kigXBP0
そしてこの瞬間、私は驚くべき光景を目にしました。
はじめは耳を塞いで苦悶の表情を浮かべていた観客の人たちが、
ひとり、またひとりと私たちの繰り出す轟音に身をゆだねるように、ある者は踊り、ある者は腕を振り上げ、
ある者は焦点の定まらないふやけた瞳でこちらを見て……とにかく陶酔していたのです!
いつかの澪先輩の言葉が思い出されました。
澪「私もあんなうるさい音を出す音楽、初めは嫌だと思ったよ。
でも梓、知ってる? 轟音ってある一定のレベルを超えると、聴く者の感覚は麻痺し、一種の夢遊状態に陥ることがあるって――」
唯先輩は、まさにそれを狙ってやっていたのです。
和「唯! 貴方また持ち時間をオーバーしたでしょ!?
しかもあんなうるさい音……近隣の住民から苦情が来るわよ!?」
唯「そんなこと言って~。和ちゃんも舞台袖でアヘ顔して轟音シャワーを浴びてたくせに~」
和「なっ……!(確かにそうだけど……)」
やっぱり怒られました。
でも悪い気はしません。心地よい達成感で身体が一杯です。
こんなこと、ギターを手にしてから初めての経験です。
31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:03:46.08 ID:V+kigXBP0
>>30
ありゃ、日本語おかしくなっちゃったアホスwww
すると、唯先輩はまるで赤子のような無垢な笑みを浮かべて、私に振り返りました。
唯「それと、あずにゃん!」
梓「は、はいっ……?」
唯「『ふわふわ時間』のノイズパート、良かったよ~! やっぱりギターが二本だと、厚みが違うよね~」
梓「!!」
この瞬間の私の胸の高鳴りをどう表現すればよいでしょう。
今思えば、この瞬間から、唯先輩は私の憧れのギタリストというレベルを通り越して、
身も心もゆだねたくなるような存在――つまりは、愛しい人に変わっていたのです。
32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:06:36.00 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩、『ふでペン~ボールペン~』のアレンジはどうしましょうか?」
唯「んー、そうだね。ギターの壁の後ろで、澪ちゃんのボーカルが微かに聴こえる感じまで、ギターの音を厚くしたいかな~」
唯「あずにゃん、この映画面白いんだよ~? 今日家帰って見てみてよ!」
梓「『血のバレンタイン』……ホラー映画ですか。私は苦手なんですけど……」
唯「澪ちゃんに貸そうと思ったら断固嫌がられてさ~。なんならあずにゃんの家で二人一緒に見ようよ!」
梓「は……はい!」
この頃から、唯先輩と私は音楽のことやそれ以外のことでもよく会話を交わすようになりました。
その近しさは、仲の良い先輩と後輩というには、少々異様なものだったらしいです。
紬「私は特別何とも思わないわ。むしろどんとこいです!」
律「まぁ恋愛の形は人それぞれっていうし……」
澪「梓がいいなら、いいんじゃないか?」
幸いなことに、軽音部には理解のある先輩しかいませんでした。
でも、違うんです。
これはまだ私の一方的な片思いで、唯先輩に気持ちは伝わっていない……。
一歩踏み出す勇気は、私にはまだありませんでした。
33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:10:13.94 ID:V+kigXBP0
4月――。
私は2年生になり、唯先輩達は3年生になりました。
新入生歓迎会では最高の演奏を見せたにもかかわらず、1年生は入部しませんでした。
それでも別にいいかな、と思ってしまったのは、自分と唯先輩の間に余計なお邪魔虫が入らなくて済むという、
あまりにも勝手で少しだけ醜い女の子心からだったのかもしれません。
同級生の友達にも、こんなことを言われました。
純「たぶんね、軽音部は傍から見ると5人の結束が強いように見えるから、入りにくいんだよ。
梓と唯先輩の轟音ギターの隙間には余計な音一つ入り込む隙間がないように、ね」
本当にそうだったら、どれだけよいことかと思いました。
ちなみに、この頃には『ふわふわ時間』の間奏ノイズパートは30分を超えていました。
34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:14:11.07 ID:V+kigXBP0
夏休み――。
私の提案で軽音部は夏合宿として、野外フェスを見に行くことになりました。
所謂フジ・ロック・フェスティバルというやつです。
律「あー、やっぱり青い空の下で見るライヴは最高だな! よーし、澪! 次はあっち行ってみようぜ!」
澪「おい律! 炎天下なんだからあまりはしゃぎ過ぎるなよ!」
紬「野外フェスティバルなんて初めてだから新鮮だわ~」
唯「そうだね~。あ~、やきそばたべたいな~」
梓「…………」
正直言って、私は狙っていました。何って、唯先輩を。
まぁ、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、理解してほしいのは私ももう限界だったということです。
最初はその魔法のようなギタープレイに同じギタリストとして憧れただけのはずの唯先輩、今ではその全てが欲しくてたまらなかった。
36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:18:51.60 ID:V+kigXBP0
そうしてその夜――。
私は運よく二人きりで、大トリのバンドのステージを見ることができました。
律先輩は昼間のはしゃぎ過ぎのせいで、疲れてテントで既に就寝。
澪先輩と紬先輩は別のステージを見に行っています。もしかしたら気を使ってくれたのかもしれません。
唯「わたし、一度でいいからこのバンドのライヴを見てみたかったんだ!」
大トリははるばるアイルランドからやってきたというバンド。
なんでもかなり昔に名盤と言われる1枚のアルバムをリリースしてからは、活動を休止してしまい、その後長い休眠を続けたものの今年再始動。
今日が17年ぶりの日本でのライブだそうです。
なんでもフロントのギター・ボーカル担当の2人のメンバーは夫婦同士だとか……。うらやましいなぁ。
そして、そのバンドは唯先輩がギターを始めてから最も影響を受けたバンドだということでした。
『ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!』
野外とは思えない物凄い轟音――。さすが唯先輩が影響を受けたバンドだけあります。
そして、その轟音の隙間から漏れ聞こえてくるのは、どこまでも美しいメロディ。
梓「HTTに……すごく似てる……」
私が思わずそう漏らしてしまったのも無理はありません。
37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:21:20.68 ID:V+kigXBP0
そして、感極まった私は、
(ぎゅっ)
唯「えっ?」
唯先輩の手を握ってしまいました。
私は轟音にかき消されぬよう、唯先輩の耳元で囁きました。
梓「私、唯先輩と一緒に音楽がやれて、本当によかったです」
唯先輩はにっこり笑いました。
唯「それは私もだよ――あずにゃん」
違う。
本当はもっと言いたいことがあるのに――。
私は自分がイヤになりました。
39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:23:37.97 ID:V+kigXBP0
唯「だいじょうぶ。全部わかってるよ、あずにゃん――」
でも、唯先輩はそんな私の頭を優しく撫でてくれました。
もはや、言葉は要りませんでした。
その日、恐ろしいほどのギターのフィードバックの轟音に包まれて、唯先輩と私は初めてのキスを交わしました。
今となってはあまりに興奮していたもので、その時のバンドの名前も正確に覚えていません。
確か、前に唯先輩に薦められたホラー映画のタイトルみたいな、趣味の悪い名前でした。
でも、キスを交わした時に演奏されていた曲のタイトルだけは、一生忘れることはないでしょう。
『You Made Me Realize(あなたがわたしに気づかせてくれた)』
40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:27:40.89 ID:V+kigXBP0
それから先は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのように、速く時は過ぎて行きました。
でも、その分だけ濃密で、楽しい時間でした。
唯先輩と私は、軽音部内でも公認のカップルになることができました。
紬「いいものが見れて、私、軽音部に入って本当によかったわ。
もし私が明日二階建てバスに轢かれて死んだとしても、
唯ちゃんと梓ちゃんのことを思い出せば、世界一幸せな女として死ねるわね♪」
律「唯と梓を見ているとこっちまでホンワカした気分になってくるよ。あ~あ、私も彼氏でも作るかな~」
澪「なっ! 律みたいにガサツな女に彼氏なんてできるわけないだろ!」
律「なんだよー。そんなのわかんないじゃん。そういう澪こそどうなのさー?」
澪「……ばか律。(そういう意味で言ったんじゃないのに……)」
紬「オゥフwwwwwww(今日轢かれてもいいかも……)」
そして、一番の心配のタネだったあの人も……
憂「お姉ちゃんが選んだ人なら……私は何も言わないよ。それにお姉ちゃんの相手が梓ちゃんでよかった」
梓「憂……」
なんとか理解を得られました。
41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:31:46.68 ID:V+kigXBP0
こうして、唯先輩と私は蜜月の日々を過ごしました。
本当に、この時の幸せを何と表現したらよいでしょうか!
そして、この頃、私たち放課後ティータイムが演奏しているような音楽は
『シューゲイザー(shoegazer)』というジャンルにカテゴライズされることを知りました。
澪「何でも、演奏中に客に愛想を振りまくこともせず、じっと手元ばっかり見て演奏している様子が、
『自分の靴ばかり見てる(shoe gaze)』ように見えるからそういう名前になったんだって」
律「へぇー」
澪「それで音楽的な特徴は、やたらと轟音のギター、
歌詞の聞き取りづらいふわふわとした不安定な歌、綺麗なメロディーライン……」
紬「まさに私たちのことですねー」
でもそんなジャンル付けは唯先輩と私には関係ありませんでした。
放課後ティータイムは放課後ティータイム以外の何物でもないからです。
それに、演奏中の唯先輩と私は、傍からは『靴を見て』周囲には無関心に自分の演奏に没頭しているように見えても、
その実傍らにいる大切な人の暖かい存在感を、ギターから発される轟音を通して感じあっているのですから。
42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:34:42.99 ID:V+kigXBP0
その後、秋の学園祭ライヴを終える頃になると、
放課後ティータイムにはライヴハウスへの出演(1年生の冬に一度だけ出たことがあった)や、
インディーズでのレコードデビューの話が来るようになりました。
しかし、ライヴハウスへの出演はともかく、レコードデビューは時期尚早と判断し、
私たちは地道に軽音部としての活動を続けていました。
そうして、とうとうやってきてしまった卒業ライヴ。
私はあまりの寂しさにステージ上で泣きじゃくり、コードを押さえる指は勿論、
足元のエフェクターのスイッチさえ涙で滲んでよく見えず、うまく踏むことができませんでした。
それでも演奏は最後だけあって気合いが入り、素晴らしいものとなりました。
この時、私はいつか澪先輩が言っていた『自分のできること』が何か、わかりました。
それは、唯先輩と二人三脚で、唯先輩の呼吸を察知し、意図を汲み、共に轟音の壁を作りだすパートナーとしての役目。
それはまさに、私にしかできない役目です。
43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:37:47.75 ID:V+kigXBP0
律「はははっ、梓は泣き過ぎだよ! ……会えなくなるわけじゃないのに」
梓「らって……グスン……みんな卒業しちゃう……そんなのいやで……グスン」
澪「それでも演奏だけはちゃんとやっていて、えらかったぞ?」
梓「ありがとうござ……グスン……います……」
紬「よっぽど唯ちゃんと離れるのが寂しかったのね(ニヤニヤ)」
唯「大丈夫だよ! 私たち4人、みんなおなじ女子大に行くし、HTTも続けられるよ?」
梓「でも……でもぉ……」
唯「あずにゃん……軽音部のことよろしくね……?」
梓「でも……わたし……ひとりになっちゃうんですよ? そんなのって……」
唯「『私たちの軽音部』を守っていくのはあずにゃんにしか出来ない役目なんだよ?」
梓「ゆいせんぱぁい……」
HTT、軽音部としての最後のライヴ。
その轟音はとうとうレッドゾーンを超え、講堂の窓ガラスは振動で割れ、
アンプの前をたまたま通りかかったネズミがあまりの爆音で破裂し、
観客達はまるでドラッグをキメたかのように音の壁に身を任せ、ゆらゆらと漂っていたといいます。
まさに最高のライヴでした。
45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:41:43.56 ID:V+kigXBP0
その後、私は3年生になりました。
唯先輩達の卒業で消沈し、部員集めもロクにできない私を見かねて、
憂が決意して入部してくれ、純もジャズ研と掛け持ちという条件ながらも参加してくれました。
その後、憂と純の協力もあり、4人の新入部員を獲得。
唯先輩達から受け取った軽音部のバトンを、私もなんとか次の世代につなぐことができそうです。
その後、私は純をベース、憂をドラムス(というより憂はちょっとコツさえつかめばどんな楽器も人並みに演奏出来てしまう、唯先輩とは違った意味での天才でした)に据え、
トリオバンド『放課後涅槃タイム』として活動。
HTTとは違う、時には爽やかなポップロック、時にはちょっとハードなグランジロックを演奏して、
『轟音製造機』なる軽音部の妙な異名を払拭することもできました。
唯先輩達も学園祭に私たちの演奏を見に来てくれ、とても誉めてくれました。
唯「たまにはこういう爽やかな音楽もいいね~」
唯先輩はこんなことを言っていましたが。
全く、唯先輩はたまにこういう素直じゃないところがあるんですよね。
ベッドの中とかでもそうだけど……。あ、今のは聞かなかったことにしてくださいね?
46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:46:22.61 ID:V+kigXBP0
そして、私の高校卒業を機に、この1年間はライヴを中心に活動していた放課後ティータイムが、更に本格的な活動に乗り出しました。
きっかけは、唯先輩達の同級生である真鍋和さんが、
生徒会長の経験で培ったリーダーシップと元来の知力を活かし、
大学在学中にインディーズのレコード会社を起業。
その第1弾アーティストとして、放課後ティータイムをレコードデビューさせたいという話を持ってきたことでした。
和「私も唯達の影響で音楽に目覚めてね。楽器は出来ないけど、レーベルの経営なら……って思ったの。
レーベルの名前は『創造(クリエイション)レコード』!
HTTなら、きっと新たな音楽シーンを創造する旗手になれるはずだわ」
創造レコード――まさにHTTに相応しい名前です。
そうしてレコーディング。
唯「必殺! フィードバック!!」
――ギョワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
ああ、この音です……この音。
唯先輩のギー太(トレモロアームを装着する改造済み)から放たれる轟音に身を任せていると、
つくづく自分がこのバンドにいることができる幸せを、
そして、何よりも自分が唯先輩の隣を歩くことのできる唯一無二の存在(つまり恋人ってやつです!)であることの幸せを感じます!
私、ちょっと病気でしょうか……?
47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:50:29.46 ID:V+kigXBP0
ともあれ、レコーディングは順調に推移。
放課後ティータイムとしての1stアルバム
『Houkago Tea Time Isn’t Anything(放課後ティータイムは何者でもない)』
が完成しました。
この意味深なタイトルは唯先輩がつけました。
HTTに対して、シューゲイザーだのサイケデリックロックだのオルタナだの何だのという、
無意味でキリのない空虚なジャンル付けをしたがる世間に対する、唯先輩からの回答でした。
アルバムは評論家筋にも好評、売上もそれなりに上がり、創造レコードの今後の操業資金とするには十分な利益を得ることもできました。
そうして、アルバムリリースに伴うライヴツアー。
放課後ティータイムの、
『最初の10分はただ耳を塞いでいるだけでいっぱいいっぱい、20分すると帰りたくなる、でも30分経つと轟音に身をゆだねて踊りたくなる』
と評された轟音ライヴは、各所で話題となりました。
48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:55:08.26 ID:V+kigXBP0
唯「あずにゃん、今日のライヴも最高だったよ! いいビックマフとワウのコントロールっぷりだったね!」
梓「ほ、本当ですか……!?」
唯「うん! わたしも最高に気持ち良かった~。これだから、あずにゃんのこと、大好き!」
梓「…………ありがとうございます(顔から火が出そう……)」
紬「あらあら♪ 微笑ましいわ~」
律「こっちまで熱くなってくるな~」
澪「それなら律……今夜は私と……いや、なんでもない」
まさに放課後ティータイムの活動は順風満帆でした。
そして、私にとってはあの、最愛の人、唯先輩に認められているという事実が、何よりもうれしかったのです。
でも、そんな幸せな日々は長くは続きませんでした。
49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:58:29.78 ID:V+kigXBP0
年頃の女の子と言うものは、時には身体が疼いて仕方ない夜を過ごすものです。
梓「唯先輩……唯先輩……」
その日、奇しくも発情期であった私は、耐えきれなくなって同じベッドで寝ている唯先輩の肩をゆすりました。
(ちなみに唯先輩と私は1stアルバムの印税で、二人で住むためのマンションを借りました)
いつもなら、
唯『もうあずにゃんったら、仕方ないなぁ~。発情すると止まらないところも猫そっくり♪』
とか言って可愛がってくれるのが常なのですが……。
唯「んー……今日はダメ……」
帰ってきたのは眠そうな返事でした。
唯「今日……1日中……ミキシング……つかれた……」
結論から言ってしまいましょう。
この頃、唯先輩とのすれ違いが激しいのです。
きっかけは、間違いなく2ndアルバムのレコーディングが始まったことでした。
51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:03:49.83 ID:V+kigXBP0
和「1stアルバムも好評だったし、次はもっと期待できるわ!
最近とみに増えてきているHTTのフォロワーのようなバンドとの違いをシーンに見せつけるためにも、次のアルバムが大事よ!」
そんな期待と共に、創造レコードからは多額のアルバム製作費がHTTにあてられました。
これなら今まで以上に機材にもレコーディングにもこだわることができて、すごい作品ができる!
5人のうちの誰もがそう考えたことでしょう。
しかし、現実はそうはいきませんでした。
最初のトラブルは、不動のドラマー、律先輩に起こりました。
律「最近、身体が動かないんだ……」
激しいドラミングが身上だった律先輩は、2ndアルバムのレコーディングという最悪のタイミングで身体を壊してしまいました。
特に脚へのダメージは甚大で、もはや律先輩はロクにバスドラムを踏むことすらできなくなっていたのです。
律先輩は、レコーディングを中断し、入院することになりました。
退院しても、しばらく以前のようなドラミングは難しいそうです。
53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:06:05.24 ID:V+kigXBP0
澪「律が……入院だって……!?」
このことに最も心を痛めたのは澪先輩でした。
もはやこの時期には澪先輩が律先輩に幼馴染の友情を超えた特別な感情を抱いていることは、周知の事実でした。
そして、そんな澪先輩の心のダメージに拍車をかけたのは――
澪「唯……お前は何を考えているんだ!?」
唯先輩が、離脱した律先輩のドラムパートを全てサンプリングで賄うと言いだしたことです。
唯「別にりっちゃんをクビにするわけじゃないよ。前のアルバムのセッションの時のりっちゃんのドラムパートをサンプリングして、編集して2ndの曲に使うんだよ?」
澪「でも……律が叩いていないことに変わりないじゃないか!
律が回復するまでレコーディングは延期するべきだ!」
唯「でも和ちゃんからもらっている製作費にも限りがあるし、
そうそう長い間レコーディングをひきのばすこともできないよ?」
唯先輩の案が苦虫をかみつぶした末の苦肉の策であることは、私もムギ先輩も重々承知していました。
澪「ふざけるな!! それじゃあバンドの意味がないじゃないか!!」
しかし、『バンドとはメンバーの誰一人欠けても成立することはない』が信条であり、
その上、律先輩という大切な人の問題となった時の澪先輩にとって、その提案は承服しかねるものでした。
54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:08:56.01 ID:V+kigXBP0
そうして、澪先輩はだんだんとスタジオから足が遠のくようになっていきました。
唯「仕方ないね。ベースは私が弾いて、ボーカルは私とあずにゃんで分担しようか」
それでも唯先輩はレコーディングを中断することはありませんでした。
この頃からです。
唯先輩が口の悪いレコード会社のスタッフやエンジニアから
『コントロールフリーク』だの『独裁者』だの『神経質』だのの陰口を叩かれるようになったのは――。
しかし、唯先輩には確かにそう思われても仕方ないところはありました。
その① 自分以外の人間に卓のツマミは触らせない。
レコーディングには、何人もの腕利きのサウンドエンジニアが関わりました。
しかし、唯先輩はその誰にも、ミキシング卓のボタンひとつ触ることを許さず、アンプに向けるマイク1本にすら触れることをよしとしなかったのです。
唯「だってこれはわたしたちのアルバムだよ? どうしてわたしたち以外の人に音をいじられなくちゃならないの?
そんなの、私たちの飲むお茶をムギちゃん以外の人が淹れるようなもの……つまり台無しだよ!」
唯先輩の言うことはもっともにも聞こえましたが、異常なほどにこだわっていたのも事実です。
唯「わたしたち以外の人間に、絶対にアルバムの音はいじらせないよ!」
こんなことを言う唯先輩ですか、その実、自分以外の人間……私や他の先輩達にすら、卓を操作する権限は与えられませんでした。
55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:10:46.99 ID:V+kigXBP0
その② ギターの一音にすらこだわる。
とある曲のイントロのギターのワンコードを録音するだけで2週間の時間がかかりました。
私も何度ギターリテイクを出されたか、覚えていられないほどでした。
そして、ミキシングにもこだわり、ボーカルのブレスの聞こえ方ひとつから、
ベースとムギ先輩の弾くシンセサイザーの一音の重なりにまで、何度もリミキシングを重ねました。
思えば唯先輩は高校時代、チューナーなしで4分の1音のチューニングのずれにまで気付いた絶対音感の持ち主です。
唯「うーん、今のところ、わたしが考えていたコードの響きとちょっとちがうかな~。もう一回だね」
口の悪い音楽雑誌の記者は『平沢唯は1曲でギターを200本も重ねるパラノイア』と書き立てました。
56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:13:27.82 ID:V+kigXBP0
その③ とにかく時間がかかる。
前述したサウンドへのこだわり。
これにサンプリングした律先輩のドラムトラックの切り貼りが加わるというのですから、かかる時間は考えたくもありません。
しかも、唯先輩はその全てを一人でこなすわけです!
レコーディングの予定は、当然のことならどんどん後ろにずれ込んでいきました。
そんなある日、創造レコードの社長にして唯先輩の幼馴染である真鍋先輩が、真っ青な顔をしてスタジオにやってきました。
和「唯……ちょっと相談なんだけど」
唯「な~に?」
唯先輩はミキシング卓に向かったまま、振り向きもしません。
和「アルバムのレコーディング……もうちょっと早くならないかしら。
時間がかかり過ぎているせいで、スタジオ代がとんでもないことになっているの。
これじゃ、いずれ創造レコードは倒産してしまうわ」
真鍋先輩の言葉は冗談には聞こえませんでした。
この頃、創造レコードはHTT以外にもいくつかの売れっ子インディーバンドを抱えており、
資金にはそれなりに余裕はあるはずなのにもかかわらず、この発言です。
57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:16:41.77 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃ、こういうこと? 和ちゃんはHTTに中途半端な出来のアルバムを出せっていうの?」
和「そう言うわけじゃないけど……いい加減に出費が……」
唯「だからもうすぐできるって! 何度も言ってるじゃん!
すぐ! もうすぐ! 英語でいえば『Soon』!!」
和「…………」
この唯先輩の剣幕には、さすがの真鍋先輩も閉口してしまいました。
後年、HTTは『アルバム制作に金をかけ過ぎて、レコード会社をひとつ潰しかけたバンド』とのありがたくない異名を頂戴することになりました。
とにかく、毎日がこんな調子――。
以前の軽音部の部室やHTTのスタジオにあったはずの、ほのぼのとして楽しい空気は微塵もありませんでした。
そして、アルバムの制作に没頭する唯先輩は1日の殆どをスタジオで過ごし、
マンションには寝に帰ってくるだけ、(それも3日に1度程度)というありさまでした。
これですれ違いにならない方がおかしいというものです。
梓「今日も帰ってきてくれないんですか……?」
唯「うーん、まだミキシングの出来に納得いかないんだ~」
梓「そんな……。これで1週間も連続で一緒に夜を過ごしていないじゃないですか……」
唯「仕方ないよ。あずにゃんはギター弾いてちょっと歌うだけでいいけど、わたしはそれに加えて、もっといろんな作業をやらなくちゃいけないんだから」
58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:20:37.79 ID:V+kigXBP0
当然、私も理解はしていたつもりでした。
唯先輩は天才だ。音楽の神に選ばれた人だ。そんな唯先輩を私は好きになった。
だから、我慢しなくちゃいけない。
そう何度も自分に言い聞かせてきました。
でも、それももう限界だったのです。
梓「いい加減にしてください!!」
ある日、スタジオで私は唯先輩に対して溜まりに溜まった感情を爆発させてしまいました。
梓「来る日も来る日もスタジオ、スタジオ、ミキシング、ミキシング……唯先輩はちょっとおかしいです!!」
唯「おかしい? どうして? 私たちHTTのアルバムのためだよ?
一生懸命アルバムを作ることの何がおかしいの?」
梓「それが律先輩の身体の……澪先輩の心の……そして私と唯先輩の生活の破綻に繋がっていてもですか!?」
紬「梓ちゃん? 落ち着きましょう、ね?
ほら、座って……紅茶も淹れるから、ゆっくり飲んで、落ち着いて話しましょう、ね?」
すかさずムギ先輩が間に入りますが、私は止まれませんでした。
そうして、私は言ってはいけない一言を言ってしまったのです。
59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:24:07.26 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩は……私とアルバムのどっちが大事なんですか!!??」
その時の、固まった唯先輩の表情を、私は一生忘れることはないでしょう。
やってしまった――と後悔した時にはもう遅かったのです。
唯先輩は戸惑いがちに、ムギ先輩の顔をちらりと見、そしてもう一度私の顔を見ると、
唯「………ごめんね」
とだけ小さくつぶやき、またミキシングの作業に戻りました。
この瞬間、私にとって全てが……終わってしまったのです。
60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:26:51.68 ID:V+kigXBP0
その後、気まずくなった私は当然スタジオに顔を出すこともできませんでした。
私の分のギターパートとボーカルパートのベーシックトラックは全て録り終えた後だったというのが不幸中の幸いと言うほかありません。
そして、最後まで私たちの間に入ってくれたムギ先輩も、とうとうスタジオに顔を見せなくなったとのことでした。
なんでもムギ先輩は真鍋先輩にこう言い残し、スタジオを後にしたと言います。
紬「りっちゃんに澪ちゃん……そして今度は唯ちゃんと梓ちゃん……
あんなに仲の良かった皆の関係がこれ以上壊れていく様を、もう私は見ていられない」
ぐうの音も出ませんでした。
私が荷物をまとめ、唯先輩との愛の巣だったマンションを離れたのもそのすぐ後のことでした。
そうして、長い月日と、膨大な労力と、山のような札束と、そして何よりも取り返しのつかない友情と愛情の喪失を引きかえに
完成した放課後ティータイムの2ndアルバムには、皮肉なまでに象徴的なタイトルが付けられました。
その名も
『らぶれす!(Loveless)』
まさに愛なき世界となってしまった私たちの未来を象徴するようなタイトルでした。
62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:29:22.48 ID:V+kigXBP0
放課後ティータイムの2ndアルバム『らぶれす!』はとてつもない好評をもって世間に迎え入れられました。
しかし、後になると、この『らぶれす!』は『放課後ティータイムの2ndアルバム』ではなく、
『平沢唯のソロアルバム』として受け取られることが多くなりました。
それも当然です。
このアルバムはほぼ唯先輩が一人でつくったものなのですから。
その証拠に、律先輩はただのサンプリング音源のドラムマシーンと化し、アルバムでは1曲も新録を行っていません。
(それでも唯先輩の巧みな編集技術により、アルバムで聴かれるドラム音は生録音と殆ど違わないものでしたが)
澪先輩は、アルバムでは一音もベースを弾いておらず、数曲での作詞とコーラスに僅かに声が残っていただけです。
ムギ先輩が録音したキーボードパートは、最終的に全て唯先輩の演奏に差し替えられました。
私に関しても、数曲でのボーカルとギター演奏で、その痕跡を残したのみです。
そして、最も皮肉なのはそんなアルバムの出来が素晴らしかったことです。
ギターの轟音はこれまで以上に猛威を増し、その間隙を流れるように漂うボーカルもこの世のものとは思えない天上の美しさを讃えていました。
『らぶれす!』アルバムは世紀の名盤として、音楽史に名を刻み、後世に影響を与え続ける存在となったのです。
63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:32:13.68 ID:V+kigXBP0
この後、あれだけのすれ違い、仲違いがあったにもかかわらず、
放課後ティータイムは『らぶれす!』のリリースに伴うライヴツアーに出ました。
(この頃には律先輩も一応のドラミングはできるまでに回復していました)
商業上、契約上の理由で仕方なく行ったものとはいえ、ツアーは当然ながらつらいものとなりました。
楽屋でも移動のバスの中でも、当然ながらまともな会話はなし。
唯「………」
澪「………」
律「……しゃれこうべ」
紬「………」
梓「………」
空気を変えようとした律先輩必殺の一発ギャグもまったく効果はありませんでした。
バンド全体としての雰囲気も悪かったけれど、私と唯先輩の間にはそれ以上に気まずい空気が流れていました。
以前はあれだけ頻繁にされていた唯先輩からのスキンシップも、二人の間でのちょっとした会話ですらも皆無。
互いが互いを空気であるかのように認識していました。
もっとも私は無理やりにでもそう思わなければ、心がバラバラになってしまいそうなくらいつらかったからなのですが。
64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:33:47.62 ID:V+kigXBP0
しかし、皮肉だったのはそんなバンドの雰囲気の悪さにも関わらず、
肝心のライヴ演奏に関しては、HTTのキャリア内でも最高の状態にあったことです。
唯「え~、それじゃ次は『ふわふわ時間』」
客「ウオーッ!!」
ふわふわ時間での長尺ノイズパートはもはやHTTライヴの風物詩となり、
多くの観客が轟音の波に身を委ね、気持ちよさそうに陶酔していました。
海外でのライヴを行うこともできました。
しかし、頂点に達したこの轟音は同時に、HTTというバンドの断末魔の叫びでもあったのです。
ツアーの終了と同時に、創造レコードとHTTの契約期間が終了しました。
レーベルには、契約更新の意思はなかったようです。
和「唯は個人的には友達だけど、あのアルバムのことについてはもう思い出したくないわ」
真鍋先輩にとっても、『らぶれす!』は苦い思い出になってしまったようで、
そのことがHTTとの契約終了の遠因になったことは間違いなさそうです。
その後、HTTはとあるメジャーレコード会社と新たに契約を結び、バンドは莫大な契約金を手にしました。
誰もが、メジャーでの『らぶれす!』に続くHTTのアルバムを期待していました。
しかし、それはとうとうリリースされることはなかったのです。
67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:00:04.10 ID:V+kigXBP0
そんなある日、私の携帯に澪先輩から一本の電話が入りました。
澪『やぁ梓、久しぶりだな』
梓「こちらこそ。久しぶりです。どうしたんですか一体?」
澪『どうしたもこうしたもないよ。私たちのバンドの今度のライヴにギターで参加して欲しくてさ』
梓「ストライプスのライヴに……ですか」
澪先輩の今やっているバンドは『アクアブルー・ストライプス』。
自身が高校1年生の時の学園祭ライヴで観客に晒したパンツの色から名前をとったという、曰くつきのバンドです。
澪『律もさ、久しぶりに梓に会いたいって言ってるよ』
アクアブルー・ストライプスは、ベースボーカルの澪先輩とドラムスの律先輩の2人編成という、ギターレスの画期的なバンドでした。
ちなみに澪先輩と律先輩は晴れて結ばれ、ストライプスも今では世間も公認の夫婦バンドになっているそうです。
梓「ちょっとだけ、考えさせて下さい――」
澪『何言ってるんだよ。最近じゃ殆ど音楽活動もせずに喫茶店の店番して過ごしているんだろう?
悪い誘いじゃないと思うし、このままだと梓まで唯みたいに……』
梓「唯先輩ですか……」
澪『あ……悪い……思い出させちゃったな』
梓「いえ、いいんです。参加の件、とりあえず前向きに考えてみます」
69 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:04:34.38 ID:V+kigXBP0
『らぶれす!』アルバムに伴うツアーの終了とともに、放課後ティータイムは無期限の活動休止状態となりました。
誰が言い出したわけでもない、自然な流れでした。
その後、世間においても、次々に新たなガールズ・バンドが登場し、一時はHTT一色だった音楽シーンの様相も大分変わりました。
モデル並の美貌を誇るボーカル、デーモン・アルバー子、率いるポップなロックバンド『ブラブラー』、
いまどき珍しいムギ先輩も驚くほどのゲジ眉と、しょっちゅうのように起こす喧嘩が自慢の
乃絵瑠(のえる)&莉亜夢(りあむ)姉妹が率いる王道ロックバンド『オアシズ』、
ボーカルのトム・ヨーコはじめ、メンバー全員が名門大学卒業というインテリジェンスが自慢のギターロックバンド『ラジオ頭』、
これらのバンドの台頭により、HTTが音楽シーンで確立していたはずの地位は、徐々に相対的に下がっていきました。
しかし、一方ではHTTのメンバー達も休止期間を新たな音楽活動に充てていました。
先述した澪先輩と律先輩の夫婦ユニット『アクアブルー・ストライプス』は、
HTTとは180度違うまっすぐなサウンドを売りにし、ライヴツアーを連日ソールドアウトさせるほどの人気を誇っていました。
一方、HTT末期での苦い経験から、バンド活動からは離れたムギ先輩は、
シンセサイザーの演奏を通じて得た電子音楽の素養を活かし、個人で多数の名義を使い分けるテクノミュージシャンとして活躍していました。
ムギカル・シスターズ、タクアン・ワールド、ダフト・マユゲ等々……
世の第一線を走るテクノミュージシャンの正体が全てムギ先輩だと知る人間は、世間にもそうはいないはずです。
まさにミュージシャン個人の匿名性が高いテクノというジャンルだからこそできる芸当です。
70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:05:53.39 ID:V+kigXBP0
そして私はといえば……
HTT休止初期こそ様々なバンドのセッションにギター1本で参加し、小銭を稼いでいたのですが、それもすぐに嫌になってしまったのです。
プロデューサー「梓ちゃんさぁ、HTTばりの轟音ギターもいいけど、ちょっと食傷気味だよ。たまにはもうちょっとテクニカルなのも弾いてくれないと」
梓「は、はい……」
そんなことを言われ、唯先輩から授かった轟音スタイルのプレイを捨てることもありました。
そして何よりも致命的だったのは、私の傍らに横たわるどうしようもない空白に堪えることができず、
音楽を演奏することをちっとも楽しめなくなったことでした。
その空白とは――すなわち唯先輩のことです。
認めざるを得ません。
私は唯先輩に未練がある。
そうして、私は唯先輩の幻影を感じざるを得ない音楽活動から足を洗い、
軽音部時代にムギ先輩から学んだお茶の知識を活かし、小さな喫茶店を営む毎日を過ごしていました。
71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:10:12.09 ID:V+kigXBP0
そして、唯先輩はといえば……
唯「メジャーに移籍して、今度はお金の問題もないよ。これなら、次はもっと凄いアルバムができるね!」
HTT休止寸前に、そんなことを言っていたといいます。
しかし、その後私たち4人にレコーディングの連絡が来ることもありませんでしたし、
『らぶれす!』のように唯先輩が一人でレコーディングをしているという話も聞きませんでした。
こうして完全なる活動凍結状態――。
つまりは、HTTが『活動休止』と呼ばれる所以の殆どは唯先輩によるものなのです。
一度、3rdアルバム用のデモテープをレコーディングしているとの噂が流れましたが、その後の音沙汰はありません。
また一度、HTTの1stアルバムである『Houkago Tea Time Isn't Anything』と『らぶれす!』、
そして何枚かリリースしたシングル音源等のリマスター作業を行っているとの噂がありましたが、やはりその後の音沙汰はありません。
たまに他のバンドの楽曲のリミックスやソロ名義での映画への楽曲の提供などでその名を見ることはできたものの、
原則HTTの活動に関して、唯先輩は何ら具体的な活動を起こすことはありませんでした。
いつしか、何の動きも起こさない唯先輩は『怠け者』、『CD出す出す詐欺』、果ては『音楽界のニート平沢唯』との異名で呼ばれるようになりました。
今では、HTTのメンバーも、レコード会社の人間も、音楽雑誌の記者も、唯先輩がどこで何をしているか、誰も知りません。
こうして音楽界のニートの新たな伝説がひとつ、またひとつと増えていくのです。
72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:13:32.44 ID:V+kigXBP0
律「いやー、今日のライヴも最高だったよ。特に澪のボーカルの調子が良かったな!」
澪「そ、そうか? でも律のドラミングもなかなかよかったぞ……なんて……(恥ずかしい)」
梓「あのー……楽屋でいちゃつくのは止めてもらえませんかね……」
律澪「べ、別にいちゃついてなんか……!!」
結局、私は二人の熱意に負ける形で、アクアブルー・ストライプスのライヴツアーにギタリストとして参加しました。
相思相愛の澪先輩と律先輩に目の前でいちゃつかれるのは何とも微妙な感じですが、この際気にしないこととします……。
すると、急に真面目な顔になった律先輩がこんな提案をしてきました。
律「なぁ梓、正式にストライプスに加入する気はないか?」
梓「えっ、私がですか?」
そして、さらに衝撃的な事実が澪先輩から語られます。
澪「実はな、梓にいい返事をもらえれば、ムギも誘おうと思ってるんだ」
梓「!!」
それはつまり――殆どHTTメンバーの再結集に等しいことでした。
しかし、私はどうしても『そこ』に触れないわけには行きません。
73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:17:56.57 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩は……どうするんですか?」
律澪「…………」
二人はともに黙り込んでしまいました。
それでも沈黙の裏にある言葉は読み取れました。
つまり、唯先輩にとって、5人編成のHTTはもう終わっているのです。
その証拠に、バンドの最高傑作である『らぶれす!』を、あの人はほぼ一人で創り上げ、その後の音沙汰はない。
しかも、今の『音楽界のニート』たる唯先輩に、具体的な音楽活動を期待することなど、まさに非現実的。
梓「やっぱり、少し考えさせて下さい」
それでも私は自信がありませんでした。
短期間のライヴツアーならまだしも、唯先輩が隣にいないにもかかわらず、継続的なバンド活動などできるのか?
そんな不安の方が、まだ圧倒的に大きかったのです。
その少し後のことでした。
ストライプスの取材にやってきた音楽雑誌の記者から、私は驚くべき情報を聞くことになりました。
なんと、長い間沈黙を続けていた唯先輩が、『プライマル・アイスクリーム』という、
人気ガールズロックバンドの新ギタリストとして加入することが決定したというのです。
75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:21:30.46 ID:V+kigXBP0
このニュース、動揺するなと言う方が無理です。
澪「そんな……あの唯が今更になって新しいバンドだって?」
澪先輩が驚くのも無理はありません。
律「つまり……HTTはやっぱり唯の中ではもう終わっているってことか……」
律先輩の言葉は、特に重く私の心に響きました。
それでも、私は信じたくなかったのです。
だからこそ、あの人の真意が知りたかった。
ちょうどその時、『プライマル・アイスクリーム』のメンバーとなった唯先輩の、
幾年ぶりかのインタビュー記事がその音楽雑誌に掲載されるとの噂を聞きつけ、私は書店へ走りました。
澪「梓、悪いことは言わない。記事を読むのは止めたほうが……」
律「世の中には知らなくていいこともあると思うんだ……」
唯先輩と私の過去の関係を知る澪先輩と律先輩のそんな言葉も、私のことを思ってのものであることは理解していました。
それでも私は……諦められない。
そうして、私は恐る恐るページをめくりました。
76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:23:04.24 ID:V+kigXBP0
―本当に久しぶりですね(笑)
唯「そうだね! 雑誌のインタビューなんて何年ぶりだろ~」
―先ずは今回のプライマル・アイスクリームへの電撃加入のいきさつを教えていただければ。
唯「私も長いこと引き篭もってたから、いい加減憂に怒られちゃって。『お姉ちゃん、いい加減にしないと本当にニートになっちゃうよ?』って」
―HTTの印税収入があるじゃないですか。『らぶれす!』は今でも売れ続けているアルバムですよね?
唯「そうだけど、とりあえずは人前に出ることからはじめようと思って。
そうしたらちょうどプライマルがツアーに帯同するギタリストを探しているって話を聞いて、連絡を取ったんだよ~」
―と、いうことはもしかするとプライマルには正式加入したわけではない?
唯「そうだね。とりあえずツアーには参加するけど、その後のことは決まってないよ」
―そうだったんですか。てっきり正式加入されたものかと思っていました。
唯「プライマルと私じゃ、音楽性がちょっと違うし、それにプライマルのメンバーは1度や2度ならまだしも毎晩毎晩私の弾くギー太の轟音を聴いていたら耐えられないと思うよ~」
―(笑) しかし、それならばどうしても聞かなくてはいけないことがありますね。
唯「ああ、やっぱり? そう来ると思ってたんだ~」
77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:25:54.55 ID:V+kigXBP0
―単刀直入に聞きます。放課後ティータイムの次のアルバムはいつ出るんですか?
唯「う~ん、いろいろアイデアはあるんだよ。今度はドラムンベースに轟音ギターを乗せてみようとか、
ダンスミュージックっぽいのをやってみようとか、それでデモテープを作ったりはするんだけど、
ほら、わたしって、すごく凝る人だし――」
―『コントロールフリーク平沢唯』ですか。
唯「そうそう(笑) だからいつも時間ばかりむだにかかっちゃって、
気付いたころにはそんな新しいアイデア自体が古くなっちゃってるっていう繰り返し」
―メンバーとは連絡は取り合っているんですか?
最近では秋山澪と田井中律のアクアブルー・ストライプスに中野梓が加入するなんて話もありましたし、
琴吹紬も実はムギカル・シスターズ名義で活動しているという噂がありますよね。
唯「みんなとは連絡は取っていない、というより、取れないんだ」
―それはかの名盤『らぶれす!』のレコーディング中にメンバー間の不和が表面化したから?
それが現在までのHTTの活動休止の原因だなんて言われていますよね?
唯「不和……というか……私がいけないんだけどね。とにかく、あの『らぶれす!』アルバムは素晴らしい出来だったけど、
そのかわりに犠牲にしたものが多すぎたんだ。今思えばわたしも若かったんだね……」
―『らぶれす!』は殆ど貴方独りで作ったもので、HTT名義と言えども実質は『平沢唯のソロアルバム』なんていう評価も今ではされていますよね。
唯「どうしてそういう風に言われるか、わたしにはわからないよ。
たしかにあのアルバムでの殆どの楽器をわたしは演奏したし、ミックスもマスタリングも殆ど全部一人でやったけど」
78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:27:56.09 ID:V+kigXBP0
―やっぱり、ソロアルバムじゃないですか。
唯「でも曲の殆どの歌詞は澪ちゃんが書いたやつだし、ムギちゃんやりっちゃんが書いた曲だってあったんだよ?
それにあのアルバムの大元のコンセプトは、あずにゃんに影響されて出来たんだから」
―そ、そうだったんですか……。
しかし、それだけの傑作が現時点でHTTのラストアルバムになってしまっているわけですが……やはりHTTはもう終わってしまったのでしょうか。
唯「終わってないよ!」
―え!?
唯「HTTは終わってないよ! HTTが終わったかどうかを決めることができるのは私たちだけだし、勝手に外野に決められたくないよ!」
―す、すいません……。しかし、HTTが終わっていないということは、活動を再開する可能性もあると?
唯「当然だよ。今はまだその時期じゃないかもしれないけど、いつか絶対にHTTは戻ってくるよ! それももうすぐ……もうすぐだよ! 英語でいえばSoon!」
―それでは、HTTの新たな音が届けられる日を、我々は待っていてもいいんですね?
唯「そういうこと!」
―今日はどうもありがとうございました。プライマルでのギタープレイも楽しみにしています。
唯「おーでぃえんすの鼓膜を突き破るくらいでっかい音でギー太を弾くから、楽しみにしててね!」
80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:29:45.99 ID:V+kigXBP0
律「……どうだった?」
ページを閉じ、静かに雑誌を置いた私を気遣うように律先輩は恐る恐る声をかけてくれました。
澪先輩も心配そうな様子で私を気にしています。
しかし、私はそんな二人の様子も気にならなくなるほど……泣いていました。
梓「唯先輩が……まだ……終わってないって……」
澪「なんだ? 何が終わってないって?」
梓「放課後ティータイムが……まだ終わってないって……」
律「ほ、本当か!?」
涙が止まりません。
胸の奥から熱い感情がこみあげてきて溜まりません。
泣くなと言う方が無理です。
唯先輩は断言してくれた。
まだ放課後ティータイムは終わっていないって。
83 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:00:06.88 ID:xHcEhq6P0
さるやっと解けた……。
梓「唯先輩に……会いたいです……」
澪「梓……お前……」
梓「会いたい……会いたいよ……唯先輩に会いたいよぅ……」
そこから先はもはや言葉になりませんでした。
結局、私はあの人から離れられない。
新入生歓迎会で初めて、唯先輩の演奏を見て憧れたその日から、何も変わってなんかいなかったんです。
84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:02:13.41 ID:xHcEhq6P0
その後、私は正式にアクアブルー・ストライプスへの加入を断りました。
しかし、澪先輩も律先輩も私のその決断を咎めることはなく、寧ろ、
澪「梓の気持ちは私もよくわかるんだ」
律「そうだなっ! 私もいい加減唯の弾く轟音ギターが恋しくなってきたところだったんだ」
放課後ティータイム再始動への意欲を見せてくれたのです。
しかし、唯先輩が動き出さない限り、HTTの再始動はあり得ません。
そして、それがどれだけ難しいことかも、3人とも理解していたのです。
そんな時、久しぶりに私たちのもとにムギ先輩からの連絡が入りました。
紬『そういうことなら任せて! 実はね、私今度のサマーソニックにマユゲ・パンク名義で出ることになったんだけど、ちょうど同じステージのトリでプライマル・アイスクリームが出演するのよ~』
梓「そ、それじゃあ……!」
紬『ええ。唯ちゃんと何とか会って、HTTの今後について具体的な話をしてみるわ』
ムギ先輩の提案は渡りに船でした。しかし、一方で葛藤もあります。
梓「でも……いいんですか? ムギ先輩はもうバンドは……」
紬『いいのよ。何よりも大事なのは梓ちゃんの気持ちだもの』
梓「……っ!」
86 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:04:08.58 ID:xHcEhq6P0
紬『まだ好きなんでしょ? 唯ちゃんのこと』
梓「……はい」
紬『だとしたら元々私には協力する以外の選択肢がないわ♪(ニヤニヤ)』
ああ、やっぱりこの人にはこの手のことで隠しごとができないな……。
そして数カ月後――。
紬「唯ちゃんは前向きに考えているみたいだったわ。ただし、当然今参加しているプライマルのツアーが終わってからになるみたいだけど」
律「ほ、本当か!?」
澪「そ、それじゃ……!」
紬「ええ。まずはライヴ活動からになると思うけど、皆が良ければ放課後ティータイムを再始動させたいって」
ムギ先輩の報告は、まさに私が待ち望んだものであった。
紬「梓ちゃん、よかったわね」
しかし、私の中にはまだ迷いがあった。
あの雑誌記事のインタビューを読む限り、HTTは唯先輩の中では終わっていなかった。
だとすれば、HTTを終わらせようとしてしまったのは唯先輩でなく、あの日感情に任せてレコーディングスタジオを、そしてマンションを飛び出して行ってしまった私だ。
87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:06:31.02 ID:xHcEhq6P0
梓「唯先輩は……私を許してくれるでしょうか」
紬「どうして許される必要があるの? 梓ちゃんは何も悪いことをしていないじゃない」
梓「いえ……結局、唯先輩を信じられなかったのは私なんです……」
一抹の不安を抱えたまま、放課後ティータイムは再始動に乗り出しました。
再始動の舞台は、苗場でのフジ・ロック・フェスティバル大トリのステージに決まりました。
何とも皮肉な巡り合せです。
フジロックは唯先輩と私の気持ちが初めて通じ合った場所なんですから。
リハーサルが始まると、あの『音楽界のニート』だったはずの唯先輩は一度も遅刻することなくスタジオに現れ、演奏に加わったといいます。
『いいます』というのは……私がそこにいなかったから。
私は唯先輩の前に立つことにまだ戸惑いがあり、結局リハーサルでは一度も唯先輩と顔を合わすことができませんでした。
そうして、放課後ティータイムは結局、5人でのリハーサルは一度もすることなく、再始動のステージ本番を迎えることとなりました。
88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:09:08.39 ID:xHcEhq6P0
梓「唯先輩にどうしても聞きたいことがあります!」
唯「ふぁに? ふぁずにゃん?(なぁに? あずにゃん?)」
私の問いかけに、唯先輩はお茶受けのお菓子を口いっぱいに含んだまま応えました。
梓「どうやったら唯先輩のようなギターが弾けますか?」
唯「それ、前も聞いたよね」
梓「はい。だけどあえてもう一度聞くんです。唯先輩達に借りたCDも聴きこんで……とても参考になりました。
機材もエフェクターも揃えましたし、毎日練習もしています。でも……それでもまだ私は唯先輩のようなギターが弾けない……」
唯「あずにゃんは考えすぎなんだよ」
梓「考え過ぎですか……?」
唯「わたしたちがやってるのは音楽だよ? だからもっと楽しくやらなきゃ!」
梓「楽しくやれば……唯先輩のようなギターが弾けますか?」
唯「うん! それにわたしはあずにゃんと一緒にギターを弾くの、楽しいよ?」
89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:11:46.74 ID:xHcEhq6P0
梓「ほ、本当ですか!?」
唯「ほんとうだよ! だからね、もうあずにゃんは別にわたしになる必要はなくて……うまく言えないけど、
一緒に演奏していて、『楽しい!』って思える時点で、あずにゃんはもうHTTになくてはならない存在なんだよ?」
梓「唯先輩……」
唯「それにお世辞でもわたしのようになりたいなんていってくれて、嬉しかったな~。
だって、わたし、昔から何やってもダメダメで、人にそんな風に誉められたことなんてなかったから~」
梓「ふふふ、確かに普段の唯先輩は少し怠けすぎかもしれませんね」
唯「そうだよね~……このままじゃ将来は本当にニート……? う~、考えたくないよ~」
梓「大丈夫ですよ。HTTがありますから」
唯「ほんと? HTTで武道館、目指せるかな~?」
梓「はい!」
90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:13:56.99 ID:xHcEhq6P0
出番を待つ舞台裏で、私は不意に昔の……高校時代のことを思い出していました。
私にとって唯先輩はずっと憧れのギタリストで……それがいつかは最愛の人になっていた。
その過去は今更変えられないし、微塵の後悔もしていない。
唯「最初の曲はどうしようかな~……」
澪「おいおい、まだ決めてなかったのかよ……」
律「相変わらずだな~」
紬「とりあえず唯ちゃんの一番よく覚えている曲から、始めてみたらどうかしら?」
唯「う~ん、それじゃあ『ホッチキス』か『カレーのちライス』か……」
さっきから私はメンバー同士の会話にも入れず、唯先輩の顔も見れずにいます。
口の中はカラカラと乾いて、心臓はドキドキと波打って今にも飛び出しそう・・・・・・。
しかし、いつまでもこのままではいられません。
私は……今日自分の想いに決着をつける!
92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:15:51.74 ID:xHcEhq6P0
ステージに上がると、真っ暗な夜の野外だというのに鮮明にわかるほど、大勢の観客がスキー場のゲレンデを埋め尽くしているのがわかりました。
唯「え~、久しぶりです。放課後ティータイムで~す」
唯先輩の気の抜ける相変わらずなMCに観客が沸きます。
唯「わたし平沢唯、ここ最近ずーっと引き篭もっていたせいで『ニート』だの『お菓子の食い過ぎで太りまくった』だの『池沼』だの色々言われましたけど、どっこい! こうして生きてます! それじゃいきます! 1曲目――」
そうして演奏が始まった瞬間、私はギターを弾くのを忘れ、その場に立ちつくしてしまいました。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!
グワワワワワワワワワワワワワワワワ!!!!!!!!!!!!!!
耳を劈く轟音が唯先輩の弾くギー太から放たれています。
あの頃と何も変わっていない、それどころかパワーアップすらしている……平沢唯のギターでした。
私は既に泣いていました。
やっぱり唯先輩は――何も変わってなんかいなかった。
私も負けていられないと、ビッグマフのスイッチととワウペダルを思い切り踏み込み、ムスタングの弦を掻き毟りました。
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!!!!!!
真夏の苗場に、二本のギターの轟音がどこまでも響き渡ります。
それからあとは、まるで夢の中にいるような感覚でした。
93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:20:38.36 ID:xHcEhq6P0
そして、
唯「次で最後の曲です! でもきっとまた帰ってくるよ~、『ふわふわ時間』!!」
あの曲が始まりました。
――君を見てるといつもハートドキドキ ゆれる想いはマシュマロみたいにふわふわ♪
律先輩が疾走するドラミングで、澪先輩はブリブリに歪んでドライヴするベースとコーラスで、ムギ先輩が幽玄なキーボードで、演奏を盛りたてます。
――AH 神様 どうして 好きになるほど Dream Night 切ないの♪
そして、あのパートがやってきます。
――とっておきのくまちゃん 出したし 今夜は大丈夫かな?♪
ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!!!!!!!!!
間奏のノイズパート、今までのどの演奏よりもラウドに、そして美しくなり響いた二本のギターの咆哮の最中、私は期せずして唯先輩と目があいました。
唯「(ニコッ)」
唯先輩は確かに笑いました。笑ったんです!
そして、史上最長40分に渡ったノイズパートの間、轟音に陶酔していたのは観客だけでなく、
ステージ上で一心不乱に弦を掻き毟り続ける二人のギタリストもまた、この轟音の中で果てない夢を見ていたのです。
95 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:23:37.70 ID:xHcEhq6P0
終演後――私は唯先輩を楽屋裏に呼びだしました。
梓「言いたいことはいっぱいあるんです――」
梓「この○年間ずっと何してたんですかとか、ダラダラニートばっかりしてちゃダメですとか、早くアルバムのリマスター盤出せよとか、早くニューアルバム出せよとか、でも今日のライヴは最高でしたねとか……」
梓「でも、一番大事なことを、そう言えば私は自分から一度も言ったことがなかったな、と思って」
梓「だから何よりもまず、それを言います」
梓「私、唯先輩のこと、大好きです」
梓「おそらく初めて会った時からずっと……そして会えなかった時もずっと……そしてこれからもずっと」
梓「唯先輩のことが大好きです」
すると唯先輩は、にっこり笑って、私の頭を撫でました。
唯「あずにゃんの気持ち、全部知ってるよ」
唯「寂しい思いをさせてごめんね」
唯「これからも寂しい思いをさせちゃうかもしれない」
唯「でもこれだけは言えるよ」
唯「私もあずにゃんのことが大好き!」
この瞬間、あの名盤『らぶれす!』の完成を境に止まっていた私たちの時間が、再び動き出しました。
100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:00:21.49 ID:xHcEhq6P0
またさる食らってた……。
(エピローグ)
梓「唯先輩! いい加減に毎日食っちゃ寝食っちゃ寝してないで、新しいアルバム用のデモテープ渡さないと! 真鍋先輩怒ってましたよ!?」
唯「いいんだよ~。和ちゃんは私のことよくわかってくれてるし、あともうちょっと待ってって言っておけば」
梓「ダメですよ! せっかく真鍋先輩が創造レコードと再契約させてくれたんですから、今度こそ期待を裏切らないようにしないと……」
唯「ん~、わかったよ~」
あれから、私はまた唯先輩と暮らし始めました。
しかし、最近になってわかったことがあります。
唯先輩の仕事に時間がかかるのは、コントロールフリークだからでも、こだわりすぎだからでもなく、ただ単に唯先輩が怠け者だからということです。
いや、そんなこと、高校時代から気付いていることですよね(笑)
101 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:01:57.39 ID:xHcEhq6P0
梓「1stアルバムと『らぶれす!』のリマスターCDも出すって断言しちゃったのに、ちっとも作業進んでないじゃないですか!
これじゃまた2ちゃんのHTTスレに『平沢唯がニートに再就職www』とか『平沢早くCD出せや』とか
『また出す出す詐欺か』とか『YOSHIKIとどっちが先にCD出すか賭けようぜ』とか書かれますよ?」
唯「う~、あずにゃんのいじわる~……」
でも、昔と違うのは、唯先輩の隣には私がいること。
梓「ほら、私も手伝いますから。アルバム用のデモテープ、早く作りましょう。
曲の原案はもうできてるんだし、澪先輩も律先輩もムギ先輩も首を長くして待っていますよ?」
唯「……うん。そうだね、あずにゃんと一緒なら、面倒くさいデモテープ作りも楽しいかも!」
ただ、いい加減に無自覚で恥ずかしい台詞を言うのは止めて欲しいものです。
梓「そうですね。私も楽しいです」
でも、もう認めちゃいます。
この人には、一生かかっても叶いそうにありません。
そんなことを考えながら、私は今日もムスタングでかき鳴らす轟音の中で、小さく『唯先輩、大好きです』と囁いてみるのです。
(おわり)
104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:06:03.66 ID:xHcEhq6P0
終わりです。
HTTのモデルとなったバンド→My Bloody Valentine
唯のモデル→ケヴィン・シールズ(同バンドのリーダー)
梓のモデル→ビリンダ・ブッチャー(同バンドのギタリスト&ボーカル、ケヴィンの妻)
その他モデルとなった固有名詞色々。
でした。
GW中に読んだ、同バンドのアルバム『Loveless』にまつわるヒストリー本と
昔ロキノンで連載してたシューゲイザーの主人公が青春パンクに立ち向かうというカオスな漫画、
なんかからモロに影響をされています。
百合を書くのは難しいですね。
なにはともあれ遅くまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
そして、とりあえずケヴィン、早くCD出せや!!!
107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:10:18.35 ID:fuhtaAFV0
乙
元ネタ知らないけど相変わらず楽しめたよ
4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:16:55.74 ID:V+kigXBP0
『続いては軽音楽部によるバンド演奏です』
ところが生徒会のナレーションがそう告げると、私は思わず舞台にくぎ付けになってしまいました。
純粋にバンド演奏に興味があったからです。
何を隠そう私も小さい頃からジャズミュージシャンだった父親の影響で、ギターを嗜んでいたからです。
これでも『ちびっ子ジョン・マクラフリン』なんて言われて、地元では有名なギタリストだったんですよ?
まぁ、ちびっ子っていうのは余計なんですけど。
おっと、話がそれました。
舞台の上にはいつのまにか、4人の女子生徒が現れて、それぞれの持ち場についていました。
ギター、ベース、キーボード、ドラムという楽器編成から見るに、どうやら一応はロックバンドのようです。
憂「わぁ~……すごい……お姉ちゃんボーカルなんだ」
私の隣にいる女の子(確か同じクラスの平沢さんだったっけ?)が、感激の混じった溜息を漏らしています。
どうやらギターボーカルのあの先輩は、この平沢さんのお姉さんのようです。
よく見るとあの人は本物のギブソン・レスポールを抱えています。
普通に買えば30万円は下らない代物です。とても高校生の女子が持つギターとは思えません。
6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:18:17.29 ID:V+kigXBP0
でもどんなに楽器が良くても、演奏が良くなければ意味はありません。
見たところ、ベースボーカルのあの先輩なんかは凛々しい雰囲気ですが、
ドラムの先輩やギターのあの先輩もいかにもミーハーな感じですし、
どうせこれから演奏する曲もJ-POP(笑)かなんかのコピーなんでしょう。
正直私は見下していました。期待するほどでもないと、甘く見ていました。
どんな演奏をするのか、いっちょ値踏みしてやろうと、そんな視線で見ていたのです。
そんなことだから、見落としていたのです。
その軽音部バンドを囲んでいるのが、山のようなマーシャルアンプの壁であることを。
ギターボーカルの先輩の足元には、これ見よがしにたくさんのエフェクターが置いてあったことを。
唯「それじゃ、演奏しま~す。『私の恋はホッチキス』」
ゆるゆるとした気の抜けるギターボーカルの先輩のMC。
いかにもこれから繰り広げられる演奏の質を物語っている感じがして、私は軽く失笑すら漏らしてしまいました。
8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:20:17.53 ID:V+kigXBP0
しかし、次の瞬間――。
梓「……え?」
――ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
一瞬、私は体育館の屋根が崩れてきたのかと思ってしまいました。
しかし、それがギターの轟音による震動だと気付くのに、そんなに時間はかかりませんでした。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガ……ゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!
掻き毟られる六本の弦から捻りだされる悲鳴のような轟音――。
あまりに衝撃的な、ギターによる音の洪水、洪水、洪水――。
とにかくおっきい音――。
耳を劈くようなその轟音に、見れば周囲の新入生たちは皆こぞって耳をふさぎ出していました。
こんな音の洪水、私も初めての経験でした。
9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:22:05.87 ID:V+kigXBP0
轟音に負けず、ステージに目を凝らしてみます。
演奏の方、技術的な観点から見れば、お世辞にも素晴らしいとは言えませんでした。
手数は多いものの、せわしなく、走っているようにも聴こえるドラムス。
音を歪ませ過ぎで何を弾いているのかよくわからないベース。
延々と不穏なムードの不協和音(コード)を奏でるキーボード。
そしてひたすらに轟音を放出し続けるギター。
それぞれのパートの演奏はあまりにお粗末でしたが、それらが合わさった瞬間、ただのノイズが極上のハーモニーに変わったんです!
そして、
――きらきら ひかる なやみごとも ぐちゃぐちゃ へたる なやみごとも♪
――そうだ ホッチキスで とじちゃおう♪
ギターノイズの間隙を漂うように囁かれる不安定なボーカル。
辛うじて聞きとれた歌詞は、何とも力の抜ける内容で。
11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:23:44.13 ID:V+kigXBP0
技術的に見れば全然ダメな演奏なのに……
それでもどうしてこんなに心が惹かれるんだろう……っ!!
憂「ぐへへ……お姉ちゃんのフィードバックノイズ……すてき……」
ふと隣を見ると、平沢さんがヨダレを垂らして光悦の表情で、ギターノイズの洪水に浸っていました。
頭の中がとろとろに溶けて、完全にイッちゃってる人の目をしています。
確かに……聴いていると徐々に頭の中がとろとろに溶けるような感覚が……。
この演奏を聴いて、私は何としてでも軽音部に入ると決めました。
――ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
そして、舞台の上でじっと自分の靴を見ながら、ギターを弾き、ノイズに自らの身を漂わせるように佇み、
そして偶に思い出すように歌っている、あの平沢先輩のようになりたいと、心からそう思いました。
あのギターノイズを生成に加担するギタリストの一人になりたい。
そう、心から思ったのです。
13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:25:25.95 ID:V+kigXBP0
数日後――。
友人「ねぇ、梓……本当に軽音部にいくの?」
梓「うん、もう決めたんだ」
友人「軽音部って……この前の新入生歓迎会で出てた、あのすごくうるさい音楽を演奏する人たちでしょ?
あの人たち、評判悪いみたいだよ?
この前の演奏を聞いて、鼓膜が破れちゃった新入生の子もいたみたいだし……」
友人の忠告も気にせず、私は迷うことなく軽音部の門を叩きました。
律「うそっ!? 新入部員!?」
澪「まさか私たちの部に入ってくれる人がいるなんて……」
紬「歓迎するわ~」
唯「ちっちゃくてかわいい子だね~」
思いのほか、私は歓迎されたようです。
なんでも必死の勧誘を行ったにもかかわらず、これまで一人の入部希望者も来てくれなかったとか。
新入生歓迎会であれだけの衝撃的な演奏をしてしまったのですから、それも当然ですよね。
15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:27:04.87 ID:V+kigXBP0
紬「梓ちゃんはギターが弾けるのね~」
梓「はい。一応、小学生のころからやっていました」
唯「それならこれからは私が教えてあげるよ!」
澪「お、早速先輩風吹かせてるな?」
律「まー、そしたらとりあえず試しに何か弾いて見せてよ」
律先輩のその言葉は、私にとって待ち望んだものでした。
これまでに培ったギターの技術をここで見せれば、私もあのバンドの一員になれる!
そう思った私は、愛機のフェンダー・ムスタングを取り出すと、これでもかと弾きまくりました。
梓「……ど、どうでしたか?」
律「うん、巧いな」
澪「確かに巧いね」
紬「高校1年生でそれだけ弾ける子ってなかなかいないと思うわ」
梓「(……にんまり)」
16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:29:29.70 ID:V+kigXBP0
良い反応です。
思わず笑みがこぼれそうになりました。
しかし、
唯「うん、巧いけど……『巧いだけ』だね」
唯先輩のその言葉が、私の抱えている弱点をズバリそのもの言い当てて見せたのです。
律「ちょ……唯! おまえせっかくの新入部員になんてことを……!」
梓「いいんです。わかっていたことですから。私のギターは小手先の技術ばかりだということは……。
それをわかった上であえて唯先輩に聞きたいのですが……」
唯「ん~? なぁに~?」
梓「どうやったら……あんなギターを弾けるんですか?」
唯「あんなって、新入生歓迎会の演奏みたいな?」
梓「はい」
17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:32:17.81 ID:V+kigXBP0
唯「あれはね~、マーシャルを壁みたいにどどん!と置いて、このギー太にファズとディレイとワウと……
とにかく一杯エフェクターをつなげれば……こんな感じで40個くらい」
http://zvex.com/phpBB2/viewtopic.php?t=4005 澪「その機材も全部、ムギに買ってもらったやつだけどな」
紬「いえいえ。唯ちゃんが喜んでくれるならこれくらい♪」
唯「とにかく、そうすれば出るよ~?」
梓「機材を揃えれば『あの』音が出るのはわかっています! でもそういうことじゃないんです!
唯先輩はあの時、そのギターから発される洪水のような轟音を完璧にコントロールして、
それをタダのノイズから極上のハーモニーに変えていました!
ああやって自由に轟音を支配できるようなギタリストに、私もなりたいんです!」
興奮して思わず大きな声をあげてしまいました……。
律先輩も澪先輩も紬先輩も、キョトンとした顔で私のことを見ています。
梓「す、すいません……」
律「梓は唯みたいなギタリストになりたいのか?」
梓「あ、は、はい! あの新入生歓迎会での演奏を見た時、私のギタリストとしての目指す場所が決まりました!」
19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:36:27.96 ID:V+kigXBP0
澪「ははは……『目指す場所』だって。なんかすごいな……」
紬「唯ちゃんったら、まるでアイドルね」
唯「そっか~。そこまで言われるなんて、ちょっと恥ずかしいな~」
すると唯先輩は、照れながらもカバンをごそごそと漁り始めた。
唯「それならさ、このCDを聴くといいよ。わたしもこれを聴いて、今の『ぎたーすたいる』をあみだしたんだ~」
そう言って借りたCDは、The Velvet Undergroundというバンドの『White Light White Heat』というアルバムでした。
唯「これのね、最後の曲だっけ、『しすたー・れい』っていう曲が最高にかっこいいんだ! あとは日本のバンドもあったっけなぁ……」
http://www.youtube.com/watch?v=2EfSapCA5ls&feature=related (The Velvet Underground 『Sister Ray』)
そうして渡されたもう1枚は、『裸のラリーズ』というバンドの……タイトルがよくわからないCDでした。
http://www.youtube.com/watch?v=ZN5v-yWVXU4&feature=related (裸のラリーズ 『The Last One』)
澪「おい、唯。ヴェルヴェッツはともかく、ラリーズのそれは海賊盤だろう? 新入部員にいきなり海賊盤ってのはどうなんだ?」
唯「だってこの『らりーず』ってバンド、正規盤は全部廃盤で、中古でも高くて手に入らないんだもん」
21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:38:58.99 ID:V+kigXBP0
その後、澪先輩にはイギリスの『RIDE』というバンドのCDを借りました。
澪「アンディ・ベルはオアシスに行って日和っちゃったのが残念だよなぁ」
http://www.youtube.com/watch?v=E5zTuVhNs5c (RIDE 『Dreams Burn Down』)
律先輩には『CHAPTERHOUSE』という同じくイギリスのバンドのCDを借りました。
律「最近再結成して日本に来たんだよなぁ。見に行きたかったなぁ」
http://www.youtube.com/watch?v=Fp_3g8EpemQ&feature=related (CHAPTERHOUSE『Treasure』)
紬先輩には『COALTAR OF THE DEEPERS』という日本のバンドのCDを借りました。
紬「このバンドのリーダーの人、幼稚園児ばかり出てくるロリコンアニメの音楽なんかもやっているのよ~? 多才な人って、素晴らしいわよね」
http://www.youtube.com/watch?v=pADYaKph7Uo (COALTAR OF THE DEEPERS 『C/O/T/D』)
それからというもの、家での私は借りたCDを聴きこむ日々を送りました。
どのバンドの音楽も、轟音ギターが印象的で、ともすればノイズにも聴こえてしまうようなサウンドでありながら、とても美しいメロディを併せ持っていました。
先輩達から借りたCDから自力で同系統のアーティストを辿って行き、
Jesus and Mary Chain、Slowdive、Swervedriver、Dinosaur Jr、Sonic Youth、Cruyff In The Bedroom、Luminous Orange、
といった新たなバンドの音もとにかく進んで自分の血肉として行きました。
22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:40:08.65 ID:V+kigXBP0
それからの私のギター練習は、それすなわち『今まで培ってきた技術を捨てていくこと』と同義でした。
一方、肝心の部活動は言うと・・・
紬「今日のケーキはとびきりのレアチーズよ♪」
唯「わーい! レアチーズ!」
律「ただのチーズじゃないぞ! レアなチーズだ!」
唯「どれくらいレアかというと、裸のラリーズのレコード盤くらいレアだよっ」
澪「別にそういう意味じゃないだろう……」
あの壮絶なステージでの演奏がまるで嘘のように、まったりと、ダラダラとした毎日でした。
梓「もう、唯先輩! ダラダラばかりしてないでちゃんと練習しましょう!」
唯「え~、あずにゃんのケチ~」
そうして、首根っこを掴ませて演奏をさせてみると、唯先輩は本当に素晴らしいギターを弾くのです。
ギュギュギュギュワワワワ……ゴオォォォォォォォォォォッ!!!!!!
まさにフィードバック・マエストロ……唯先輩の指とギー太にかかれば、ノイズという言葉は『雑音』でなく『極上の美しい音』を表す意味に早変わりです。
梓「…………」
そんな唯先輩の隣に立ち、小手先の技術に長けただけのつまらないギターを弾く私にとって、
バンドの練習の時間はいかに自分がダメなギタリストであるかを思い知らされる時でもあるのです。
23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:42:23.48 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃお疲れー」
律「おう、また明日ー」
紬「お疲れさま~」
その日の部活が終わり、それぞれが帰路につこうとした時、
澪「梓、せっかくだし途中まで一緒に帰ろうか」
澪先輩に誘われた私は、途中まで一緒に帰るだけという野暮なことはせず、二人でとある喫茶店に入りました。
澪先輩は色々な話をしてくれました。
特に印象深かったのが、バンドの話。
何と桜高軽音部は、先輩達4人が集まった当初は今のような音楽性ではなかったというのです。
澪「前はもっと早くてビートの利いたパンクっぽいのとか、綺麗なバラードも演ってたんだ。
曲は昔からあってさ、梓が新歓で聴いた『私の恋はホッチキス』も『ふわふわ時間』も昔は今と違うアレンジで演奏していたんだ」
梓「それがどうして今のような轟音ギターロックになってしまったんですか?」
澪「ひとえに唯の影響だよ。唯って、軽音部に入部した時はギターを触ったこともない初心者だったんだ」
梓「そんな! 俄かには信じられない話ですね……」
澪「そのせいかな……どういう経緯かわからないけど、唯は普通の演奏スタイルからは逸脱した、あんな変なギターを覚えてしまったんだ」
24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:44:53.05 ID:V+kigXBP0
梓「それでバンドの方向性も変わったということですか?」
澪「まぁそんなところかな。元々、律はバンドでドラムが叩ければ何でもいいってやつだし。
ムギは耳触りのいい音楽しか聴いてこなかったような温室育ちのお嬢様だったから、
今まで聴いたこともないような新しい音楽に興奮して、すぐにバンドの方向性は変わったよ」
梓「そうだったんですか……」
そこで、会話は一度止まり、澪先輩はゆっくりと紅茶に口をつけた。
梓「そ、それでっ……!!」
澪「わかってる。梓は唯に憧れて軽音部に入ったんだろ?」
梓「そうです……」
澪「でも実際に唯を見てしまうと、とてもあの域には追いつけないと思い知らされ、悩んでいる。違うか?」
梓「その通りなんです……」
すると、澪先輩はもう一度紅茶に口をつけると、数秒間何も言わず押し黙った。
梓「……あの」
澪「唯は天才なんだよ」
25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:50:03.82 ID:V+kigXBP0
梓「えっ」
澪「いや、天才という言葉は些か正確じゃないかな。
創造性に長けてると言うか、発想が突飛もないというか……。
梓も普段の唯を見ていればわかるだろ?」
梓「まぁ……何となくは……」
澪「まぁ天然ボケっていう方が正確かもしれないけどね」
そう言って澪先輩は小さく笑いましたが、私はちっとも笑う気にはなれません。
梓「でもそれじゃ私はいつまで経っても唯先輩の域に達せないということですか!?
唯先輩のあれが生まれ持った才能だと言うなら……もはや努力でカバーできる域を超えています!
それじゃ……どうあがいたって追いつけないじゃないですか!」
澪「…………」
梓「あ……すいません」
澪「焦ることはないさ。私は梓には才能があると思うよ。
今はまだそれが開花していないだけだ。
梓が唯のようなギタリストを目指すと言うならそれもいいけど、今はまだ早すぎる」
焦り過ぎ――澪先輩の言うことは確かに事実かもしれません。
26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:53:35.26 ID:V+kigXBP0
澪「バンドは全てのメンバーがいなくちゃ成り立たない。まずは自分ができることを探さなくちゃ」
梓「自分ができること……」
澪「私の場合は、歌詞とボーカルかな。勿論、ベースプレイもあるけどさ、本当は恥ずかしいから、最初は歌いたくなかったんだ。でも今じゃそれが私の個性になってる」
梓「自分ができることを探す……」
それは、1年生の1年間をかけての私の至上命題となりました。
唯先輩と同じスタイルの轟音ギターでは、勝負にならない。
私だけのギタースタイルを確立して、唯先輩の隣に立つことを目指すのです。
1年生の学園祭までは、まさにあっという間でした。
28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:56:00.28 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃあ次の曲は……『ふわふわ時間』!」
この頃になるとバンド名も『放課後ティータイム』に決まっていました。
そして何よりも特筆すべきは、HTTで初めて作ったオリジナル曲、『ふわふわ時間』の進化でした。
4分ほどの軽快なポップパンク風のこの曲を、唯先輩は20分以上もの長尺演奏にアレンジし直したのです!
しかも、20分の内の15分――曲の間奏に延々と続く轟音ノイズパートを挿入する形で!
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガ……ゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!
かつて、軽音部はあの新入生歓迎会での演奏による持ち時間の大幅なオーバーで、生徒会にこってり絞られたと言います。
でも、そんなこともお構いなしです。
グガガガガガガガガガガガピーーーーッ!!!!!!!!!!
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
そして、私はその15分間を唯先輩とともに、ムスタングを掻き毟り、
足元のエフェクターをいじりまくり、マーシャルを苛め倒して、轟音の生成の加担に加わることが出来たのです!
29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 20:59:02.28 ID:V+kigXBP0
そしてこの瞬間、私は驚くべき光景を目にしました。
はじめは耳を塞いで苦悶の表情を浮かべていた観客の人たちが、
ひとり、またひとりと私たちの繰り出す轟音に身をゆだねるように、ある者は踊り、ある者は腕を振り上げ、
ある者は焦点の定まらないふやけた瞳でこちらを見て……とにかく陶酔していたのです!
いつかの澪先輩の言葉が思い出されました。
澪「私もあんなうるさい音を出す音楽、初めは嫌だと思ったよ。
でも梓、知ってる? 轟音ってある一定のレベルを超えると、聴く者の感覚は麻痺し、一種の夢遊状態に陥ることがあるって――」
唯先輩は、まさにそれを狙ってやっていたのです。
和「唯! 貴方また持ち時間をオーバーしたでしょ!?
しかもあんなうるさい音……近隣の住民から苦情が来るわよ!?」
唯「そんなこと言って~。和ちゃんも舞台袖でアヘ顔して轟音シャワーを浴びてたくせに~」
和「なっ……!(確かにそうだけど……)」
やっぱり怒られました。
でも悪い気はしません。心地よい達成感で身体が一杯です。
こんなこと、ギターを手にしてから初めての経験です。
31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:03:46.08 ID:V+kigXBP0
>>30
ありゃ、日本語おかしくなっちゃったアホスwww
すると、唯先輩はまるで赤子のような無垢な笑みを浮かべて、私に振り返りました。
唯「それと、あずにゃん!」
梓「は、はいっ……?」
唯「『ふわふわ時間』のノイズパート、良かったよ~! やっぱりギターが二本だと、厚みが違うよね~」
梓「!!」
この瞬間の私の胸の高鳴りをどう表現すればよいでしょう。
今思えば、この瞬間から、唯先輩は私の憧れのギタリストというレベルを通り越して、
身も心もゆだねたくなるような存在――つまりは、愛しい人に変わっていたのです。
32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:06:36.00 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩、『ふでペン~ボールペン~』のアレンジはどうしましょうか?」
唯「んー、そうだね。ギターの壁の後ろで、澪ちゃんのボーカルが微かに聴こえる感じまで、ギターの音を厚くしたいかな~」
唯「あずにゃん、この映画面白いんだよ~? 今日家帰って見てみてよ!」
梓「『血のバレンタイン』……ホラー映画ですか。私は苦手なんですけど……」
唯「澪ちゃんに貸そうと思ったら断固嫌がられてさ~。なんならあずにゃんの家で二人一緒に見ようよ!」
梓「は……はい!」
この頃から、唯先輩と私は音楽のことやそれ以外のことでもよく会話を交わすようになりました。
その近しさは、仲の良い先輩と後輩というには、少々異様なものだったらしいです。
紬「私は特別何とも思わないわ。むしろどんとこいです!」
律「まぁ恋愛の形は人それぞれっていうし……」
澪「梓がいいなら、いいんじゃないか?」
幸いなことに、軽音部には理解のある先輩しかいませんでした。
でも、違うんです。
これはまだ私の一方的な片思いで、唯先輩に気持ちは伝わっていない……。
一歩踏み出す勇気は、私にはまだありませんでした。
33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:10:13.94 ID:V+kigXBP0
4月――。
私は2年生になり、唯先輩達は3年生になりました。
新入生歓迎会では最高の演奏を見せたにもかかわらず、1年生は入部しませんでした。
それでも別にいいかな、と思ってしまったのは、自分と唯先輩の間に余計なお邪魔虫が入らなくて済むという、
あまりにも勝手で少しだけ醜い女の子心からだったのかもしれません。
同級生の友達にも、こんなことを言われました。
純「たぶんね、軽音部は傍から見ると5人の結束が強いように見えるから、入りにくいんだよ。
梓と唯先輩の轟音ギターの隙間には余計な音一つ入り込む隙間がないように、ね」
本当にそうだったら、どれだけよいことかと思いました。
ちなみに、この頃には『ふわふわ時間』の間奏ノイズパートは30分を超えていました。
34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:14:11.07 ID:V+kigXBP0
夏休み――。
私の提案で軽音部は夏合宿として、野外フェスを見に行くことになりました。
所謂フジ・ロック・フェスティバルというやつです。
律「あー、やっぱり青い空の下で見るライヴは最高だな! よーし、澪! 次はあっち行ってみようぜ!」
澪「おい律! 炎天下なんだからあまりはしゃぎ過ぎるなよ!」
紬「野外フェスティバルなんて初めてだから新鮮だわ~」
唯「そうだね~。あ~、やきそばたべたいな~」
梓「…………」
正直言って、私は狙っていました。何って、唯先輩を。
まぁ、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、理解してほしいのは私ももう限界だったということです。
最初はその魔法のようなギタープレイに同じギタリストとして憧れただけのはずの唯先輩、今ではその全てが欲しくてたまらなかった。
36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:18:51.60 ID:V+kigXBP0
そうしてその夜――。
私は運よく二人きりで、大トリのバンドのステージを見ることができました。
律先輩は昼間のはしゃぎ過ぎのせいで、疲れてテントで既に就寝。
澪先輩と紬先輩は別のステージを見に行っています。もしかしたら気を使ってくれたのかもしれません。
唯「わたし、一度でいいからこのバンドのライヴを見てみたかったんだ!」
大トリははるばるアイルランドからやってきたというバンド。
なんでもかなり昔に名盤と言われる1枚のアルバムをリリースしてからは、活動を休止してしまい、その後長い休眠を続けたものの今年再始動。
今日が17年ぶりの日本でのライブだそうです。
なんでもフロントのギター・ボーカル担当の2人のメンバーは夫婦同士だとか……。うらやましいなぁ。
そして、そのバンドは唯先輩がギターを始めてから最も影響を受けたバンドだということでした。
『ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!』
野外とは思えない物凄い轟音――。さすが唯先輩が影響を受けたバンドだけあります。
そして、その轟音の隙間から漏れ聞こえてくるのは、どこまでも美しいメロディ。
梓「HTTに……すごく似てる……」
私が思わずそう漏らしてしまったのも無理はありません。
37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:21:20.68 ID:V+kigXBP0
そして、感極まった私は、
(ぎゅっ)
唯「えっ?」
唯先輩の手を握ってしまいました。
私は轟音にかき消されぬよう、唯先輩の耳元で囁きました。
梓「私、唯先輩と一緒に音楽がやれて、本当によかったです」
唯先輩はにっこり笑いました。
唯「それは私もだよ――あずにゃん」
違う。
本当はもっと言いたいことがあるのに――。
私は自分がイヤになりました。
39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:23:37.97 ID:V+kigXBP0
唯「だいじょうぶ。全部わかってるよ、あずにゃん――」
でも、唯先輩はそんな私の頭を優しく撫でてくれました。
もはや、言葉は要りませんでした。
その日、恐ろしいほどのギターのフィードバックの轟音に包まれて、唯先輩と私は初めてのキスを交わしました。
今となってはあまりに興奮していたもので、その時のバンドの名前も正確に覚えていません。
確か、前に唯先輩に薦められたホラー映画のタイトルみたいな、趣味の悪い名前でした。
でも、キスを交わした時に演奏されていた曲のタイトルだけは、一生忘れることはないでしょう。
『You Made Me Realize(あなたがわたしに気づかせてくれた)』
40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:27:40.89 ID:V+kigXBP0
それから先は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのように、速く時は過ぎて行きました。
でも、その分だけ濃密で、楽しい時間でした。
唯先輩と私は、軽音部内でも公認のカップルになることができました。
紬「いいものが見れて、私、軽音部に入って本当によかったわ。
もし私が明日二階建てバスに轢かれて死んだとしても、
唯ちゃんと梓ちゃんのことを思い出せば、世界一幸せな女として死ねるわね♪」
律「唯と梓を見ているとこっちまでホンワカした気分になってくるよ。あ~あ、私も彼氏でも作るかな~」
澪「なっ! 律みたいにガサツな女に彼氏なんてできるわけないだろ!」
律「なんだよー。そんなのわかんないじゃん。そういう澪こそどうなのさー?」
澪「……ばか律。(そういう意味で言ったんじゃないのに……)」
紬「オゥフwwwwwww(今日轢かれてもいいかも……)」
そして、一番の心配のタネだったあの人も……
憂「お姉ちゃんが選んだ人なら……私は何も言わないよ。それにお姉ちゃんの相手が梓ちゃんでよかった」
梓「憂……」
なんとか理解を得られました。
41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:31:46.68 ID:V+kigXBP0
こうして、唯先輩と私は蜜月の日々を過ごしました。
本当に、この時の幸せを何と表現したらよいでしょうか!
そして、この頃、私たち放課後ティータイムが演奏しているような音楽は
『シューゲイザー(shoegazer)』というジャンルにカテゴライズされることを知りました。
澪「何でも、演奏中に客に愛想を振りまくこともせず、じっと手元ばっかり見て演奏している様子が、
『自分の靴ばかり見てる(shoe gaze)』ように見えるからそういう名前になったんだって」
律「へぇー」
澪「それで音楽的な特徴は、やたらと轟音のギター、
歌詞の聞き取りづらいふわふわとした不安定な歌、綺麗なメロディーライン……」
紬「まさに私たちのことですねー」
でもそんなジャンル付けは唯先輩と私には関係ありませんでした。
放課後ティータイムは放課後ティータイム以外の何物でもないからです。
それに、演奏中の唯先輩と私は、傍からは『靴を見て』周囲には無関心に自分の演奏に没頭しているように見えても、
その実傍らにいる大切な人の暖かい存在感を、ギターから発される轟音を通して感じあっているのですから。
42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:34:42.99 ID:V+kigXBP0
その後、秋の学園祭ライヴを終える頃になると、
放課後ティータイムにはライヴハウスへの出演(1年生の冬に一度だけ出たことがあった)や、
インディーズでのレコードデビューの話が来るようになりました。
しかし、ライヴハウスへの出演はともかく、レコードデビューは時期尚早と判断し、
私たちは地道に軽音部としての活動を続けていました。
そうして、とうとうやってきてしまった卒業ライヴ。
私はあまりの寂しさにステージ上で泣きじゃくり、コードを押さえる指は勿論、
足元のエフェクターのスイッチさえ涙で滲んでよく見えず、うまく踏むことができませんでした。
それでも演奏は最後だけあって気合いが入り、素晴らしいものとなりました。
この時、私はいつか澪先輩が言っていた『自分のできること』が何か、わかりました。
それは、唯先輩と二人三脚で、唯先輩の呼吸を察知し、意図を汲み、共に轟音の壁を作りだすパートナーとしての役目。
それはまさに、私にしかできない役目です。
43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:37:47.75 ID:V+kigXBP0
律「はははっ、梓は泣き過ぎだよ! ……会えなくなるわけじゃないのに」
梓「らって……グスン……みんな卒業しちゃう……そんなのいやで……グスン」
澪「それでも演奏だけはちゃんとやっていて、えらかったぞ?」
梓「ありがとうござ……グスン……います……」
紬「よっぽど唯ちゃんと離れるのが寂しかったのね(ニヤニヤ)」
唯「大丈夫だよ! 私たち4人、みんなおなじ女子大に行くし、HTTも続けられるよ?」
梓「でも……でもぉ……」
唯「あずにゃん……軽音部のことよろしくね……?」
梓「でも……わたし……ひとりになっちゃうんですよ? そんなのって……」
唯「『私たちの軽音部』を守っていくのはあずにゃんにしか出来ない役目なんだよ?」
梓「ゆいせんぱぁい……」
HTT、軽音部としての最後のライヴ。
その轟音はとうとうレッドゾーンを超え、講堂の窓ガラスは振動で割れ、
アンプの前をたまたま通りかかったネズミがあまりの爆音で破裂し、
観客達はまるでドラッグをキメたかのように音の壁に身を任せ、ゆらゆらと漂っていたといいます。
まさに最高のライヴでした。
45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:41:43.56 ID:V+kigXBP0
その後、私は3年生になりました。
唯先輩達の卒業で消沈し、部員集めもロクにできない私を見かねて、
憂が決意して入部してくれ、純もジャズ研と掛け持ちという条件ながらも参加してくれました。
その後、憂と純の協力もあり、4人の新入部員を獲得。
唯先輩達から受け取った軽音部のバトンを、私もなんとか次の世代につなぐことができそうです。
その後、私は純をベース、憂をドラムス(というより憂はちょっとコツさえつかめばどんな楽器も人並みに演奏出来てしまう、唯先輩とは違った意味での天才でした)に据え、
トリオバンド『放課後涅槃タイム』として活動。
HTTとは違う、時には爽やかなポップロック、時にはちょっとハードなグランジロックを演奏して、
『轟音製造機』なる軽音部の妙な異名を払拭することもできました。
唯先輩達も学園祭に私たちの演奏を見に来てくれ、とても誉めてくれました。
唯「たまにはこういう爽やかな音楽もいいね~」
唯先輩はこんなことを言っていましたが。
全く、唯先輩はたまにこういう素直じゃないところがあるんですよね。
ベッドの中とかでもそうだけど……。あ、今のは聞かなかったことにしてくださいね?
46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:46:22.61 ID:V+kigXBP0
そして、私の高校卒業を機に、この1年間はライヴを中心に活動していた放課後ティータイムが、更に本格的な活動に乗り出しました。
きっかけは、唯先輩達の同級生である真鍋和さんが、
生徒会長の経験で培ったリーダーシップと元来の知力を活かし、
大学在学中にインディーズのレコード会社を起業。
その第1弾アーティストとして、放課後ティータイムをレコードデビューさせたいという話を持ってきたことでした。
和「私も唯達の影響で音楽に目覚めてね。楽器は出来ないけど、レーベルの経営なら……って思ったの。
レーベルの名前は『創造(クリエイション)レコード』!
HTTなら、きっと新たな音楽シーンを創造する旗手になれるはずだわ」
創造レコード――まさにHTTに相応しい名前です。
そうしてレコーディング。
唯「必殺! フィードバック!!」
――ギョワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
ああ、この音です……この音。
唯先輩のギー太(トレモロアームを装着する改造済み)から放たれる轟音に身を任せていると、
つくづく自分がこのバンドにいることができる幸せを、
そして、何よりも自分が唯先輩の隣を歩くことのできる唯一無二の存在(つまり恋人ってやつです!)であることの幸せを感じます!
私、ちょっと病気でしょうか……?
47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:50:29.46 ID:V+kigXBP0
ともあれ、レコーディングは順調に推移。
放課後ティータイムとしての1stアルバム
『Houkago Tea Time Isn’t Anything(放課後ティータイムは何者でもない)』
が完成しました。
この意味深なタイトルは唯先輩がつけました。
HTTに対して、シューゲイザーだのサイケデリックロックだのオルタナだの何だのという、
無意味でキリのない空虚なジャンル付けをしたがる世間に対する、唯先輩からの回答でした。
アルバムは評論家筋にも好評、売上もそれなりに上がり、創造レコードの今後の操業資金とするには十分な利益を得ることもできました。
そうして、アルバムリリースに伴うライヴツアー。
放課後ティータイムの、
『最初の10分はただ耳を塞いでいるだけでいっぱいいっぱい、20分すると帰りたくなる、でも30分経つと轟音に身をゆだねて踊りたくなる』
と評された轟音ライヴは、各所で話題となりました。
48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:55:08.26 ID:V+kigXBP0
唯「あずにゃん、今日のライヴも最高だったよ! いいビックマフとワウのコントロールっぷりだったね!」
梓「ほ、本当ですか……!?」
唯「うん! わたしも最高に気持ち良かった~。これだから、あずにゃんのこと、大好き!」
梓「…………ありがとうございます(顔から火が出そう……)」
紬「あらあら♪ 微笑ましいわ~」
律「こっちまで熱くなってくるな~」
澪「それなら律……今夜は私と……いや、なんでもない」
まさに放課後ティータイムの活動は順風満帆でした。
そして、私にとってはあの、最愛の人、唯先輩に認められているという事実が、何よりもうれしかったのです。
でも、そんな幸せな日々は長くは続きませんでした。
49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 21:58:29.78 ID:V+kigXBP0
年頃の女の子と言うものは、時には身体が疼いて仕方ない夜を過ごすものです。
梓「唯先輩……唯先輩……」
その日、奇しくも発情期であった私は、耐えきれなくなって同じベッドで寝ている唯先輩の肩をゆすりました。
(ちなみに唯先輩と私は1stアルバムの印税で、二人で住むためのマンションを借りました)
いつもなら、
唯『もうあずにゃんったら、仕方ないなぁ~。発情すると止まらないところも猫そっくり♪』
とか言って可愛がってくれるのが常なのですが……。
唯「んー……今日はダメ……」
帰ってきたのは眠そうな返事でした。
唯「今日……1日中……ミキシング……つかれた……」
結論から言ってしまいましょう。
この頃、唯先輩とのすれ違いが激しいのです。
きっかけは、間違いなく2ndアルバムのレコーディングが始まったことでした。
51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:03:49.83 ID:V+kigXBP0
和「1stアルバムも好評だったし、次はもっと期待できるわ!
最近とみに増えてきているHTTのフォロワーのようなバンドとの違いをシーンに見せつけるためにも、次のアルバムが大事よ!」
そんな期待と共に、創造レコードからは多額のアルバム製作費がHTTにあてられました。
これなら今まで以上に機材にもレコーディングにもこだわることができて、すごい作品ができる!
5人のうちの誰もがそう考えたことでしょう。
しかし、現実はそうはいきませんでした。
最初のトラブルは、不動のドラマー、律先輩に起こりました。
律「最近、身体が動かないんだ……」
激しいドラミングが身上だった律先輩は、2ndアルバムのレコーディングという最悪のタイミングで身体を壊してしまいました。
特に脚へのダメージは甚大で、もはや律先輩はロクにバスドラムを踏むことすらできなくなっていたのです。
律先輩は、レコーディングを中断し、入院することになりました。
退院しても、しばらく以前のようなドラミングは難しいそうです。
53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:06:05.24 ID:V+kigXBP0
澪「律が……入院だって……!?」
このことに最も心を痛めたのは澪先輩でした。
もはやこの時期には澪先輩が律先輩に幼馴染の友情を超えた特別な感情を抱いていることは、周知の事実でした。
そして、そんな澪先輩の心のダメージに拍車をかけたのは――
澪「唯……お前は何を考えているんだ!?」
唯先輩が、離脱した律先輩のドラムパートを全てサンプリングで賄うと言いだしたことです。
唯「別にりっちゃんをクビにするわけじゃないよ。前のアルバムのセッションの時のりっちゃんのドラムパートをサンプリングして、編集して2ndの曲に使うんだよ?」
澪「でも……律が叩いていないことに変わりないじゃないか!
律が回復するまでレコーディングは延期するべきだ!」
唯「でも和ちゃんからもらっている製作費にも限りがあるし、
そうそう長い間レコーディングをひきのばすこともできないよ?」
唯先輩の案が苦虫をかみつぶした末の苦肉の策であることは、私もムギ先輩も重々承知していました。
澪「ふざけるな!! それじゃあバンドの意味がないじゃないか!!」
しかし、『バンドとはメンバーの誰一人欠けても成立することはない』が信条であり、
その上、律先輩という大切な人の問題となった時の澪先輩にとって、その提案は承服しかねるものでした。
54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:08:56.01 ID:V+kigXBP0
そうして、澪先輩はだんだんとスタジオから足が遠のくようになっていきました。
唯「仕方ないね。ベースは私が弾いて、ボーカルは私とあずにゃんで分担しようか」
それでも唯先輩はレコーディングを中断することはありませんでした。
この頃からです。
唯先輩が口の悪いレコード会社のスタッフやエンジニアから
『コントロールフリーク』だの『独裁者』だの『神経質』だのの陰口を叩かれるようになったのは――。
しかし、唯先輩には確かにそう思われても仕方ないところはありました。
その① 自分以外の人間に卓のツマミは触らせない。
レコーディングには、何人もの腕利きのサウンドエンジニアが関わりました。
しかし、唯先輩はその誰にも、ミキシング卓のボタンひとつ触ることを許さず、アンプに向けるマイク1本にすら触れることをよしとしなかったのです。
唯「だってこれはわたしたちのアルバムだよ? どうしてわたしたち以外の人に音をいじられなくちゃならないの?
そんなの、私たちの飲むお茶をムギちゃん以外の人が淹れるようなもの……つまり台無しだよ!」
唯先輩の言うことはもっともにも聞こえましたが、異常なほどにこだわっていたのも事実です。
唯「わたしたち以外の人間に、絶対にアルバムの音はいじらせないよ!」
こんなことを言う唯先輩ですか、その実、自分以外の人間……私や他の先輩達にすら、卓を操作する権限は与えられませんでした。
55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:10:46.99 ID:V+kigXBP0
その② ギターの一音にすらこだわる。
とある曲のイントロのギターのワンコードを録音するだけで2週間の時間がかかりました。
私も何度ギターリテイクを出されたか、覚えていられないほどでした。
そして、ミキシングにもこだわり、ボーカルのブレスの聞こえ方ひとつから、
ベースとムギ先輩の弾くシンセサイザーの一音の重なりにまで、何度もリミキシングを重ねました。
思えば唯先輩は高校時代、チューナーなしで4分の1音のチューニングのずれにまで気付いた絶対音感の持ち主です。
唯「うーん、今のところ、わたしが考えていたコードの響きとちょっとちがうかな~。もう一回だね」
口の悪い音楽雑誌の記者は『平沢唯は1曲でギターを200本も重ねるパラノイア』と書き立てました。
56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:13:27.82 ID:V+kigXBP0
その③ とにかく時間がかかる。
前述したサウンドへのこだわり。
これにサンプリングした律先輩のドラムトラックの切り貼りが加わるというのですから、かかる時間は考えたくもありません。
しかも、唯先輩はその全てを一人でこなすわけです!
レコーディングの予定は、当然のことならどんどん後ろにずれ込んでいきました。
そんなある日、創造レコードの社長にして唯先輩の幼馴染である真鍋先輩が、真っ青な顔をしてスタジオにやってきました。
和「唯……ちょっと相談なんだけど」
唯「な~に?」
唯先輩はミキシング卓に向かったまま、振り向きもしません。
和「アルバムのレコーディング……もうちょっと早くならないかしら。
時間がかかり過ぎているせいで、スタジオ代がとんでもないことになっているの。
これじゃ、いずれ創造レコードは倒産してしまうわ」
真鍋先輩の言葉は冗談には聞こえませんでした。
この頃、創造レコードはHTT以外にもいくつかの売れっ子インディーバンドを抱えており、
資金にはそれなりに余裕はあるはずなのにもかかわらず、この発言です。
57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:16:41.77 ID:V+kigXBP0
唯「それじゃ、こういうこと? 和ちゃんはHTTに中途半端な出来のアルバムを出せっていうの?」
和「そう言うわけじゃないけど……いい加減に出費が……」
唯「だからもうすぐできるって! 何度も言ってるじゃん!
すぐ! もうすぐ! 英語でいえば『Soon』!!」
和「…………」
この唯先輩の剣幕には、さすがの真鍋先輩も閉口してしまいました。
後年、HTTは『アルバム制作に金をかけ過ぎて、レコード会社をひとつ潰しかけたバンド』とのありがたくない異名を頂戴することになりました。
とにかく、毎日がこんな調子――。
以前の軽音部の部室やHTTのスタジオにあったはずの、ほのぼのとして楽しい空気は微塵もありませんでした。
そして、アルバムの制作に没頭する唯先輩は1日の殆どをスタジオで過ごし、
マンションには寝に帰ってくるだけ、(それも3日に1度程度)というありさまでした。
これですれ違いにならない方がおかしいというものです。
梓「今日も帰ってきてくれないんですか……?」
唯「うーん、まだミキシングの出来に納得いかないんだ~」
梓「そんな……。これで1週間も連続で一緒に夜を過ごしていないじゃないですか……」
唯「仕方ないよ。あずにゃんはギター弾いてちょっと歌うだけでいいけど、わたしはそれに加えて、もっといろんな作業をやらなくちゃいけないんだから」
58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:20:37.79 ID:V+kigXBP0
当然、私も理解はしていたつもりでした。
唯先輩は天才だ。音楽の神に選ばれた人だ。そんな唯先輩を私は好きになった。
だから、我慢しなくちゃいけない。
そう何度も自分に言い聞かせてきました。
でも、それももう限界だったのです。
梓「いい加減にしてください!!」
ある日、スタジオで私は唯先輩に対して溜まりに溜まった感情を爆発させてしまいました。
梓「来る日も来る日もスタジオ、スタジオ、ミキシング、ミキシング……唯先輩はちょっとおかしいです!!」
唯「おかしい? どうして? 私たちHTTのアルバムのためだよ?
一生懸命アルバムを作ることの何がおかしいの?」
梓「それが律先輩の身体の……澪先輩の心の……そして私と唯先輩の生活の破綻に繋がっていてもですか!?」
紬「梓ちゃん? 落ち着きましょう、ね?
ほら、座って……紅茶も淹れるから、ゆっくり飲んで、落ち着いて話しましょう、ね?」
すかさずムギ先輩が間に入りますが、私は止まれませんでした。
そうして、私は言ってはいけない一言を言ってしまったのです。
59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:24:07.26 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩は……私とアルバムのどっちが大事なんですか!!??」
その時の、固まった唯先輩の表情を、私は一生忘れることはないでしょう。
やってしまった――と後悔した時にはもう遅かったのです。
唯先輩は戸惑いがちに、ムギ先輩の顔をちらりと見、そしてもう一度私の顔を見ると、
唯「………ごめんね」
とだけ小さくつぶやき、またミキシングの作業に戻りました。
この瞬間、私にとって全てが……終わってしまったのです。
60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:26:51.68 ID:V+kigXBP0
その後、気まずくなった私は当然スタジオに顔を出すこともできませんでした。
私の分のギターパートとボーカルパートのベーシックトラックは全て録り終えた後だったというのが不幸中の幸いと言うほかありません。
そして、最後まで私たちの間に入ってくれたムギ先輩も、とうとうスタジオに顔を見せなくなったとのことでした。
なんでもムギ先輩は真鍋先輩にこう言い残し、スタジオを後にしたと言います。
紬「りっちゃんに澪ちゃん……そして今度は唯ちゃんと梓ちゃん……
あんなに仲の良かった皆の関係がこれ以上壊れていく様を、もう私は見ていられない」
ぐうの音も出ませんでした。
私が荷物をまとめ、唯先輩との愛の巣だったマンションを離れたのもそのすぐ後のことでした。
そうして、長い月日と、膨大な労力と、山のような札束と、そして何よりも取り返しのつかない友情と愛情の喪失を引きかえに
完成した放課後ティータイムの2ndアルバムには、皮肉なまでに象徴的なタイトルが付けられました。
その名も
『らぶれす!(Loveless)』
まさに愛なき世界となってしまった私たちの未来を象徴するようなタイトルでした。
62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:29:22.48 ID:V+kigXBP0
放課後ティータイムの2ndアルバム『らぶれす!』はとてつもない好評をもって世間に迎え入れられました。
しかし、後になると、この『らぶれす!』は『放課後ティータイムの2ndアルバム』ではなく、
『平沢唯のソロアルバム』として受け取られることが多くなりました。
それも当然です。
このアルバムはほぼ唯先輩が一人でつくったものなのですから。
その証拠に、律先輩はただのサンプリング音源のドラムマシーンと化し、アルバムでは1曲も新録を行っていません。
(それでも唯先輩の巧みな編集技術により、アルバムで聴かれるドラム音は生録音と殆ど違わないものでしたが)
澪先輩は、アルバムでは一音もベースを弾いておらず、数曲での作詞とコーラスに僅かに声が残っていただけです。
ムギ先輩が録音したキーボードパートは、最終的に全て唯先輩の演奏に差し替えられました。
私に関しても、数曲でのボーカルとギター演奏で、その痕跡を残したのみです。
そして、最も皮肉なのはそんなアルバムの出来が素晴らしかったことです。
ギターの轟音はこれまで以上に猛威を増し、その間隙を流れるように漂うボーカルもこの世のものとは思えない天上の美しさを讃えていました。
『らぶれす!』アルバムは世紀の名盤として、音楽史に名を刻み、後世に影響を与え続ける存在となったのです。
63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:32:13.68 ID:V+kigXBP0
この後、あれだけのすれ違い、仲違いがあったにもかかわらず、
放課後ティータイムは『らぶれす!』のリリースに伴うライヴツアーに出ました。
(この頃には律先輩も一応のドラミングはできるまでに回復していました)
商業上、契約上の理由で仕方なく行ったものとはいえ、ツアーは当然ながらつらいものとなりました。
楽屋でも移動のバスの中でも、当然ながらまともな会話はなし。
唯「………」
澪「………」
律「……しゃれこうべ」
紬「………」
梓「………」
空気を変えようとした律先輩必殺の一発ギャグもまったく効果はありませんでした。
バンド全体としての雰囲気も悪かったけれど、私と唯先輩の間にはそれ以上に気まずい空気が流れていました。
以前はあれだけ頻繁にされていた唯先輩からのスキンシップも、二人の間でのちょっとした会話ですらも皆無。
互いが互いを空気であるかのように認識していました。
もっとも私は無理やりにでもそう思わなければ、心がバラバラになってしまいそうなくらいつらかったからなのですが。
64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 22:33:47.62 ID:V+kigXBP0
しかし、皮肉だったのはそんなバンドの雰囲気の悪さにも関わらず、
肝心のライヴ演奏に関しては、HTTのキャリア内でも最高の状態にあったことです。
唯「え~、それじゃ次は『ふわふわ時間』」
客「ウオーッ!!」
ふわふわ時間での長尺ノイズパートはもはやHTTライヴの風物詩となり、
多くの観客が轟音の波に身を委ね、気持ちよさそうに陶酔していました。
海外でのライヴを行うこともできました。
しかし、頂点に達したこの轟音は同時に、HTTというバンドの断末魔の叫びでもあったのです。
ツアーの終了と同時に、創造レコードとHTTの契約期間が終了しました。
レーベルには、契約更新の意思はなかったようです。
和「唯は個人的には友達だけど、あのアルバムのことについてはもう思い出したくないわ」
真鍋先輩にとっても、『らぶれす!』は苦い思い出になってしまったようで、
そのことがHTTとの契約終了の遠因になったことは間違いなさそうです。
その後、HTTはとあるメジャーレコード会社と新たに契約を結び、バンドは莫大な契約金を手にしました。
誰もが、メジャーでの『らぶれす!』に続くHTTのアルバムを期待していました。
しかし、それはとうとうリリースされることはなかったのです。
67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:00:04.10 ID:V+kigXBP0
そんなある日、私の携帯に澪先輩から一本の電話が入りました。
澪『やぁ梓、久しぶりだな』
梓「こちらこそ。久しぶりです。どうしたんですか一体?」
澪『どうしたもこうしたもないよ。私たちのバンドの今度のライヴにギターで参加して欲しくてさ』
梓「ストライプスのライヴに……ですか」
澪先輩の今やっているバンドは『アクアブルー・ストライプス』。
自身が高校1年生の時の学園祭ライヴで観客に晒したパンツの色から名前をとったという、曰くつきのバンドです。
澪『律もさ、久しぶりに梓に会いたいって言ってるよ』
アクアブルー・ストライプスは、ベースボーカルの澪先輩とドラムスの律先輩の2人編成という、ギターレスの画期的なバンドでした。
ちなみに澪先輩と律先輩は晴れて結ばれ、ストライプスも今では世間も公認の夫婦バンドになっているそうです。
梓「ちょっとだけ、考えさせて下さい――」
澪『何言ってるんだよ。最近じゃ殆ど音楽活動もせずに喫茶店の店番して過ごしているんだろう?
悪い誘いじゃないと思うし、このままだと梓まで唯みたいに……』
梓「唯先輩ですか……」
澪『あ……悪い……思い出させちゃったな』
梓「いえ、いいんです。参加の件、とりあえず前向きに考えてみます」
69 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:04:34.38 ID:V+kigXBP0
『らぶれす!』アルバムに伴うツアーの終了とともに、放課後ティータイムは無期限の活動休止状態となりました。
誰が言い出したわけでもない、自然な流れでした。
その後、世間においても、次々に新たなガールズ・バンドが登場し、一時はHTT一色だった音楽シーンの様相も大分変わりました。
モデル並の美貌を誇るボーカル、デーモン・アルバー子、率いるポップなロックバンド『ブラブラー』、
いまどき珍しいムギ先輩も驚くほどのゲジ眉と、しょっちゅうのように起こす喧嘩が自慢の
乃絵瑠(のえる)&莉亜夢(りあむ)姉妹が率いる王道ロックバンド『オアシズ』、
ボーカルのトム・ヨーコはじめ、メンバー全員が名門大学卒業というインテリジェンスが自慢のギターロックバンド『ラジオ頭』、
これらのバンドの台頭により、HTTが音楽シーンで確立していたはずの地位は、徐々に相対的に下がっていきました。
しかし、一方ではHTTのメンバー達も休止期間を新たな音楽活動に充てていました。
先述した澪先輩と律先輩の夫婦ユニット『アクアブルー・ストライプス』は、
HTTとは180度違うまっすぐなサウンドを売りにし、ライヴツアーを連日ソールドアウトさせるほどの人気を誇っていました。
一方、HTT末期での苦い経験から、バンド活動からは離れたムギ先輩は、
シンセサイザーの演奏を通じて得た電子音楽の素養を活かし、個人で多数の名義を使い分けるテクノミュージシャンとして活躍していました。
ムギカル・シスターズ、タクアン・ワールド、ダフト・マユゲ等々……
世の第一線を走るテクノミュージシャンの正体が全てムギ先輩だと知る人間は、世間にもそうはいないはずです。
まさにミュージシャン個人の匿名性が高いテクノというジャンルだからこそできる芸当です。
70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:05:53.39 ID:V+kigXBP0
そして私はといえば……
HTT休止初期こそ様々なバンドのセッションにギター1本で参加し、小銭を稼いでいたのですが、それもすぐに嫌になってしまったのです。
プロデューサー「梓ちゃんさぁ、HTTばりの轟音ギターもいいけど、ちょっと食傷気味だよ。たまにはもうちょっとテクニカルなのも弾いてくれないと」
梓「は、はい……」
そんなことを言われ、唯先輩から授かった轟音スタイルのプレイを捨てることもありました。
そして何よりも致命的だったのは、私の傍らに横たわるどうしようもない空白に堪えることができず、
音楽を演奏することをちっとも楽しめなくなったことでした。
その空白とは――すなわち唯先輩のことです。
認めざるを得ません。
私は唯先輩に未練がある。
そうして、私は唯先輩の幻影を感じざるを得ない音楽活動から足を洗い、
軽音部時代にムギ先輩から学んだお茶の知識を活かし、小さな喫茶店を営む毎日を過ごしていました。
71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:10:12.09 ID:V+kigXBP0
そして、唯先輩はといえば……
唯「メジャーに移籍して、今度はお金の問題もないよ。これなら、次はもっと凄いアルバムができるね!」
HTT休止寸前に、そんなことを言っていたといいます。
しかし、その後私たち4人にレコーディングの連絡が来ることもありませんでしたし、
『らぶれす!』のように唯先輩が一人でレコーディングをしているという話も聞きませんでした。
こうして完全なる活動凍結状態――。
つまりは、HTTが『活動休止』と呼ばれる所以の殆どは唯先輩によるものなのです。
一度、3rdアルバム用のデモテープをレコーディングしているとの噂が流れましたが、その後の音沙汰はありません。
また一度、HTTの1stアルバムである『Houkago Tea Time Isn't Anything』と『らぶれす!』、
そして何枚かリリースしたシングル音源等のリマスター作業を行っているとの噂がありましたが、やはりその後の音沙汰はありません。
たまに他のバンドの楽曲のリミックスやソロ名義での映画への楽曲の提供などでその名を見ることはできたものの、
原則HTTの活動に関して、唯先輩は何ら具体的な活動を起こすことはありませんでした。
いつしか、何の動きも起こさない唯先輩は『怠け者』、『CD出す出す詐欺』、果ては『音楽界のニート平沢唯』との異名で呼ばれるようになりました。
今では、HTTのメンバーも、レコード会社の人間も、音楽雑誌の記者も、唯先輩がどこで何をしているか、誰も知りません。
こうして音楽界のニートの新たな伝説がひとつ、またひとつと増えていくのです。
72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:13:32.44 ID:V+kigXBP0
律「いやー、今日のライヴも最高だったよ。特に澪のボーカルの調子が良かったな!」
澪「そ、そうか? でも律のドラミングもなかなかよかったぞ……なんて……(恥ずかしい)」
梓「あのー……楽屋でいちゃつくのは止めてもらえませんかね……」
律澪「べ、別にいちゃついてなんか……!!」
結局、私は二人の熱意に負ける形で、アクアブルー・ストライプスのライヴツアーにギタリストとして参加しました。
相思相愛の澪先輩と律先輩に目の前でいちゃつかれるのは何とも微妙な感じですが、この際気にしないこととします……。
すると、急に真面目な顔になった律先輩がこんな提案をしてきました。
律「なぁ梓、正式にストライプスに加入する気はないか?」
梓「えっ、私がですか?」
そして、さらに衝撃的な事実が澪先輩から語られます。
澪「実はな、梓にいい返事をもらえれば、ムギも誘おうと思ってるんだ」
梓「!!」
それはつまり――殆どHTTメンバーの再結集に等しいことでした。
しかし、私はどうしても『そこ』に触れないわけには行きません。
73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:17:56.57 ID:V+kigXBP0
梓「唯先輩は……どうするんですか?」
律澪「…………」
二人はともに黙り込んでしまいました。
それでも沈黙の裏にある言葉は読み取れました。
つまり、唯先輩にとって、5人編成のHTTはもう終わっているのです。
その証拠に、バンドの最高傑作である『らぶれす!』を、あの人はほぼ一人で創り上げ、その後の音沙汰はない。
しかも、今の『音楽界のニート』たる唯先輩に、具体的な音楽活動を期待することなど、まさに非現実的。
梓「やっぱり、少し考えさせて下さい」
それでも私は自信がありませんでした。
短期間のライヴツアーならまだしも、唯先輩が隣にいないにもかかわらず、継続的なバンド活動などできるのか?
そんな不安の方が、まだ圧倒的に大きかったのです。
その少し後のことでした。
ストライプスの取材にやってきた音楽雑誌の記者から、私は驚くべき情報を聞くことになりました。
なんと、長い間沈黙を続けていた唯先輩が、『プライマル・アイスクリーム』という、
人気ガールズロックバンドの新ギタリストとして加入することが決定したというのです。
75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:21:30.46 ID:V+kigXBP0
このニュース、動揺するなと言う方が無理です。
澪「そんな……あの唯が今更になって新しいバンドだって?」
澪先輩が驚くのも無理はありません。
律「つまり……HTTはやっぱり唯の中ではもう終わっているってことか……」
律先輩の言葉は、特に重く私の心に響きました。
それでも、私は信じたくなかったのです。
だからこそ、あの人の真意が知りたかった。
ちょうどその時、『プライマル・アイスクリーム』のメンバーとなった唯先輩の、
幾年ぶりかのインタビュー記事がその音楽雑誌に掲載されるとの噂を聞きつけ、私は書店へ走りました。
澪「梓、悪いことは言わない。記事を読むのは止めたほうが……」
律「世の中には知らなくていいこともあると思うんだ……」
唯先輩と私の過去の関係を知る澪先輩と律先輩のそんな言葉も、私のことを思ってのものであることは理解していました。
それでも私は……諦められない。
そうして、私は恐る恐るページをめくりました。
76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:23:04.24 ID:V+kigXBP0
―本当に久しぶりですね(笑)
唯「そうだね! 雑誌のインタビューなんて何年ぶりだろ~」
―先ずは今回のプライマル・アイスクリームへの電撃加入のいきさつを教えていただければ。
唯「私も長いこと引き篭もってたから、いい加減憂に怒られちゃって。『お姉ちゃん、いい加減にしないと本当にニートになっちゃうよ?』って」
―HTTの印税収入があるじゃないですか。『らぶれす!』は今でも売れ続けているアルバムですよね?
唯「そうだけど、とりあえずは人前に出ることからはじめようと思って。
そうしたらちょうどプライマルがツアーに帯同するギタリストを探しているって話を聞いて、連絡を取ったんだよ~」
―と、いうことはもしかするとプライマルには正式加入したわけではない?
唯「そうだね。とりあえずツアーには参加するけど、その後のことは決まってないよ」
―そうだったんですか。てっきり正式加入されたものかと思っていました。
唯「プライマルと私じゃ、音楽性がちょっと違うし、それにプライマルのメンバーは1度や2度ならまだしも毎晩毎晩私の弾くギー太の轟音を聴いていたら耐えられないと思うよ~」
―(笑) しかし、それならばどうしても聞かなくてはいけないことがありますね。
唯「ああ、やっぱり? そう来ると思ってたんだ~」
77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:25:54.55 ID:V+kigXBP0
―単刀直入に聞きます。放課後ティータイムの次のアルバムはいつ出るんですか?
唯「う~ん、いろいろアイデアはあるんだよ。今度はドラムンベースに轟音ギターを乗せてみようとか、
ダンスミュージックっぽいのをやってみようとか、それでデモテープを作ったりはするんだけど、
ほら、わたしって、すごく凝る人だし――」
―『コントロールフリーク平沢唯』ですか。
唯「そうそう(笑) だからいつも時間ばかりむだにかかっちゃって、
気付いたころにはそんな新しいアイデア自体が古くなっちゃってるっていう繰り返し」
―メンバーとは連絡は取り合っているんですか?
最近では秋山澪と田井中律のアクアブルー・ストライプスに中野梓が加入するなんて話もありましたし、
琴吹紬も実はムギカル・シスターズ名義で活動しているという噂がありますよね。
唯「みんなとは連絡は取っていない、というより、取れないんだ」
―それはかの名盤『らぶれす!』のレコーディング中にメンバー間の不和が表面化したから?
それが現在までのHTTの活動休止の原因だなんて言われていますよね?
唯「不和……というか……私がいけないんだけどね。とにかく、あの『らぶれす!』アルバムは素晴らしい出来だったけど、
そのかわりに犠牲にしたものが多すぎたんだ。今思えばわたしも若かったんだね……」
―『らぶれす!』は殆ど貴方独りで作ったもので、HTT名義と言えども実質は『平沢唯のソロアルバム』なんていう評価も今ではされていますよね。
唯「どうしてそういう風に言われるか、わたしにはわからないよ。
たしかにあのアルバムでの殆どの楽器をわたしは演奏したし、ミックスもマスタリングも殆ど全部一人でやったけど」
78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:27:56.09 ID:V+kigXBP0
―やっぱり、ソロアルバムじゃないですか。
唯「でも曲の殆どの歌詞は澪ちゃんが書いたやつだし、ムギちゃんやりっちゃんが書いた曲だってあったんだよ?
それにあのアルバムの大元のコンセプトは、あずにゃんに影響されて出来たんだから」
―そ、そうだったんですか……。
しかし、それだけの傑作が現時点でHTTのラストアルバムになってしまっているわけですが……やはりHTTはもう終わってしまったのでしょうか。
唯「終わってないよ!」
―え!?
唯「HTTは終わってないよ! HTTが終わったかどうかを決めることができるのは私たちだけだし、勝手に外野に決められたくないよ!」
―す、すいません……。しかし、HTTが終わっていないということは、活動を再開する可能性もあると?
唯「当然だよ。今はまだその時期じゃないかもしれないけど、いつか絶対にHTTは戻ってくるよ! それももうすぐ……もうすぐだよ! 英語でいえばSoon!」
―それでは、HTTの新たな音が届けられる日を、我々は待っていてもいいんですね?
唯「そういうこと!」
―今日はどうもありがとうございました。プライマルでのギタープレイも楽しみにしています。
唯「おーでぃえんすの鼓膜を突き破るくらいでっかい音でギー太を弾くから、楽しみにしててね!」
80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/16(日) 23:29:45.99 ID:V+kigXBP0
律「……どうだった?」
ページを閉じ、静かに雑誌を置いた私を気遣うように律先輩は恐る恐る声をかけてくれました。
澪先輩も心配そうな様子で私を気にしています。
しかし、私はそんな二人の様子も気にならなくなるほど……泣いていました。
梓「唯先輩が……まだ……終わってないって……」
澪「なんだ? 何が終わってないって?」
梓「放課後ティータイムが……まだ終わってないって……」
律「ほ、本当か!?」
涙が止まりません。
胸の奥から熱い感情がこみあげてきて溜まりません。
泣くなと言う方が無理です。
唯先輩は断言してくれた。
まだ放課後ティータイムは終わっていないって。
83 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:00:06.88 ID:xHcEhq6P0
さるやっと解けた……。
梓「唯先輩に……会いたいです……」
澪「梓……お前……」
梓「会いたい……会いたいよ……唯先輩に会いたいよぅ……」
そこから先はもはや言葉になりませんでした。
結局、私はあの人から離れられない。
新入生歓迎会で初めて、唯先輩の演奏を見て憧れたその日から、何も変わってなんかいなかったんです。
84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:02:13.41 ID:xHcEhq6P0
その後、私は正式にアクアブルー・ストライプスへの加入を断りました。
しかし、澪先輩も律先輩も私のその決断を咎めることはなく、寧ろ、
澪「梓の気持ちは私もよくわかるんだ」
律「そうだなっ! 私もいい加減唯の弾く轟音ギターが恋しくなってきたところだったんだ」
放課後ティータイム再始動への意欲を見せてくれたのです。
しかし、唯先輩が動き出さない限り、HTTの再始動はあり得ません。
そして、それがどれだけ難しいことかも、3人とも理解していたのです。
そんな時、久しぶりに私たちのもとにムギ先輩からの連絡が入りました。
紬『そういうことなら任せて! 実はね、私今度のサマーソニックにマユゲ・パンク名義で出ることになったんだけど、ちょうど同じステージのトリでプライマル・アイスクリームが出演するのよ~』
梓「そ、それじゃあ……!」
紬『ええ。唯ちゃんと何とか会って、HTTの今後について具体的な話をしてみるわ』
ムギ先輩の提案は渡りに船でした。しかし、一方で葛藤もあります。
梓「でも……いいんですか? ムギ先輩はもうバンドは……」
紬『いいのよ。何よりも大事なのは梓ちゃんの気持ちだもの』
梓「……っ!」
86 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:04:08.58 ID:xHcEhq6P0
紬『まだ好きなんでしょ? 唯ちゃんのこと』
梓「……はい」
紬『だとしたら元々私には協力する以外の選択肢がないわ♪(ニヤニヤ)』
ああ、やっぱりこの人にはこの手のことで隠しごとができないな……。
そして数カ月後――。
紬「唯ちゃんは前向きに考えているみたいだったわ。ただし、当然今参加しているプライマルのツアーが終わってからになるみたいだけど」
律「ほ、本当か!?」
澪「そ、それじゃ……!」
紬「ええ。まずはライヴ活動からになると思うけど、皆が良ければ放課後ティータイムを再始動させたいって」
ムギ先輩の報告は、まさに私が待ち望んだものであった。
紬「梓ちゃん、よかったわね」
しかし、私の中にはまだ迷いがあった。
あの雑誌記事のインタビューを読む限り、HTTは唯先輩の中では終わっていなかった。
だとすれば、HTTを終わらせようとしてしまったのは唯先輩でなく、あの日感情に任せてレコーディングスタジオを、そしてマンションを飛び出して行ってしまった私だ。
87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:06:31.02 ID:xHcEhq6P0
梓「唯先輩は……私を許してくれるでしょうか」
紬「どうして許される必要があるの? 梓ちゃんは何も悪いことをしていないじゃない」
梓「いえ……結局、唯先輩を信じられなかったのは私なんです……」
一抹の不安を抱えたまま、放課後ティータイムは再始動に乗り出しました。
再始動の舞台は、苗場でのフジ・ロック・フェスティバル大トリのステージに決まりました。
何とも皮肉な巡り合せです。
フジロックは唯先輩と私の気持ちが初めて通じ合った場所なんですから。
リハーサルが始まると、あの『音楽界のニート』だったはずの唯先輩は一度も遅刻することなくスタジオに現れ、演奏に加わったといいます。
『いいます』というのは……私がそこにいなかったから。
私は唯先輩の前に立つことにまだ戸惑いがあり、結局リハーサルでは一度も唯先輩と顔を合わすことができませんでした。
そうして、放課後ティータイムは結局、5人でのリハーサルは一度もすることなく、再始動のステージ本番を迎えることとなりました。
88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:09:08.39 ID:xHcEhq6P0
梓「唯先輩にどうしても聞きたいことがあります!」
唯「ふぁに? ふぁずにゃん?(なぁに? あずにゃん?)」
私の問いかけに、唯先輩はお茶受けのお菓子を口いっぱいに含んだまま応えました。
梓「どうやったら唯先輩のようなギターが弾けますか?」
唯「それ、前も聞いたよね」
梓「はい。だけどあえてもう一度聞くんです。唯先輩達に借りたCDも聴きこんで……とても参考になりました。
機材もエフェクターも揃えましたし、毎日練習もしています。でも……それでもまだ私は唯先輩のようなギターが弾けない……」
唯「あずにゃんは考えすぎなんだよ」
梓「考え過ぎですか……?」
唯「わたしたちがやってるのは音楽だよ? だからもっと楽しくやらなきゃ!」
梓「楽しくやれば……唯先輩のようなギターが弾けますか?」
唯「うん! それにわたしはあずにゃんと一緒にギターを弾くの、楽しいよ?」
89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:11:46.74 ID:xHcEhq6P0
梓「ほ、本当ですか!?」
唯「ほんとうだよ! だからね、もうあずにゃんは別にわたしになる必要はなくて……うまく言えないけど、
一緒に演奏していて、『楽しい!』って思える時点で、あずにゃんはもうHTTになくてはならない存在なんだよ?」
梓「唯先輩……」
唯「それにお世辞でもわたしのようになりたいなんていってくれて、嬉しかったな~。
だって、わたし、昔から何やってもダメダメで、人にそんな風に誉められたことなんてなかったから~」
梓「ふふふ、確かに普段の唯先輩は少し怠けすぎかもしれませんね」
唯「そうだよね~……このままじゃ将来は本当にニート……? う~、考えたくないよ~」
梓「大丈夫ですよ。HTTがありますから」
唯「ほんと? HTTで武道館、目指せるかな~?」
梓「はい!」
90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:13:56.99 ID:xHcEhq6P0
出番を待つ舞台裏で、私は不意に昔の……高校時代のことを思い出していました。
私にとって唯先輩はずっと憧れのギタリストで……それがいつかは最愛の人になっていた。
その過去は今更変えられないし、微塵の後悔もしていない。
唯「最初の曲はどうしようかな~……」
澪「おいおい、まだ決めてなかったのかよ……」
律「相変わらずだな~」
紬「とりあえず唯ちゃんの一番よく覚えている曲から、始めてみたらどうかしら?」
唯「う~ん、それじゃあ『ホッチキス』か『カレーのちライス』か……」
さっきから私はメンバー同士の会話にも入れず、唯先輩の顔も見れずにいます。
口の中はカラカラと乾いて、心臓はドキドキと波打って今にも飛び出しそう・・・・・・。
しかし、いつまでもこのままではいられません。
私は……今日自分の想いに決着をつける!
92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:15:51.74 ID:xHcEhq6P0
ステージに上がると、真っ暗な夜の野外だというのに鮮明にわかるほど、大勢の観客がスキー場のゲレンデを埋め尽くしているのがわかりました。
唯「え~、久しぶりです。放課後ティータイムで~す」
唯先輩の気の抜ける相変わらずなMCに観客が沸きます。
唯「わたし平沢唯、ここ最近ずーっと引き篭もっていたせいで『ニート』だの『お菓子の食い過ぎで太りまくった』だの『池沼』だの色々言われましたけど、どっこい! こうして生きてます! それじゃいきます! 1曲目――」
そうして演奏が始まった瞬間、私はギターを弾くのを忘れ、その場に立ちつくしてしまいました。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!
グワワワワワワワワワワワワワワワワ!!!!!!!!!!!!!!
耳を劈く轟音が唯先輩の弾くギー太から放たれています。
あの頃と何も変わっていない、それどころかパワーアップすらしている……平沢唯のギターでした。
私は既に泣いていました。
やっぱり唯先輩は――何も変わってなんかいなかった。
私も負けていられないと、ビッグマフのスイッチととワウペダルを思い切り踏み込み、ムスタングの弦を掻き毟りました。
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!!!!!!
真夏の苗場に、二本のギターの轟音がどこまでも響き渡ります。
それからあとは、まるで夢の中にいるような感覚でした。
93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:20:38.36 ID:xHcEhq6P0
そして、
唯「次で最後の曲です! でもきっとまた帰ってくるよ~、『ふわふわ時間』!!」
あの曲が始まりました。
――君を見てるといつもハートドキドキ ゆれる想いはマシュマロみたいにふわふわ♪
律先輩が疾走するドラミングで、澪先輩はブリブリに歪んでドライヴするベースとコーラスで、ムギ先輩が幽玄なキーボードで、演奏を盛りたてます。
――AH 神様 どうして 好きになるほど Dream Night 切ないの♪
そして、あのパートがやってきます。
――とっておきのくまちゃん 出したし 今夜は大丈夫かな?♪
ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!!!!!!!!!
間奏のノイズパート、今までのどの演奏よりもラウドに、そして美しくなり響いた二本のギターの咆哮の最中、私は期せずして唯先輩と目があいました。
唯「(ニコッ)」
唯先輩は確かに笑いました。笑ったんです!
そして、史上最長40分に渡ったノイズパートの間、轟音に陶酔していたのは観客だけでなく、
ステージ上で一心不乱に弦を掻き毟り続ける二人のギタリストもまた、この轟音の中で果てない夢を見ていたのです。
95 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 00:23:37.70 ID:xHcEhq6P0
終演後――私は唯先輩を楽屋裏に呼びだしました。
梓「言いたいことはいっぱいあるんです――」
梓「この○年間ずっと何してたんですかとか、ダラダラニートばっかりしてちゃダメですとか、早くアルバムのリマスター盤出せよとか、早くニューアルバム出せよとか、でも今日のライヴは最高でしたねとか……」
梓「でも、一番大事なことを、そう言えば私は自分から一度も言ったことがなかったな、と思って」
梓「だから何よりもまず、それを言います」
梓「私、唯先輩のこと、大好きです」
梓「おそらく初めて会った時からずっと……そして会えなかった時もずっと……そしてこれからもずっと」
梓「唯先輩のことが大好きです」
すると唯先輩は、にっこり笑って、私の頭を撫でました。
唯「あずにゃんの気持ち、全部知ってるよ」
唯「寂しい思いをさせてごめんね」
唯「これからも寂しい思いをさせちゃうかもしれない」
唯「でもこれだけは言えるよ」
唯「私もあずにゃんのことが大好き!」
この瞬間、あの名盤『らぶれす!』の完成を境に止まっていた私たちの時間が、再び動き出しました。
100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:00:21.49 ID:xHcEhq6P0
またさる食らってた……。
(エピローグ)
梓「唯先輩! いい加減に毎日食っちゃ寝食っちゃ寝してないで、新しいアルバム用のデモテープ渡さないと! 真鍋先輩怒ってましたよ!?」
唯「いいんだよ~。和ちゃんは私のことよくわかってくれてるし、あともうちょっと待ってって言っておけば」
梓「ダメですよ! せっかく真鍋先輩が創造レコードと再契約させてくれたんですから、今度こそ期待を裏切らないようにしないと……」
唯「ん~、わかったよ~」
あれから、私はまた唯先輩と暮らし始めました。
しかし、最近になってわかったことがあります。
唯先輩の仕事に時間がかかるのは、コントロールフリークだからでも、こだわりすぎだからでもなく、ただ単に唯先輩が怠け者だからということです。
いや、そんなこと、高校時代から気付いていることですよね(笑)
101 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:01:57.39 ID:xHcEhq6P0
梓「1stアルバムと『らぶれす!』のリマスターCDも出すって断言しちゃったのに、ちっとも作業進んでないじゃないですか!
これじゃまた2ちゃんのHTTスレに『平沢唯がニートに再就職www』とか『平沢早くCD出せや』とか
『また出す出す詐欺か』とか『YOSHIKIとどっちが先にCD出すか賭けようぜ』とか書かれますよ?」
唯「う~、あずにゃんのいじわる~……」
でも、昔と違うのは、唯先輩の隣には私がいること。
梓「ほら、私も手伝いますから。アルバム用のデモテープ、早く作りましょう。
曲の原案はもうできてるんだし、澪先輩も律先輩もムギ先輩も首を長くして待っていますよ?」
唯「……うん。そうだね、あずにゃんと一緒なら、面倒くさいデモテープ作りも楽しいかも!」
ただ、いい加減に無自覚で恥ずかしい台詞を言うのは止めて欲しいものです。
梓「そうですね。私も楽しいです」
でも、もう認めちゃいます。
この人には、一生かかっても叶いそうにありません。
そんなことを考えながら、私は今日もムスタングでかき鳴らす轟音の中で、小さく『唯先輩、大好きです』と囁いてみるのです。
(おわり)
104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:06:03.66 ID:xHcEhq6P0
終わりです。
HTTのモデルとなったバンド→My Bloody Valentine
唯のモデル→ケヴィン・シールズ(同バンドのリーダー)
梓のモデル→ビリンダ・ブッチャー(同バンドのギタリスト&ボーカル、ケヴィンの妻)
その他モデルとなった固有名詞色々。
でした。
GW中に読んだ、同バンドのアルバム『Loveless』にまつわるヒストリー本と
昔ロキノンで連載してたシューゲイザーの主人公が青春パンクに立ち向かうというカオスな漫画、
なんかからモロに影響をされています。
百合を書くのは難しいですね。
なにはともあれ遅くまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
そして、とりあえずケヴィン、早くCD出せや!!!
107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/17(月) 01:10:18.35 ID:fuhtaAFV0
乙
元ネタ知らないけど相変わらず楽しめたよ
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音楽性を主体にしたSSは珍しいな