考察:「片想い」している女のコは可愛い
二次元における恋愛はその記号性によってか、より「純粋に」、より「真っ直ぐに」、より「一途に」描かれることが多いです。彼女らには一切の打算も迷いもありません。無防備に相手を想うその姿は、フィクションだからこそ僕らを惹き付けるのかも知れませんね。
現実の僕らの恋は移ろいやすく、妥協の連続で、決して美しいものばかりではありません……「だけれども」というよりも「だからこそ」、僕らは“純粋な恋愛”を描き続ける二次元が好きなんでしょう。
まぁ、小難しい理屈なんかは置いといて。
「片想い」している女のコって可愛いよねというお話です。
厳密に言うと、別に「片想い」でなくても「両想い」でも構わないんですけど―――
第三者の立場から見ると、その恋が成就してカップル成立なんかしてしまうと途端に魅力を失ってしまうものなのです。やっぱり、行き場のない独りよがりな「片想い」な状態が、傍から見ると一番美しいんですよね。
誰の言葉なのかビミョーに覚えていないのですが、数年前にどこかの漫画サイトで「少年漫画の恋愛は恋人同士になるまでを描き、少女漫画の恋愛は恋人同士になってからを描く」と書かれていたのを覚えています。
確かにそういう一面はあると思います。少年漫画におけるラブコメのハイライトは告白シーンですもんね。
ただ……「じゃあ、どうしてそうなるのか?」という理由までは書かれていなかったように思います(単に忘れてしまっただけな気もするけど……)。なので、僕はそこから数年間ずっと考えていたのですよ。何故、少年漫画の恋愛は「片想い」を描くのか―――
「少年漫画を読んでいるような男は童貞ばっかだけど、少女漫画を読んでいる女は進んでいる」
まぁ、別にこれが答えでも構いませんけど……あんまり現実的ではありませんよね。少年漫画は女のコも読んでいますし、モテない男のコでも少女漫画が好きな人はいます。そもそも作品=読者だったら、『ドラゴンボール』好きなヤツは全員天下一武道会を目指しているのかよって話です。
要は、少年漫画の作風―――喩えば、インフレしていくストーリー展開とか、一つの目標までを描く明朗さとか、大逆転で得られる爽快感とか。そうしたモノに照らし合わせて少年漫画で恋愛劇を描いていくと、“カップル成立前の片想いの時期”を描くのが一番ピッタリ来るということなのかなと現在の僕は推察しています。
「片想い」の話って、「トーナメント戦」に似ていると思うんですよ。
・相手との距離をイベントやフラグによってちょっとずつ縮めていく(=トーナメントを勝ち上がる様)
・告白して、OKをもらうという最終目標(=優勝という目標)
・フラれるか/OKかの瀬戸際での緊張感(=勝ち/負けしかないトーナメント戦の緊張感)
なので、少年漫画の恋愛劇が「片想い」を描くのも当然。
もし、恋人同士になってからの話をインフレさせていったり、最終目標を作ったりしちゃうと……少年誌には決して載せられないピンクな話になってしまいますからね(笑)。
「片想い」の結末には勝ち/負け(=成功/失敗)があるけれど、恋人同士の結末には勝ち/負けがないというのも一因かも知れません(なので、意図的に一旦破局方向に話を向かわせなければならないというジレンマが生まれてしまいます)。
んでまぁ……こうした背景と繋がってなのかは微妙ですが、「片想い」キャラというジャンルは確実に存在していますよね。ここで例を挙げるのも、枚挙に暇がないくらい。
多分、僕が生まれる前から存在するのでルーツとかは分かりませんけど、男女が数人出てくる物語には多くの場合「片想い」しているキャラが出てくるというものなのです。むしろ、出さずに男女の物語を描くなんて相当難しいぞ、と。
そうそう。「貧乳」カテゴリー話なので、「片想い」している女のコは可愛いよねと書いてきましたけど……コレは別に男キャラにも言えた話であって。やっぱり男が男を見る時も、「片想い」している男を応援したくなるもんなのですよ。報われそうになかったり、分不相応だったりすれば尚更。
言わば、「片想い」キャラというのは男女ともに使える伝家の宝刀なワケです。
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○ 「片想い」をくっ付かせない寸止め手段
とまぁ……「片想い」の素晴らしさを切々と語ってきましたが、じゃあ登場人物を全員「片想い」にすれば良いのかというと難しい問題が生まれます。喩えば、男の主人公と女のヒロインが互いに「片想い」していたとしたら、いつかはくっ付いてしまいますよね。
完全に一方通行のパターンであっても、「こんなに想われているのに、どうしてこの主人公は振り向いてやらないんだ!」と観ていて怒りを覚えることもあります。
いつまでもくっ付かないと不自然だし、物語途中でくっ付いてしまうと魅力を失ってしまう―――「片想い」を描くということは、こうしたジレンマとの戦いでもあるのです。
しかし、日本の二次元文化というものはやはり凄まじいものがありまして。“如何にして想い合っている二人をくっ付けないか”という創意工夫が、これまでに着々と積み上げられてきたのです。言ってしまえば―――「片想い」の恋愛劇の歴史というものは、想い合っている二人を如何に寸止めさせるかという手法の歴史だったりするのです。
手段1.“心に引っかかる”外因を使う
主人公と相手役―――どっちが男でどっちが女でも構わないんですが、その二人の間に“二人ではない”外からの要因をぶつけて二人をくっ付けない手段ですね。
80年代ラブコメの代表『タッチ』で紹介すると―――互いに想い合っている達也と南の気持ちは序盤で明らかになってしまうのですが、二人がくっ付くことが出来ない理由というものがあって(ネタバレになるので何かは書きません)、それが終盤まで尾を引いているということが作中でしっかりと描かれているのです。
『みゆき』は言うまでもなく、『ラフ』も『H2』も、あだち充作品は“如何にカップル成立させないか”の絶妙な線引きを描き続けているとも言えます。
僕は読んだことないんですが、あらすじを聞いた限りだと『めぞん一刻』も『タッチ』の手法に近いっぽいですね。
三角関係とかもこれに当てはまるのかも知れませんが―――あくまで「アイツがいるから」ではなく、「アイツがいるから自分はこう思う」部分がストッパーになるというのがポイントです(三角関係は必ずしもストッパーにならず、接着剤になることもあるので注意が必要!)。
アニメ版『舞-HiME』で舞衣が苦しんだのは三角関係の相手の存在ではなく、その相手としてしまった「約束」の方だったというのが象徴的ですね。
この手法は、言ってしまえば描き手の“見せ場”でもあるので……作品の数だけ“引っかかる”外因が存在するとも言えます。むしろ、ここを考えずに「片想い」のキャラなんて作れるかというほどに。
手段2.“タブー”を使う
「何故、人はタブーに惹かれるのか…」というのも議論できそうですが、長くなるのでここでは言及しません。惹かれるかどうかは置いといて、“タブー”をストッパーとして使う例は多々あります。
二次元じゃないけど『高校教師』とかはまさにそうですね。
『恋風』のように、ガチで近親相姦に悩む話とかも分かりやすいです。
あとは………ちょっと変化球ですが、百合をこの方面で使うということもありますね。
「百合」というよりは「ガチレズ」という言葉の方がしっくり来るか。どんなに想いが尊くても実る未来のない恋だからこそ、秘めたまま終わりやすい想いというか……ラブコメだとギャグチックに描かれやすいですけど(『あずまんが大王』のかおりんとか)、真剣に考えると相当に切ない話ですよねー。
なので、僕自身……「百合が好きだ!」と言っていても、『ストパニ』のように“女性同士の恋愛が普通の世界”はあんまり好きじゃなかったりします。やっぱりそこは背徳というか、後ろめたさがあってこそだろう!と勝手ながら思ってしまうのです。
手段3.いっそのこと“ハーレム”状態にしてしまう
いやホント……最初にハーレム状態のキャラ配置を考えた人って天才ですよ。
元々は三角関係の延長線上だったのでしょうが……二人の女のコから言い寄られてどっちにするか悩んでいるような男は激しく「死ねばイイのに」と思うのですけど、それが五人にも六人にもなるともうシチュエーションコメディにしか思えなくなってくるというか。
互いの存在が互いにストッパーになりつつ、一種の競争原理で各ヒロインがそれぞれの良さをプレゼンしてくるという考えられたキャラ配置。その上で、そうしたヒロイン達は(基本的に)全員「片想い」キャラなんだから隙がありません。
唯一のマイナス点は「現実的ではない」ということだけなんですが、そこさえ気にしなければむしろストーリーは作りやすいし、キャラはそれぞれ良いところが描けるし―――むしろ、ハーレム漫画を描かずして何を描くんだという気になりますね(笑)。
まぁ……あまりにもハーレム状態の作品が増えすぎても、新鮮味がなくて飽きられるんでしょうけど。
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○ 「片想い」から「○○萌え」へ
ここまで「片想い」を語ってきてアレなんですけど、やっぱりどのキャラも「片想い」なんてキャラ配置は難しいですよね。
いやはや。ハーレム漫画が最高だみたいなことと矛盾してしまうのですが、恋愛って基本的に結末まで描かなければなりませんし―――そのためには、大量の「片想い」キャラを出してしまうと、後々に大量の不良債権を抱えてしまうことになります。ハーレム作品って、その辺どうしてるんでしょうね?
なので……「片想い」とまではいかなくて、簡単に描けるのが「○○萌え」。「○○好き」とか「○○ファン」とか「○○ヲタ」と言い換えても良いです。そのキャラが深く愛しているものを設定するという方法です。
そもそも「片想い」の何が素晴らしいのかって言うと、その純粋さや一途さだったのだから―――別に「片想い」でなくても、そのキャラが純粋で一途に好きなものを描いてしまえばイイのです。
それが「ねこ好き」だって「ライトノベルヲタ」だって「妹萌え」だってイイから、そのキャラが目を輝かせて愛を語れるモノがあるというのはキャラ付けとしても大きいし、受け手からしても感情移入しやすくなるのです。
「何考えているか分からない」キャラよりも、「好きなモノがあるという一本線が入った」キャラの方が愛着が沸くものですからね。
そう言えば……「何考えているか分からない」代表格みたいな綾波レイですら、ゲンドウとの関係がキッチリと序盤から描かれていましたね。その辺を勘違いして、ミステリアスなヒロインにしよう!と何もかも謎なキャラを作ってしまうと失敗しちゃうよということなのか。
一昔前は兄弟姉妹の物語を描くとなるとどうしても“コンプレックス対象”の方が強くてギスギスしていたと思うんですが、ここ数年むしろ兄弟姉妹でイチャイチャするケースの方が多くなったのはそういう理由があるのかも知れませんね。“嫌いなもの”よりも“好きなもの”の方が、キャラを輝かせますから。
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以上、いつものようにちっとも貧乳と関係ない「貧乳」カテゴリー話でした。
こうした「貧乳」カテゴリーの話を書いていると毎回思うんですけど……(もちろん僕が元々好きだからそう考えるという側面もありますが)『舞-HiME』って、よく考えられた話だったんだなーって思います。
観たことない人にはチンプンカンプンでしょうが、あの作品って“片想い”を“超能力バトル”として“学園群像劇”に仕立てて描いた作品ですからねー。あそこまで「片想い」を作品の軸として描いた作品は、他にはちょっと思いつきません。
だからと言って、「片想いしている女のコは可愛いなぁ~」と思えたかというと別なんですけど(笑)。
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