読んだら一生忘れない一撃必殺のコメントにするたった一つの方法
アドバイスと言うのはどんなに的確でも受け取る心に準備が無ければスルーされる。ブコメのアドバイスなど絶対相手には届かない。であれば読んでる第三者に楽しみながら学んでもらう事に専念すべき。で、ああなるのだ / “不快なはてぶコメントを…” http://t.co/gSpA4NC1SK
— Xevra Lindich (@xev_ra) 2014, 5月 3
Twitter / xev_ra: アドバイスと言うのはどんなに的確でも受け取る心に準備が無けれ ...
私がコメントを書くときは
誰に、何を、どうやって、届けたら社会がより良くなるのか
に、注意しながら書いている。
このトピ主は
と、書いているが、それが一番やってはいけないコメントなのだ。
まず第一に「執筆者に読ませようとしてる」この時点でアウト。
私のブコメはtwitter合わせて3000人弱の読者が居る。読者以外にも読まれるから1万人弱が見る事になるだろう。それに対して執筆者はたった一人。1万:1であるのだからどっちを向いて書いたらより社会に貢献できるかは自明。元記事の執筆者など最初から興味ないのだ。
ちなみに、元記事が釣りでも構わないというのはこの理屈で説明がつくだろう。読者が読んでくれれば釣りでも何でも構わないのだ。
次に「アドバイスを違和感なく」と言うのが全然ダメ。当たり障りのないようにオブラートに包んで伝えようというのは絶対やってはダメだ。そんなコメントは0.5秒でスルーされる。全く誰の記憶にも残らない。どんなに正しく、どんなに良い事を書いてもスルーされては全く意味がない。例え激しく拒絶されようが読者の心に刺さる形にする事、これが最優先事項だ。
私はこう書いた。
これを読んだ人は、冷房を強くかけたい人だとちょっと嫌な感じになり、冷房を強くする事に少し心の中に引っ掛かりができる。また、冷房を弱くして欲しい人は日頃思っている事が書いてあるので胸がスーッとするし、「個別に扇風機を当てる」という解決策付きなので次に議論になった時に提案できるのだ。
結果として、冷房強くして消費電力が増えるケースがほんのわずかだが減り、また、寒さで困っている女子の方々の負担もほんのわずかだが軽減される。
なんと! 社会の役に立ったではないか!
もちろん、極微々たるものではあるが、こうやって毎日毎日メッセージを発信し続ける事で社会がほんの少しでも良くなれば、より住みよい社会になって私の人生も楽しくなる。
だから今後もこのスタンスは変えないし、日々、社会が良くなるにはどうしたらいいか考え続け、メッセージを工夫して発信し続けたいと思う。
応援よろしくお願い致します(´ω`*)