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2012年6月18日月曜日

希望の有る無し。

「この人生には希望がない」と軽々しく言うが、希望が無いのはこの人生に限った話ではない。どの人生だって似たようなものだ。にも関わらず、この人生には、という常套句が口を突く。問題は希望の有る無しではなく、他の何かの有無なのだろう。この人生に欠けているものが希望ではないとすれば、一体なんなのか。眼球を脳魂に向けてぎろぎろと動かしてその正体を探ってみたが、めぼしい物は見あたらず、結論らしきものには辿り着けず。むしろこの人生には、希望というものが存在しているが故に僕の人生は上手くいかないのではないかと思うに至った。当人が希望などではないと思っているものを全て奪い去り、存在していないはずの希望を踏み躙り、二度と希望などというものを抱けぬように追い詰めてやれば、この人生はそこではじめて未来が開けるのではないか。邪魔をしているものは儚い希望であり、淡い夢なのだ。有りと有らゆる手を使い、それを叩きのめして完膚無きまで、そこが初めてのスタートラインなのだ。

2012年6月15日金曜日

ろくでもない

一日中活字にするのも憚られるような最悪な気分と戦い続け、それが肉体的及び精神的な疲労困憊と共に体感温度としては薄れてゆき、この程度の塩梅ならばこの最悪な一日の終わりに僅かでも、ほんの少しでも前に進めるのではないかと、寝る前にほんの少しだけ頑張ろうなどと安易な考えで何かをすると、どつぼに填るばかりでろくな結果を生まない。今日一日に限った話ではなく、生まれも育ちもそうなのだから全て悪い方にしか転がらない、とまでは考えたくはないが、事実はそんなもんだろう。想像しうる中では最良の最悪の一日だった、という事で肯定的に評価すべきか。ああもうほんとくだらない。

2012年6月12日火曜日

壁を見る。

なんの前触れも無しに意味もなく右上を眺める仕草が何かに似ていると常々思っていたのだけれど、デンマークオランダを見てわかった。レドナップだ。あれは何を見ているんだろう。僕の場合は壁を見ている。

2012年6月11日月曜日

心にもないこと

心にもないことを適当にでっち上げて、心にもないことを適当に書けば、心にもないことで適当に開拓された、一反ぶんの畑になって、耕さられず植えられず、ただの一度も目を向けられず、打ち棄てられて荒れ果てた、人目に付かぬその場所で、遠く忘れた時を経て、困難さの遠い先祖が息吹いて芽生えて生い茂り、蟻を纏い鳥を纏い、そよ風で巻き起こる巨大なざわめきをまとい、先へと、先へと、新緑の初々しさを武器に侵略してゆく。

2012年6月2日土曜日

雑記。

季節が変わって小鳥が鳴くから、今が朝なのか夕方なのかがわかるようになった。朝だ。急いで寝よう。

2012年5月28日月曜日

70時間ください。

70時間ください。
私に70時間ください。
あなたの70時間ください。

テレビを見たり、目を瞑ったり、手を叩いたり、そんな風にして消えて行く時の切れ端をわたしにください。たった70時間わたしにください。70時間あれば超えられる壁があるのです。70時間あれば辿り着ける道があるのです。dota allstarsにして90ゲームぶん、たった70時間わたしにください。掌に爪を軽く刺して、その上に折った肘を乗せて、うっぷして過ぎていくそんな時間を、どうかわたくしに恵んでください。失われていく時間をください。すり潰さずにわたしにください。少しでいいから譲ってください。たった70時間、ほんの70時間でいいのです。私に時間を譲ってください。そんな風に、冷たい目をしてだるそうに、口を開けたままでちらちらと、軽蔑しながら見ないでください。お願いだから、信じてください。私の願いを信じてください。溜息ばかり、くたびれてばかり、傷ついてばかり、挫けてばかり、わけもなく心を乱してばかり、そんなあなたの無量の時間を、ほんの少しだけ私にください。チャンスをください。わたしにください。70時間を頂けたなら、私は必ず無駄にはしません。一分一秒大切に、捨てる事なく使い切ります。だから、信じてください。私の未来を信じてください。馬鹿にしないでください。見下さないでください。お願いだから、わたしにください。70時間ください。わたしにください。

「ベルギーで午前7時に放送された性教育番組」の真意はどの辺にあったのか。

あの動画はどのような意図で制作されたのか。

Neveneffectenはシーズン1の放送が2005年、シーズン2の放送は2008年。あのコントが流れたのは、2008年の12月26日に放送されたシーズン2のラストエピソード。「飛び散るだけ飛び散って何も残さない」「大地に染みこんでいく」というコントは、彼ら自身の隠喩。「出し尽くして種が尽きた」「十二分に気持ちよくなったが、もうこれ以上は気持ちよく無い」というのもまた、彼ら自身の暗喩。断片だけを切り取ると、制作者の意味が全く伝わらないという事を示した例。物事は文脈が全てなんだよ。意味は文脈にこそ宿るんだ。断片だけ切り取っていい気になる為のツールであるtumblrとかいうウェブサイトを使っている奴らは全員屑であり社会の敵であり害悪なので今すぐ死ね。1人残らず死んでしまえ。




なお、彼ら(彼らは4人組みです。)は、あのコントで明示されたように、種を全て撃ち尽くして、しなびて終わってしまったわけではなく、あのコントで暗に示されたように、再びエレクチオンしたらしく、wikipedia(nl:wikipedia)によると、彼らの新番組は2011年の1月から2月にかけて放送され、6エピソードで平均視聴占拠率42%。

それと、あのコントが役者を用いた形のコントではなく、CGアニメーションだったのは彼らのリーダー格のJonas Geirnaertが、ゲント王立美術アカデミーで学んだアニメーター/漫画家だったから。彼が制作に大きく関わったショートフィルムは幾つかの賞を取っているようだ。

大切ではないものを捨てる事について。

大切なものだけを保持し、それ以外のものを捨て去り身軽になる事は、正しい術であると思う。けれども、どんなに大切なものであっても、気をかけて大切にし続けないと、色褪せてしまうという事を忘れてはならない。どんなに大切なものであっても、少し目を逸らした間に大切なものではなくなってしまう。

大切なものを両手に抱え、「これは大切ではないから」とゴミ箱に放り込んでいるあなたが今捨てているものは、かつて大切だったもの。そして、今も大切であったはずのもの。将来にわたってあなたの役に立ち、あなたを支える大切な何かだったもの。

大切でなくしたのはあなた自身。
それを汚したのはあなた自身。
大切にしなかったあなたのせい。

今現在手元にあるものを、「これは一生色褪せないから」と安心しきって抱きしめているけど、それだって、毎日大切に埃を払って磨かぬ限り、あっというまにくすんで、しなびる。大切ではないものを捨てるかどうかなんて、どうでもいいこと。肝心の事を忘れてはならない。

大切なものを大切にしよう。
大事なものを大事にしよう。

2012年5月27日日曜日

また日曜日。

眠いのは眠っていないせいだし、だるいのも眠っていないせい。眠らないのは眠りたくないからで、眠りたくないのは眠ったところで元気になるばかりだと知っているから。元気になったところで、何もよくならないと知っているから。好きな人がいないのは誰かを好きになろうとしていないからで、愛されないのは愛されようとしていないから。生まれてきたのは前世の行いが悪かったからで、毎日が上手くいかないのは当然の報いを受けているから。幸せじゃないのは幸せになろうとしていないからで、支離滅裂を口走るのは眠たいから。眠たいのは確か、眠っていたのにすぐ起きたからで、せっかく眠っていたのにすぐ起きてしまったのは、眠っている気力を失ってしまったから。口を閉じる事が出来ない。大きく息を吸う事も出来ない。気紛れで移り気な、埃塗れの部屋の空気が、僕の胸元をウインドウショッピングしては立ち止まることすらなしに死んだ目で視線を寄越して帰って行く。窒素酸素の一粒までにも、幸せな家庭があるんだろうな。あったかい布団で眠るんだろうな。

2012年5月26日土曜日

右から左にデマを拡散する人達

ロケットニュースというゴミサイトがまたデマを撒き散らしてるよ。

2012年5月25日金曜日

眠り続ける強い意志

頼るものなく生きていると、諸悪の根源を意志に求めるようになる。自分は意志が弱いから何もできないのだ、そして意志があれば何でもできるのだと思うようになる。前向きに、進歩的に生きるには、意志こそが一番大事なのだと思うようになる。ところが、意志は往々にして無力である。どのような強い意志を持ってしても、僅か24時間という短い時間ですら、眠り続ける事は不可能である。自らの意志を攻撃する人は、そのような論理で動いている。達成可能な目標ではなく、達成不可能な目標を選り好んで選択し、当然ながらし損じる。千載一遇の好機とばかりに自らを攻撃する。自らの意志を攻撃する。意志のせいだ。意志が足りないせいだ。

意志バッシングへと通じる道には、幾つかの経路がある。その中で最も巨大な経路は、達成可能な目標の喪失だろう。人間は10分起きているだけで、無数の目標を手に入れる。顔を洗おう。歯を磨こう。着替えよう。鼻歌を歌おう。何か食べよう。小さな目標が矢継ぎ早にクエストログへと登録され、それをサクサク処理しながら生きる。それが人間というものである。ところが、時としてそれは崩壊する。成し遂げられて当然のはずの目標が、達成不可能な目標になる。顔を洗うには水が必要で、歯を磨くには歯ブラシが要る。着替えるには新鮮な服が必要で、鼻歌を歌うにはそれが許される生活環境が不可欠である。目標が達成可能な目標として成立する為の根底条件が崩れると、突如目標は牙を剥く。達成不可能な目標として、人間の身心に癒える事の無い傷跡だけを残してあっという間に去ってゆく。個々の目標は砂粒のように小さくても、流砂の中を飛ぶ鳩のように、傷つき、消耗し、空を飛ぶ力も失ってゆく。もう二度と太陽すらも拝めない。

それでも、目標は生まれる。
10分起きているだけで、無数の目標が生まれる。

それら全ての目標は、有害な存在である。心に思い浮かんだならば、すぐに棄却されるべきである。達成不可能な目標だからと、無視されるべきものである。捨てられて然るべきものである。ところが、目標というものは、本来ならば大切なものである。人間を突き動かし、人間を生かし続ける、ガソリンであり馬であり発動機である。本来ならば大切なリソースである。かけがえのない資源である。故に人は、目標をなかなか捨てる事が出来ない。達成不可能な無数の目標を大切に抱え込み、やがて身動きがとれなくなる。いつか使える日が来るかもしれないと、捨てられるべき目標を毎晩大切に磨き上げる。しかし来ない。そんな日は来ない。

目標を抱えている限り、一歩も動けない。そしてまた、捨てるつもりもない。何かに使える日が来ると信じている。それでも使わず大切に、保持し続ければ動けない。そうして、人は、使い道を探す。何かを攻撃する手段に使おうとする。選ばれたのは意志だ。強い意志だ。意志を攻撃する。今ではもう完全に、達成不可能となった小さな目標を掻き集め、団子を握って、目一杯に投げつける。意志だ。意志のせいだ。おまえに意志が足りないせいだ。できない事を思い浮かべて、全てを意志のせいにする。僕には意志が足りていない。意志が足りないから駄目なんだ。

2012年5月24日木曜日

今日も元気だ頭が痛い。

頭が痛いと、よく「首から上は爆発してしまえ」とか思うのだけれど、何らかの経緯をへてそのように思うようになったわけではなく、ただ単純に爆発しそうに痛いだけだったんだという事に、今気がついた。たとえばお医者さんに「どんなふうに痛いですか?」と聞かれて「爆発しそう」としか答えられないとすると、それは色々と問題がありそうだけれど、僕の人生においしゃさんは登場しないので、そんな心配は不用なのだ。今日も頭痛でブログのエントリーが意味不明。頭痛じゃなくても意味不明だけど、両者は全然違うんだよ。

また、頭の痛さを「爆発しそう」でしか表現出来ない自らの痛覚の貧しさに少し悲しくはなるけれど、これに関しては昔はもっと豊かだった、としか答えられない。繰り返す痛みの中で情緒や豊穣さ、あるいは多様性といったものが小さな所から摩耗してゆき、爆発というどーでもいい巨大な感覚だけが生き残った。だから少しでも苦しい事や辛いことがあると、爆発しそうだ、ああ爆発しそうだ、と文句ばかり言っている。もちろん爆発なんてしない。勝手に大げさに騒ぎ立ててやれ爆発だ、それ爆発だと言っているだけ。あああ、もう痛くて痛くて爆発しそう。

少し前に気がついたのだけれど、お腹が空いているという事に気がつかずに、飢餓状態で起き続けていると、ある時点で突然一気に具合が悪くなる。もしかして、今日の爆発もそれかなーと思ってご飯を一握り食べたら、吐き気を催して胸元が爆発しそう。あー、もうどうしようかな。痛いとか、しんどいとか、具合が悪いとか悲鳴を上げながらSOSを求めたところで、そんなのいつもの事じゃんと、少し口を開けて微笑みの前兆で表情を固定したまま、豚のように鼻で笑ってそれでおしまい。アテンションプリーズったって、爆発しそうな痛みくらいじゃ、僕は自らの注意すら引けない。興味が無いんだよ、あんたには。

2012年5月23日水曜日

自分の心を自分で書きたい。

自分の言葉を自分で書きたい。他の言葉を使いたくない。他の誰かで書きたくはない。自分の心を自分で書きたい。拾い集めない。寄せ集めない。自分の思いを自分で書きたい。コンピュータとキーボードの力を借りず、紙と鉛筆の力も借りない。そんなものを使いたくはない。物理法則の力も借りない。そんなものを利用したくない。真性引き篭もりhankakueisuuも僕には要らない。そんなものに仮託したくない。自分の力だけで書きたい。1人で書きたい。もっと書きたい。もっと何かを伝えたい。何も用いず、僕は書きたい。仮託しない。乗らない。使わない。利用しない。もっと正しく僕は書きたい。

2012年4月23日月曜日

狭間で。

なんでも自由に書いてもいいよ、ってそんな簡単に書けないよ。
自らに向き合う事が苦手だからさ。おそろしいのさ。
「こんな夜明けに目が覚めて、いったいどうすればいいんだろう」
なんて絶望の書き出しで、何か書くだなんて無理なんだ。
もうその一行で全ては終わっている。
夜明けに目が覚めたという現実と、それに対する戸惑い。
それで全て。反省とか、後悔とか、そんなものすら無い。
時計を見れば月曜日。勝利を求めて心は泳ぐ。眠たい。寝よう。また寝よう。

2012年4月16日月曜日

殺しのライセンス

アメリカとソビエト以外の多くの国が殺人を法律で禁止する中、我が国では、殺人免許証が発行され続けていた。しかし、それも昔の話である。幾つかの怪訝な殺人が明らかになり、免許証の発行基準が疑われだした。そうなると、世間はあっという間である。マスコミは殺人免許証の問題点を、おどろおどろしいBGMの中で放送し、学者は殺人免許証の後進性を高いながらも笑顔の声で身振り手振りして語り始めた。新聞は40年も遡って殺人免許証が引き起こした幾つかの不幸せを白日の下へとほじくり出し、BBCのみならずアルジャジーラまでがそれに便乗して取材班とは名ばかりの内政干渉専門の斥候を送り込んできた。殺人産業はこれまで通り、広告費を懸命に散蒔いたが、おりしも若者の殺人離れと原油高、リーマンショックとの三重苦で、かつてのような洗脳統制はもうとてもではなく、行えなかった。国は、揺れた。そして遂に、万系一世、不敗不滅の皇国に遂に、お言葉がもたらされた。十分に配慮すべし。その一言を受けて、殺人免許証に関する法律が全て改正された。免許取得の規準は完全に改められた。女は脳に根本的な欠陥があるとされ、殺人免許証の取得が完全に禁止された。タダ同然であった交付費用は、帝国大学の初任給を上回る金額に引き上げられた。我が国の先進的な科学の粋を結集させて制定された新たな法と、それに従う高給取りの免許官らは、整然と的確に平等をもって殺人免許証を人々に交付し、新たな法が施行されてから一年間で、5000人が適切に殺害された。

2012年4月15日日曜日

ohlife雑記。

孤絶した環境で簡単に日記が書ける、というところまではいいんだけれど、気分で走り書きしたくなってさっと書いてSAVEボタン押した際に「アーレディトゥデイエントリー」みたいなのが赤字で出るとストレスフル。1日に1つしかセーブ出来ないとか、どれだけインターフェースや使い勝手が良くても無理、やっぱり無理。かと言ってhowmで書いてると300字くらい書いたあたりで気が散って他の事を書き始めてしまう。なので、どうしても孤絶した走り書き環境が欲しくてローカル日記系のアプリ漁ってみたけれど、ろくなものが無い。ohlifeとhowmが規準になってしまうので、それ以上のものでないと使う気にならない。こまった、と探していたらエヴァーノートというのが自分のパソコンにインストールされていた。これを走り書き環境として利用しようと思い立ち、グッドアイデアだなとテンションあがって操作方法メモったり調べたりしていたら、tomblooに対応していたので邪心が芽生え、ブックマーク環境として使ってみようと思ってしまった。僕は絶望的なまでにブックマークが出来ない人間で、ほとんど全てのウェブサイトにgoogleを使ってアクセスしているような人間なので、これで解決するかも、と思っていたらエヴァーノートってソースURLで検索出来ないのか。終わった。このどこが自分をgoogle化する夢のツールなんだよ。終わってんじゃん。あ、普通にtombloo+deliciousを気合い入れて再開すればいいのか、解決。いや、探していたのは走り書き環境であって、ブックマーク環境ではなかった……どうする。

2012年1月2日月曜日

お湯を沸かして右手を突っ込んだら火傷した。

何やってんだ。馬鹿か。

2012年1月1日日曜日

無念さ。

頭が痛いので少し眠ろうと、一日中眠って過していたら酷い頭痛に無念さが込み上げ、明日こそはと直向きに思う。今ならばアンパンマンの気持ちがよくわかる。誰かに頭痛を食べさせるだけで感謝される生き物に生まれたならば、僕だって笑顔で毎日を気持ちよく過ごせただろう。同じ事をしようにも、僕の痛みは黒くて汚いバイ菌で出来ており、誰の役にも立ちはしない。心を強く持てというフレーズが頭痛の合間を駆け巡る。強い心は我が身を滅ぼす。滅びる為に蘇るのか。

2011年12月28日水曜日

今年はブログを諦めたので雑記。

ブロガーとしての魂からテンションが張り詰めてしまい、身分不相応に張り切りすぎて丁目しか無い丁半博打に打って出て精神が完全に崩壊したので今年はもうブログの更新を諦めた。


1つ諦めたら少しだけだけれど、気が楽になりとりあえずdota allstarsをインストールしてアンインストールしてインストールしてアンインストールしている時点で救いようがない。フェニックス1体でも大概だったけれど、今回はそれが5体くらい。ぎりぎりの所でナイトはOK(それでもバフ付きAOE nukeとか明らかに100キャラ越え時代の新ヒーローを象徴する糞性能だけれど)、鳥は行く行く多少調整されるとして、問題はあとの2人。まずシェーダーは煽りでもなんでもなくLoLに行って二度と帰って来ないで欲しい。設計から性能まで全てが悪い意味でLoL。体感cd2秒の疑似blinkとか、dota allstarsではありえない。それどころかLoLでもありえないくらいの酷さ。一番バランスが悪かった頃のdota allstarsの凶悪さとLoL的な凶悪さのハイブリッド。パンダはultにストック数に応じて100/150/200くらいの設置コストを付けてほしい。視界確保cd0マナコスト0+100aoe nuke無敵高速疑似blinkが1つのスキルでシナジー有りとか作ってておかしいと思わなかったんだろうか。あとaxeこんな事してどうするんだろう。射程900瞬間発動cd5秒600dmgマナコスト105buff有りslow有りnukeを持つtankって一体何だろう。しかも、他のスキルも無駄無く強くステータスも良い。これはひどい。本当にひどい。もし今真面目にpickするなら、シェーダーかaxe、enigma。あとは好みでCM、om、ぎりぎりpuckくらいしか引かないと思う。一方で昔ガチ時に使っていたheroは、side rangeの大黒柱だったサイレンサーまで遂に完全にendeadして全滅。これでフォーススタッフ+ゴーストセプターの筆頭はdestか。一応invokerも。

もう一度書くけれど射程900瞬間発動cd5秒600dmgマナコスト105buff有りslow有りnukeを持つtank。これがおかしくなくて一体何がおかしいのか。全盛期specや全盛期bs、出たてのfenix、デスワードsa辺りの壊れキャラといい勝負出来るレベルだと思う。BKB貫通meepoの次くらい。dota allstarsがはちゃめちゃな糞さを内包したゲームだったのは太古の昔からだけれど、ごった煮imbaの複合スキルを入れまくるという方針は以前の「調整に失敗しました」というひどさとは全く種類が違う酷さ。ice frogはこんな複合スキルによるimba実装をしたいのならs2 gameingに行ってLoLでやるべき(って書いたけどlolはs2ではなかった。)。dotaは聖eulに返還すべき。



いつか見た馬鹿試合。

10人中で明らかに一番上手いM5.santaのエニグマが1人で作った貯金を相手方で一番上手いpotmが1人で全て取り返すという無茶苦茶なゲームだった。最後の最後でpotmのsmoke+ultがワードで返されて敗着かと思いきや攻めが甘くてpotm復活して終了。レベルは低かったけれど、面白かった。wc3でも言えた事だけれど、レベルが高ければ面白いってわけではない。

野試合を見た感じ、野試合での個人性能は未だにkuroky>pgg>>loda>dendiだと思う。dendiは想像以上に普通のただの上手い人だった。昔はgangの人だったのに、そのスタイルでソビエトが失墜して以降はなんてことない普通のチームプレイヤー。逆に野試合だとpicker性能と勝負感の有るpggが怖い。ただガチとなるとモチベーションとチームメイトが大事だからdendiはその点で今強すぎる。Lodaのモチベとリアルはプロゲーマーとして完全復活するにはもう絶望的なんだろうか。名残惜しい。kurokyのモチベとリアルも崩壊寸前といった感じでこちらも終戦ムードか。kurokyはドイツ語話者の枠を越えられなかった。kurokyが中国人かロシア人なら。せめてアメリカ人かシンガポール人かマレーシア人かスウェーデン人なら・・・。ドイツっていうのはdota allstarsにおいては致命的だ。

2011年12月26日月曜日

眠たいのならケーキを食べればいいじゃない。

一週間ほど、ほとんど眠れていない。

眠っていると、寝ている場合ではないと自らの意志に叩き起こされてしまう。眠っている場合ではないと思う理由がブログ書くべし、であるから手に負えない。朝も夕も無しに、睡魔と、寒さと、ブログ書くべしというプレッシャーに追い回されてロシア語のストリーミングを見たりしている。とにかく、無駄に過している。何と決別すれば前進できるのか。どうすればいいんだろう。だらしなく開いた口を閉じる事も出来ないくらいに眠たさで疲れているけれど、ぐわんぐわんする頭部を抱えて眠る気力が湧いてこない。寝ている場合じゃないんだ。そんな場合じゃないんだ。