「応仁の乱」はなぜヒットしているのか 筆者が読み解く

「応仁の乱」はなぜヒットしているのか? 筆者が読み解く
「応仁の乱」はなぜヒットしているのか? 筆者が読み解く
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室町時代後期に発生し、戦国時代への転換点となった応仁の乱。知名度こそ高いが、詳しい内容は一般によく知られていないこの大乱を概説した「応仁の乱」(中公新書)が、硬派の歴史書としては異例の37万部超というベストセラーとなっている。著者で気鋭の中世史家、呉座勇一(ござ・ゆういち)・国際日本文化研究センター助教(36)は「ある程度歴史に詳しい読者を想定して書いた真面目な本が、こんなに売れるとは全く予想外」と驚く。

登場人物300人

応仁の乱は、複数の守護大名家の家督争いや将軍家の後継問題、有力大名の細川勝元と山名宗全の幕政をめぐる主導権争いなどを要因として、全国の諸大名が東西両軍に分かれる形で応仁元(1467)年に勃発。双方で寝返りが相次ぐなど混迷を極めた戦乱は11年にわたって続き、主戦場となった京都の荒廃や室町幕府の衰退を招いた。

呉座さんの「応仁の乱」は、この極めてややこしい戦いを描くにあたり、同時代を生きた奈良・興福寺の高僧2人の日記に視点を置いたのが特徴だ。

「この乱は複雑すぎて、全国で起きた戦乱全体を盛り込もうとすると普通の新書の枠では到底収まらない。だから視点人物を設定して、彼らの目に映った応仁の乱に限定した」

そうすることで、読みやすさと学問的水準の両立を図ったという。

とはいえ、登場人物が約300人に及ぶこの本、決してお手軽に読めるものではない。ベストセラー化は当人が一番意外だった。

「奇をてらったタイトルを付け、とにかく単純化して分かりやすく書くという昨今の新書のトレンドとは正反対の内容。そういう本が売れたのは、非常にうれしいですね」

失敗の歴史から学ぶ

歴史ブームの当節、歴史の教訓に学べと訴えるビジネス系の本は巷間(こうかん)にあふれている。しかし呉座さんは「現代は複雑で混とんとした時代。そこで生きるヒントを得るために歴史を学ぶのであれば、お話として単純化された『歴史講談』を学んでも意味がない」と苦言を呈する。

執筆に際し心がけたのは、複雑な当時の状況を分かりやすく単純化することなく、複雑なままで読者に提示することだった。そこに分かりやすい悪役はいない。暗愚で無定見な諸悪の根源と断罪されがちな将軍の足利義政も、乱の背後で暗躍したとしてよく黒幕視される義政の妻の日野富子も、実際はそれぞれの見通しの元に乱の収拾を図っていたことが描かれる。

「応仁の乱はまさに失敗の連続。関係者がみなことごとく読みを外し、打つ手打つ手が裏目に出た中、どんどん拡大した。爽快感はまるでない歴史。しかし真剣に歴史から現代に通じる何かを得たいと思うなら、そうした失敗の歴史からこそ学ぶべきではないか」

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