国民的議論が必要なテーマ
国民の家族観や結婚観を動揺させる動きが相次いでいる。一つは、東京都渋谷区、もう一つは最高裁の動きだ。
渋谷区は同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を3月区議会に提出することを決めた。同性カップルがアパート入居や病院での面会を家族でないとして断られるケースが問題になっていることから、区民や事業者に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう協力を求める方針という。
確かにLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)など性的少数者の人権への配慮は必要だ。アパート入居や病院での面会を可能にすることも必要だろう。しかし、これは入居や面会を家族以外にも広げる個別の施策で十分対応できる話であり、同性パートナーシップを「結婚に相当する関係」と扱うという包括的な条例で実現する手法には、論理の飛躍がある。
渋谷区は「パートナーシップ、同性婚が認められる国」の一覧表を作成している。明らかに同性婚を認める方向を向いている。しかし、わが国では同性婚は法的に認められない。結婚に「相当する関係」とも認められていない。憲法24条も結婚を「両性」の合意によるとし同性婚を排除している。条例案は明確に憲法に反している。
同時に憲法94条は、条例の制定は「法律の範囲内」であることを求めている。憲法でも法律でも認められていない内容を条例にするのは二重の意味で憲法に違反している。ことは国民の家族観、結婚観に関わる。国会論議を含めた国民的議論が必要なテーマであり、一自治体が条例で定める内容ではない。関係者には慎重な対応を求めたい。
夫婦別姓は過激な個人主義
次に最高裁の動きについてだが、2月18日、「夫婦は同姓とする」という民法750条と「女性は離婚後6カ月は再婚できない」とする民法733条に関する訴訟について15人の裁判官全員による大法廷で審理することを決めた。大法廷の審理は、判例の見直しや憲法判断が行われる際に行われる。
一昨年9月、大法廷は非嫡出子の法定相続分を嫡出子の半分とする民法900条の規定を違憲と判断した。今度も憲法違反とする可能性は排除できない。
夫婦別姓の主張は、仕事の場面で結婚前の姓を名乗りたいというところから始まった。改姓を知らせたり、届けるのは不便という主張だ。プライバシーの保護という視点もある。
現在では旧姓を通称使用できる領域が広がり、不便はほぼ解消されている。現内閣の女性閣僚のほとんども通称使用だ。
夫婦別姓の主張には、これ以外に、家族を「個人のネットワーク」とする過激な個人主義や「家族の廃止!」を目指すマルクス主義のイデオロギーに基づくものがある。それらの論者が唱えるのが選択的夫婦別姓制の導入だ。同姓も別姓も可能にし、選択するという。しかし、そうなれば、氏名の性格は根本から変わる。
現在の夫婦同姓制では氏名は家族名に個人名を加えたものだが、選択制では氏名は完全に「個人の呼称」となる。同姓の夫婦やその子供は個人の呼称の一部が重なるだけということになる。別姓夫婦やその子供の間では親子で姓が異なることにもなる。「親子別姓」だ。これらの論者は家族の絆の希薄化を目指している。
ことは国民全体の家族観に関わる。希望者には認めればよいという話ではない。
国民感情・道徳への配慮を
女性の再婚禁止期間は、前夫との間の子供を妊娠した可能性のある期間の再婚を禁止したもので、生まれた子供の父親の推定(嫡出推定)を複雑にしない趣旨だ。再婚禁止期間を撤廃し、父子関係はDNA鑑定すればよいという意見もあるが、規定の意味は「法律上の父子関係」を早期に安定させ、子供の福祉を図ることにある。父親に子供を養育する権利と義務を与え、子供の養育環境を早期に安定させるということだ。
同時に前夫の子供を妊娠している可能性がある状態で再婚するのは好ましくないという倫理観を背景にもしている。法は道徳とは無縁ではない。
一方で、民法772条が「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定することから、夫の暴力などから逃れてきた女性が別の男性との間の子供の出生を届けず、無戸籍になっている実態もあると指摘される。しかし、これは家庭裁判所への届け出によって戸籍を設けるなどの運用によって救済すべき問題で、家族関係の基本を定めた民法を改正して再婚禁止期間を短縮したり、撤廃する問題ではないはずだ。
民法の家族法分野は、法の論理と国民感情・道徳が交差する場といわれる。最高裁には法の論理だけを推し進めることなく、国民感情・道徳にも十分に配慮し、賢明な判断をしてほしい。(やぎ ひでつぐ)