―関西のお生まれだそうですが、富士山を最初に見たのはいつ頃ですか。
初めて新幹線に乗った子どもの頃です。高校時代に一度、友達に誘われて登ったこともありますよ。途中で高山病みたいになったりもしましたけど、近くにいた方に助けられてなんとか頂上まで登りました。一度登頂したら十分だろうと思っていますけど、今、厨房にいるのは登ったことがない人ばかりなので、「機会があったらみんなで」と話したりしています。富士山にはヨーロッパにいた頃もお世話になりました。向こうの人との会話のきっかけはまず富士山から、ということが多かったですから。富士山以外ではヤマハと中田英寿さん。中田さんとはイタリアに行ったのがほぼ同時期で、ご縁があって向こうで働いていたお店で中田さんに料理を作る機会があり、日本に帰ってきてからも何度かお店に来ていただいています。
―料理人を志したきっかけはなんだったのでしょう?
船乗りの父親と二人暮らしの頃もあったので、父が仕事の時によく自分で料理をしていたんですよ。小学校の頃は「夜は何を食べよう」、「商店街で何を買って帰ろうか」と授業中に考えてました。楽しかったですよ(笑)。高校生になって飲食店でアルバイトを始めてからはみんなに「すごいな」と言ってもらえるのが嬉しくて、いつしか「(料理人が)向いているのかな」と。当時は“洋食”=“フランス料理”の時代でしたから、高校卒業後に東京のフランス料理店で働き始めました。
―いつからイタリア料理を?
26歳の時に世田谷に小さなお店を開いたんですが、なかなかお客さんが集まらない。それでランチでもう少し分かりやすい料理をと思ってパスタを出したらこれが大当たりしたんですね。ただ続けていくうちに「何か違うな」と。海外修行をしていないと“シェフ”と認めてもらえないような時代で、僕はどこかで引け目を感じてもいましたから、「パスタをやるなら本場でしっかり勉強しなきゃだめだな」とお店を閉めてイタリアに行くことに決めました。「まだ若いんだから」とお客さんも背中を押してくれました。ただ、イタリア料理にこだわっていたわけではないんですよ。「陸続きのヨーロッパなら国が違っても料理に大きな違いはないはず、ヨーロッパの料理全般を知りたい」という好奇心が強かったので、イタリアのいろんな地域のお店で働きましたし、ドイツやモロッコにも行きました。
―そして最終的にスペインのエル・ブリで働かれたんですね。
そうです。その頃、エル・ブリがよく新聞で取り上げられていたんですよ。毎日世界中から1000枚もの「働かせてくれ」というFAXが届くと言われていましたから、無理を承知で向こうの人へのプレゼント用にたくさん持参していた筆でお願いの手紙とFAXを毎週のように送っていたら、筆文字が目に止まったのかエル・ブリから電話が来たんです。当時働いていたシチリアの店のスタッフと抱き合って喜びました。
エル・ブリでは夢のような毎日でした。滞在していたホテルから店まで毎日片道12キロの山道を自転車で通うのは大変でしたけど、世界一の店で働けているという想いのほうがはるかにまさっていました。そんな中、リストランテアクアパッツァのオーナーの日高良実シェフからいただいたのが「三島にオープンする店の総料理長をやらないか」というオファーでした。エル・ブリでさらに経験を積みたい気持ちと、帰国して日本で勝負したい気持ちの間でしばらく悩んだ末に、帰国を決意しました。ただ最初に“三島”と聞いた時には、どこにあるかまったくピンときませんでしたね(苦笑)。帰国したら都会ではなく自然豊かなところで料理を作りたいと思っていましたから、静岡で、しかも富士山が見える場所というのは僕にとって理想的な環境でした。
―都会ではなく自然豊かなところでお店を、と思ったのはなぜですか。
僕が最終的にヨーロッパで学んだのは“自然と環境”の大切さです。実際、向こうのいいレストランは大体郊外にありますからね。窓のない部屋で食べるおにぎりよりも、青空の下で食べるおにぎりのほうが格段においしいように、食にとって環境はとても重要です。都会のお店と違って電話一本でどんな食材もすぐに届く便利さはありませんが、作り手が見える新鮮な地の食材が使えるというのは、旬を意識しなくても手に入るものがどれも旬だということ。間違いなくおいしいし理にかなっています。身近に手に入るもので料理を作るというのは、一番自然で贅沢なことなんですよ。
ただヨーロッパで最後に勤めていたエル・ブリは、科学的な手法を使った独創的な料理で知られていたお店でしたから、僕も三島のお店では当初、エル・ブリで学んだ料理法を駆使してちょっと変わった料理を作っていました。しかもコースで 20 皿以上(笑)。そういう最先端の料理を期待されてもいましたし、それを提供しているという自負もどこかにあったと思います。今思うと、お客さんの帰り際の言葉は「おいしかった」ではなく「楽しかった」でしたね。
でも生産者の方の食材に対する一生懸命な想いを知るうちに、食材の姿や味や香りを変えてしまう料理に疑問を持ち始め、そこからできる限りシンプルに調理することを目指すようになりました。サプライズではなく、素材を育んだ風景や生産者の想いを大切においしいものを作るという原点に還ったというか。摘みたてのハーブの香りを大事にしたくて、畑も始めました。富士山の恵みを受けたいろんな食材や自然と触れ合ううちに、“自分がここでやらなければいけない料理”というものを次第に確立できたと言えるでしょうね。そのままで十分おいしい食材が揃いすぎるので、我々料理人は勉強しなくなっちゃうんですけど(苦笑)。
―静岡で総料理長をされて20年以上、この地域ならではの食材の豊かさを感じてもいらっしゃるようですね。
静岡県全域に言えることですけど、三島も御殿場も食材はとても多彩で豊かです。それは日本一高い富士山と日本一深い駿河湾があるから。たとえば富士山から流れ込む湧水にミネラルが多いから駿河湾ではおいしい桜エビやシラスがよく獲れるし、富士山が気候に影響を与えて昼間と夜間の寒暖差が激しくなるから、野菜も甘くなり栄養豊かになる。ワサビだってきれいで豊かな湧水があればこそ、ですからね。以前はよく富士山にキノコを採りに行ってましたが、種類も驚くほど豊富でしたよ。
―三島のお店は駿河湾に向いていたそうですが、2019年からリニューアルに関わり、2020年から総料理長をされている現在のお店は目の前に富士山が見える最高のロケーションです。
確かにそうですが、富士山を売りにお客さんを呼ぶことには抵抗がありました。だったら僕が料理を作らなくてもいいわけですから(笑)。それで任された当初は、富士山以外でお客さんに来ていただくにはどうしたらいいのかをずーっと考えていました。お客さんのほとんどが親会社の扱う外国車オーナーの男性でしたから、もっと女性が来たくなるような華やかな雰囲気にしたくて、庭にたくさん薔薇を植えたり、店名も海外で通用する薔薇の名にさせてもらったり、親会社にはいろいろわがままを聞いてもらいました。料理がおいしいことはもちろんですが、どこかホッとできて、また来たい、今度は自分の大事な人を連れて来たいと感じてもらえるような店になっていけたらいいなと思っています。
―黒羽さんご自身は富士山から日々、どんな影響を受けていますか。
見るたびにリラックスできるし、エネルギーをもらっています。富士山を眺めながら料理のことやお店のことを考えたりもしますし、いろんなアイディアのヒントもくれる。一緒に働く若いスタッフにとっても、富士山は気持ちの入れ替えや心の支えにもなっていると思います。
―というと?
この仕事が素晴らしいのは人を笑顔にできることで、みんなもそれを理想にここに来るわけですが、体力的にも精神的にも大変な仕事ですから、心が折れてしまうスタッフもいます。そんな彼らに僕は「お店には出なくていいから畑をやれ」と言うことがあります。最初は籠りきりで畑にはほとんど出てきませんが、野菜の成長とともに畑に顔を出して世話をするようになり、最終的に野菜が実った頃には、ちゃんと仕事に戻れるようになっている。土に触れ、作物を育てることはもちろん、それを富士山のそばでやれていることで心が癒されていくんだと思います。僕がレストランに必ず畑を作るのは野菜を作るためというよりも人を作るためなんですよ。料理に使う野菜を自分で作るなんて、料理人にとって一番贅沢なことでもあると思います。
―御殿場に来られたばかりの頃は、よく富士山の写真を撮られていたとか。
富士山を毎日、間近でじっくり眺められるようになったのは御殿場にきてから。毎日同じようで見え方がいつも違うし、とくに雲や夕日とのコントラストがきれいで毎日のように撮っていました。最近はちょっと怠けていますけどね(笑)。
―もっとも一番印象深い富士山を教えてください。
静岡にくるまであまり見ることのなかった雪のない富士山です。今も雪のない富士山を見ると、「普通の山なんだな」と親近感すら湧いてきます 。雪をかぶった富士山の、手を合わせたくなるような神々しさももちろんいいんですけどね。
くろはとおる 1968 年 神戸生まれ 高校卒業後、都内のフランス料理店に就職。26歳で一旦独立するが1年半後、お店を閉めてイタリアへ。ボローニャのレストランを皮切りに各地で修行。スペインのエル・ブリを最後に2001年に帰国し、2002年から三島クレマチスの丘 ヴィラ ディ マンジャペッシェ、2009年はお店を引き継ぎ改名したリストランテプリマヴェーラの総料理長を歴任。2020年、約1年のリニューアル期間を経て店名も新たにオープンしたリストランテ桜鏡の総料理長に。2022年“ふじのくに食の都づくり仕事人・The 仕事人 of the year”に選出。趣味は食材探しも兼ねたツーリングと絵を描くこと。
リストランテ桜鏡 HP:
https://sakurakagami.com