「優秀と言われる経営者は、みな走っている」「走ることは脳にいい」
いまだに盛り上がり続けるマラソンブームに乗じて、さまざまなメディアでこのような見出しが踊っています。日本マクドナルドの原田会長、脳科学者である茂木健一郎氏も走ることをライフワークの1つに挙げていますが、果たしてそれは本当なのでしょうか?
その疑問を解消すべく、今回話を伺ったのが、東京大学准教授である池谷裕二(いけがやゆうじ)さん。人気を博した糸井重里さんとの共著『海馬~ 脳は疲れない~』や、ほぼ日刊イトイ新聞でのコンテンツ「ねむりと記憶」でも有名です。そんな池谷さんの研究分野は、共著のタイトルにもある通り、人間の記 憶を製造する「海馬」。
海馬の話を中心に、「カラダを動かすことが、脳にどんな影響を与えるのか?」「走る人=仕事がデキる人なのか?」、その真実を池谷さんに語っていただきました。
6カ月、有酸素運動を続ければ、記憶力は改善する
── 「カラダを動かすことは脳にいい」といった風潮がありますよね。この理論って、そもそも、脳科学的に正しいのでしょうか?
池谷:脳は頭蓋骨に守られているモノなので、直接的な刺激を与えることはできません。つまり、間接的に刺激を与えることしかできないわけです。じゃあ、どうやって刺激を与えるのか、活性化させるかという時、カラダを使わなければいけないわけで。正しいか間違っているかで言えば、正しいと思います。ただ、「カラダをいっぱい動かす=脳もめちゃくちゃ活性化される」と考えるのはやめた方がいいと思います(笑)。ピアノも脳にいいとか言われていますけど、やり過ぎたら当然、怪我をしちゃう。それだけじゃなくて、やり過ぎたら脳の機能がおかしくなることもあるんです。カラダを動かすこと、例えば走るにしても「適度にやる」ということが大切です。
── 雑誌やニュースメディアなどで、多くの経営者やクリエイターが「走るとアイデアが浮かぶ」といったことを語っていますが、これは理論的には正しいのでしょうか?
池谷:「アイデアが浮かぶか」という点に関しては断言できませんが、走っている時は記憶力も向上すると言われています。僕、ネズミを用いた脳の研究が本業なんですけど、ネズミも走っている時と止まっている時とでは、脳の反応が違う。モノを見た時の細かな分析力においても、走っている時の方が、良い反応を見せているんですよね。カラダを動かしているとき、歩いている時、走っている時って、脳が敏感になって脳の活動が良くなっているんですよ。
じゃあ、人間はどうなのかというと、2011年にピッツバーグ大学の研究チームが有酸素運動を続けることで海馬(記憶を製造する場所)の大きさが約2%大きくなる、記憶力が改善するという論文を発表をしています。対象は、普段座りがちな55~80歳の男女で、ほぼ毎日、1日40分の有酸素運動 (ウォーキングやランニング)を、6カ月続けて行ったみたいですね。
突き抜けない人ほど、カラダを動かすべき?
── 海馬というのは、記憶の製造を担っている、PCでいえばメモリ機能を果たす場所ですよね?
池谷:そうです。ちなみに記憶を保管する場所、つまりハードディスクの部分は、脳の違う場所が担います。海馬って、年をとるごとに少しだけ萎縮して機能としては衰えてしまうんですけど、1年間、有酸素運動を続けることで、それが元に戻るということですね。ちなみに、海馬が大きくなるということは、どういう現象が起きていると思いますか?脳の神経細胞は、日々、死んでいると言われていますよね? でも、記憶をつくる能力が上がっていることは、何かが増えているか、もしくは変わっているかということになりますよね?
── よく言われる脳の「シワ」が増えていることですか?
池谷:惜しい。海馬が大きくなる=神経細胞と神経細胞をつなぐ、シナプスが増えるということなんです。これが増えると海馬のボリューム体積が大きくなる、腸の柔毛みたいなイメージですかね。海馬を一つの街だとして、それを形成する神経細胞同士を結ぶ道路、交差点が増えるイメージです。どれだけ海馬が大きくても、交差点が少なければ記憶を製造するスピードは遅くなる。逆に、海馬が小さくても、交差点がたくさんできていればビュンビュンと情報は行き来できるわけで。
── なるほど。では、シナプスを増やすことが、記憶力の向上に繋がるんですね。
池谷:まぁ、記憶することが好きな人は、走ったり、カラダを動かせばいいと思います。ただ、人間は他の動物と比べると、 走るって行為が好きじゃないんですよ。嫌いな人すらいるのが、珍しい。根本的に走ることを好きになるためには、何かしらの壁がある。それは脳がどうこうとかいう話じゃなくて、心理的障壁だと思います。だから僕は、走ることを全然好きになれません。だって面倒くさいじゃないですか(笑)。経営者の人は走っている人も多いみたいな記事がありますが、走っていない人もそれ以上に多いハズです。というより、「何のために脳を鍛えたいのか、記憶力を上げたいのか」をまずは明確にした方がいいと思います。
「仕事がデキるようになりたいから、走る」と言う方もいますけど、記憶力が上がっただけじゃ、仕事はデキるようになりません。僕的に仕事ができる人 は、「直感力が働く人」だと思っています。シチュエーションによって、正しい判定ができる人。これには、海馬の横にある線条体ってところが関係しています。
── 線条体を磨く方法ってあるんですか?
池谷:残念ながら、トレーニングするしかありません。線条体は、トレーニングされたモノゴトだけを上達させるようにできていますから。仕事ができるようになりたければ、仕事をするしかない。将棋を上手くなりたい人が、囲碁をひたすら練習してもあんまり意味ないように、「仕事がデキるようになりたい」という願いは、走ることだけじゃ叶えられないと思いますね(笑)。自分で時間をコントロールできる、歩くこと/走ることの面白さ
── まずは日々の仕事をしっかりとこなすことが大切。その上でランニングなどを取り入れていくことが、突き抜けない日々から抜け出すヒントになるかもしれませんね。池谷さんは長距離を走るのが好きじゃない、ということですが、何か運動をされているのですか?
池谷:部活はやっていなかったんですけど、学生時代から自転車で通学していたのもあって、今も自転車で通勤しています。なので、自転車は好きかもしれません。あと、散歩するのは好きです。散歩だけじゃなく、ランニングもそうですけど、自分が時間をコントロールしている感じがあるじゃないですか。ペースを早くするも遅くするも、途中でやめてしまうのも自分次第なワケで。自由に時間を使っている感じがあるので好きですね。
仕事をしていると、今日のこの取材みたいに、「11時に東京大学の赤門にお越しください」という依頼をもらえば、所定の時間に所定の場所に行かなくちゃならない。言ってみれば、時間に自分が制御されている、縛られているということになりますよね。
でも、「歩こう」「走ろう」というのは、自分の意思でスタートするわけです。「もっと早く、もっと遅く」ということも、「疲れたからやめよう」ということも、全部、自分の意思で決められる。自分で時間をコントロールできている感じがしますよね。
── たしかに仕事をしていると、基本的に時間を誰かに制御されてしまいますね。その考えは、新鮮ですね。
池谷:あと、外に出てカラダを動かすことって、ピッツバーグ大学の研究チームが発表したように、海馬の大きさも変わってくるじゃないですか。海馬が縮小した状態は、俗に言う、「うつ」のような症状だと言われています。そんな状態ではあまり家から出ないし、走るという選択肢も当然ないですよね。つまり、刺激が全くないということです。そういう観点から「外に出て走る」というのは、自分一人でプレイできるものだし、自分との対話ですから、誰かと話す面倒くささもない(笑)。リハビリのメニューに散歩やランニングがいいと言われているのも、うなずけます。
集中力を向上させるには、脳ではなく「いい姿勢」が重要
── 仕事と脳の関係について再度お聞きしたいのですが、脳がどのような状態だったら集中力は向上するのですか?
池谷:脳と集中力は、実はあんまり関係ないです。集中力に関しては、姿勢と筋力が密接に関係しています。歩くときはもちろん、座ってる時もそうですが、結局何をするにしても足腰を使っていますよね。足腰が悪かったり、筋力が衰えたりすると姿勢を維持できないわけで、結果的に集中できない。── 脳ではなく、姿勢が集中力アップのカギを握っていると。
池谷:はい。集中力の持続が短くなるのは、脳が衰えてるとかじゃなくて、姿勢を維持できないせいだと思います。そして、その姿勢を維持するためには、筋力が重要ということになりますね。たとえば、読書するシーンを思い浮かべてください。若い時は2時間、3時間とか本を読めると思うんですけど、40~50代にもなると、30分で疲れちゃうという声も聞きます。「集中力がなくなった=脳がおとろえた」、みたいな連想をされるかもしれませんが、これは脳ではなくて、筋力の衰えから来ているものなんです。
本を持つ姿勢を維持しているということは、姿勢を維持する筋肉を使っているということ。だから、筋力、体力が必要になるわけです。
── 集中力を維持するにはいい姿勢を維持すること。そのために筋力が必要。納得です。
池谷:それと、いい姿勢の重要性に関しては、論文としても過去に発表されているんです。猫背で、いかにも自信なく物事を決断するより、胸を張ったいい姿勢で決断した方が、その後の結果に自信が持てるというデータが出ているんです。これは、「楽しいから笑う」じゃなくて、「笑っているから楽しい」と同じで、「姿勢がいいから自信が持てる」ということなんでしょうね。あと、学生とかが大学の講義をふんぞり返ってつまらなそうに聞いているじゃないですか。あれって実はつまらないからふんぞり返っているワケじゃないんです。ふんぞり返ってるから、つまらなく感じるんですよ(笑)。逆に、前のめりになって、「なんでだろう、どうしてだろう」という姿勢で話を聞くときのほうが、同じ話でも面白く感じられているというデータも出ているようです。
姿勢が脳の状態、つまり感情をコントロールしているといえるかもしれません。その姿勢をつくるための根本的な筋力を持っていないと、そもそも感情をうまく維持できなくなる。脳以前の話ですね。だから、筋力をつけたいなら、若い人は走った方がいい。その方が効率がいいから。年齢を重ねて、走るのがきついのあれば、ウォーキングをすればいいと思いますよ。
── まずはカラダありきで、脳があるということですね。少し脳の可能性に頼りすぎていた気がします。
池谷:そうです、脳から何かを発信することはできません。世の中全体が、少し「脳の活性化」というモノに頼りすぎかもしれ ませんね。スポーツに限らず、カラダを動かすことで脳の活動は活発になると言われていますが、「脳が活性化するから走ろう」「海馬が鍛えられるから走ろう」というのは、何か違うなと思います。カラダを動かすのが好きならともかく、走るのが好きじゃない人はきちんと目的を持って走らないと継続しない。ですから、「アタマが良くなるから走ろう」ではなく、「実現したいことがあるから、走って脳を活性化しよう」みたいな目的が、やっぱり大事だと思いますね。脳を活性化させることが、人生の目的ではないと思いますから。
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1970年、静岡県藤枝市生れ。98年、東京大学・大学院薬学系研究科で薬学博士号を取得。2002年から約2年半、コロンビア大学生物学講座博士研究員 を経て、現在、東京大学薬学系研究科・准教授に。著書は、『進化しすぎた脳』など多数。今年、優れた研究能力を有する若手研究者を顕彰する、日本学術振興会賞を受賞。
(STANDS!編集部)
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