『あるがままの自分を生きていく インディアンの教え』(松木正著、大和書房)の著者は、サウスダコタ州ラコタ(スー)族の居留区でYMCAのコミュニティ活動に関わりながら、彼らの自然観、生き方、伝統儀式などを学んだという経歴の持ち主。
本書は、そんな稀有な体験をしてきた著者が、インディアンの知恵について綴った書籍です。そこには、我々の生き方にも応用できそうなポイントが。STEP 3「自分の『芯』を強くする」に目を向けてみましょう。
人の根っこは「自己肯定感」(84ページより)
大地の上に立つ人の姿を投影したものとして象徴的に扱われる木は、平原の民族であるラコタの人たちにとって特別な存在なのだそうです。そして人の姿を表すときに「tree of life」という表現を用いる彼らとの交わりを通じ、著者は「ぼくたち一人ひとりは『生命の木』だ」という考え方に至ったのだといいます。
人のあり方は、木になぞらえて考えるとわかりやすい。木が自分でしっかり立つためにもっとも必要なのは、「根っこ」だ。人間にとっての根っことは、「自己肯定感」であるとぼくは考えている。
(84ページより)
胎内で守られた時間を経て生まれる際に「分離不安」を体験しているからこそ、人はいくつになっても「存在の肯定」を求めるもの。だから、あるがままの自分を受け入れてもらえたなら、何歳であっても根は伸びる。そのためにも、ときどき大地に安心して根を張っている状態を意識することが大切。そして、「誰かにとって都合のいい自分」ではなく、「あるがままの自分」で受け入れてもらうべきだといいます。そうすれば他の人に対しても、あるがままを受け入れられるようになり、そこに信頼が生まれるからです。
評価されなくても「自分」は「自分」(91ページより)
生命の気の根っこが「自己肯定感」だとしたら、幹は「自信」。自信には「根拠のない自信」と「有能感からくる自信」がありますが、特に「根拠のない自信」が重要だともいいます。
自信がない人が、常に自信の根拠になるものを探しているのに対し、根拠のない自信をもつ人には、不安や恐れがない。だから行動しはじめたら次から次へと新しい出会いが生まれ、おもしろがっているうちにひとつひとつ実現していく。関心をもたれたりおもしろがられたりするので、気がつけば人が集まってくるというわけです。
注目すべきは、「自己肯定感という根っこがしっかりあるからこそ根拠のない自信をもてる」のだということ。存在を否定されない、切れることのない深い絆がある感覚が、自然に自分を強くしてくれるわけです。逆に自己肯定感という根っこのないところに「仕事を早くこなせる」などの有能感の幹だけが育つと、中身が空洞化しているだけに、大きな力が加わったときポッキリ折れてしまう。自分の心に残る血の通った温かな経験が、人の信念を作り出していくということです。
「主体的」と「積極的」の違いとは?(100ページより)
著者は、「主体的に生きる」ことにこだわっているのだそうです。そして、ここで重要なのは、「積極的」と「主体的」は違うということ。目標達成に向かって積極的であることや、行動力のある人材が必要だった時代とは異なり、積極的になにかに取り組んでも空虚感を感じてしまいがちなのが現代。だからこそ、「生きる力」を育てることが必要だというわけです。生きる力とは、「自ら問題を発見し、自ら問題を解決できる力」。
まわりで起こっている現象や見たり聴いたりしたことが、自分にとってどういう意味を持ち、なにが本当の問題なのかを発見すること。それが「主体性をもって生きる」ということだといいます。
冒頭で触れたとおりラコタ族と過ごしてきた著者は、その儀式や伝統の継承を許された数少ない日本人のひとりなのだそうです。というだけあり、そこまでの信頼を勝ち取る家庭での体験談には、ときに痛々しいほどのリアリティが。読みものとしてもぐいぐい引っぱるような力をもっています。
(印南敦史)