社長さんでもアインシュタインでもニュートンでも、僕らと同じく一日は24時間、365日で一年です。日本にいると、常に「気がつくと忙しくなってしまう」という現象が起こり、それがどうしてなのか不思議で仕方なかったりします。

しかし、立ち止まってよくよく考えてみると、忙しいことは必ずしも充実しているということではなく、自分が何でそんなに忙しいのかについて考える余裕がなくなってしまうと、それはそれで良くない兆候です。

 そこで、自分の時間の使い方について考えてみるという必要性が生じてくるのですが、その時に直面する、「何を基準に考えるのか」というのはとても重要な問題です。

そこで、今回は割と簡単に考えられる方法を一つご紹介。

それは、自分がやっていることが「現在の自分のため」の時間なのか、「未来の自分のため」の時間なのか、「過去の自分のため」の時間なのかの三つに分けてみるという方法です。

例えば、生活のために仕方なくやっている仕事がある場合、それは「現在の自分のため」以外の何者でもありません。漫画を読む、テレビを見る、などの娯楽も基本的には「現在の自分のための時間」です。資格を取るために勉強をするなどの時間は「未来の自分のため」に該当します。

小学校の頃の先生に会いに行く、中学の頃の同級生と会って思い出話をする、卒業アルバムを見て当時を懐かしむ、または借金を返済するために働く、などは「過去の自分のため」の時間になります。もっと言うと、とりあえずお腹を満たすだけの食事は現在のためにしかなりませんが、健康に気を遣った食事は未来のためにもなります。ジムに行って汗を流すなども同様です。

同じ「飲みに行く」という行為にしてみても、尊敬している上司と会社の将来について話に行く場合と、合コンで若い女の子のメアドをゲットしに行くというのでは、時間の使い方としては根本的に異なります。異性と会う時間にしても、将来を考えられる相手と会う時間は「未来」に分類可能ですが、今だけ楽しければ良いという場合は「現在」、もう別れたいと思っている相手と会う時間は「過去」に分類できるかと思います。

考えてみると、10代の頃や学生の頃というのは必然的に時間のほとんどを勉強などの未来のためと、友達と遊んだり部活を頑張ったりといった現在のために使っていることになります。

20代前半や社会人になりたての頃は、仕事を覚える時間(=未来の自分のため)などが割とまだ多めなので、未来のための比率が現在のための比率よりも多めになるかと思いますが、20代後半や30代になり仕事に慣れてくると、だんだんこの「未来の自分のため」の比率が下がってくることも多くなります。

20代から60代くらいまでのスパンで見ると、少しずつ「未来の自分のため」の時間が「現在の自分」または「過去の自分」のための時間に置き換わっていくのは必然かと思いますが、いくつになっても「未来の自分のため」の時間を常にある程度意識的に確保している人とそうでない人とでは、年齢の重ね方も違ってくるように思います

また、あまり早い段階で「過去の自分のため」に時間を割きすぎるのもあまり賢い時間の使い方とは言えません。「現在の自分のため」にばかり時間を使っていると、数年前に派遣切りにあって行く場所を完全に失った人たちのように、いつか路頭に迷ってしまう可能性も否めません。

どの比率で時間を使うのかがベストなのかは、個人的なことなので意見が分かれるところだとは思いますが、自分の時間の使い方を見直してみたいという時には、自分が毎日何をしているのかを一週間分くらい書き出してみて、「未来」「現在」「過去」に分けて考えてみると整理しやすくなります

多忙は怠惰の隠れ蓑」と糸井重里さんも言ってますし、「忙しい、忙しい」とついつい口走ってしまう方は、この機会に自分のその「多忙」の中身を覗いてみてはいかがでしょうか?

未来のためにお金を貯蓄したり投資したりするのも大切ですが、貯蓄できない時間を未来のために投資するのは、もしかしたらそれ以上に大切なことかもしれません

(まいるす・ゑびす)