■「安心な住まい」を当たり前に

 住める状態で家が残ることは、生活再建や迅速な復興を進める上での足掛かりとなる。住宅の耐震化は災害から命を守る備えの基本であることを、30年前の阪神・淡路大震災で私たちは思い知らされた。

 その重要性が繰り返し指摘されながら、改修の費用と高齢化の壁が立ちはだかる。昨年1月の能登半島地震は重い教訓を再び突き付けた。

 「家が壊れさえしなければ、多くの命は守れた」。被災地では悔恨が聞かれる。自宅を失った人が避難所や仮設住宅で疲れ果て、関連死となる。直視すべき課題は明らかだ。改修義務化の議論を広げ、自ら手がけることが難しい人には公的支援を惜しまない。住まいと地域を守るための手だてを尽くさねばならない。

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 阪神・淡路では、死者の多くが倒壊家屋の下敷きになった。全半壊は25万棟に上った。能登でも石川県だけで住宅約9万棟が損壊した。被害拡大の要因となったのが、耐震基準が強化された1981年よりも前に建てられた木造住宅のもろさだ。

 国は2030年までに住宅の耐震化率をおおむね100%にする目標を掲げるが、18年時点で87%と達成は厳しい。耐震性が不足する住宅は全国で約700万棟に上る。倒壊するリスクは高く、命に直結する。甚大な被害が出た石川県珠洲(すず)市は国の補助金に上乗せし最大200万円を支給する全国有数の助成制度があるが、耐震化率は51%にとどまる。

 全国平均の数字は都市部の高層マンションや建て替え需要が押し上げている面がある。高齢者が多い地方や過疎地では、費用負担や「相続する人がいない」として改修に踏み切れない人も多い。地震被害の少ない地域では旧耐震の住宅が数多く残されている。未然に手当てをしなければ、倒壊の悲劇は繰り返される。

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 失われた命は戻らない。阪神・淡路の遺族は今も肉親の死と向き合い続けている。

 元神戸市職員の稲毛政信さん(78)は地震で西宮市の自宅が全壊した。築50年の木造住宅は2階が庭に倒れ込むように崩れ落ち、2階で就寝中の長男=当時(17)=が屋根の下敷きになり亡くなった。

 自宅は粉々に壊れたのに、隣の家はほぼ無傷だった。この極端な違いは何か。1級建築士でもある稲毛さんは木造住宅の歴史や自宅の建築当時の法令を調べた。耐震基準はあったものの、1981年改正の基準に比べて必要な壁の量は半分以下だった。震災の10年前にできた隣家とは強度に2倍以上の差があった。

 稲毛さんは「仕方ない、で済ませたくない」と改修事例や補助制度を紹介する本を著し、講演などで普及に努めてきた。能登の被災者の苦渋は自らの体験と重なるが、進まぬ耐震化にもどかしさも口にする。

 「復興に巨費を投じるよりも、耐震化に全額補助すれば安く済む。何より命が救われる。基準が低かったのだから、国の責任で必ずやり遂げる必要がある」と強く訴える。

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 物価高も続く中、100万~300万円程度とされる耐震改修費の負担はとりわけ高齢者には重荷だ。

 工事をためらう人の背中を押そうと、国は能登地震を教訓に、2025年度から自治体の補助金に1戸当たり最大50万円を上乗せして支給するなど、支援を手厚くする。

 補助を拡充した自治体では効果も出ている。稲毛さんが「見習うべき」と話す高知県黒潮町もそうだ。

 南海トラフ地震では震度7の揺れと30メートルを超す大津波が想定される。避難タワーなどの施設は一通り整備された。だが津波の前には激しい揺れが襲う。家が倒壊したら津波から逃げられず、命を失いかねない。

 黒潮町では、耐震改修の補助件数が毎年百数十件に上る。背景には低コスト工法の普及と補助金の増額がある。利用者の約半数が補助上限額125万円の範囲内に収まった。

 期待されるのが、住民の意識変化だ。改修工事をした人が隣人らにメリットを伝える。諦めず、生き延びるために何が必要かを考える人が増える。稲毛さんは「耐震化は命を守り、地震に立ち向かう希望を持つことにもつながる」と指摘する。

 災害は必ずやって来る。そのときは備えてきたことしかできない。胸に刻みたい教訓である。