世界の終わり感すごい。
大国を作るには、お金が必要です。そして工業大国を作るには、ダイヤモンドが必要です。それはお金のためだけじゃなく、工業製品を造る機械とか道具に使われます。
旧ソ連という大国が作られる過程で、シベリアの彼方にあるダイヤモンド鉱山・ミールが重要な役割を担っていました。ミール鉱山は直径1マイル(約1.6km)ほどもある巨大な穴として今も残っています。それは世界で2番目に大きな穴になりました。ロシアの写真家Slava Stepanovさん、またの名をGelioさんは、モンゴルやカザフスタンのやや北に位置するノヴォシビルスク在住です。彼は中央アジアの都市やインフラ、その他文明が作り出したさまざまな人工物を俯瞰的に撮り続けていて、その作品には地球上最北の町や、アジア最大のダムまでさまざまなテーマがあります。
今年春、Gelioさんはロシアの北の果てにある、ほとんど誰も知らない町を訪ねました。それは人口3万7,000人ほどのミールヌイという町で、その周りにはほぼ何もありません。でもそこには1950年代、スターリンが地質学者を送り込んで、ダイヤモンドの存在を示すことが多いキンバーライトを発見していました。
1940年代後半、ソ連はダイヤモンドを切望していました。それは金銭的価値のためだけでなく、素材を掘ったり、研磨したりという工業用途でもありました。そこで偵察隊が結成され、シベリアの荒野でダイヤモンドを探し始めたのです。そんな中シベリアの北東でダイヤモンドが発見され、1955年にミール鉱山とその断崖のミールヌイの町が創立されました。
ミール鉱山には大量のダイヤモンドが埋まっている公算があったため、採掘にはあらゆる手段が使われました。ミールヌイは気温が低く、ほとんどの時期は凍っていて掘ることができません。ゴムは凍り、鉄も固まります。Abaziasによれば、こんな採掘方法もあったといいます。
彼らはジェットエンジンで永久凍土の層を焼き抜き、その下の土壌にたどりついた。地面が固すぎたり、ジェットエンジンでも歯が立たなかったりする場合は、ダイナマイトで穴を空けてそこから掘り進んでいった。
永久凍土は柔らかすぎて普通の建物を建てられないため、ミールヌイの町は鉄の基礎を作った上に建設されました。それから44年後にはミール鉱山は南アフリカのダイヤモンド取引にも匹敵する毎年200万カラット(約10t)のダイヤモンドを生産するほどになりました。ミールヌイはブームタウンになったのです。
ただデビアスなどのダイヤモンド業者によれば、ミール産のダイヤモンドにはおかしな点がありました。Abaziasにはこうあります。
これらのダイヤモンドは大きさも形も同じで、「銀の熊」と名付けられた。デビアスはなぜソビエトが同じサイズのダイヤモンドを大量生産できるのかわからず、ただその量がひとつの鉱山から採取不可能なほどであることは調査で把握していたが、それでもそのダイヤモンドを買わざるをえなかった。彼らが買い取らなければソビエトがダイヤモンドをオープンな市場に放出してしまい、その結果ダイヤモンドがあふれて価格が下がってしまうからだ。
当然ソ連は外部の調査に対しあまりオープンでなかったので、「銀の熊」の謎は解けないままです。
ミール鉱山は2000年代にクローズされましたが、この巨大な穴の下では今も採掘は続き、数十本のトンネルで採掘機械がダイヤモンドを掘っています。今でも毎年4,409ポンド(約2t)が生産されています。
Gelioさんは自らダイヤモンド処理プラントを訪れて、巨大な機械が永久凍土の下にあった石を洗い、選別する過程を目の当たりにしました。でも最後の鑑定はソ連時代と同じように、人間が行います。
銀の熊の謎もそうですが、Gelioさんの写真で一番興味深いのはミールヌイという町そのものです。ミール鉱山の穴があまりに大きく地球に向かって引きつける力が強すぎるため、ヘリコプターはその上を飛べません。
それほど大きな穴なので、地上からは逆に存在を忘れてしまうのかもしれません。でも衛星からは、その大きさを確認できます。
source: dGelio, Abazias, Sploid
Kelsey Campbell-Dollaghan - Gizmodo US[原文](miho)