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ビューンを閲覧してみた

5分以上、回転する中央のオブジェクトを読んでいる。悟りが開けそうだ。

 

(10分経過したので追記)

現代人というのは、いかにたくさんの情報に

囲まれて生活しているのだろう。

 

その情報が、自分に必要なモノなのか、必要ではないのか。

それを考える余裕もなく、情報の津波が押し寄せてくる。

 

しかし我々は同時に、いろいろなモノを見失い、忘れかけている。

ふとした風の変化、湿度の違い、日差し、雨粒の大きさ。

 

我々が押しつけられている情報よりも遙かに多い情報に、

ただ人間がそこにいるだけで取り囲まれているのである。

 

人はよく第六感という表現で、常識を越えた能力をたたえる。

しかし常識を越えて無知になっているのは現代人の方かもしれない。

 

(30分経過)

 

その後の30分で、情報について議論が進んだ。

このクルクルの功績は、無から議論を起こしたこと。

 

情報社会は2010年代に入って、前の10年のパラダイムであった

Googleの「検索の時代」から脱却を見せている。

 

Steve Jobsが指摘したキーボードとマウスのPCのパラダイムから

iPhone/iPadのモバイルとタッチのパラダイムへと

転換したのと、偶然にも同じタイミングだ。

 

情報はFacebookの「レコメンド/キュレーションの時代」へ転換していく。

 

インターフェイスの問題、情報と接する場所の問題は

モバイル化、タッチ化でもはやデバイドを起こす要因として

かなり小さいモノとなってきた。

 

しかし、次なるデバイドも待っている。

 

すでに見えてる問題は、提示される情報の単一化か、

今まで以上に、情報爆発の津波にのまれるか。

 

「検索の時代」は、自分が情報が欲しいと思わないと探さないし、

しかも知りたい情報を的確な検索キーワードに変換する、という

テクニックがそこに介在し、Googleを使っていてもリーチできる

情報に格差が生じてきた。

 

これもデジタル内で起きている興味深い格差である。

確かにデバイドは生んでいるが、情報に対して能動的であり、

情報に対する欲求と、それを満たす手段、と言う関係性が

そこに成立していた。

 

しかしながら、キュレーションの時代になると、

自分が「必要かもしれない」「関係あるかもしれない」

と言う情報が勝手に降ってくる状態を作り上げている。

 

Twitterで500人以上をフォローした状態で体験できる。

フォローしているのはみんな、自分が気になる発言をした人。

そしてその中には見逃したくない発言が含まれているはずだ。

 

そう思ってタイムラインを眺め続けると、

人でフィルターしたはずの人からたくさんの

いらない情報が流れてくる。

 

自分の身の回りのプチ情報洪水を体験する瞬間だ。

そして儀礼的無関心を発揮して、スルーする。

 

一方で、人間は意識的な無知を発揮しているのが、

自然の中での振る舞いだ。

 

確かに、身を守る上では、全ての自然の情報、

他の生物や静物の情報が自分に関係ある。

 

しかし、平穏、普段通りであれば、

あえて取り立てて警戒することもない。

気にもせず、捨ててる情報が非常に多いのだ。

 

これが可視化されるから、Twitter/Facebookの時代はパニックだし、

パニックに気づかない人は幸せなのかもしれない。

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Uploaded on June 1, 2010