Home > Interviews > interview with Yukio Edano - つまり……下からの政治とはいったい何なのか
去る9月末、突然の衆議院解散と前後して野党第一党だった民進党が分裂し、その後も混乱が続いている。そのような状況のなか、来る22日には48回目となる衆議院議員総選挙が実施される。私たち『ele-king』はおもに音楽を扱うメディアではあるが、いまのこの政局を重要なものと捉え、初めて政治家への取材を試みることにした。以下のインタヴューは必ずしもその政治家への支持を呼びかけるものではないが、これを読んだ各々が自身の考えを深め、政治や社会に関心を寄せる契機となれば幸いである。
「僕は(自分たちを)少数派だとは思いません」──たったひとりで5日前に立憲民主党を立ち上げ、その呼びかけに応えて集まった候補者たちと選挙に臨もうとしている枝野幸男はそう言った。
9月の衆院解散後の野党第一党の崩壊劇で、小池百合子の「排除します」の一言は、その3ヶ月前に首相が放った「こんな人たち」よりもさらにストレートに私の胸に届いた。この国の与党と野党第一党のトップは、自分と違う考えを持つ人たちを、まさに「排除」している。そんな国で「つねに死票を投じてきた少数派の人間は、政治を考えると無力感を覚えてしまう」というような話をしたとき、枝野幸男は「僕は少数派だとは思いません」と、それまでよりも少し強い口調で言った。
「我々は少数派なんて自分で言っちゃいけないですよ。いま、顕在化しているのは一部だから少数派に見えているだけで、潜在的には多数派だと思うから僕は勝負しているんです。だって現に国民の半分は投票に行っていないですよ。少数派だと思っている人たちが集まってきたら、それが実は多数派だったんです。
ええ。いや、実は個々人のことを考えればマイノリティーなんです。例えばLGBTの人たちはたしかに少数派ではあります。障害のある方もいます。でもそういう少数派に対する多様性を認めよという価値を共有している人たちは、マジョリティーなんです。
でもいままでその人たちは社会的にはつながっていなかった。政治的にはもっとつながっていなかった。そういうところを動かしていく、ということが、僕らがいま、図らずもやっている営みなんじゃないかなと、この数日で思っています。
従来の選挙でも、動員型の運動をすれば同じくらいの反応の量はあったんです。でもいま感じているのは量ではない。明らかに、いままではどこともつながっていなかった、自分は少数派であると諦めていた人たちが、もしかしたら今回はそうではないのかもしれないと感じてくれているかもしれないという空気感が、ネット上、ツイッター上にもある。
民主党、民進党のなかで、僕は保守本流だと思っています。日本の保守本流イコール・リベラルだからね。それで、いままでもこういう勢力に対して期待をしてくれて、こっちも名前に記憶のある人たちが紛れてしまうほどに、今回は違う人たちが入ってきているんです。その人たちの反応って面白くて、自分で言うのは傲慢かもしれないけど、党首討論を見て『枝野って、こういう討論、得意なんだ!』って驚いているんですよ。以前から政治に関心のある人たちからすれば、これはいまさら驚くことではないんですよ。僕は地盤も看板もないなかで、討論でここまでやってきたという自負もあるし、世のなかの受け止めもそうなんです。でもそんなことは知らない人たち、枝野という存在を初めて知った人たちが来ている。量的なものではなく、質的なものというのはそういうことです」
「右か左かではなく上からか下からかだ」という枝野のスローガンを見聞きした人のなかには、エレクトロ・パンクのスリーフォード・モッズやグライムMCたちからも愛される、英国労働党党首のマルクス主義者ジェレミー・コービンや、ヴァンパイア・ウィークエンドやグリズリー・ベアのようなインディ・ロック・バンドからも支援されながら、ヒラリー・クリントンと大統領候補の席を争ったアメリカ民主党のバーニー・サンダースを思い出す人もいるかもしれない。しかし、くどいようだが、彼らも枝野も、長年、左派から失望されてきた“野党第一党”の政治家たちだ。そういう大野党の左派から生まれた政策が、若者を中心に熱狂的に支持されている。
枝野幸男はコービンやサンダースよりも若く、そして彼らのようなねっからの左翼でもない。けれども立憲民主党の政策もまた、ナショナリズムやネオリベ経済に対抗する潮流にいる。それは気高くドリーミーな理想でも、何かをゼロや百にするといったキャッチーなプランでもない。その代わり「すぐにでもできる」「現実に対して真面目」「効果は確実だが地道」「その政策を採用した後の社会が見えやすい」ものになっている。
それはこんな経済政策だ。
格差が拡大、富が偏在すれば、全体で消費に回るお金が減るんです。それなのにいまの日本は人口減少に合わせて格差を拡大させちゃったから消費が冷え込んでいるので、この格差を是正して貧困層を中間層に戻せば確実に消費は増えます。まさに下から良くしていかなければならないんです。
■「下からの経済政策」について具体的に教えてください。
枝野:ええ、どこから話しましょうか。まず、景気が悪いのは消費が冷え込んでいるからです。輸出は頑張っています。消費冷え込みの理由は格差の拡大です。今、子どもがいて4人家族ということになれば年収500万でも貯蓄や投資にまわせる金額はほとんどないでしょう? 子どもが学校に行って、家のローンがあって、消費性向はほぼ100パーセントです。その人が年収200万になれば300万の消費が減るわけです。逆に年収100万の非正規の人が年収300万の正社員になれば、増えた分、全部消費するでしょう。一方ね、年収1億の人が2億になったからって、増えた1億は使わないでしょ。所得が高くなればなるほど、手にした所得の中で消費に回る比率は低くなるんです。
つまり、そのように格差が拡大、富が偏在すれば、全体で消費に回るお金が減るんです。それなのにいまの日本は人口減少に合わせて格差を拡大させちゃったから消費が冷え込んでいるので、この格差を是正して貧困層を中間層に戻せば確実に消費は増えます。まさに下からよくしていかなければならないんです。そのために単にお金をばらまくというのは持続可能性がないんです。ところが幸いなことに、需要があるのに供給が少ないサービスってものすごく多い。その代表が介護や保育です。需要があって供給が少なければ、普通は価格が上がるのに、そうなっていない。これは市場原理からいっておかしい。本当は保育士さんや介護士職員の給与はものすごく上がらなければおかしいんですよ。でも現実に上がってないのは政治が抑えているからです。そこに流す金を抑えている。それを本来の市場原理に合うようにお金を出せば、人手不足も解消できる。そのお金を給料としてもらった人は地域で消費するわけで、経済波及効果は大きいんですよ。つまり二度おいしいんです。
■公的資金に市場原理を適用させられるのですか? いまはそれができないと思われていると思います。介護も保育も直接には利益を生まない仕事なので賃金も抑えられてしまうと。
枝野:公共的な仕事に従事する人たちの非正規雇用は深刻な問題です。公的にいくら突っ込むかで給料が自動的に決められてしまって、マーケット・メカニズムが働かない。だけど需要があるところにお金を突っ込む。公的なお金だから、もちろん公的な必要性の高いところにお金を流さなければいけないんだけど、介護も保育も必要性が高いことははっきりしている。賃金の決まり方は本来は需要と供給のはずなのに、その市場原理でいけば、上がるはずのものが上がっていないので、市場原理に合わせた形でお金を流していくしかないわけです。でなければ人手不足は永久に解消しません。
で、実は、公的なサービスには、そこに流すお金が足りないせいで人手不足・低賃金という分野は山ほどあるんです。例えば、ノーベル賞級の研究をするには、大きなチームが必要で、准教授くらいになれば別だけど、その研究をサポートするチームは大部分が非正規なんです。低賃金なんですよね。いわゆるポスドクの問題で、ここを安定的な雇用にしてちゃんと一定の給与を払って人手を確保してくれれば、日本の研究開発はもっともっと進む。研究開発というと、バカでかい設備投資の話ばかりだけど、実は地道に研究開発しているところのそういうスタッフの待遇改善をしたら、まずそれが景気対策になる。その人たちが手にしたものを消費に回すから。しかもそれで研究開発の基盤が充実すれば、二度三度おいしいんです。
あるいはいま問題になっている教師の部活動の話がありますよね。あれがサービス残業になっている。それなら部活動を担当する先生に対して、昼間の授業を減らすとか、部活動を担当する先生を別枠で増やすとか、いろんな手はあるわけです。
どれも公的なサービスですから、結局、何らかの形で税か保険料から払うしかないわけです。で、投資効果の小さい大型公共事業をやる金があれば、その金をそっちに回しましょう。その方が経済波及効果は大きいし、二次的三次的な効果もある。これが下からの経済政策です。
そして、そういうところが人を集められるようになれば、民間の方は労働市場がタイトになって、否応なく給料を払わざるをえなくなる。僕は社会主義者ではないので、マーケットはいい部分は使っていこうということです。でないとカネをばらまいたって持続可能性ないわけだし、経団連の幹部を呼んで「給料あげろ」なんてそれこそ社会主義じゃないですか。うまくいくわけがない。マーケット・メカニズムを使って、賃金の底上げをして、非正規を正規に移していく。こういう発想です。
経済波及効果は大きいと言い続けてきたんだけど、まさに崇高な理念だからそんなこと言うなみたいな意見によって塞がれてきたんだけど、いまは言うチャンスだから(笑)。でも子ども手当なんてまさに景気対策でしょう? だけど同時に、崇高な理念にも通じているんです。こういうことをまとめてやるというと、「下から所得を押し上げる」。こういうことなんです。
■まさにトリクルダウンの逆ですね。政府に決定権限のある低賃金の仕事の給料を上げることで、もう少し楽な境遇にいる人にも良い影響が期待できる。トリクルダウンだと失敗したら、「下」は餓死ですが、下からの経済政策なら、上の人にはもう少し待つ体力がありますね。
枝野:もちろんいろんなことを同時にやるんですよ。例えば、これも公的な世界の話ですが、小さな公共事業で公契約条例というのを一生懸命作らせているんです。公共事業の受注額って、人件費がいくらと試算をして、その積み重ねで予定価格が決まります。でも実際にはその賃金は払ってない。だから、それを払えと。入札時に想定されている賃金をちゃんと払わなければならないという条例が公契約条例で、地方自治体はすでに始めているんですよ。これをやることで、公共事業で流した金からも人件費にもっと流れる。これも景気対策です。あえて言えば、高校授業料無償化も幼児教育無償化、それから奨学金も、それは教育政策であり社会政策でもあるけれど、景気対策なんです。
例えば未就学児を抱えている親御さんは、若くて全体的にはほとんど低賃金の人たちじゃないですか。その人たちが保育園や幼稚園に払っている金が減れば、もともとかつかつでやってるから、その分可処分所得が増えるんです。高校授業料が無償化されればおそらく教育投資になるけど、浮いた金はほとんど消費に回るんです。こういう言い方をすると教育政策をやっている人には嫌がられるんです。もっと崇高な理念に基づくんだと(笑)。
もちろんそれはそれでいいんです。でも同時にそれは経済対策でもあるんですよ。経済波及効果は大きいと、僕は民進党時代から言い続けてきたんだけど、まさに崇高な理念だからそんなこと言うなみたいな意見によって塞がれてきたんだけど、いまは言うチャンスだから(笑)。民主党は、だから景気対策がないと言われてきたんです。でも子ども手当なんてまさに景気対策でしょう? だけど同時に、崇高な理念にも通じているんです。こういうことをまとめてやるというのが「下から所得を押し上げる」ということなんです。再分配というと、生活保護とか給付という話に行くんだけど、違うんです。仕事がある、その仕事に正当な対価を払う、その払った対価が消費に回る、というルートで行うんです。
■いまはお金がある人も将来が不安だから使わないのではありませんか? 若者はとくにそう言われていますよね。「将来不安」ということについてはどうお考えですか?
枝野:いや、100万が200万に増えたら必ず使う。まずはそれからです。それが順番。政策によって将来不安を小さくするには5年、10年かかります。しかし景気対策はそんなに悠長なことは言って入られません。まず即効性のある景気対策が必要なんです。
でもこうも言えます。保育所の人手不足が解消に向かい、介護士の人手不足が解消に向かえば、子育てや老後の不安は小さくなるんじゃないですか? 一石二鳥なんです。だから象徴的に「保育と介護」を言っているのは、同時に将来不安を小さくすることにもつながるからなんです。だけどそれは2番目、3番目の目標です。僕が経済政策に自信を持っているのは、いまよりも民主党政権時の方が実質経済成長が高かったからです。なぜなら可処分所得を増やしていたから。子ども手当や児童手当増額、高校授業料無償化もあったし、農村地域に個別所得補償制度ということもやっていました。そういうこと全部がパッケージです。全部パッケージにして、所得が真ん中より低い人たちの、ニーズのある仕事に対してちゃんとしたペイを払います。それでまず消費が増えます。そのことで将来不安は小さくなります。
ひとつ言いたいのは、世代間の分断に乗ったら、若い人は損ですよという話です。例えば年金制度とか、高齢者の老後の暮らしの話をすると、「若い人は損だ」と言われます。で、若者に重心を置くのか高齢者に置くのかと論争になる。こんな分断に乗っていたら若い人は損をするし、実は違うんです。だって年金制度がなくなったら、あなた、自分の両親と場合によっては配偶者の両親も含めて4人、祖父母までみんな生きていたら16人、年金生活が崩壊したら、その人たちの老後の生活を個人で見なければならないんですよ。むしろ実は困るのは若い人です。自分が将来受け取る年金の前に、年金制度を維持してもらった方がいい。親の世代をどう支えるか、いまはあまり意識しないで済んでいるのは年金制度があるからなんです。介護保険制度が充実すればするほど、自分の親が寝たきりになったときでも、自分でやらなければならないことが最小化できるんです。これが、年金や介護政策が若者を無視しているなんていう批判に載せられないことが大事な理由なんです。若者に向かって、高齢者の安心を語ります。そして高齢者に向かっては、「あなた、近所に保育園ができて喧しいとかいって反対などしていると、あなたの年金や医療は誰が支えるんですか」と問いかける政治をしなければならないんです。
■本当は若者も高齢者も一緒に生きているんですよね。でもいつの間にか一緒に生きていられなくなっていたんですね。
枝野:それは政治が無意識にやってきてしまったことなんです。分断していた方が選挙には得だから。「こいつけしからん」と敵を作って分断して、票を集める。この20年、政治はそうやってきたんです。あえて言えば、僕が初当選した日本新党もそうだったかもしれない。2009年の民主党政権もそうだったかもしれない。でもね、それはもう限界にきた。というのは、この解散以来、永田町界隈は予測不能なカオスになっている。それは僕が動いたとか、民進党がどうしたからというのではなく、たぶん限界にきたんだと思うんです。敵を作って分断して、それで一時的にマジョリティーを形成するというやり方が。
これはもしかしたら間違っているかもしれないし、今回、まだ早すぎるアプローチで、同じところに行くのに今回挫折して、また5年10年とかかることになるかもしれないけど、でも、僕がこの世界に入って24年間やってきた、どうもみんな無意識にやってきたその手法、というか前提が、壊れはじめているのは確実だと思うんです。
この解散以来、永田町界隈は予測不能なカオスになっている。それは僕が動いたとか、民進党がどうしたからというのではなく、たぶん限界にきたんだと思うんです。敵を作って分断して、それで一時的にマジョリティーを形成するというやり方が。
■「下からの民主主義」という言い方に惹かれているという若い人の声も聞きます。この数年の国会はくだらなさすぎるヤジや噛み合わない質疑答弁、強行採決のような決め方が横行していましたから。
枝野:何年も言われ続けているのが「強いリーダーシップ」です。その前に「決められない政治」という批判があって、とにかく強いリーダーシップでどんどん決めていくことに対して期待が集まりましたよね。これは一理あると、僕は認めるんです。なぜかというと、世のなかの変化のスピードが速いから、それに対応するためには政治決断も早くないといけないという側面がある。異論があっても押し切るという強いリーダーシップは、一面では正しいんです。でも、同時に、世の中の価値観は多様化してもいる。しかし強いリーダーシップは、価値観の多様化には対応できていないんです。
価値観が多様化した社会では、どんな決定にも、不満、異論というものを常に抱えざるをえません。一億総中流の時代には、異論反論は少ないわけです。利害関係が共通していたから。いまは格差も拡大しているし、価値観も多様化しているから、どんな決定をしても必ず異論があるわけです。それを強いリーダーシップで、意見も聞かずに強引にやればやるほど、不満は大きくなるんです。一個一個はスピード感があっていいように見えても、積み重なっていくと不満の累積の方が大きくなる。で、社会が不安定化するんです。安倍内閣が4年過ぎたくらいから、いろんな意味でフラフラになっているのは、スピード感のある強引なやり方というものへの期待は一方であるんだけど、結局やりすぎて不満が積み重なり、そっちの方が大きくなっているんでしょう。だから強いリーダーシップと同じくらいのパワーを持って、「スピードも大事だけど、同時にみんなの意見もちゃんと聞こうよ、みんな意見が違うんだから」ということが必要です。
そのために重要なのは政治姿勢です。1億3000万の意見を全部聴けるわけはないので、まずは国会運営です。どんなに野党が反対しても丁寧に時間をかけて、真摯に国会質問に対して答弁をする。その姿勢をある程度の時間繰り返されたら野党は抵抗のしようがないんです。それは仕方ない。それをちゃんとした説明も答弁もしないで時間が来たからと質疑を打ち切るようなことを積み重ねていけば、それは声を聞いてないということになる。
民主主義のプロセスですね。その具体的な手法は模索しながら進めていくんです。実際にいまそうです。例えば2年前の安保法制、あのとき、国会前に集まってくれた多くの人たち、その相当はそれまで政治にはあまり興味もなく参加もしなかった人たちでした。でもそのネットワークが、各地でギリギリ維持されてきた中で、もちろん、各地域で従来から市民活動、政治活動に関わっていた人たちは少なからずいるけれど、そうでない人も含めた大きな輪、ネットワークとして、これで野党を一本化しろと政治に圧力をかけにきたんです。我々は圧力をかけられたんです。それは間違いなく政治を動かしたんです。こういう人たちの声を無視して俺たちは政治をやれないという、それが立憲民主党を立ち上げ、希望の党に行かなかった人たちのひとつの理由だったんです。それはもう僕たちがどうこうするというのではなく、主体である国民の皆さんがいろんな動きをすることに対して我々がセンシティヴに反応できないと、我々が立っていられない、そういう土壌は、安保法制以降できている。それにちゃんと応える政治勢力です、我々は。
■「#枝野立て」「#枝野立つ」というような新しいコミュニケーションも出てきています。そこでちょっと不躾ですが伺いたいのは、もし枝野さんや立憲民主党の候補を応援したら、政権奪取までの間、あなた方は政治家として、私たちやこの社会に何をしてくれますか?
枝野:いま僕らが言えることは、「筋を通します」ということです。つまり、こういう政策を実現したいと言っても、それは議会の多数派を占めないとできないことなので──いや、必ずしもそうではなく、野党でも少数派でも一定の力を持っていれば、社会的なプレッシャーや政治的なプレッシャーとしてある程度は可能なんです。やっぱり政府、与党も国会で揉めたくはないから、妥協するんですよ。妥協できる範囲のことは。だから一定の影響力さえ持てば、例えば与党が憲法改悪をごり押ししようとしても、一定のパワーを示せば、「国民投票が不安だから」あるいは「世論が盛り上がっちゃっても心配だから」という抑止力にはなる。でもそれはできるかどうかはわからない。間違いなくできるのは、マジョリティーをとって、政権を取ったとき。だから、いま、約束できることは、「筋を通します」ということです。
従来の政治、永田町の合従連衡とか、政治家の都合や思惑などとは違うものを、今回、皆さんに感じてもらえていると思うので、そこはブレずにやります。意外に大変なのだけど。
国会の運営は、従来のルール、慣習で動いています。我々だけがそれと違うことをやっても通用しないから、そのなかで、ちゃんとブレないで筋を通して期待通りにやっていると、ちゃんと思ってもらえるようにしたい。そう思っていただき続けるのはけっこう大変なんですよ。大変だけど、それをやり続けないと、我々はたぶん立っていられない。
■では有権者、なかでも立憲民主党に期待しはじめている人びとに、投票の他にしてほしいことはありますか?
枝野:できることをやってください。わたしもできることをやります。
インタヴューの翌日、新宿アルタ前では集会が開かれた。元SEALDsのメンバーも含むさまざまなアーティストや著名人、スタッフたちが準備したらしい。集会では学生や市民が選挙について思い思いのスピーチをした。枝野幸男と福山哲郎もそのひとりとして脚立に立って話をした。時間より前から広場を埋め尽くしている聴衆には若者から中年までさまざまだが、その表情はなんだかにこやかだ。事故のような経過だったとしても、選挙直前に突然、選択肢が増えたのだ。それってなんと自由なことだろう。アルタ前にはこの自由を満喫するような笑顔が輝いていた。
「私たちは少数派ではない」──多くの世論調さは与党圧勝を予測している。そういう数字が、また私たちに無力感を植え付ける。大雑把に見れば、この100年、世界はリベラルに向かってきたし、いまもそれは続いている。グローバル経済、ネオリベ経済は、個々の多様性や人権を重視する政治的リベラルの副作用のようなものだ。行き過ぎれば、人権ではなく、グローバリズムが否定される。そして排外主義という副作用を生んでいる。この悪循環はどこから断ち切ることができるのか。枝野幸男の提案する「下からの経済政策」はひとつの答えだ。
だから、根気よく信じよう。私たちには民主主義を機能させる能力があるということを。あ、これはたしか、アルタ前で誰かが話していたことだ。政治家ではない。自分たちの力を信じたい。
(敬称略)
取材:水越真紀(2017年10月14日)