頭を下げるのも母親の役目 頑張ります!

現在、バスで片道40分かけて保育園へ通園している。渋滞ともなれば、1時間位乗っていることもしばしばある。そんなこんなで今まで、朝早くて夜遅いという生活が続き、最近はバスの中で我が子がグズる事が多くなっていた。バスの中で一度グズり出せば、狭い空間だけに、その声は車内中に響き渡り、迷惑そうな視線を向けられる。

 宥めて、すかして、なんとかしようとする私の声も、地声が大きいのと、焦っているせいで迷惑そうだ。しかも、知恵のついてきた我が子は、嘘泣きまでもする。子供の声というのは耳につくようにできているのだが、より以上に耳につき、イラつかせる。周りの人たちが、冷たい視線を送る気持ちも、舌打ちをしてしまう気持ちもよくわかるだけに、頭を悩ませていた。

 その中で、毎回舌打ちした上、ブツブツ文句を言う中年の男性がいた。神経質そうな風貌だが、いつも手入れの行き届いた上品なスーツを着ている。きっと、奥様がきちんとした方なのだろう。この日は、真後ろの席だったので、

 「申し訳ありません」

 と声をかけた。それでも我が子は泣き止まない。しかし、また舌打ちをされる。その瞬間、これまで私の中に蓄積されたものが爆発した。

 「子供って、泣くものじゃありませんか?」

 そうすると、中年男性は面倒くさそうに、

 「だったら、もっと早く起こして、きちんとしてくりゃあいいんだよ」

 と応じた。私の怒りはピークに達した。

 「午前6時30分には起こしてますが、何か? お子さんいらっしゃいます?」

 「ああ、いるよ」

 「ご迷惑なのはわかりますけど、舌打ちとか、そういうのはどうかと思います」

 「人がウトウトしてる時に、突然泣かれりゃ怒るだろう! 毎回、毎回!」

 バスは、寝る所じゃね~っ! だったら、家でタップリ寝てきやがれ!!ーーそう突っ込みたかったが、うるさいのはこちらが悪いしなぁ……と言葉を飲み込んだ。

 「毎朝お会いしています? お子さんがいらっしゃる方の発言とは思えないわ」

 大体そんなやりとりをしたと思う。とにかく、腹立たしさと悔しさでいっぱいになり、私は前を向いた。その間、我が子は何かを察したのか、窓の外をボーッと眺めていた。

 私はといえば、とりあえず言いたい事は言ったはずなのに、予想もしない涙がこぼれた。悔しい! 泣き声なんかたててやるものか!!ーーそう思っても、涙は後から後から頬を伝う。思わず鼻をすする。前に座っている女子高生が、手鏡越しに私の様子を伺う。

 アナタもそのうち母親になる。今は、そうね……わからないでしょう。その時じゃないとわからない。アナタがどう感じようが知らないけど、見たいなら見ればいい。いや、見ておきなさい。働きながら子育てするのも、近い保育園に入れなかったのも、こちらの勝手。それをわかってくれとは言わないし、うるさいのは確かに迷惑だ。

 でもどうにもならない、どうにもならないんだ。大人の私でさえ、疲れ切ってしまう通園なのだ。

 窓の外を眺めているその小さな背中は、頑張っているのだ。いきなり大所帯の、誰も知らない保育園に放り込まれ、小さいながら1カ月位はトイレに立てこもってみたりと、ストライキを起こしたこともあった。

 眠くても叩き起こされ、食べるのが遅い我が子を急き立て、バスの時間があるからと、食べている途中でも食器を片付け、朝食のが足りないと思う時などは、行儀の悪い事を承知の上で、車内でパンやらおにぎりやらを食べさせた。

 「だったら、もっと早く起こして、きちんとしてくりゃあいいんだよ」

 ごもっとも。その通り。だが、そんなに上手くいくなら、それにこしたことはない。こちらも人間、子供とはいえ我が子も人間だ。窓の外を眺めていた我が子が、私の使ってるタオルを見て、「プーしゃん?」と問いかけてきた。

 「そう、プーさんね。今日はね、借りるね」

 「うん、いいよー」

 そう言って、また窓の外を眺めた。思わずその小さな体を引き寄せ、膝に乗せ抱きしめた。我が子の温もりで、私の心は癒された。そして、女子高生が下車し、中年男性も下車し、そのころには私の涙もひいていた。降車するバス停で、保育園の先生に会った。どうやら同じバスだったようだ。

 「おはようございます」

 と言ってはみたものの、また涙がこぼれ、

 「先生。私、疲れちゃった」

 と言ってしまった。すると保育園の先生は

 「ああいうワカランチンはどこにでもいるの。私も男の子を2人育てたけど、男の子を産んだ時点で、母親は頭を下げる事になっているのよ」

 先生の言葉に愕然とした。思えば我が子が産まれてから、幾度となく頭を下げてきた。子供が産まれなかったら、頭を下げる事などしなかっただろう。あの女子高生は、そんな親の背中を見た事があるだろうか? あの中年男性は、子供の為に頭を下げた事が、1度でもあるのだろうか?

 車内マナーを守るのは最低限のルール。子供が守れなければ、親がかぶるのは当たり前だ。母親3年目。まだまだ先は長そうだ。