






4年前と違う涙の理由
フィニッシュで上を見た。その目に涙がたまって、こぼれた。でも、悔しくて泣いた4年前のバンクーバー五輪とは理由が違った。
「うれしかったです。うれし泣きと笑顔と、同じ意味だと思います。自分の中で最高の演技ができ、たくさんの方に恩返しができました」
2014年2月20日、ロシア・ソチ五輪。4分間のフィギュアスケートのフリー演技に、24選手中、12番目に登場した。冒頭、トリプルアクセル(3回転半)ジャンプが決まった。成功したのは今季初めてだった。
「リンクに乗ってからは、もう『できる』っていう思いだけでした。プログラム全体のことは考えず、一つ一つクリアしていこうと思いました」
このままいける。難しい2連続3回転ジャンプ、踏み切り違反をとられるので苦手意識があった3回転ルッツを跳んでいく。苦手だったルッツとサルコーの3回転ジャンプも着氷。ショートプログラム(SP)でレベルを取りこぼしたステップやスピンも、最高難度のレベル4を取った。
最後の二つのジャンプの前に、バンクーバーで失敗した記憶がよみがえった。それでもひるむことなく挑み、五輪史上、6種類のトリプルジャンプを着氷した初の女子選手になった。
「バンクーバーの自分へのリベンジはできた」。得点は、自己最高の142.71点。技術点は、出場選手中2番目に高い73.03点だった。
まさかのSP16位
前日にあったSPの演技に、多くのファンは嘆いた。トリプルアクセルでバランスを崩し転倒。その失敗から持ち直すことができずミスを重ねた。今季前半の多くの演技でレベル4をとり続けたスピンやステップの一部がレベル3と判定された。最後までいいところを出せないまま、得点は55.51点で16位。シニアの大会で2桁の順位に沈んだのは初めてのことだった。
「自分が弱かった」「今まで何をやってきたんだろう」。そんな思いが頭の中をぐるぐる回り、なかなか寝付けなかった。フリーの当日は起きるのが遅くなり、朝の練習では体が温まらないまま氷に乗った。ジャンプの着氷でよろけて両足をついたり、3回転半が1回転半ジャンプになったりした。
気持ちを切り替えた。「自分のぺースでやろう」。氷上練習がもの足りなかった分、陸上トレーニングで汗を流した。ゆっくり眠り、赤飯を口にした。
演技前の6分間練習でリンクに立つと、きれいな3回転半ジャンプを決め、完全に自信を取り戻した。
「最後は覚悟を決めて、『よしっ』と思えた。SPのようになっても、とにかく跳ぶという気持ちを持った」
ソチを集大成に
バンクーバーからの4年間は、つらい練習を乗り越え続けた日々だった。
2011年、12年の世界選手権で自己最低の6位になった後には、「1人でリンクの真ん中に立つと、深いため息が出てしまう」と書き記したこともある。跳べない恐怖心から無理な食事制限もした。ほおがこけ、脚が細くなっていった。
13年春。「五輪という大きな舞台で集大成となる演技をしたい」と突然表明。ソチ五輪を競技人生の集大成にしたいという意向に、周囲は慌てた。
「その後のシーズンのことを考えられないくらい力を出し切りたい」。憧れや夢の舞台ではなく、これまでの取り組みの成果を試す自分自身との戦いの場と思い定めた。
「集大成の場」を最高の演技で締めくくった。「自分が目指していたのはきょうのような演技。この4年間は良かったと思う。その気持ちは、どんどん強くなるんじゃないかなと思っています」
演技を終えると一瞬涙を見せたが、すぐに泣きやんでスタンドに向かってほほえんだ。
「笑顔を忘れないでいればがんばれる。つらいことがあっても笑顔を忘れない」
